45章 王都から来た専門家
旅装姿の女性がギルドの中央へ歩み出た。
長い灰銀色の髪を後ろで束ね、淡い青灰色の瞳で静かに周囲を見渡す。埃のついた外套の下には実用的な服。背中には細身の杖、腰には採取瓶や小型の器具がぶら下がっていた。
(思ってたより若いな)
俺はテーブルの上からその様子を見ていた。
「セレナ・ヴァイスです。王立魔術研究院から派遣されました」
簡潔な挨拶。それだけだった。
ゴードンが奥から歩み出る。
「歓迎しよう。長旅ご苦労だった」
「ありがとうございます。休む前に状況を確認したいのですが、よろしいですか」
セレナは長旅の直後だというのに、声にも態度にも疲れが出ていない。無駄話を嫌うタイプらしい。
ゴードンは少し呆れたように頷き、会議室へ案内した。
* * *
黒猫団も当事者として同席を許された。俺も当然ついていく。
セレナはアレンたちを見ても特別な反応をしなかった。俺を見て「猫も一緒なの?」と聞いただけだ。
「クロも黒猫団の仲間です」
アレンが答える。
「そう」
セレナはそれだけ言って、すぐに地図へ目を落とした。
テーブルにはこれまでの報告書が並べられている。ゴードンとマリアが順を追って説明した。
動物の異常な移動。外傷のない死骸。森の奥で消えた鳥や虫。ウルフ十数匹の死骸。そして人間にも起きた体調異常。
セレナは黙って聞いている。時折、「その時の風向きは?」「症状が出た正確な場所は?」と短い質問を挟むだけだ。
ダンたちが森から救出され、時間とともに回復していること。自力で帰還した調査隊員も町へ近づくにつれて楽になったこと。
セレナはそこでペンを止めた。
「つまり、一度症状が出ても森から離れれば回復する可能性があると」
「ああ。ダンたちも徐々に意識を取り戻してる」
ゴードンが答える。
「場所との関連性は調べる価値がありますね」
セレナはそう言っただけで、「だから何だ」とは言わない。
ゴードンが少し苛立ったように聞いた。
「王都の専門家でも分からねえのか」
「現物を見てもいないのに分かったと言う方が信用できないでしょう」
セレナは淡々と返した。
(ゼドと似たようなこと言うな)
俺は少し感心した。知らないことを知ったふりしない。そういう奴のほうが信用がおける。
* * *
セレナはダン本人から話を聞くために救護室へ移動した。
ダンはベッドに座り水を飲んでいる。昨日よりずっと顔色がいい。
セレナは細かく質問を重ねた。
「身体がおかしくなる直前、何か変わったことは?」
「匂いは? 音は? 光や、肌に感じるものは?」
「身体のどこから異常が始まった?」
ダンは首を傾げながら答える。
「匂いなんて覚えてねえな。特に変な匂いは感じなかった」
(やっぱりダンには分からなかったのか)
俺はダンの足元で小さく鳴いた。ダンにはあの匂いが分からない。ゼドにも分からなかった。今のところ、気づいてるのは俺だけだ。
その時、水差しを持っていたリリアが口を開いた。
「でもクロはずっと匂いを気にしてるわよ」
セレナの動きが止まった。
「クロ?」
リリアが説明する。
最初の死骸を見た時も嗅いでいた。帰ってきた調査隊員にも同じことをした。ダンたちにも何度も同じことをしている。回復してからも匂いを確認していたと。
アレンも思い出したように言う。
「森の中でもクロだけ何か気にしてました」
セレナの視線が俺へ向いた。
彼女は俺の前にしゃがみ込む。
「あなた何か分かるの?」
「にゃあ」
(匂いがすることしか分からねえし、猫だから説明もできねえんだよ)
セレナはしばらく俺を見ていた。鼻。耳。目。それから周囲の人間へ視線を移す。
「死骸だけなら普通の猫でも反応するかもしれない。でも……」
セレナは立ち上がった。
「少し試してもいい?」
セレナに促され、俺はマリアへ鼻を近づけた。
紙とインク、それに微かな香草の匂いしかしない。
次は、自力で帰還した調査隊員。
鼻をひくつかせる。
(ほとんど消えてる)
最後にダン。
(……まだ少しある)
俺の反応は三人で明らかに違っていた。セレナはその様子をじっと観察していた。
セレナが再び俺の顔を覗き込む。
「……少なくとも、無作為に反応しているわけではなさそうね」
(変な奴に目ぇつけられたな)
「にゃあ」
セレナは少しだけ考えてから立ち上がった。俺の正体を見抜いたわけではないだろう。ただ何か引っかかっただけだ。
だが、嫌な気分ではなかった。
* * *
会議室へ戻り、セレナは明日の予定を告げた。
「明日、現場を確認します」
「いきなりだが、人が倒れた現場だ。準備がいる」
ゴードンが警告する。
「異常が確認された区域の手前まで行き環境を測定するだけです。危険があれば即座に撤退します」
セレナは冷静に答えた。
(少なくとも、いきなり突っ込む気はないらしい)
アレンが一歩前に出た。
「僕たちも行けますか?」
ゴードンはすぐには答えなかった。
セレナが俺を見る。
「この子は連れていきたい」
「猫だけ連れていけるわけねえだろ」
「なら、この子を扱える人間も必要ですね」
ゴードンは腕を組み俺とアレンを交互に見た。
「明朝までに判断する。それまでは待て」
「はい」
アレンは素直に頷いた。
* * *
会議が終わり、セレナは宿へ向かう前にもう一度俺を見た。俺もセレナを見る。
今まで俺一匹で気にしていたものを、初めて誰かが気にした。
* * *
夜。
アレンの家。
アレンはベッドに腰掛けたまま、しばらく黙っていた。
「クロ、また森に行くことになるのかな」
「にゃあ」
俺は窓辺へ行く。
北東から風が吹く。
鼻をひくつかせると、まだあの匂いがした。
『あなた何か分かるの?』
(分かるなら苦労しねえよ)
けど、セレナなら何か見つけるかもしれない。
俺は北東の森へ顔を向けた。
(何か分かるといいんだけどな)