指定された座標は、ピアッツィ・ベースの軌道上だった。
近づいてみたが、何もない。
トランスポンダーの応答もなければ、航行灯もない。プルメリアが受け取った接舷手順だけが、視界に浮かんでいる。
「ここだよね?」
『はい。あと1,200mです。』
減速しながら光学センサーの映像に目を凝らして、ようやく分かった。
星が、そこだけ欠けている。
全長40mほどの細長い影。表面には継ぎ目も、突起も、文字も見えない。ラジエーターは畳まれているのか、そもそも内蔵なのか、外からは分からなかった。船首側に、直径3mはありそうな円い窪みが一つ。たぶんセンサーの鏡だ。
「あれって全身ステルスのやつだよね。すっご。
『ベルトで運用している船ではありません。地球製です。』
「だろうね。ケレスでこんな塗装できないもん。」
短距離通信でパスコードを送ると、ワニが口を開くように黒い影の腹が四角く開いた。滑り止め付きのランプ。重力下でドローンや荷物を出し入れするための仕様だろう。
そこから1人、EVASの姿が出てきた。作業着のような灰色の上下に、腰に工具のポーチ。
ヘルメットを被っていない。
「お待たせいたしました。監査部のアーガスと申します」
ここは真空だ。
「……えっと。ファイブスター号のマユルです」
「お伺いしております。まず、船体を接触させずに1.5mの間隔を保っていただけますか。こちらからブリッジを出します。」
言うなり、開口部から細い腕が3本伸びてきて、筒のラッチを掴んだ。
アーガスはその上を滑るように進んできた。顔は人間の顔だった。目も鼻も口もある。柔和な作り笑いを浮かべている。あのラージュと同じような。
喋るときに口も動くから それにしても人間そっくりな合成音声だ。
まとめておいた目録をファイルで渡すと、「これは期待できそうです」と言った。表情は動かない。サルベージ中の映像データと音声ログも渡してある。
ファイブスター号に入ってもらって、品目ごとに確認してもらった。
「ZK-42、2発。安全ピン、シーカーカバー、いずれも原状」
「次に、コンソールですか」
「あ、ここにはなくてですね。大きすぎたんで船尾にワイヤーで止めてます。記憶媒体だけお持ちしますよ。ログインはできなかったんですが」
「いえ。ブロックごといただきます。固定を外していただければ、こちらで回収いたします。」
持って帰ってきたのはコックピットブロックまるごとである。
「……壁や寝室も含まれますが、大丈夫ですか?」
「はい。情報の判別はこちらでいたします。」
黒い影の口からワーカードローンが2機現れ、3,200kgの横長の箱にワイヤーを括り付けた。ブロックが浮き上がり、ゆっくりと引っ張り上げられていく。
あれじゃあステルス性が失われると思うが……いや、別に今ステルスする必要はないのか。だったらトランスポンダーくらい付けてほしかったが。
あのブロックは1人用でコンパクトだったから、中型船を組むときにそのまま使うつもりだった。左舷に寝室、右舷に生活区画。同じものをゼロから作れば5万ドルは要る。
まあ、5万ドルより高く買ってもらおう。
「それで、謎の箱というのは?」
「あ、これです。酒のケースの中に隠してありました」
マユルはポーチから、手のひらサイズのカーボンの箱を出した。中には文字列を書いたシートが1枚と、鉛のケースに収めた小さなチップが1つ。
アーガスは箱を受け取って、蓋を開け、閉じた。
「これは興味深い。内容をご確認になりましたか?」
「シートは見ましたけど、意味はわかりませんでした。チップのほうも、コンソールにはリーダーが付いてないのでそのままです。変なウィルスとかだったら嫌ですし。」
「承知しました。記録します。」
アーガスはカーボンの箱を樹脂製の袋に入れてタグを付けると、大事そうにバックパックにしまい込んでいた。
「ご提供品は以上ですね。ピアッツィ軌道までの推進剤を、実費で精算いたします。往路のログをいただけますか」
「え、そんなのも出るんですか」
「規程にございます」
マユルはログを送った。90ドル程度の話である。変なところで律儀な連中だ。
「今回はご協力をいただき誠にありがとうございました。」
そう言って右手を胸に当てるアーガス。ブリッジ3本がするすると引っ込んでいく。
「それではマユル様、輝く軌跡を。」
影の腹が閉じた。
離脱するところは見せないつもりらしい。マユルのほうが先に艦首を返した。
結果的にコックピットブロックを全部渡す形にはなったが、他にも「自分用」に持ち帰っていたパーツはある。
ピアッツィ・ベースに戻って、まずは抵抗運動機器を据え付けた。
真空シリンダーを使って身体に負荷をかけられる器具で、要するにウェートトレーニングだ。完品だったが、大きすぎて生活区画に置く場所がない。
代わりにバンクベッドを1つ外した。もともと2人ぶん付いていたもので、下の段は在庫置き場になっていたから、実質は棚が減っただけだ。
ケレスの重力はほぼ無視できるから、地球並…までは行かずに、火星並の設定にしてみた。ハーネスを肩に掛けて、足を踏ん張って、引く。
「……重っ」
10回で腕が上がらなくなった。ケレス育ちだからしょうがないとはいえ、ひ弱にしてもほどがある。
これから船を大きくして、スラスターを積んで、加速度を上げていったときに、耐えられないのは船ではなくこの身体のほうだ。EVASのアシストにも限度がある。
肩で息をしながら、マユルはプロテインの錠剤を口に放り込んだ。「これだけ!」固形レーションと一緒にドローン配達で買った品で、30日ぶんが54ドルする。
航行中は毎日やろう、と決めて、端末に予定を入れた。
超伝導コイルと電力変換モジュール、それから二酸化炭素吸着装置を売却するついでに、リグオフで表層ヤードを月2,400ドルで借りた。クレーターの緩やかな斜面をならしてビーコンとカメラを置いただけの土地だが、Eゲートの大型貨物エレベーターから近いのでなかなかに便利だ。
ここに、前回回収した壊れたスラスター1基と部品類、それから前々回に回収した高周波電源部を並べていく。
中型用スラスター「WL12-B1『渦雷』」は火星製である。2161年のマーズ・アタックで置き去りにされた船から大量に剥がれてベルトに流れた型なので、整備要領書がインプラネットに転がっていた。有料とはいえ38ドルで買える。
歪んだノズルを交換するところまでは自分でやったが、コイルを巻く部分は人の手には余る。しょうがないので、リグオフが契約している工場を紹介してもらって、巻き直し部分だけ機械にやってもらうことにした。受け取りができるまでに10日はかかる見込みだ。
そうやって収穫品の修理や処分を進めていって、帰還から4日経った頃。入金の通知が来た。
証拠品買取 68,400ドル
情報提供加算 43,840ドル
諸経費 92ドル
112,332ドル
「たっっっか!すっっっご!」
もう1隻小型船が買える資金だ。
「っていうか、細かいなあ。明細はないのか。」
『規程どおりに積み上げた結果だと思われます。』
「こういうのって、普通はキリのいい数字にしない?」
『キリのいい数字は、算定の根拠が無いときに出ます。』
まあ、そうか。監査部の中では何かしら細かい基準があるのだろう。
ともあれ、前金の10,000ドル、PGSからもらった2,000ドルと合わせて、この2週間で124,332ドル。さらに監査部に渡さなかったパーツの分も含めれば、今回の収益は17万ドルを超えるだろう。スクラップ購入費や経費を引いた利益は7.5万ドル以上だ。
『今回も、入金元は地球の、RSD本社の監査部の口座でした。』
「まあ、そうだね。」
『以前マルシオ・ヤネズの件を密告箱に送った際の情報提供料は、ケレス支社の財務部の口座からでした。』
「……本社と支社かー。監査部の連中、何を探してたんだろう。」
ともあれお祝いである。なんとなくピエール・ディオンヌには行きたくなかったので、B1フロアNブロックのショッピングモールエリア「ユー・ニヨン」で良さげな店を開拓することにした。
ピアッツィ・ベースで一番最後に完成したB1フロアには、消費者向け物流の大型倉庫や企業オフィス、住宅エリアに隣接するように、地球や木星などから輸入された商品が所狭しと陳列された「商業区画」が存在する。ユー・ニヨンはその中でも「高級」な方で、社員証や居住者カードを持たないマユルは保証金を積まないと入店すらできない。
清潔でツルリとした床材には石のようなテクスチャが描かれており、天井には「ガラス窓」のようなフレームを嵌めたディスプレイが外の星空を映していて、イベントエリア前の噴水はゆっくりとした水の動きを赤と青にライトアップしている。
独立サルベージャーだから休みの日も自分で決められる。このモールでちょっとフォーマルな場面で使えるような服や肌着類を調達して、スキンケア類にも手を出してみて、それから目を引かれたフルーツパーラーに入ってみた。買った品物は小型ドローンがドミトリーまで配送してくれるから、手ぶらで入ってスノウクリーム・ストロベリーパフェを楽しめる。
「これだけのキャッシュがあればさ。」
『はい。』
「もう作れると思うんだよね、中型船。」
先日見かけたヒギエア系の海賊船「オーセベリ級」はお腹に大きな格納庫を持っていたから、そのままサルベージ船のデザインの参考にできる。
あの系統は中型スラスターが2基。今マユルは中型1基を工場に預けていて、それに高周波電源部がもう1基あるのでさらに1基作ることもできる。
コンソールは今のものをそのまま使える。生活区画もアステリア号のものを使えば良い。1人で使うにはちょっと大きいくらいだが。
センサーは光学センサーがある。本当はもっと大型で性能の良いものが欲しいが。
バッテリーは、小型船としては十分でも中型船としてはかなり物足りない。
酸素も窒素も二酸化炭素吸着装置もある。ライフサポート系も1人で使う分には問題ない。
あとは核融合炉とプルメリア用の計算モジュール、それからワーカードローンが欲しいが、これはスクラップを漁って「あったらラッキー」くらいのものだろう。
「幸か不幸か、サンコイチ買った時のローンは繰り上げ返済ができないからさ。このキャッシュ、何に投資するのが良いのかなって思って。」
『それで、船に投資するわけですね。』
「そうそう。」
『なお、証券投資のアドバイスが必要であればお申し付けください。』
「あ、今は株はいいよ。」
マユルのファイナンスアプリの「負債の部」には、年利7.6%の10年ローンが鎮座している。この暴利を上回るような投資先なんてそうそう見つからない。
今のキャッシュは、ローンの金利を吹き飛ばすような大儲けに繋げる形で、船への投資に回したほうが良い。
「せっかくヤードを借りたわけだし。スラスターの他にも中型船用のパーツを集めておいてさ。で、距離が近めで状態が良い中型船があったら、船体ごといただいちゃおうって計画。どうかな?」
『自己使用の場合でも、スクラップのサルベージ権を購入するコストは発生しますのでお気をつけを。』
「そこはまあ、ハッチで区切っておいて『改装途中』でも飛ばせるようにすれば良いかなって。まあでもだから、核になる船体部分は早めに決めちゃいたいかな。」
中型船の船体は大きく、重い。今のファイブスター号で無理に引っ張ってもなかなか加速度が付かない。ケレス近辺まで引っ張ってくるのは大変だから、できる限り最初からケレスの近くにあるスクラップを使いたい。
「次はバッテリーが優先かな。あと、だからできれば軽量型のスクラップが良いかな。タイプE壁材のやつとか。」
『その条件で、良いスクラップが出たらお知らせしますね。』
その後は、良いスクラップを探したり、ポロスベースへのちょっとした輸送依頼を受けたりしているうちに、1週間が経った。
リグオフのヤードに来てみると、コイルを巻き付けて準備万端な中型船用イオンスラスターが鈍く光っていた。
テストなので、屋外の試験ベイを2時間借りた。1時間900ドルもするが、必要な経費だ。
なんせ中型用ともなると、噴いた先がとんでもないことになる。
中型のイオンスラスターは水のプラズマを秒速5kmで噴き出すが、ケレスには空気が無いので減速もしない。地面に当たるならまだしも、他の人の宇宙船などに当たりでもしたら目も当てられない。だから、試験ベイはクレーターの外へ向いた斜面の先にあって、3km先まで何も置かれていない。
架台に固定し、推進剤のタンクと太いケーブルを繋ぐ。ケーブルの先はリグオフの受電盤だ。
ノズルの奥が青白く光った。架台越しにわずかな震えが伝わってくる。
6.0 MW 1,470 N
推力計はそこで止まった。スラスターを3基積んでいるファイブスター号の6倍の加速度が出ている。
それから、隣の表示に目を移した。
推進剤消費 18.2 kg/分
「あちゃー。わかってはいたけど、毎回推進剤の費用もひどいことになりそうだなー。」
電力のほうはもっとひどい。6MWを2時間流せば12MWhで、手持ちのバッテリーを空になるまで使っても30分の1に届かない。
レーザー給電のライン上でなら電気は買えるが、6MWを受け取れるような受光鏡は張っていない。そこから出れば、数分で電池切れになる。
「最悪片足だけでも良いか。もう1基は……良いパーツが入ったら考えようかな。」
もし今後核融合炉を搭載したとしても、ピアッツィ・ベースから除外半径3,000kmまでは電気推進で動くしかないわけだから、どっちみちバッテリーは必要になる。
高価なパーツではあるのだが、どこかで手に入らないものだろうか。