41章 森に残された者たち
夜明け前ギルドのホールは異様な熱気に包まれていた。
普段なら酒場で馬鹿話をしている冒険者たちが全員武装している。テーブルの上には地図が広げられ、昨夜の帰還者も青ざめた顔で椅子に座っていた。
「ここだ」
帰還者が地図の一点を指す。
「ウルフの死骸があった場所は」
ゴードンが無言で頷く。
俺はアレンの足元でその様子を見ていた。鼻の奥にはまだ昨夜嗅いだ匂いが残っている。
(ダンさん……)
「捜索隊を出発させる」
ゴードンの声が静かに響いた。
「今回は調査じゃない。人命救助だ。助けられる者を助けてすぐに帰る。いいな」
「ゴードンさん」
アレンが一歩前に出た。
「僕たちも連れていってください」
「昨日言ったはずだ。駄目だ」
「クロならダンさんたちの匂いを追えるかもしれません。捜索時間を減らせるはずです」
ゴードンは俺を見たあと、アレンたちへ視線を移した。
「……確かにクロの鼻が使えるなら、捜索時間は減らせるかもしれん」
沈黙が落ちる。
「だが、勘違いするな。お前らは戦力として連れていくんじゃない。クロの補助だ。異常があれば即撤退する。俺が戻れと言ったら、ダンを見つけていなくても戻る。いいな」
「……はい!」
アレン、エマ、レオが声を揃える。
(よし、行くぞ)
* * *
北東の森は朝早いこともあって、いつも以上に薄暗く見えた。
捜索隊は七人と一匹。ゴードン、ゼド、ベテランの冒険者二人そして黒猫団の三人だ。
「クロ、周囲の様子を頼む」
アレンの声で俺は肩から飛び降り先頭に立った。
森の入口付近はまだ普通だった。鳥の声がする。虫の羽音も聞こえる。甘ったるい匂いも感じない。
(ここまでは大丈夫みたいだな)
だが奥へ進むほどに空気が変わっていく。
最初に鳥の声が消えた。
次に虫の音が途絶えた。
足を踏み入れるたび、木々の隙間から差し込む光も弱くなっていく。
(臭い……)
甘ったるい鉄錆の匂い。昨日よりもはっきり分かる。まだ薄いが確実に強くなっていた。
俺が振り返ってゼドを見ると、アレンもその視線を追った。
「ゼド先生、体調は大丈夫ですか?」
「問題ねえ。お前らは?」
「大丈夫です」
(やっぱりあの匂いに気づいてるのは俺だけか)
「間もなく昨日の場所だ。全員気を引き締めろ」
ゴードンの低い声が響く。
* * *
「うわ……」
誰かが息を呑む声がした。
木々の切れ間、地面に散らばる十数匹のウルフの死骸。
いずれも外傷はほとんどない。ただ無造作に倒れ固まっていた。
(ウルフがこんなに……)
甘ったるい鉄錆の匂いが一気に濃くなる。
(っ……)
鼻の奥が痺れた。思わず足が止まる。
(なんだこれ……)
「クロ?」
アレンの声に我に返る。
「にゃっ……」
俺は頭を振り前足に力を込めた。
俺の体に起きた異変にアレンが気づいた。
「クロ、大丈夫?」
アレンがしゃがみ込み俺の顔を覗き込む。
「にゃあ」
(大丈夫だ。それよりダンさんを見つけないと)
「全員、気をつけろ。ウルフの死骸には触るな」
ゴードンが全員に釘を刺す。
「ゼド、検分を頼む」
「ああ」
ゼドがウルフの一体に近づき短い時間で調べる。
「昨日の連中と同じだ。目立った外傷はねえ。少なくともここで何かに食い殺されたわけじゃなさそうだ」
(やっぱりゼドでも分からないのか)
「クロ、ダンたちの痕跡は追えるか?」
アレンが尋ねる。
俺は気を取り直し地面に鼻を近づけた。
土の匂い。枯れ葉。ウルフの死骸。
その中に人間の汗と革の匂いが残っている。
(こっちか?)
俺は鼻を地面すれすれまで近づけた。
覚えのある匂いも、かすかに混じっていた。
「にゃっ!」
「ゴードンさん! クロが痕跡を見つけたようです!」
アレンの声に全員が俺を見る。
「どこだ」
ゴードンの目が鋭くなる。
「にゃあ」
(ついてこい)
俺は駆け出した。匂いが途切れそうになりながらも地面すれすれを走り方向を探る。
「クロ、無理しないでくださいね」
レオが心配そうに言う。
(無理も何も、ダンが待ってるかもしれないんだ)
土汗葉っぱの腐った匂い。そのすべてをかき分け嗅ぎ分ける。
(いた)
俺は足を止めた。
大木の根元に、何かが倒れている。
泥に汚れた革鎧。
見覚えがあった。
(――ダンだ)
「ダンさん!」
アレンが駆け出そうとしゴードンが腕を掴む。
「待て」
ゴードンがゼドに目配せをする。
ゼドがダンに近づき静かに屈み込む。
短い沈黙。
「生きてる」
その声が聞こえた瞬間俺の足から力が抜けた。
(生きてた。よかった……)
アレンは口元を押さえ深く俯いた。
エマがそっとアレンの肩に手を置く。
レオが小さく息を吐いた。
「脈はある。呼吸もしてる。だが起きねえな」
ゼドがダンの顔を覗き込みながら言った。
ダンは泥と草で汚れた顔をしていた。外傷は少ない。だが唇は乾き紫色をしていた。
(あいつ……匂いがする)
昨夜の帰還者よりもはっきりと。ダンの体から甘ったるい鉄錆の匂いが立ち上っている。
俺はダンの頬に鼻先を押し当てた。
(ダンさん)
反応はなかった。
* * *
ダンを担架に乗せる準備をしている間も、他の冒険者たちは周囲を捜していた。
「こっちにもいるぞ!」
少し離れた場所から声が上がった。
倒れていたのは別の調査隊員だった。やはり目立った外傷はない。
さらに周囲を捜すともう一人も少し離れた木の陰で見つかった。
二人とも泥に汚れ、動かずに横たわっている。
「全員生きてるか」
ゴードンが確認すると、二人とも浅い呼吸をしていて胸が上下していることが分かった。
(生きてる。みんな生きてる)
俺は倒れた男たちの匂いを嗅いだ。
ダンと同じ匂い。甘ったるい鉄錆の匂いが体から染み出している。
(全員、同じ匂いだ)
「ゴードン、そろそろ潮時だ」
ゼドが言った。
「ああ」
ゴードンが倒れた三人を運ぶための担架を指示し始める。
「待ってください。まだ森の奥に何かが」
捜索隊の一人が森の奥を睨みながら言う。
「人を助けに来たんだ。死人を増やしに来たんじゃねえ」
ゴードンがピシャリと言った。
「今は救助が先だ。原因はまた後で調べる。ゼド、三人とも運べるか」
「ああ、任せろ」
俺は鼻を上げた。
(……奥だ)
あの匂いは来た道からではない。さらに森の奥から流れてきている。
(この匂い……もっと奥から来てるのか?)
「クロ、行くよ」
エマが俺を呼んだ。
俺は森の奥をもう一度だけ振り返った。暗い。目を凝らしても少し先までしか見えない。
(今は戻ろう)
それが最善だと頭では分かっていた。
* * *
ギルドに戻ると緊張が一気に解けた空気が満ちていた。
ダンたちはすぐに救護室へ運ばれた。
アレン、エマ、レオは救護室の前で立ち尽くしている。
「ねぇ、クロ」
アレンが床に座り込んだ俺の隣に腰を下ろす。
「ダンさん助かるよね」
「にゃあ」
(当たり前だろ)
俺はアレンの膝に頭を乗せた。
(俺が見つけたんだ。死なせてたまるか)
しばらくして救護室の扉が開き、ゼドが出てきた。
「先生!」
アレンが飛びつくように尋ねる。
「命に別状はない」
その言葉に三人の肩から力が抜けるのが分かった。
「だが分からん」
ゼドが続けた。
「なんですか?」
レオが尋ねる。
「なんでこいつらが目を覚まさねえのか、だ」