38章 森から来たもの
翌朝。
ギルドに着くとリリアが受付から顔を出した。
「昨日のホーンラビット、ゼド先生が見てくれたわよ」
アレンたちが足を止める。
「原因、分かったの?」
「いいえ。先生もはっきりとは」
リリアは帳簿の束を抱え直しながら言った。
「外傷で死んだわけじゃない。目立った病変もない。森に自生する可能性のある毒とも違う。って」
「じゃあやっぱり分からないってことか……」
アレンが肩を落とす。
「ただ、普通の死に方じゃない可能性が高いから、同じような死骸を見つけても素手では触らないで。」
「分かった。ありがとう、リリア」
「別に。先生に言われたことを伝えただけよ」
リリアはそう言って帳簿へ視線を戻す。
(相変わらず素直じゃない言い方だな)
俺はアレンの足元で小さくあくびをした。
「おはよう黒猫団。今日の依頼はね」
マリアが依頼書を広げる。
「ローベス近郊の農家への荷物運びと害獣駆除よ。最近畑が荒らされてるみたいでね」
「北東の森の方は、どうなったんですか?」
レオが尋ねる。
「しばらく奥へ行く依頼はギルドでも出さないことになったわ。今は最近森に行った冒険者たちから話を聞いているところ」
「そっか……」
アレンが短く息を吐く。
昨日の静かな森。原因不明の死骸。それが頭の片隅に残っているのだろう。
「とりあえず今日は普通の依頼だね」
エマが矢筒を軽く叩いた。
(まあ、毎回変な死骸を拾ってくる冒険者生活なんて御免だ)
俺はアレンの肩に飛び乗る。
「行こうか」
アレンの声で俺たちはギルドを出た。
* * *
ローベスの東側にある農地へ向かう道は、石畳から土の道へと変わる。
畑には麦の芽が並んでいる。秋の陽射しが畑を明るく照らしていた。
「今日は暖かいね」
エマが背伸びをする。
「うん。こういう日の荷物運びは気持ちいいや」
アレンが笑った。
(平和なもんだ)
俺はアレンの肩の上で尻尾を揺らした。
その時、道の脇の草むらが揺れた。
「あ、ホーンラビット」
エマが指差す。
そこには、一匹のホーンラビットがいた。死んではいない。生きている。俺たちの気配に気づくとぴょこぴょこと跳ねて逃げていく。
「森からこんなところまで来るものなの?」
アレンが首を傾げる。
「餌を探して森の外へ出ることはあるでしょうけど……ここまで来るのは珍しいですね」
レオが眼鏡を押し上げた。
(ウサギの匂い……)
俺は草むらへ近づき鼻をひくつかせた。
土と草。ホーンラビットの匂い。あの甘ったるい鉄錆の匂いはしない。
(こいつは普通だ)
だが、場所がおかしい。こんな農地近くまで来るだろうか。
さらに歩く。
野ネズミが慌てて石の下へ隠れる。小鳥が草むらから飛び立つ。
普段は森の中にいるはずの生き物たちを、道すがら何度も見かけた。
「今日、動物多くない?」
エマが立ち止まって周囲を見回す。
「昨日は森の中にほとんどいなかったのに……」
レオが呟く。
アレンが腕を組んだ。
「まさか、森から出てきてるのか?」
三人が顔を見合わせる。
(そうだろうな)
俺は道の真ん中で鼻を上げた。北東の森から風が吹く。
(何かが追い出したのかそれとも……)
そこまで考えて、首を振る。まだ分からない。
* * *
農家に着いた。
白髪の男が畑の柵を直している。
「すみません、ギルドから来ました。荷物をお届けに」
アレンが声をかけると男が振り向いた。
「おお、すまんねぇ。助かるよ。最近畑が荒らされて大変でな」
「ホーンラビットですか?」
「それだけならまだいいんだが、昨日はウルフまで来やがった」
「ウルフですか?」
アレンたちの表情が引き締まる。
「ああ。森の浅い場所でしか見たことねぇ獣が、畑の近くまで来るなんて初めてだ」
(ウルフまでか)
俺は耳を立てた。
「他にも何か変わったことはありませんか?」
レオが尋ねる。
「そうだなァ……最近、夜になると木の上に小鳥がびっしり止まってるんだ。あれは気味が悪い」
「夜に?」
(夜、森へ帰らない……?)
嫌な想像が頭をよぎる。
「お前さんら、あの森、知ってるか? 最近森の方が妙だって話は聞くからお前さんらも気を付けな」
農夫は俺たちの顔を見て少しだけ声を濁らせた。
「妙、ですか?」
「ああ。最近やたら獣が森から下りてくるんだ。こんなことは今までなかったんだがな」
(何かから逃げてる……)
この男も、同じことを感じている。
「僕たちも、違和感を感じてます」
アレンが静かに言った。
「ギルドに報告します」
「そうしてくれると助かる」
農夫は髪をかきながら不安そうに森の方を見た。
「あんたらも気をつけて帰りなさいな」
* * *
荷物を渡し、畑の周りを見回る。
作物を荒らす獣がいないか確認するためだ。
「ウルフが出たって言ってたし一応周囲を警戒しよう」
アレンが剣に手を掛ける。
「クロ、何か気配はある?」
「にゃあ」
俺は鼻をひくつかせて畑の端から端へ視線を走らせた。ウサギの匂いはするがウルフの匂いはしない。
「大丈夫そうだ。少し離れて見張るよ」
エマが弓を構え、畑の外れへ歩く。
しばらく見回ったがホーンラビットが二、三匹、野菜の周りをうろついているだけだ。
「あれは追い払うだけでいいか」
アレンが剣を抜かずに両手を広げた。
「みんな、散らばらずにゆっくり追い込むよ」
エマが指示を出す。
ここ最近、三人の役割は自然と決まってきている。アレンが前に出てエマが牽制しレオが魔法で逃げ道を塞ぐ。
俺は邪魔にならないよう少し下がり見守る。
「レオ、右へ!」
「はい!」
低い氷壁が畑の畦道に現れてホーンラビットの逃走先を遮った。
「今だ!」
エマの矢が地面に突き刺さりウサギたちが慌てて方向を変える。
(慣れたもんだ)
アレンが駆けて畑の外へ追い出した。
「よし、これでしばらくは大丈夫だと思う」
「ウルフがいなくてよかったね」
「でもなんで農地まで来るんだろうな」
アレンがつぶやく。
「森の奥に、何かあるのかな」
「さあ。でも、今日は普通の害獣駆除でよかった」
エマが肩をすくめる。
俺は森の方から吹いてくる風に鼻を向けた。
(まだ分からんな)
* * *
帰路。
夕陽が、西の空を赤く染めている。
「今日は、森から出てきた動物ばかり見たね」
「うん。ウサギもネズミも、鳥も。みんな森の方から来てた」
「森の中で餌がなくなってるんでしょうか?」
「それだけならあんなに一斉に出てくるのかな」
アレンの声が、少し沈んでいく。
(一斉に、か)
動物たちの動きを思い出す。それぞれが自由に動いているように見えて方向だけは揃っている。
「なんかさ……ずっと嫌な感じしない?」
エマが言う。
「うん。何がおかしいのか説明できないんだけど……」
「同感です。僕も、胸の奥がざわざわします」
その時、北東の森から鳥の群れが一斉に飛び立った。
夕焼けの空へ、黒い粒が散っていく。
その群れは俺たちの頭上を越えてローベスの方へ流れていった。
「また、森の方から……」
「ここまで飛んでくるなんて、何かあるよね」
エマが足を止めて、飛び去る鳥たちを見送る。
(こいつらは逃げている)
やはり、そうとしか思えない。
俺は、夕闇に沈みかけた北東の森をアレンの肩の上からじっと見つめた。
(森の奥に、何がある?)
木々は風もないのに葉音を立てているように見えた。俺の目にはただ暗く深い影としか映らない。
* * *
夜。
アレンが日記を書いている横で、俺は窓辺に座っていた。
今日見たホーンラビットを思い出す。
生きていた。
あいつからは、あの匂いがしなかった。
昨日の死骸からはした。
(……死んだ奴にだけ残るのか?)
分からない。
ただ一つ分かるのは、生き物たちは森から逃げているということだけだ。
遠くで羽音がした。
また鳥が、森とは反対の方向へ飛んでいく。
(森の奥で、何が起きてる?)