マユルの右手の上を、箱を重ねて左右に筒を繋げたような映像がクルクルと回っている。輪郭だけが光で表示されるワイヤーフレームで、中の構造がわかるようになっている。
これが、プルメリアが起こした設計図。今ある部品から作れる中型船の完成予想図だ。
基本的に左右対称な形だし、重心からスラスター位置を計算しているから、今のファイブスター号よりもむしろ扱いやすくなる、かもしれない。回転はかなり遅くなるが。
シミュレーションで動かしてみたところ、実に素直な舵取りになった。右にも左にも同じだけ動く。
ただ、重い。スラスターをグオッと噴いても、加速はのったりとしている。スラスター以上に、バッテリーが足りないのだ。推進剤が減ってくると多少加速性能がマシになるが、これでサルベージ品を山と積んだらどうなることか。
シミュレーター上でNゲートへの着陸も試してみる。もはやSゲートに収まらないサイズなのだ。周りの中型船よりは小さいかもしれないが、1人が所有し操艦する宇宙船としては破格の大きさで、他の独立系サルベージャーとは一線を画す。PGSのサルベージ・バルジとはまだ大人と子どもくらいの開きがあるが、いずれ追いつきたいものだ。
これから1週間かけて、パネルやパーツの溶接を山ほどやることになる。レーザー溶接機用のバッテリーチャージャーも準備済だ。
「改装するには、一度ファイブスター号をバラさないといけないからね。現金が溜まってきたから、やっと工事に入れるよ。次からはだいたいなんでも持ち帰れるようになるね。」
『改装後は船体の重量が3倍近くになります。現状のバッテリーでは「遠出」ができなくなりますが……。』
「こうなったらもう、普通に買うしかないか。核融合炉はまだ遠いし、他のパーツが揃っちゃったからね。」
『中型船用のバッテリーモジュールは、新品ですと14万ドルほどが相場になります。』
「うん、中古かなー。」
「中型用のバッテリー? あるにはある。」
リグオフの店主は、在庫の一覧をこちらへ飛ばしてきた。
「RHI-M-14Aが1基。68,000だ。」
「……もう少し、どうにかなりません?」
「今週だけで問い合わせが3件来てる。3件とも木星行きの船だ。あいつら、値段を聞く前に『いつ積める』って聞いてきやがる。」
前回の利益がまるまる、バッテリー1基に消えることになる。
「……まあ、普段からお世話になってますし。買っちゃいますよ。」
買ったバッテリーをヤードに運び込み、ファイブスター号の空気を抜いて。ドミトリーのあるB6に降りたのは、夕食時だった。
フードコートの入り口で、人の流れが詰まっていた。いつものソイヌードルの屋台の前に、人だかりができている。
「……うわ。」
注目の中心にいたのは、ゴールファミリーのドン、ケシャヴ・ゴールだった。ニュースの写真で見るより、ひと回り大きい。眼光鋭いコワモテで、灰色の髪を後ろへ撫でつけて、裾に重しを縫い込んだ長いコートを着ている。低重力でも裾がまっすぐ落ちるデザインで、おそらくオーダーメイド。
前後に2人ずつ、短い銃身のライフルを提げた男たちが油断なく目を配っている。
それから、犬が1頭いた。脚の細い、耳の大きな犬だった。ケレスで生まれた犬は、マユルと同じで骨が細い。胴に巻いたハーネスには鉛の板が縫い付けてあって、そのおかげで跳ねずに床を歩けている。犬は鼻を床すれすれに下げて、屋台の椅子の脚を1本ずつ嗅いでいた。
「……何かあった?ニュースとか出てる?」
『申し訳ありません、何も関連しそうなものは……。』
地下経済絡みとか犯罪関係とか、カメラに映らない領域の情報にはプルメリアも手を出せない。
ゴールファミリーはケレスの「不法移民」階級の人たちをまとめ上げるのにアメとムチ、恩恵と恐怖を使っている。
労働や情報に報い、また怪我や病気に際してセーフティ・ネットを提供することで恩義を売り、一方で裏切り者やヘマをした者を「見せしめ」に吊し上げることで、意に沿わない者の末路を知らしめる。そうやって、地縁に根ざしたある種中世的な支配を確立しているのだ。
マユルという「不法移民の子」は2年前までは付き合いが深かったが、ここ1年は関係が薄くなっている。
たびたびレンさんに「上」の動向を聞いているのは、自分が「吊し上げの生贄」にちょうど良い立ち位置にいる、という自覚があるからだ。
そして、ケシャヴ・ゴールがこうやって大勢の前に姿を現すのは、決まって誰かを「吊し上げ」するためだ。今回など、文字通りの犬まで連れてきている。
状況が掴めるまでは、できるだけ目立たないようにしたい。逃げるのも良くない。やましいことがあるように見られてしまう。とりあえずビリヤニ屋の列に並ぶことにした。
しかし、周りは作業着とツナギばかりだった。マユルが着ているのは、細身に仕立てた紺のジャケットだ。光沢を抑えた生地で、裾に沿って銀の糸が1本走っている。
B3のオフィスビルでは安物っぽく見られたかも知れないが、このフロアではどうしても浮いてしまう。
「おう、マユルじゃねえか!」
前にB7の仕分け場で一緒だった男がこちらに気づいた。声が大きい。
「聞いたぞ。お前、中型船こしらえてんだって?」
「継ぎ接ぎだよ、継ぎ接ぎ。」
護衛の1人の目がこちらを向いた。マユルは肩をすくめてみせた。
ケシャヴの横で、若い男が手元の画面を読み上げている。わざとらしいパフォーマンスだ。
「Eブロック14-8倉庫から、この屋台に3回。無地の袋で、20kgずつです。」
屋台の奥から、親父が身を乗り出した。
「かん水ですよ、ボス! 炭酸ナトリウム! 麺にコシを出すのに要るんです。安く卸してもらってるだけで……」
「分かってる。だから犬を連れてきた。」
幸い、犬(プルメリアによるとラブラドール・レトリーバーという犬種らしい)が吠えかけたのは屋台ではなかった。
客の方だった。
30がらみの頬のこけた男で、ねずみ色のTシャツにデニムジャケットを着ている。
犬はカウンターの端でソイヌードルをすすっていた男に吠えかけると、上着のポケットに鼻先を突っ込んでいった。
男は慌てた様子で飛び退くと、両手を上げて叫んだ。 「違う、何も持ってない!なんで俺なんだ!」
護衛の2人が両脇から腕を取って、ジャケットを脱がせた。ポケットからは何も出てこなかったが、犬は吠え続けている。
「ほら見ろ!勘違いだって!ビックリさせやがって。」
人の列が、少しずつ後ろへ下がった。しかしケシャヴは男の前に立つと、顎をつかんで顔を上げさせた。
「目ぇ見てみろ。もう入ってる。」
犬にご褒美の肉をやっていた護衛が立ち上がると、覗き込んで頷いた。
「ウチの探知犬は優秀でな?粉の一粒でも残っていれば嗅ぎ当てることができる。今度からは洗濯はちゃんとやるこったな。ヤクの袋を入れたときなんかはな。」
男は膝を震わせながら、聞かれてもいないことまで喋り出した。
「ち、違うんです。このジャケットは中古で……」
「今言ったろ?洗濯してれば犬は反応しねえんだよ。ティエンティーは普通に水に溶けるからな?お前さん、そのジャケットを買ってから一度も洗わなかった、なんて言うつもりか?」
そう言われた男はガックリと膝を付き、それから懇願するように両手を揉みしだいた。
「す、すみません……へへっ、でも……自分で使うやつで、売ってなんか……。B5のクラブのトイレで、いつもマスクしてる奴から、1つ40ドルで、週に3つだけ……ほんとに、それだけで……」
ケシャヴは聞いているのかいないのか、一瞬だけ視線を宙に泳がせた。
「お前、先月まで第4艦隊の清掃にいたな。口座から出てるのは、週に120ドルきっかりだ。
こいつは客だ。売り場は別にある。」
周りの見物人たちがざわめく。ビリヤニの店の列もさっきから止まっている。
「だが、こいつは保安部に渡す。」
「ゴールさん、俺は……」
「初めてなら、氷の採掘場で3年だ。売る側としてうちに捕まるより、だいぶましだろう。」
派手な刺繍のジャケットを着た男が人混みの中から現れ、「客」を引きずっていった。
ケシャヴ・ゴールは左右をジロリと見回すと、両手を広げて声を荒げた。
「いいか。火星の連中が薬を撒くのは、儲けのためだけじゃねえ。ケレスを物騒にして、人を減らすためだ。若いのが木星へ逃げてったら、奴らはまた来る。」 ケシャヴは右手を握りしめ、振り下ろす。
「木星なら安全だと思ってる奴もいるだろうがな。この前ピュリファイアに吹っ飛ばされたのをもう忘れたのか。」 そして右手を上に掲げる。
「それにな。薬を売る奴だけじゃねえ。火星に耳を売る奴も、自分の口から何が漏れてるか分かってねえ奴も、同じくらい厄介だ。」
まるで自分がケレスの守護者にでもなったかのような口ぶりだ。
言うまでもなく、RSDはゴールファミリーにもそのフロント企業にも、ピアッツィ・ベース内での捜査権など与えていない。にも関わらず、縄張りであるB7やB6、それからB5とB4の一部では、ファミリーがまるで「親方」のように振る舞っている。
おそらく鉛入りであろうブーツは、よくよく見れば「厚底」だ。こうやって既成事実とパフォーマンスを続けることで、縄張りの支配を盤石なものにしようとしているのだ。
すると、周りを睥睨していたケシャヴの目が、こちらを向いた。
何も言わなかった。2秒ほど、マユルの顔を見ていた。それだけで、首の後ろの毛が立った。
それから、ゴール一行は通路を真っ直ぐに抜けていった。
その晩の夕食は、ラム風合成肉が入ったビリヤニになった。辛さを聞かれて、いつもの癖で「3辛」と答えてしまった。
水を2杯飲み干してから、マユルはようやく小声で言った。
「……あの人が窮鼠《きゅうそ》なのはわかったからさ。それで、こっちに噛みついてこないで欲しいなあ。」
『それほど警戒すべき状況なのですか?レン氏の話では……。』
「そのレンさんが、ほとぼりが冷めるまで遠くに行ってろって言ってたんだよ。実際会ってみてよくわかった。ヤバいね、これ。」
『冷めるどころか、ボスが自分で犬を連れて歩いています。』
「犬が5匹、いや7匹くらいいたのかな。
そう。あの騒ぎはパフォーマンスだ。わざわざ人の集まるフードコートで「吊し上げ」をやったのだ。
「あの「客」だって、その場で見つけたみたいな雰囲気でやってたけど。本当はあの人がティエンティー買ってるって、情報持ってたんじゃないかな。」
『あり得ます。保安部との関係も強調していました。』
「みんなの前で大演説までぶってさ。結局売人の尻尾は掴めてないのに、偉そうにしちゃって。」
マユルは皿から顔を上げずに続けた。
「私、こないだ北方工業のビルに入ったよね。」
『正面から入りました。ガードロボ2機の間を通って。』
「部品探しを頼まれただけなんだけどな。」
『あの人の目に、その違いが見えるかどうかです。』
マユルはスプーンの先で、皿に残った米粒を寄せた。ソースの乾いた粒は、皿の上でふわりと小さく跳ねた。
「核融合炉、早く欲しいな。」
『また遠くへ行く話ですか。』
「逃げる話。」
マユルはまた、中型船のワイヤーフレームを右手の上にAR表示した。そしてその中央部の後ろ側に、核融合炉のモジュールをくっつけていく。
今の船は、バッテリーで動いている。全部を使っても、秒速1kmそこそこまでしか出せない。ケレスとスノードームの間ならレーザー送電を頼れるが、そこまでだ。火星の攻撃がまた来ても、あの人に目を付けられても、ケレスの送電インフラを離れたらどこにも行けない。
『核融合炉があれば、ヤードに置いてある中型スラスターも動かせますし、レーザーの届かないところでも月単位で飛べます。空気の再生も水の濾過も、電気さえあれば回りますから。』
「でしょ。誰にもスイッチを切られない船。」
『では、次は核融合炉を?』
「……気が早い、ってのは分かってるけどさ。」
翌朝。マユルは超音波カッターを提げてファイブスター号の背中に乗った。いつでもケレスを抜け出せる、その選択肢を得るために、いったん自分の船をバラして組み直すのだ。
まずは上部に背負った筒を、載せたときに溶接した当て板ごと切り離していく。5ヶ月前の自分は、思っていたより丁寧に溶接していたらしい。切り終えるまでに、予定の1.2倍かかった。
生活区画も外してしまうと、3つの船がバラけたような状態になった。
『……登録上は、いまどれがファイブスター号なのでしょう。』
「トランスポンダーが付いてるほう。」 つまり、元サンコイチ部分だ。
サンドリヨン号のキャビンの前の壁には、気密のダブルドアが残っていた。元はコックピットへ通じていたのだろう。扉には「乗務員以外立入禁止」の札が、フランス語と英語とヒンディー語で並んでいる。これはそのまま使う。
その先に、「モデルE」軽量パネルを斜めに張っていく。キャビンの断面から少しずつ絞って漏斗のような形にして、細くなった先にサンコイチを繋ぐ。
サンコイチの外板は標準のカーボン壁で、モデルEより5割重いぶん丈夫だ。塵は船が進む向きから飛んでくるから、重い壁は前に置くに限る。
パネルを押さえるのは、プルメリアのワーカードローンの仕事だった。2本の腕でパネルを支えて、残りの2本で地面を掴む。マユルはレーザー溶接機を当てるだけでいい。
『あと3cm、右舷寄りです。』
「はいはい。」
接合部はハッチで仕切る。1箇所に穴が開いても、船ごと空気を失わずに済むように。
キャビンには、ヒギエアの貨客船から回収した座席を4つ据え付けた。これで、ちょっとした乗り合い船だ。木星行きの大型船は、除外半径の外で客を待っている。そこまで4人ずつ運べば、良いスクラップが無い時期のちょっとした小遣いにはなる。
床下には、
左右にはコンテナを支えていた骨組みが残っていた。これは途中で切り落として、根元に筒を1本ずつ抱かせる。左舷にエイト号の、右舷にイレヴン号の筒。直径の差の4mmは、当て板1枚で吸収できた。これで左右対称だ。船中央部とそれぞれの筒で気密性を確保できているから、あえて空気を入れずに外付けの船倉として使うこともできる。
エイト号の筒の後ろには、採掘船用スラスター「マイティー・ジェット」がボルトで留めてある。これでは左舷の推力が強すぎてバランスが取れない。そこで、サンコイチの両脇にいた小型スラスター「青火」2基を、右舷の筒の後ろへ移した。これでバランスが取れるし、片方だけを吹かせばそれだけで回転を付けることもできる。
生活区画は、横向きにしてキャビンの後ろに付けた。再生品のバッテリーパックもあるので、非常用電源として組み込んでおく。
継ぎ目を全部塞ぎ終えた晩。カメラで見える範囲の穴がすべて塞がったのを確認して、船全体に空気を張って気密試験をした。
わざと水蒸気を多めに混ぜておく。すると、キャビン前面の「漏斗型」の継ぎ目から2本、細い白い筋が立った。
空気漏れから噴き出した湿気は、真空に出たとたんに凍って、ライトの中で白く光るのだ。
配線には2日をかけた。右の系統がまるごと死んでも左の系統は生き残る、そういう二重化を施しておく。
最後に、サンコイチの操縦席からコンソールを外し、キャビンの前に据えた。4つの座席の、さらに前だ。
電源を入れると、コンソールはいつもと同じ順番で起動した。船の登録情報を書き換える画面で、プルメリアが新しい寸法を読み上げていく。
『全長26m。気密室は合わせて202立方メートル。』
買ったときのサンコイチは、船室が16立方メートルもなかった。今はその12倍を超える。バラす前のファイブスター号と比べても、全長はちょうど倍、気密室は6倍近くになった。ドミトリーのシングルルームなら50部屋ぶんだ。
『もうSゲートには駐機できません。今日から、中型船です。』
鞄から細い瓶を取り出した。スノードームのいちごで作ったノンアルコールのスパークリングワインだ。48ドル。フレッシュマート・アネモネのジュースの棚にあった。
栓を抜いて、グラスを2つ満たす。泡はグラスの内側に張り付いたまま、なかなか離れない。地球の写真で見るより大粒に育ってから、ようやく1つずつ、ゆっくり昇っていく。
プルメリアのドローンは、ダブルドアの内側で腕を畳んで待っていた。マユルはグラスを1つ、ドローンの腕の先に持たせた。
『当機は飲めませんが。』
「形だけでいいの。」
4つの座席の、いちばん前に座る。空の窓枠が、左右に7つずつ並んでいる。
マユルはグラスを持ち上げて、ドローンのグラスに軽く当てた。