西暦2164年5月。ピアッツィ・ベースのSゲートは、マーズ・アタック以来の混み方をしていた。
順番待ちの列が伸び、出航ベクトルの割り当てが30分刻みで埋まっている。管制AIの音声案内は途切れることなく流れ続け、貨物エレベーターは24時間動きっぱなし。Nゲートには、見慣れない社章のワッペンを付けた乗員が増えた。トライダイヤ、SAJ、ニッカ・グループ。木星圏の企業だ。
ケレスの公転周期は4.61年、木星は11.86年。両者が同じ方向に並ぶ
「7年半ぶりのバーゲンセールってわけ。」
ピエール・ディオンヌの奥の座席で、マユルはブラックティーを手に呟いた。
『バーゲンなのは輸送費です。』AR視界の隅でプルメリアが訂正する。『商品自体はむしろ値上がりしています。』
会合期の恩恵を受けるのはティア1、つまりホーマン軌道に乗せる弾道輸送だ。ケレスの岩と氷を大型タグボートで加速させ、木星軌道へ「投げる」。到着まで4年かかるが、燃料はほぼタダ同然。会合の前後には最短距離でこれができるので、ベルト中の採掘企業が一斉に在庫を吐き出しにかかる。
ティア2の核融合トーチ船にとっては、会合年かどうかは「燃費が少しマシ」程度の話でしかない。重水素はどの氷天体でも採れるから、そもそも燃料費で悩む層ではないのだ。だが人と急ぎの荷が動く量そのものが増えるので、結果としてこちらも忙しくなる。
ケレスから出ていくのは、精錬済みの金属インゴット、水、そして完動品の中古採掘船。木星圏のヘリウム3開発とテラフォーミング事業が、掘れるもの・運べるものを片端から吸い上げている。
その余波が、ガラクタ市場にも及んでいた。
「スラスターモジュール、先月の1.4倍だな。」
リグオフの店主がHMD越しに言った。「バッテリーも上がってる。悪いが、こっちが買い叩ける時期じゃない。」
「値上げって、木星のせい?」
「そりゃそうさ。木星じゃ元から中古部品が高い。あっちで造船所を建てる話が進んでるが、部品は結局ベルトと地球から運ぶしかねえからな。運賃が安くなりゃ、ケレスの安い部品が全部あっちに吸われる。そうすりゃケレスの相場も上がる。」
ファイブスター号にはまだエーデルワイス号のバッテリーが積まれている。
売ってしまうべきかひとしきり悩んだが、前回のサルベージの成功により今は
ライフサポート系のパーツは売り払うとして、バッテリーはファイブスター号に組み込んでしまおう。マユルはその場で、カーボンマウント部品の購入を決めた。
EVASのチャージができるようになり、バッテリーも倍に増える。ファイブスター号はいよいよ長時間遠征に耐えられるようになってきた。
ここは思いっきり遠くのスクラップを狙おう。安く仕入れて高く売れるのだ。エレベーターで移動しながら、マユルはRSDのサルベージ権マーケットを開いた。
『マスター。小型船で狙い目なものですと、距離4万kmから25万kmの帯に、小型採掘船が3件、
プルメリアがリストを並べた。
『いずれも今の相場なら、部品の見込み売値がサルベージ権の6倍から8倍です。』
「先月までならこの距離でも5倍がいいところだったのにね。」
『会合効果です。ただし……。』
「ただし?」
プルメリアが別のレイヤーを重ねた。RSDが公開している宙域の警戒レベル図で、ケレス周辺から外側に向かって、黄色から橙色へのグラデーションが広がっている。
『先月比で、海賊の襲撃報告が2.7倍に増えています。特に、ケレスから外れた低交通量の宙域で。』
ゴールドクレスト号を襲った海賊『ファントム・ダディー』をみすみす取り逃がしたのが、エンフォーサーたちには相当こたえたらしい。エンフォーサーの巡回は大きく強化された。ただし、ケレス周辺で。
海賊たちは野犬や狼とは違い、お腹がいっぱいになったからといって活動を止めるわけではない。2週間前の大規模襲撃でたらふく稼いだ海賊連中は、エンフォーサーの「偏り」を突いて今度は外縁部に稼ぎの場を移している。
そもそも、会合期は海賊の襲撃も活発になるものだ。運ばれる貨物の総量が増え、その中に高額な荷も混じってくる。
通常、サルベージャーは海賊の標的にはなりにくい。剥ぎ取った中古部品など、海賊からすれば手間の割に安いからだ。だがそれは平常時の話だ。部品相場が上がっている今は、その計算式も変わってくる。
海賊の母艦は核融合トーチを積んでいる。ティア1の電気推進で漂うマユルのような小型船には、逃げるという選択肢が最初から存在しない。
懐に余裕のある連中はさらに厄介で、戦闘艦に核分裂の
「……うーん。できるだけ海賊からの安全性も考慮して、候補を洗ってくれる?部品の売値が低くても良いから。海賊被害のやつでも良いよ。こっちはいったんバッテリーの作業入るからさ。」
それなりに手間をかけるつもりなのだ。バッテリーを単純に並列で繋いで2倍、というだけでは芸がない。
『系統を分けるのですね。』
「うん。安全第一だし、今後の拡張性も考えたらこうした方が良いかなって。」
3週間前、ダウィット・ベケレのカファ号が漂流していたのは、弱ったセルが1本足を引っ張ったせいだった。
だから2つ目のバッテリーは、1つ目とは別系統として組む。遮断器も配線も別で、共有するのは船内の直流バスだけ。片方が落ちても、もう片方から生命維持に給電できる。
ライフサポートと空気ポンプ、それに通信だけは、どちらの系統からも取れるよう二重に引いた。銅線は重いが今更である。
結論から言えば、選んだのはポロスベースへ向かって漂流している
『
快速輸送船は小型で軽量だが足の速い輸送船で、主に急ぎの運送や貨客輸送に使われる。
「これってアレでしょ?ポロスベースの第四艦隊が海賊騒ぎで臨戦体制になって、急ぎで必要になった物資を運ぼうとしたら海賊に襲われちゃった、ってやつ。」
『そのようです。積荷の詳細はわかっていません。』
「軍需物資だけど、たぶん嗜好品系かな。海賊の連中、おちょくってるよね、もう。」
第四艦隊の仕事はあくまで他企業や勢力からの防衛戦闘であって、海賊一隻を追いかけ回すような思考は持っていない。その「腰の重さ」を突かれた形だ。
重要なのは、とはいえこの船がポロスベースに近づく軌道を持っており、また海賊目線では第四艦隊の目が光っているように見えることだ。
前回の海賊は時間の制約があって船体中央が手つかずになっていたが、今回は通常の襲撃。おそらく中の積荷や価値あるパーツはだいたい取り外されているだろう。
だからこそ、サルベージャーまで狙ってくることは考えにくい。
それに、この船はケレスから見て「止まって」いない。ポロスベースへ向かう軌道の途中で足を止められただけだから、慣性はそのまま生きている。今も同じ向きに漂い続けていて、このままいけばポロスの脇を通り過ぎていくことになる。
現時点の距離は5万kmでも、ドッキングする頃にはケレスから7万kmくらいにはなるだろう。
『採算が合うかはわかりませんが、よろしいので?』
「バッテリーが倍になったからね。往復ぶんを差し引いても、現場に居座れる時間がだいぶ残るんだよ。できれば船体自体も持って帰りたいな。」
実のところマユルはまた無許可サルベージをやらかすつもりだが、プルメリアには言わないでおく。
レーザー給電の恩恵を受けながらポロスベースを飛び越して、ロータス・エイト号に追いついたところで減速を入れた。
船首と船尾は大きく切り開かれており、コンソールもスラスターユニットもなくなっている。船体左右に2つずつ並んでいたコンテナも、架台ごとまるごと消えている。バッテリーも空気ポンプも抜かれ、仕上げに酸素と窒素のシリンダーまで持っていかれていた。
「骨の髄まで、って感じだね。」
架台には空のシリンダーが3本だけ残っていた。中身の入っているものだけ選んで持っていったのである。ずいぶんとゆっくり作業していったらしい。
想定よりも収穫が少なかったが、まあいい。今回のお宝は、快速輸送船の船体そのものだ。コノバ社製「モデルE」カーボン壁は丈夫で軽い。
クーリエは足の速さで商売をするから、船殻に高価な軽量タイプを使っているのだ。通常のカーボン壁と比べ、面密度で3割近い差がある。
長さ7m、直径3.2mの筒。船首と船尾はザックリ切られているし、ポロスベースの近くで停止して、その場でくっつけてしまえば良いだろう。
「よし。持って帰ろう。」
コンテナが外された跡が、船腹に1辺1.8mの四角い穴として左右に空いている。架台の取り付け座もそのまま残っている。ここにハッチが付けられそうだ。
つまり、この筒を90度倒して一方の穴を上へ向ければいい。反対側をファイブスター号の背中に溶接すれば、上から開けられる箱ができあがる。
切断面は後で整えれば良いとして、今はとっとと撤収したい。このままいくとどんどんケレスから遠ざかってしまう。
とりあえずEVASのAIアシスタントが表示したラインに従って2時間ほどでササッと切り出し、筒型に加工。これをワイヤーで4点取って船尾に吊るした。
この筒の質量は、計算上は1.1トンしかない。ファイブスター号の乾燥重量の半分である。
減速をかけた姿勢のまま、ポロスベースに向かう……と見せかけて。ポロスベースそのものがピアッツィの監視衛星から一直線上に並ぶように置いて、マユルはトランスポンダーを切った。この数分の隙にコースを変える。ポロスベースからは丸見えだが、通報されることはない。第四艦隊とエンフォーサーの仲の悪さは有名だ。というかそもそも第四艦隊はRSDの本社の開拓部傘下にあって、支社の保安部とは指揮命令系統が違うのだ。
向かった先、ブルーストライプ号Bは、ポロスベースから9,000kmほど離れたところを漂っていた。
採掘船の船尾側だけが残った、17mばかりの破片である。サルベージ権のマーケットに載ってはや26ヶ月。前半分にあたるAはとっくの昔にサルベージされ、Bだけが売れ残って今もポロスベースの周りを漂っている。
このサルベージ権4,400ドルを節約するために、マユルはまた危ない橋を渡っている。
狙っていた品は2つとも残っていた。
1つはスラスターユニット。SS2000G「マイティー・ジェット」は採掘船がよく使うモデルで、ファイブスター号に付いているQH32-C1「青火」より一回り大きく、推力も出る。そのぶん電力を食うが、こちらは今日からバッテリーが2系統になっている。問題ないだろう。
もう1つはハッチ。MMH-D4。これを筒の蓋に使うのだ。
作業は5時間で済んだ。スラスターユニットは架台のボルトを抜き、配管の継手を外すだけ。ハッチは蝶番ごと切り離して、どちらも筒の中に放り込んでワイヤーフックで括りつけた。
それから、「本来」のコースへ戻って、トランスポンダーを点け直した。
ポロスベースは仮にも軍事拠点なので、用もない民間船は停泊できない。しかし、ポロスベースの周りをぐるぐる周る限りは咎められない。この筒は正規のマーケットで購入したものだし、スラスターやハッチはロータス・エイト号に付いていたもの、と言い張れる。ベースの管制には、海賊対策のためピアッツィに帰る前にベースの近くで作業する旨を伝えておく。
眼下には灰色の粒のように、第四艦隊の停泊所が見えている。ケレスの周りを回る衛星のようなアステロイドに発着場や対空レーザーなどの施設を据え付けた、無骨な建築物だ。望遠レンズで覗けば、多数のフリゲート艦に300m級の駆逐艦が4隻も揃った重厚な艦隊の姿が見える。中ではバーチャル訓練でもやっているのだろうか。
接合工事には3日かかった。
まず筒を横倒しにしてファイブスター号の背中側に持ってきて、外板の曲率に合わせて筒を削る。それから当て板を挟んで溶接。一番時間を食ったのはここで、ポロスベースの引力のせいで本体と筒との位置関係が微妙にズレていくのだ。ワイヤーで固定するのも限度があるので、最終的にはジグを2つ自作した。筒の反対側のコンテナがあった穴にはブルーストライプ号のハッチをはめ込み、固定した。
そして船尾側にはスラスターユニットをボルト止めし、接合する。ファイブスター号の船体に付いていたスラスターと合わせ、重心と推力を計算して、まっすぐ飛ばせばほぼ回転しないであろう位置に調整する。
できあがったのは、空気ポンプのない部屋である。
船首の穴は塞げておらず、ちゃんと気密を確保するには追加の部材が必要そうだが、とりあえずはロータス・エイト号で拾った緊急硬化パッチを当てておく。後でちゃんと仕上げれば気密も確保できる。だが空気を作る装置は付けていないし、付けるつもりもない。普段は真空のまま使う。耐圧試験も後回しだ。ピアッツィに帰ってからで良いだろう。
ここを、サルベージ用の船倉として使うのだ。
ファイブスター号の元の空間、気密室のほうはもう手狭になっている。二酸化炭素吸着装置に、CO2缶が3本、バッテリーが2系統。物が増えるたび、サルベージ品を積めるスペースが減っていっていた。
それに、サルベージ品置き場は生活区画から切り離した方が安全でもある。
ハリシュさんが身体を壊したのは、火災が起きたスクラップで取った付属タンクが破れ、船内の二酸化炭素濃度が上がったからだった。何が入っているか分からないものを、自分が呼吸している部屋に持ち込むのはよろしくない。
ピアッツィの電波圏に入ると、プルメリアが戻ってきた。
『お帰りなさいませ。今回はかなり時間がかかったようですが、大丈夫でしたか?』
「うん。やっぱりバッテリーを増やしておいて良かったよ。ほら、見てみて。ロータス・エイト号の船体をくっつけたんだ。接合とか諸々で4日もかかったよ。」
『…ずいぶん大きなスラスターですね。』
「でしょ?さすが快速船だよねー。」
少々含みがある言い方だが、まあいいや。
ロータス・エイト号からの品で売れたのは空のシリンダーやスクラップ金属類だけ。ブルーストライプ号Bには消火器などの小物の他に中身が半分残った酸素シリンダーがあって、これが収入の過半を占める。ブルーストライプ号Bから回収したワーカードローンのパーツ類は、クーリエから取り出したと言うのは不自然過ぎるから、今回は売却できなかった。
今回の現金収入は3,220ドルだった。高く売れるようなパーツを全部自分で使っているのだからしょうがない。上げ潮相場でやることではないのかもしれないが、まあ、投資だ。
ピエール・ディオンヌに入ろうとしたが、席がほとんど埋まっている、とプルメリアが教えてくれた。きっと、木星の船員たちがいるんだろう。
B6フロアに降りると、フードコートにも見慣れない顔が増えていた。
バーベキューグリルセットを頼んで隅の席に腰掛け、周りの話し声に耳を傾ける。ドイツ語や日本語には自動翻訳アプリを噛ませておく。小柄なマユルのことは誰も気にしていないようだ。
木星圏の事情が聞けるかと思ったが、船員たちの話題はもっぱらエンタメと、それからここケレスの噂話についてだった。RSD社内の派閥争いなんて話題、よく堂々と話せるもんだと思ったが、彼らにとってはそれこそ「他人事」なのだろう。
なんだか神経がすり減った気がする。ドミトリーに戻ってきたけれど、前回は10日、今回も7日弱いなかったわけだし、次回は長期契約を更新しなくても良いかもしれない。
「ヴァルハラ号とか、木星から来た船を見てるとさ。」
マユルはうんとひとつ背伸びをした。
「やっぱし、ある程度大きさがないとダメだって思ってさ。」
『カールズルア号やハハキギ号ですか。大型船が次々入港していますね。』
「そう。こういう今のファイブスター号って小型船と中型船の隙間を縫う商売が多いけどさ。逆に言えば器用貧乏なんだよね。」
『なるほど。ということは、今の船ではまだ足りないと?』
「うん。やっぱり目指すは……。」
中型船だ。