(今日は一段と気合が入ってるな、こいつ)
俺は窓辺の特等席から、アレンの訓練を見守っていた。
薬草採取の依頼を達成してから、さらに一ヶ月が経った。
拾われてから数えて、ちょうど半年。少し前に十四歳になったアレンは、今日も朝から庭で素振りを続けている。
二百回。今では、息を切らしながらも最後まで崩れずに振り切れるようになっていた。手には、父の形見である長剣が握られている。
以前は重くて振り回すのがやっとだったが、今では重心を安定させ、無駄のない軌道で振り抜けるようになっていた。
素振りを終えたアレンが、汗を拭きながらこちらに歩いてくる。俺は窓辺から飛び降りて、彼の足元にすり寄った。鈴がちりん、と鳴る。
「クロ、ごめんね。朝からうるさかったでしょう」
(ほら、また謝った)
俺は心の中でため息をついた。アレンは何かにつけて、すぐ謝る。市場でも、ギルドでも、しまいには俺に少ない餌を出す時まで「ごめんね」と言う。
謙虚というより、自分には何かを受け取る資格がないとでも思っているようだった。
それが単なる礼儀ではないことには、俺も気づき始めていた。けれど、なぜそこまで自分を低く見るのかまでは、まだ分からなかった。
「クロは本当に賢いね。僕なんかより、ずっとしっかりしてる」
(おいおい、猫と自分を比べてどうする)
俺はアレンの膝に飛び乗って、彼の手をぺろぺろと舐め続けた。これが俺なりの「そうじゃないだろ」の合図だ。もちろん、伝わっているかはわからないけどな。
「ありがとう、クロ。きみが慰めてくれてるんだよね」
アレンは俺を抱き上げて、ぎゅっと胸に抱いた。腕の中から伝わる温もりが、妙に心地よかった。
「よし、今日の訓練は終わり。朝食にしよう」
アレンは立ち上がって、台所に向かった。俺は彼の肩の上で、尻尾をゆっくりと揺らす。
* * *
「はい、クロ。今日の山羊乳だよ」
アレンは小さな皿に山羊乳を注いで、俺の前に置いた。今日も少しだけ蜜が入っている。甘い香りが、ふわりと漂った。
ぺちゃぺちゃと舐める。温かい山羊乳が、寝起きの身体に染み渡っていく。蜜の優しい甘さが、いつもより贅沢な気分にさせてくれた。アレンは硬いパンをかじりながら、何やら考え込んでいる。その顔は真剣そのもので、眉間には深い皺が刻まれていた。
(また何か考えてるな)
俺は山羊乳を舐めるのを中断して、アレンの顔をじっと見つめた。こいつはよく、一人で考え込む癖がある。
「クロ、今日はギルドに行く前に、寄りたい場所があるんだ」
アレンはパンを飲み込むと、真剣な顔で言った。その声は、いつもより少しだけ硬い。何か決意を秘めたような、そんな声だ。
「にゃあ?」(どこだ?)
「町の外れにある、小さな丘だよ。そこに、父さんと母さんが眠ってるんだ」
アレンの声が、少しだけ震えた。両親の墓へ行きたいと、アレンが言ったのは初めてだった。いつもは明るく振る舞っているけど、心の奥底ではまだ、両親の死を受け入れきれていないのかもしれない。
(そうか。今日は、そういう日なんだな)
俺は一声鳴いて、アレンの膝の上に飛び乗った。それから、彼の手をぺろりと舐める。
「ありがとう、クロ。一緒に来てくれるんだね」
アレンは俺の頭をそっと撫でて、立ち上がった。
* * *
町の外れにある小さな丘は、静かで穏やかな場所だった。
丘の上には、二つの墓石が並んでいる。
両手剣使いだった父ザックスと、治癒魔法使いだった母エレンが眠っている。墓石の周りには、誰かが手向けたらしい花が供えられていた。
マーサさんか、グレッグさんか、あるいは他の誰かか。みんな、二人のことを忘れていないんだろう。
「父さん、母さん。久しぶりに来ました。報告したいことがあって」
アレンは墓石の前に立つと、静かに話し始めた。その声は、さっきまでよりもずっと落ち着いている。
「先月、前に失敗した月光草の依頼を、今度は最後まで達成できました。
ゴブリンにも遭遇したけど、ダンさんに教わったことを思い出して、ちゃんと撤退でき
たんです。それから、隣のマーサさんにも、鍛冶屋のグレッグさんにも、みんなに良く
してもらってます」
「それと、報告したいことがもう一つ。この子がクロです。僕の相棒です。雨の日に拾ったんですが、すごく賢くて、いつも助けられてばかりです」
アレンは俺を抱き上げ、両親に紹介するように、俺の顔を墓石へ向けた。
「心配しないでください。僕は……大丈夫です」
アレンはそう口にしたものの、墓石から目を逸らした。握った指先が、わずかに震えている。
「でも、本当は……」
風が吹いて、供えられた花が揺れる。
「母さんは、いつも『アレンはアレンのままでいい』と言ってくれた。それなのに僕は、今の自分では駄目なんだと思ってしまうんです」
アレンの声が、だんだん小さくなる。うつむいた彼の目から、涙がこぼれ落ちそうになっている。
「あの日、僕は家で待っていることしかできなかった。もし僕がもっと強かったら……父さんたちと一緒に戦えるくらい強かったら、一緒についていけたんじゃないか。父さんと母さんを……助けられたんじゃないかって、ずっと考えてしまうんです」
(ああ、なるほど。そういうことか)
俺はこの時、ようやく合点がいった。アレンがなぜ、あれほどまでに自分を卑下するのか。なぜ、何かあるたびに謝るのか。
こいつは、自分を責めているんだ。両親を守れなかった自分を。まだ子供で、何もできなかった自分を。
あの頃、十三歳だった子どもにどうにかできるはずがない。それでも、こいつはずっと自分を許せずにいたのだ。
(でもな、アレン。お前はもう、ちゃんと前に進んでるんだよ)
俺はアレンの腕から飛び降りて、墓石の前に座った。それから、彼の顔をじっと見上げる。
「にゃあ」
俺は一声鳴いて、尻尾をピンと立てた。
「クロ……?」
「にゃあ、にゃあ」
俺は何度も鳴きながら、アレンの足元にすり寄る。それから、彼の手をぺろりと舐めた。
(お前は弱くなんかない。お前は、ちゃんと強くなってる。俺が保証する。だから、そんなに自分を責めるな)
もちろん、言葉にはできない。でも、伝えたかった。お前はもう、十分に頑張っているんだと。
十三歳で親を亡くした子どもが、一人で暮らし、家のことをこなしながら外でも働いている。
そんなことは、前の俺には到底できなかった。
「クロは、僕に『頑張ってる』って言ってくれてるのかい?」
アレンはしゃがみ込んで、俺の頭をそっと撫でた。その手は、まだ震えている。でも、さっきよりは少しだけ、落ち着いているように見えた。
「にゃあ」
俺は返事のつもりで、もう一度鳴いた。
「ありがとう、クロ。きみは、本当に僕の相棒だね」
アレンは俺を抱き上げて、ぎゅっと胸に抱いた。彼の心臓が、トクトクと規則正しく鼓動している。さっきよりも、少しだけ早い。でも、それは悲しみだけじゃない。多分、決意の鼓動だ。
「父さん、母さん。僕は、もっと強くなります。クロを守れるような、誰かを守れるような、そんな冒険者になります。まだまだ未熟です。それでも、諦めたりはしません」
アレンは墓石に向かって、力強く宣言した。その声には、もう震えはない。代わりに、強い決意が宿っている。
「だから、見守っていてください。僕とクロが、立派な冒険者になるまで」
アレンは深々と頭を下げた。
しばらくして顔を上げた時、その瞳にはもう、さっきまでの迷いはなかった。
「行こう、クロ」
「にゃあ」
俺はアレンの肩に飛び乗った。首元の鈴が、ちりん、と小さく鳴る。
丘を下りるアレンの足取りは、来た時よりも少しだけ軽かった。
(その誓い、俺も最後まで見届けてやるよ)
* * *
ギルドに着くと、アレンは迷わず受付へ向かった。
「おはようございます、マリアさん」
「あら、アレンくん。今日はなんだか、いつもより顔つきが凛々しいわね」
マリアはにっこりと微笑んだ。
「はい。少しだけ、気持ちの整理がつきました」
「そう。それはいいことね。それじゃあ、今日はどんな依頼を受けたいの?」
「はい。前回の月光草の採取より、もう少しだけ難しい依頼に挑戦したいです。まだ戦闘には自信がないので、採取か配達の依頼で、何かありませんか?」
アレンの声は落ち着いていた。ちゃんと自分の力量をわきまえて、無理のない範囲で挑戦しようとしている。
「そうねえ……ああ、これなんかどうかしら。隣町までの配達の依頼よ。モーガン商会から預かった薬品の小箱を、隣町の治療院へ届けてほしいんですって。距離は片道半日。道中は比較的安全だけど、荷物を預かって一人で届けることになるから、それなりの責任は伴うわ。報酬は銀貨五枚。まだ見習いのあなたには、ちょうどいい挑戦かもしれないわね」
マリアは一枚の羊皮紙を取り出して、アレンに手渡した。
「隣町までの配達……はい、受けます!」
アレンは力強くうなずいた。その目には、もう迷いはない。
「いい返事ね。それじゃあ、受注手続きをしておくわ。出発は明日の朝でいいかしら?」
「はい。それまでに準備を整えておきます」
「えらいわ、アレンくん。それと、クロちゃんも一緒に行くんでしょう?」
マリアは俺を見て、ウインクした。
「はい。クロは、僕の相棒ですから」
アレンは俺の頭を撫でながら、誇らしげに言った。
「にゃあ」(当然だろ)
俺は一声鳴いて、尻尾を振った。鈴がちりん、と鳴る。
ギルドを出ると、空は青く晴れ渡っていた。
「クロ、明日は初めての隣町だね。明日も晴れるといいな」
「にゃあ」
俺は返事をして、アレンの頬に頭を擦りつけた。
今日、アレンは両親の墓前で、もう一度前へ進むと誓った。そして明日、その最初の一歩として、俺たちは町の外へ向かう。
俺はアレンの肩の上から、町の外へ続く道を見つめた。
拙い文章ではありますが、感想等いただけますと大変励みになります。
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