拾われてから三ヶ月が経った。
これまで何度かアレンと一緒にギルドへ来たことはあるが、今日はいつもと少し違う。依頼を受けに来たわけでも、ダンと訓練をしに来たわけでもない。
今日は、ギルドの仕事を手伝うことになっているのだ。
俺はアレンの肩の上から、見慣れ始めた石造りの建物を見上げた。入り口の看板も、重い木製の扉も、もう何度も目にしている。
「クロ、今日はギルドの仕事を手伝うんだ。マリアさんが、ギルドの仕組みを学ぶいい機会になるって」
アレンは俺にそう言い聞かせると、ギィ、と蝶番の軋む扉を押し開けた。
中の造りには、もうだいぶ見慣れてきた。左手には酒場、右手には受付カウンター、正面には依頼書が並ぶ掲示板がある。
ただ、依頼を受ける側ではなく、働く側として眺めると、いつもとは少し違って見えた。
朝のギルドでは、受付係が書類を運び、職員たちが倉庫とカウンターを忙しそうに行き来している。冒険者たちが掲示板の依頼を眺める裏で、何人もの人間がギルドを動かしているらしい。
(これがギルドの裏側、か)
俺がそんなことを考えていると、酒場の方から大柄な男が近づいてきた。
「よう、アレン。今日もその猫と一緒か」
声をかけてきたのは、鍛冶屋のグレッグだった。武器の修理品を届けに来たらしく、酒場の隅で一息ついていたようだ。手には水の入った木杯を持っている。
「グレッグさん! はい、今日はギルドの仕事を手伝いに来ました」
アレンは嬉しそうに言った。
「ほう、そりゃ偉いな。クロ、アレンをしっかりサポートしてやれよ」
グレッグは俺の頭を、ごつごつした大きな手で撫でた。相変わらず鉄の匂いがする手だ。でも、嫌な感じはしない。
「にゃあ」(任せとけ)
俺は一声鳴いて、尻尾を振った。鈴がちりん、と鳴る。これが、俺なりの返事だ。
「はっはっは、相変わらず賢い猫だな」
グレッグは豪快に笑い、木杯の水を一息に飲み干した。
「アレンくん、こっちにおいで」
受付カウンターから、おさげ髪の女性——マリアが手招きしていた。彼女はいつものようににこやかな笑顔を浮かべているが、その目は仕事モードだ。
「今日はギルドの雰囲気に慣れてもらうために、簡単な仕事を手伝ってもらおうと思ってね。掲示板の依頼書の整理と、倉庫の在庫確認をお願いしたいの。見習い向けの手伝いだから報酬は出ないんだけど、ギルドの仕組みを学ぶいい機会だと思うわ」
マリアはそう言って、数枚の羊皮紙をアレンに手渡した。
「はい、喜んでやらせてもらいます!」
アレンは元気よく返事をして、羊皮紙を受け取った。こうして、俺たちの初めてのギルド仕事が始まった。
* * *
「えっと、まずは掲示板の依頼書の整理か……」
アレンは掲示板の前に立って、貼り出されている大量の羊皮紙を見上げた。
「マリアさんが、期限切れのものには印を付けてくれてるから、それを外して、同じ種類ごとに並べ直してほしいって」
(なるほど、見習いにはちょうどいい仕事だな)
俺はアレンの肩の上から、依頼書の内容を覗き見た。不思議なことに、俺はこの世界へ来た直後から、こちらの文字を読むことができた。
見たこともない文字なのに、目に入れば意味だけが自然と頭へ入ってくる。転生者への特典というやつかもしれない。
『依頼:薬草採取。月光草五本。報酬:銀貨三枚。注意:森の入り口付近にゴブリン出没の報告あり。単独行動禁止』
『依頼:街道の見回り。三日間。報酬:銀貨十枚。注意:最近、盗賊の目撃情報あり。戦闘の際は無理をせず、ギルドに連絡すること』
『依頼:下水道の清掃。報酬:銀貨二枚。注意:スライム出現の可能性あり。危険度は低いが、汚損と悪臭に注意』
(色々あるんだな。薬草採取に、見回りに、下水道の清掃……って、最後のは報酬安すぎだろ。スライムが出るかもしれないのに銀貨二枚って、ブラック企業もびっくりの待遇だな)
俺は心の中でツッコミを入れながら、依頼書の束を眺めていた。
「あ、これは期限切れだ。こっちは……薬草採取の依頼だから、こっちの薬草採取の束にまとめないと」
アレンは額に汗を浮かべながら、黙々と作業を続ける。その姿を見ていると、なんだか微笑ましくなってくる。こいつは不器用だけど、真面目だ。そして、与えられた仕事はちゃんとやり遂げようとする。
「ふう、これで全部終わったよ」
三十分ほどで、掲示板の整理は完了した。期限切れの依頼書は外され、残った依頼書は種類ごとにきれいに並べ替えられている。
「にゃあ」(上出来だ)
俺は一声鳴いて、アレンの頬に頭を擦りつけた。
「ありがとう、クロ。次は倉庫の在庫確認だね」
* * *
倉庫はギルドの地下にあった。階段を下りると、ひんやりとした空気が流れていて、少しカビ臭い。壁には松明が等間隔に掲げられていて、ぼんやりと周囲を照らしている。
「うわあ、広いなあ……」
アレンは倉庫の入り口に立って、ほうっとため息をついた。倉庫の中には、所狹しと木箱や樽が積み上げられている。中身は多分、薬草や鉱石、魔物の素材なんかだろう。棚には包帯や傷薬、たいまつなどの消耗品も並んでいる。
「マリアさんから、職員が確認した後の在庫リストを預かってるんだ。これと照らし合わせて、数が合ってるか数え直すだけだから、そんなに難しくないよ。手伝ってくれるかい、クロ?」
アレンは羊皮紙を広げて、俺に見せた。そこには、倉庫の在庫リストがびっしりと書かれている。
『傷薬:二十三本。包帯:四十五巻。たいまつ:六十七本。解毒草:十二束。ゴブリンの牙:八本。オークの皮:二枚……』
(ふむ、思ったよりちゃんと管理されてるな)
俺はリストをじっと見つめながら、心の中で感心した。
「えっと、傷薬は……二十三本。うん、合ってる。次は包帯……四十五巻。これも合ってる。たいまつは……」
アレンは在庫リストと実際の在庫を、一つ一つ丁寧に照らし合わせていく。その姿は、まるで真面目な会計士のようだった。
(こいつ、意外とこういう細かい仕事に向いてるのかもしれないな)
俺はアレンの肩の上で、そんなことを考えていた。
棚を一列ずつ確認していくうちに、昼を過ぎ、倉庫の小窓から差し込む光も少しずつ傾いていった。
「あれ? 解毒草が十一束しかない。リストでは十二束のはずなのに……」
アレンは棚の前で首をかしげた。確かに、解毒草の束は十一しかない。リストと一束分、数が合わない。
「どうしよう。マリアさんに報告した方がいいかな……」
「にゃあ」
俺は一声鳴いて、アレンの肩から降りると、棚の裏を覗き込みながら前足で床を引っかいた。猫の目は暗闇でもよく見える。棚の裏に、一束の解毒草が落ちているのが見えたんだ。
「え? クロ、どうしたの?」
アレンは俺の仕草に気づいて、棚の裏を覗き込んだ。そして、落ちている解毒草を見つける。
「あ、あった! クロ、ありがとう! きみのおかげで助かったよ!」
アレンは解毒草を拾い上げて、嬉しそうに笑った。
「にゃあ」(どうってことない)
俺は尻尾を振って、答えた。鈴がちりん、と鳴る。
* * *
在庫確認が終わり、倉庫を出て酒場へ戻ると、窓の外は夕暮れ色に染まり始めていた。
ギルドの酒場は、昼間よりもさらに賑わっていて、冒険者たちの笑い声や怒鳴り声が絶え間なく響いている。仕事を終えた連中が、一斉に酒場に集まってくる時間帯なんだろう。
「マリアさん、掲示板の整理と在庫確認、終わりました」
アレンはカウンターに向かって、作業報告をした。
「まあ、全部終わったの? お疲れさま。アレンくん、本当に助かったわ」
マリアは目を丸くして驚いた。彼女の手には、アレンが提出した在庫リストと、在庫確認の記録が握られている。
「いえ、クロが手伝ってくれたおかげです」
アレンは照れくさそうに言った。
「クロちゃんも、ありがとうね。本来は報酬の出ないお手伝いなんだけど、今日は二人ともよく頑張ったでしょう。これはお姉さんからのお礼よ」
マリアはウインクして、銅貨を五枚取り出した。
「あ、ありがとうございます! クロ、よかったね!」
アレンは銅貨を受け取ると、俺を抱き上げて嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、今日は山羊乳とパンを買おう。少し残ったら、明日の分に取っておこう」
アレンはそう言って、市場に向かって歩き始めた。
(お、少しは金の使い方も覚えてきたじゃないか)
俺は一声鳴いて、アレンの耳をぺろりと舐めた。くすぐったそうに笑うアレンの顔が、夕日に照らされて輝いている。
(でもまあ、こうやって少しずつ成長していくのが、こいつのいいところなんだろうな)
市場で山羊乳とパンを買い、俺たちは家へ戻った。
「今日は本当にいい一日だったね。ギルドの仕事も手伝えたし、マリアさんにも褒めてもらえたし」
アレンは硬いパンをかじりながら、満足そうに笑った。
「にゃあ」
俺は返事をして、皿の山羊乳を舐める。
依頼を受け、魔物と戦うだけがギルドではない。掲示板を整える者がいて、倉庫を管理する者がいて、その積み重ねの上に冒険者たちの日常がある。
(そういう仕事を知れただけでも、今日は収穫だったな)
首元の鈴を鳴らしながら、俺はアレンの膝の上で丸くなった。
ギルドはもう、知らない場所ではなかった。
あそこは、アレンが目指す場所であり、俺が見守る場所にもなっていた
拙い文章ではありますが、感想等いただけますと大変励みになります。
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