翌朝、俺たちはギルドの扉が開くのと同時に中へ入った。
救護室へ向かうとゼドが三人の様子を見ている。
「昨日よりはいい。脈も呼吸も安定してる」
アレンたちがほっと息を吐く。
俺はベッドへ飛び乗りダンの顔へ鼻を近づけた。
(かなり薄くなってる)
甘ったるい鉄錆の匂いはまだ残っているが、昨日とは比べものにならないほど弱い。
その時だ。
「なんだよ……」
低い唸り声が聞こえた。
ダンの眉が動きゆっくりと目が開く。
「ダンさん!」
アレンが声を上げる。
「でけえ声出すな……頭に響く」
ダンはそう言ってしかめっ面を作った。
アレンは笑おうとして、少し声が詰まった。
(遅えんだよ)
俺はダンの胸元へ顔を押しつけた。ダンの手が弱々しく俺の頭を撫でる。その手はまだ震えていたが確かに温かかった。
* * *
ゼドがダンを診察する。
意識は戻ったが身体は重く、頭痛と軽い吐き気があるらしい。だが生命の危険はなさそうだ。
他の二人も時間差で意識を取り戻し始めていた。
俺は三人の間を行き来して匂いを嗅ぐ。
全員、匂いがかなり薄くなっている。
(やっぱり身体が戻るのと一緒に薄くなってる気がする)
俺がダンのベッドと別の隊員のベッドの間を行ったり来たりしていると、リリアが水差しを持ちながら俺を見た。
「また匂いを嗅いでるの?」
俺は足を止めた。
(こいつ、やっぱりよく見てるな)
リリアはそれ以上は何も言わず、黙って水をコップへ注いだ。
* * *
体調が少し落ち着いたところで、ゴードンとゼドがダンから話を聞くことになった。黒猫団も近くで聞いている。
ダンは天井を見上げながら、ゆっくりと語り始めた。
「最初は普通だった。鳥も虫もいた。だが奥へ進むにつれて静かになっていった」
そこまでは既に知っている内容だ。
「ウルフの死骸を見つけた時点で戻ろうと思った。だがその少し先で」
ダンが言葉を切る。
「妙な場所があったんだ」
「妙な場所?」
ゴードンが問う。
「地面の草が変色してた。黄色っはくなってて所々黒ずんでた。木の葉も季節じゃねえのに黒くなって落ちてた。苔もねえ。虫すらいねえ」
(植物まで弱ってるのか)
「そこへ近づいた直後だ。急に足に力が入らなくなった。頭の中がぼんやりして息がしづらくなって」
ダンは眉を寄せた。
「仲間に『戻れ』って叫んだところまでは覚えてる。だがその後の記憶がねえ。気づいたらここにいた」
「敵は見たか?」
ゴードンが聞く。
「いや。魔物に襲われた記憶もねえ。誰かに攻撃されたわけでもねえ。身体が勝手に動かなくなった」
ダンはそこで一度口を閉じた。
「ただ」
「何だ?」
ダンは少し考え込むようにしてから言った。
「木の向こうが……妙に明るかった気がする」
「見たのか?」
「分からねえ。頭がおかしくなる直前だった。見間違いかもしれん」
ダンはそう言って首を振った。
(明るい……)
俺は何故か森で嗅いだ、あの匂いを思い出した。
* * *
ゴードンが腕を組んだ。
「なおさら森には人は入れられねえな」
ダンの証言を聞いて、ゴードンの表情がさらに厳しくなった。
「近づいただけで人間に症状が出た場所だ。原因も分からねえ以上、通常の冒険者を入れるわけにはいかねえ」
「上からの連絡があった」
ゴードンが全員を見渡す。
「専門家がこちらへ派遣されることになった。到着には数日かかるがそれまでは森を完全封鎖する。黒猫団も当然立入禁止だ」
俺はアレンの顔を見た。
「分かりました」
アレンは静かに頷いた。
* * *
ゴードンたちが退出したあと、アレンがダンのベッドの傍らに残った。俺も足元に座る。
「心配かけたな」
ダンが天井を見つめたまま言った。
アレンは少し黙ってから、「本当にですよ」と返した。
「次から森見て帰ってくるだけとか言わないでください」
アレンの声は少し震えていたがしっかりと届いていた。
ダンは弱々しく笑った。
「分かったよ」
そしてアレンの頭を一度だけなでた。
俺はその様子を見ながら、のんびり尻尾を揺らした。
(生きてりゃそれでいいんだよ)
* * *
夕方。
アレンの家へ戻る途中、俺は北東の空を見上げた。
ダンは目を覚ました。他の二人も回復し始めている。ひとまず誰も死ななかった。それだけで十分だ。
だが、ダンの証言が頭から離れない。
植物まで弱っていた場所。その先で身体がおかしくなった。
そして
(明るかった、か。)
木々の向こうに見えたという、正体の分からない明かり。
俺が森で嗅いだ匂いも、さらに奥から流れてきていた。
(あの奥に、何があるんだ)
専門家が来るまで、あと数日。
俺は北東の空から目を逸らし、アレンの隣へ駆け寄った。