拾われてから五ヶ月が経った。
最近はアレンの肩に乗ると以前より少しだが、窮屈に感じる。雨の路地裏で震えていた子猫は、今では艶のある黒い毛に覆われた若猫へと育ちつつある。
「クロ、今日もいい天気だね」
アレンが装備を身につけながら声をかけてきた。補修跡のある革鎧に腰には手入れの行き届いた短剣。最後に壁際に立てかけてあった長剣を背負う。父親が使っていた形見だと、前に聞いた。
「にゃあ」
「今日はね、クロも一緒に来てほしいんだ」
(おや?)
俺は耳をピンと立てた。
「実は昨日マリアさんに言われたんだ。前に失敗した月光草の依頼もう一度挑戦してみないかって」
アレンの声は少しだけ緊張していた。前に月光草を採りに来た時、ゴブリン三匹に遭遇し命からがら逃げ帰った。月光草は一株しか持ち帰れず、依頼としては失敗だった。
「にゃあ」
(いいぜ、行こう)
俺は窓辺から飛び降り、アレンの足元にすり寄った。
「今日は依頼だから、鈴は置いていこうね」
アレンは俺を抱き上げ、首元の革紐を外した。グレッグにもらった鈴が小箱へ収められる。音で敵に位置を知られるなんて間抜けにも程がある。
「ありがとうクロ。きみが一緒なら心強いよ」
アレンは俺の耳の後ろをかいた。
(くそっ、そこは反則だぜっ)
ゴロゴロと喉が鳴る。猫の本能には逆らえない。
* * *
外に出ると、空はよく晴れていた。冬の冷たさはまだ残っているが、陽射しには少しだけ春の気配が混じっている。
ギルドに着くと、相変わらずの喧騒が俺たちを包み込む。酒と汗と鉄の匂い。最近ではこの匂いにもすっかり慣れた。
「おはようございます、マリアさん」
「あら、アレンくん。クロちゃんも一緒ね。昨日話した依頼、受けてくれる?」
マリアは一枚の羊皮紙を取り出した。見覚えのある依頼書だ。東の森で月光草を五株採取、報酬は銀貨三枚。
「はい。前に失敗した依頼ですから、今度こそちゃんと達成したいんです」
アレンの声には迷いがなかった。
「いい心がけね。最近の巡回で、前にいたゴブリンの群れは森の奥へ追い払われたみたいなの。ただはぐれが残ってる可能性はあるから、クロちゃんと一緒でも無理はしないことね」
「はい、肝に銘じます」
「クロちゃん、アレンくんのこと、しっかり見守ってあげてね」
マリアは俺に向かってウインクした。
「にゃあ」
(任せとけ)
* * *
東の森は、町から歩いて三十分ほどの場所にあった。
前回と同じ鬱蒼とした木々。湿った土と落ち葉の匂い。頭上では鳥が鳴き、どこかで虫の羽音がしている。
「よし、クロ。気をつけて進もう」
アレンは落ち着いていた。足取りはしっかりしていて、腰の短剣に手を添えながら慎重に森の入り口を進んでいく。
俺はアレンの少し後ろを歩きながら、猫の感覚を研ぎ澄ませて周囲の気配を探った。風の流れ、木の葉の擦れる音、地面を這う虫の足音。今のところ、ゴブリンの気配はない。
「月光草は……確かこのあたりに生えてたはず」
あの時は一株しか採れなかった場所だ。
「あ、あった!」
アレンが指さす先に、銀白色の花弁を持つ小さな花が咲いていた。しかも今回は一株だけじゃない。その周りにぽつぽつと何株か散らばっている。
アレンは短剣で根元から少し上を切り、葉と花を傷めないように採っていく。あれからギルドの薬草講習にも何度か顔を出していた。
「これで一、二、三……四株か。あと一株で依頼達成だ」
ここまでは順調だ。
「クロ、もう少し奥を探してみよう。倒木の周りなら日陰を好む月光草が生えているかもしれない」
アレンは地図をしまって森の少し奥へと足を進めた。以前ゴブリンに遭遇した場所のすぐ近くだ。背中にほんの少しだけ緊張が走っている。でも、引き返そうとはしなかった。
(無理はするなよ)
* * *
倒木の近くで、月光草が一株見つかった。これで五株目。依頼達成だ。
「よかった、これで全部揃った……」
アレンがほっと息をついた、その時だった。
「グギャッ」
茂みの奥から、聞き覚えのある醜い声が響いた。腐った肉のような悪臭が漂ってくる。
「クロ、下がって!」
アレンは俺を庇うように前に出ると、腰の短剣を抜いた。背中の長剣には手を伸ばさなかった。森の中では短剣の方が小回りが利くと判断しているのだろう。
茂みの奥から現れたのは、一匹のゴブリンだった。手には錆びた短剣。黄色い目がぎらぎらと俺たちを睨んでいる。
(一匹か。マリアの言っていたはぐれか)
「グギャア!」
ゴブリンが、錆びた短剣を振りかざして突進してきた。一直線に突っ込んでくる単調な動きだ。
アレンは短く息を吐き、身を沈めて横へ飛んだ。伸びていた小枝が頬をかすめ、細い傷が走る。すれ違いざま、追撃を防ぐようにゴブリンの腕へ短剣を浅く走らせた。
「グギャア!?」
ゴブリンが痛みにひるんだ。
「クロ、戻るよ!」
アレンは追撃しなかった。ゴブリンから距離を取ると、来た道へ向かって走り出した。
俺もそのすぐ後を追う。
「グギャ! グギャア!」
しばらく走ってから振り返ったが、ゴブリンは追ってきていなかった。
* * *
森の入り口まで戻ると、アレンは肩で大きく息をした。
「はあ、はあ……大丈夫だったかい、クロ?」
「にゃあ」
俺は一声鳴いて、アレンの足元にすり寄った。
「……怖かった」
アレンは短剣を握ったまま、自分の手を見た。まだ少し震えている。
「でも、前よりは動けたと思う」
「にゃあ」
俺はその手に頭を押しつけた。
「帰ろう、クロ。月光草もちゃんと五株ある」
アレンは立ち上がってポーチの中の月光草を確認した。五株全部無事だ。
俺はアレンの肩に飛び乗った。
* * *
ギルドに戻るとマリアが笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい。顔色がいいわね。うまくいったんじゃない?」
「はい! 月光草、五株全部採れました!」
アレンはポーチから月光草を取り出してカウンターに並べた。銀白色の花弁が店内の灯りを受けて青白く輝いている。
「まあ、立派な月光草ね。五株全部。文句なしの合格よ」
マリアは月光草を一株ずつ検品しながら嬉しそうに頷いた。
「もしかして、森で何かあった? 服が少し汚れてるし、頬に傷があるわよ」
「一匹のゴブリンに遭遇したんです。たぶん、群れからはぐれた個体だと思います。でも無理に戦わずに撤退しました。依頼は達成できていましたし」
「それで正解よ。採取依頼で無理に討伐する必要はないわ。森じゃ一匹に見えても、近くに仲間がいることだってあるから」
「ダンさんとの訓練のおかげです。それにクロが一緒にいてくれたので、怖かったけど動けたんです」
「そう。クロちゃんもありがとうね。それじゃあ報酬の銀貨三枚よ。はぐれが他にも残っていないか、ギルドでも確認しておくわ。このあと、遭遇した場所を地図で教えてね。報告料として銅貨五枚を追加するわ」
マリアはカウンターの下から銀貨三枚と銅貨五枚を取り出した。
「ありがとうございます!」
アレンは報酬を受け取ると、嬉しそうに何度も頷いた。
* * *
ギルドを出ると、空は茜色に染まっていた。
「さあ、今日の報酬でクロに山羊乳を買ってあげるね。それから……僕も久しぶりに温かいスープを飲もうかな」
(お、それでいい)
「にゃあ」
俺は賛成のつもりで一声鳴いた。
露店で山羊乳とスープの具材を買い、俺たちは家へ戻った。
アレンは小箱から鈴を取り出し、俺の首へ戻した。ちりん、と小さく鳴る。
夕食のスープには、いつもより少しだけ肉が多く入っていた。
「おいしいね、クロ」
「にゃあ」
俺が山羊乳へ顔を戻す横で、アレンも湯気の立つスープを口に運んだ。
拙い文章ではありますが、感想等いただけますと大変励みになります。
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