転生黒猫と少年冒険者   作:黒猫のしっぽ

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初めての討伐

配達依頼から、二ヶ月が経った。

 

隣町への配達は無事に成功した。道中は何事もなく、モーガン商会の薬品も治療院へきちんと届けられた。

 

それからもアレンは採取や配達の依頼をこつこつと続けていた。時には一人で、時には俺と一緒に。危険の少ない仕事ばかりだったが、町の外へ出ることにも少しずつ慣れてきた。

 

ダンとの訓練も続いている。最近では模擬戦でも以前のように一方的に転がされることは減ってきた。

 

そんなある朝のことだった。

 

「クロ、今日こそ、ゴブリン討伐の依頼を受けようと思うんだ」

 

朝食のパンをかじりながら、アレンが不意に言った。その声は少し緊張していたが、目は真っ直ぐに前を見据えている。

 

「にゃあ?」

 

「うん。この二ヶ月、ずっと考えてたんだ。僕はまだ弱い。でも、いつまでも戦うことを避けていたら、いざって時に誰かを守れないと思う。だから……やってみたい」

 

(……そうか)

 

俺は一声鳴いて、アレンの足元にすり寄った。鈴がちりん、と鳴る。

 

「ありがとう、クロ。きみが一緒なら心強いよ」

 

アレンはしゃがみ込んで俺の顎の下をそっと撫でた。

 

*  *  *

 

ギルドに着くと、アレンは迷わず受付へ向かった。

 

「おはようございます、マリアさん」

 

「あら、アレンくん。クロちゃんも一緒ね。今日はどんな依頼を受けたいの?」

 

「ゴブリン討伐の依頼があれば受けたいです」

 

アレンの声は、少しだけ震えていた。でも、引き返そうとはしなかった。

 

マリアは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに真剣な表情に戻る。

 

「本気なのね。わかったわ。ちょうど東の森でゴブリンの目撃報告が出てるわ。巡回路からも遠くない場所よ。ただ、一匹しか見えていないからといって、本当に一匹とは限らない。そこだけは忘れないで。報酬は銀貨五枚よ」

 

「はい、受けます」

 

アレンは深くうなずいた。

 

「それじゃあ受注手続きをしておくわ。少しでも危険を感じたらすぐに撤退してちょうだい。痕跡だけ確認して戻ってきても構わないからね」

 

「はい。肝に銘じます」

 

アレンは依頼書を受け取ると、俺の首から鈴を外し、小箱へしまった。討伐の最中に音を立てれば居場所を知られることになるからだ。

 

「にゃあ」

 

俺は一声鳴いて、尻尾を振った。

 

*  *  *

 

東の森は、相変わらず薄暗くて、じめじめしていた。鬱蒼と茂る木々のせいで、昼間だというのに日差しがほとんど届かない。足元には苔が生えていて、滑りやすい。どこからか、腐った木と湿った土の匂いが漂ってくる。

 

(この感じ、久しぶりだな)

 

俺はアレンの肩の上で鼻をひくつかせ、耳を動かした。湿った土、腐葉土、獣の匂い。その中に、覚えのある臭いが混じっていた。

 

(……いるな)

 

俺は尻尾をピンと立ててアレンに合図を送った。

 

アレンは身を低くして、まず腰の短剣に手を伸ばした。背中の長剣には触れない。森の中じゃその方が小回りが利くと判断したんだろう。

 

木々の隙間に、緑色の影が見えた。

 

「見えるのは、一匹」

 

アレンは短剣を抜いた。その手はかすかに震えている。

 

周囲をもう一度見回す。

 

「……いくよ」

 

俺はアレンの頬に尻尾の先を軽く触れさせると、音を立てないように肩から飛び降りた。少し離れた木の上に移動する。ここなら戦闘全体を見渡せる。

 

(飛び込むか? いや、下手に入ればアレンの邪魔になる)

 

俺は枝の上で身を低くした。

 

(まずいと思ったら、すぐ行く)

 

「グギャッ」

 

ゴブリンが、俺たちの存在に気づいた。一匹の醜い緑色の人型が、錆びた短剣を手に、黄色い目をぎらつかせこちらへ突っ込んでくる。

 

「来る……!」

 

アレンは短剣を構えて、ゴブリンを待ち受けた。足は肩幅に開き、重心はやや低め。ダンに教わった基本の構えだ。

 

「グギャア!」

 

ゴブリンが、錆びた短剣を振りかざして飛びかかってきた。その動きは単調で、ただ一直線に突っ込んでくるだけだ。

 

アレンは横へ身をずらした。短剣が鼻先を通り過ぎる。

 

「今……!」

 

教わった通り、空いた胴を狙う。

 

だが、踏み込んだ足が――

 

ずるり。

 

足元の苔に足を取られ、アレンの体勢がわずかに崩れた。短剣の切っ先はゴブリンの腹をかすめただけで深くは斬れていない。浅い傷口から緑色の血がにじむ。

 

「しまっ……!」

 

アレンが体勢を立て直すより早く、ゴブリンが甲高い声を上げて腕を振り回した。錆びた短剣が弧を描き、アレンの左腕をかすめる。革鎧が裂け、赤い血がじわりと袖を濡らした。

 

「ぐっ……!」

 

アレンは痛みに顔を歪めたが、後退しながらも短剣を手放さなかった。ゴブリンはさっきより激しく短剣を振り回し、さらに追い打ちをかけようと突進してくる。

 

(まずい)

 

木の上で俺は飛び出すタイミングを計った。怪我をしたアレンが、あの攻撃を一人でかわし続けるのは難しい。

 

ゴブリンが大きく腕を振りかぶり、アレンへ追撃を加えようとした。その目が、完全にアレンだけを捉えている。

 

今だ。

 

俺は枝を蹴って飛び降りた。ゴブリンの顔の前を横切り、爪で鼻先をひっかく。

 

「グギャッ!?」

 

俺はそのまま地面に着地してすぐに距離を取る。ゴブリンは突然のことに完全に怯み、錆びた短剣を俺の方へ振り回した。

 

その隙に、アレンが体勢を立て直す。アレンの目が、一瞬だけ俺を追う。それから、ゴブリンを正面から睨みつけ、強く踏み込んだ。

 

アレンの短剣がゴブリンの喉元を捉えた。渾身の一撃。刃が深々と突き刺さり、緑色の血が噴き出す。

 

「グ……ギャ……」

 

ゴブリンは断末魔の声をあげて、その場に崩れ落ちた。動かなくなった身体から、じわじわと血が広がっていく。

 

「はあ……はあ……」

 

アレンは肩で息をしながら動かなくなったゴブリンを見下ろしていた。短剣を握った手は白くなるほど強く握りしめられ、その場に立ち尽くしている。

 

「死んだ、の?」

 

アレンの声は震えていた。

 

短剣を握ったまま、アレンは動かなかった。

 

切っ先から、緑色の血が一滴落ちた。

 

俺はアレンの足元に駆け寄った。

 

「クロ……僕……」

 

アレンはしゃがみ込んで、俺をぎゅっと抱きしめた。腕の中の身体が、小刻みに震えている。左腕の傷からは、まだ血がにじんでいた。

 

「にゃあ」

 

俺は一声鳴いて、アレンの頬に頭を擦りつけた。傷とは反対側の手をぺろりと舐める。

 

(……生きるためだ)

 

「ありがとう、クロ。きみが助けてくれたんだね」

 

アレンは震える声で言った。

 

しばらくそうしていた後、アレンはゆっくりと立ち上がった。顔はまだ青ざめているけど、その目はさっきよりも落ち着いている。

 

「……耳、持って帰らないと」

 

アレンは腰の短剣を見た。

 

しばらく動かなかった。

 

それから、短剣でゴブリンの耳を切り取った。その手つきは慎重で慣れてはいない。吐き気をこらえるように唇をきゅっと結んでいる。

 

「にゃあ」

 

俺は一声鳴いて、アレンの肩に飛び乗った。

 

*  *  *

 

ギルドに戻ると、酒場の隅にちょうどダンの姿があった。

 

「おう、アレン。戻ったか」

 

「ダンさん……はい、なんとか」

 

「その腕の傷、ゴブリンにやられたのか。奴らの武器は錆びていることも多い。ちゃんと手当てしろよ」

 

ダンはアレンの左腕をちらりと見て念を押した。

 

「はい。でも倒せました。ゴブリンを」

 

アレンがそう言うと、ダンは一瞬だけ目を丸くして、それから豪快に笑った。

 

「そうか。初討伐か。ちゃんと生きて帰ってきたな。それが一番だ」

 

ダンはアレンの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 

「はい!」

 

アレンは嬉しそうにうなずいてから受付カウンターへ向かった。

 

「マリアさん、ただいま戻りました」

 

「アレンくん! その腕、怪我をしたのね。大丈夫?」

 

マリアが心配そうな顔で迎えてくれる。

 

「はい、浅い傷です。それと、ゴブリンを倒しました」

 

アレンはポーチからゴブリンの耳を取り出して、カウンターに置いた。その手はまだ少し震えていたけど、声はしっかりしている。

 

マリアは耳を確認すると、ほっと息をついた。

 

「確かにゴブリンの耳ね。初討伐おめでとう、アレンくん。これまでの依頼実績と今回の初討伐をもって、見習い期間を終え、正式にEランク冒険者として認められるわ。報酬の銀貨五枚を受け取ってちょうだい」

 

アレンが冒険者証を差し出すと、マリアは登録欄へ新しい記載を加えた。

 

「これで見習いは終わり。今日から正式なEランク冒険者よ。でもまずは救護室に行くこと。いいわね?」

 

「はい。ありがとうございます、マリアさん」

 

アレンは深くお辞儀をした。

 

手当てを終えると、アレンは小箱から鈴を取り出し、俺の首へ戻した。ちりん、と小さく鳴る。

 

*  *  *

 

ギルドを出ると、空は茜色に染まっていた。

 

左腕には包帯が巻かれ、ほんのりと軟膏の匂いがする。

 

「クロ、今日は特別だよ。少し豪華な夕飯にしよう」

 

市場で夕飯の買い物を済ませ、俺たちは家へ戻った。

 

「ただいま」

 

アレンは背負っていた父の長剣を外し、いつもの場所へそっと立てかけた。その柄をしばらく見つめてから、ぽつりと言う。

 

「父さん。僕、今日は……ちゃんと戦えたよ」

 

「にゃあ」

 

俺はアレンの足へ身体を寄せた。

 

「ありがとう、クロ。明日からも頑張ろうね」

 

俺はアレンの手をぺろりと舐めた。首元で、戻ってきた鈴がちりんと鳴った。

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