「元」サンドリヨン号のキャビンは随分と大きい。右を見ても左を見ても、ピアッツィの中のような広々とした空間。そのうち慣れるのだろうか。
「窓」はなくなったままだが、辺りの景色を眺めるなら光学センサーの映像をコンソールに可視光スペクトル設定で表示すれば良い。設定を変えれば赤外線や紫外線も「見」られる。
夜側のケレスは真っ黒で、星空の下が地平線の形にえぐれているようにしか見えない。
その黒い縁に、光の点がひとつ立った。点はすぐに膨らんで丸くなり、太陽が丸ごと顔を出した。
空は黒いままで、赤くも青くもならない。光を散らす空気が無いので、ケレスの朝には色が付かないのだ。
足もとの地表にも朝が来ていた。昼と夜の境目が、くっきりと線になっている。境目の昼側では、クレーターの縁だけが光り、底はまだ墨を流したように黒い。影の中は、何も映らない。
境目から60kmほど夜に入ったところで、一箇所だけ光っている場所がある。アフナ山だ。平らな原にぽつんと立つ高さ4kmの山で、溶岩ではなく、泥混じりの塩水が凍って積み上がった火山である。
ダブルドアの向こうで、ぱきん、と乾いた音がした。日が当たって温まった外板が伸びて、継ぎ目のどこかが鳴ったのだ。
『サンコイチとキャビンの継ぎ目です。気圧に変化はありません。』
今日は新・ファイブスター号のテストのため、ケレスをぐるりと一周している。短波通信でピアッツィと繋げているので、プルメリアとも交信できる。1時間4ドルの従量課金だが、テストで何かあったときのためにもAIアシスタントとの通信は必要だ。
ケレスの大地は氷のレゴリスが積もって、灰色に染まっている。極側ほど氷が多く、赤道付近は山がちだ。ゲームで見た地球の景色でたとえるなら、そう、砂漠のようだ。人工物は目に入らない。木々の緑も海の青もない。山と台地とそれからクレーターが、この小さな準惑星を覆い尽くしている。
150年近く前に、この景色を最初に撮った探査機がいる。名前はドーン、夜明けという意味だ。今日の高度400kmは、そのドーンがケレスの地図を作ったのとほぼ同じ高さである。ケレスを東回りに1周してピアッツィへ戻るまで、5時間半ほどかかる。
まずは左右の小型スラスターの釣り合いを見た。左舷の「マイティー・ジェット」と右舷の「青火」2基を、同時に全開にして30秒。推力が揃っていれば、船首はどちらへも振れないはずだ。姿勢の表示は0.1°も動かなかった。
次は
「小型スラスターは姿勢制御用のつもりだったけど、これだけだと思った以上に重いなあ。」
『中型スラスター「ウォレイ」でもベクタースラストはできますが。』
「やっぱメインはそっちになるのかなー。小型スラスターは細かい制御に使う感じで。消耗早そうで嫌なんだけど。」
『現在は空荷ですから。設備や積荷が増えれば、もっと「舵」が重くなりますよ。』
「わかってるよ。やっぱスラスターももう1基欲しいなあ。」
1周の330°ほどを回ったところで、北の地平線からオッカトル・クレーターが昇ってきた。差し渡し92km。ケレスでいちばん明るい白い点を、真ん中に抱えている。色を補正していない映像で見ると、写真ほど白くはない。汚れた雪のような色だ。
クレーターの縁の内側に、建屋が数十棟固まっていた。ドーン採掘基地。名前は、あの探査機から取ったものだ。
『予定の試験項目は、残り3つです。』
「あとは着陸関連だね。」
そのとき、コンソールから警報が鳴った。
3DPPI画面と左カメラ画面の縁が赤く点滅し、北の地平線の上に、赤い三角形の印が次々と湧いて出た。サイズと速度から、ミサイルと判定されてるってことだ。印の数は見ている間に40を超え、そこから伸びる予測線は、1本残らずオッカトルの真ん中へ落ちていた。
「ちょちょちょちょ!こっち……には来てないか。プルメリア、ピアッツィに緊急通報!」
『管制宛に送付完了しました。』
マユルは早速中型スラスターのベクタースラストも使って、船尾を向けて一気に逆噴射した。小型船の頃と比べると、やはり加速が重い感じがする。
できるだけ早く、しかし事故らずベースに戻りたい。もしミサイルや襲撃艦に狙われたとしても、ピアッツィ・ベースに近づけば防空レーザーの援護を受けられるようになるはずだ。
3DPPI画面を見ると、北の端から赤い五角形が1つ、2つ、…全部で4つ、表示された。3DPPIはPPIスコープを改良したインターフェースで、自艦を中央に、周辺の反応をアイコンと数値で表示してくれる。左右の目に違う映像を見せることで立体表示する空間表示画面だ。
「…見えた!4隻か。」
『北から、高度20kmより下を這うように入ってきたようです。』
「ピアッツィ・ベースの死角ってことね。ドーン採掘基地だけを襲撃。ミサイル飽和攻撃は対空砲を無力化するためか。」
『はい。こちらに向いた飛来物はありません。最初の斉射は、基地の対空レーザー4基に集中しています。ほかの船影もなし。』
「対空レーザー……だけ?」
カメラの倍率を上げる。平べったい三角形が4つ、地表をなめるように飛んでいた。合同サルベージで切り出した392番と、似た形をしている。
「破壊工作じゃない?押し込み強盗?でも、ピアッツィのすぐ近くだ。逃げ切れないでしょ。」
『「上空」の
クレーターの縁で、白い閃光が4つ上がった。
『ドーン基地の対空レーザー、4基とも反応がありません。』
入れ替わりに、三角形の腹から何かが降りてきた。
いや、人型戦闘ポッドだ。長い腕が2本と、関節付きの推進機が2本。胴の上には頭まで付いている。逆噴射を吐きながら降りていくその背丈は、並んだ建屋の屋根より頭ひとつ以上高い。
『データベースにない型です。ヒギエアの機体で人型が確認されたのは、当機の知る限りこれが初めてです。降りた先は、「花見」の入浴剤の袋詰め工場です。』
「な、なんで?入浴剤の泥棒に来たの?」
『あるいは違法薬物絡みかもしれません。』
「そりゃそうだろうけど、そうじゃないでしょ。
無人艦による威力偵察?でもなんでわざわざドーン基地に?ケレスにはピアッツィ・ベース以外にもこじんまりとした施設がいくつかあるが、正直ピアッツィ以外を狙う意味がわからない。
『マスター。破片の一部が、こちらの高度まで上がってくる可能性があります。秒速350mを超えて跳ね上がった破片なら、高度400kmに届きます。』
「げっ。……こういうとき、CIWSが欲しくなるなー。」
スラスターの首を振って、サンコイチの部分をオッカトルへ向けた。受けるなら、できるだけ厚い壁で受けたい。
幸い何もぶつからなかったので、オッカトルが地平線の下へ沈むのを待って、逆噴射を始めた。重くなった船は止まるのにも時間がかかるので、予定よりだいぶ早い。
全周波数で、ドーン採掘基地の救難通信が流れ始めた。合成音声ではなく、人の声だった。
『こちらドーン採掘基地。D-2棟が減圧、隔壁は閉鎖済み。負傷者あり、人数は確認中。』
同じ文面を、3回目からは少し早口で読んでいた。
ピアッツィの宙域警報が鳴ったのは、そのあとだった。
『RSD社保安部 宙域警報 第1報
オッカトル・クレーター方面にて、所属不明船による攻撃を確認
全船舶は最寄りのゲートへ帰投するか、管制の指示に従ってください』
Nゲートの上空には、慌てて帰ってきた船が列を作っていた。着陸のシミュレーションは何十回もやったが、こんなシチュエーションはやったことがない。やはり本番には魔物が潜む、ということだろうか。
Nゲートから地下へ降りるエレベーターは、満員だった。
「火星だろ。またマーズ・アタックだよ。」
「ポロスに核を落とされたのを忘れたのか。今度はベースの真上だぞ。」
木星行きの船を探している者もいる。昨日の3倍だ、と言っている。
扉の脇では作業着の男が、端末を耳に当てたまま誰かの名前を何度も呼んでいた。
(あの人型ポッド。北方工業公司の条件表にあった「未確認型」だよね)
『はい。情報を売りに行きますか?』
(……無理かなー。他にも撮ってた人はいるだろうし、売るなら実物を確保しないと。映像は、ファミリーに持ってくよ。今回は見ていたのがバレバレだし、黙ってたら何か隠してるって思われる)
『先日のフードコートの件もありますし。』
(そういうこと)
スミレ街はいつになく閑散としていた。その日2度目の夜だが人通りはまばらだし、通りの店には早仕舞いしているところもある。
アイシュワリヤのカウンターは空いていた。珍しく奥の部屋の扉が開いていて、中で誰かが有線のケーブルを何本も束ねて、小声で喋っている。
「いらっしゃい。Nゲートに移ったのね。」
炭酸水が出てきた。データカードをカウンターに置いて、伏せた。
マニシャはそれをカウンターの下へ持っていくと、指を虚空に這わせて何か操作を始めた。
「光学のタイムスタンプ付き。まあ、いちおう新情報かな?……で、お釣りが欲しい?それとも、ウチの商品を注文する?」
「商品といいますと?」
「お釣りなら6。で、さっき仕入れた商品がこちら。」
マニシャはカウンターの下から、データカードを3枚出して扇のように広げた。
「地表で撮れたのが3本。アレのクローズアップで、ディテールも映ってる。どれも特等席から撮ってあってね。ここからわかることもいろいろあるんだけど。」
やっぱり、あの襲撃はドーン採掘基地からも撮影されていたようだ。マユルの映像は、情報としてはそこまで価値がない。6,000ドルももらえるならむしろ上出来だろう。
「その中に。いえ……売り物の中に、
「残念だけど、そっちはウチには
「……では、お釣りでお願いします。」
「ええ。」
あの襲撃自体に興味はない。興味があるのはスクラップだ。
そう、第四艦隊だ。ケレス地表への攻撃が行われた以上、通常の海賊対策を担う保安部ではなく、惑星防衛を任務とする第四艦隊が動く可能性は高い。
サルベージャーとしては当然、
なんならサルベージ権無しでの違法サルベージを狙う者もいるはずだ。一歩間違えれば海賊なり第四艦隊なりに撃たれるだろうから、私はやらないが。
こういう日は他のサルベージャーたちも表に出てきて、情報収集にいそしんでいる。
「ケレス地表の防空能力を測る狙いだー、とかもっぱらのウワサだけど。マユルはどう思う?」
と話しかけてきたのは、PGSの新パイロット、アンバーだ。燃えるような赤毛を伸ばし、細工の入った金属紐で後ろに結っている。
「木星の入浴剤メーカーが競合を潰しに来たんじゃないですか?」と答えると、
「そりゃさすがに……いや、そうか。威力偵察説はそれくらいトンデモだと?」
「まあ、はい。」
「ほーん。ってことは、そっちも『何が飛んできてたか』知ってるわけだ。」
確かな情報を得ようと思ったら、手持ちの情報と交換するしかない。それも、できるだけ等価で。
こっちが教えたら相手も教える。そういうルールだ。それでこういうふうに、あちらがどれだけ知っているか探り合うような会話になる。相手はPGSだから、第四艦隊による報復に関わる情報、を避けて伝えれば良い。
マユルは「小型船並に大きな手足が付いた戦闘ポッド」が投入されていたことを示す映像を渡し、代わりに火星系のマフィアが「入浴剤輸出の正規物流ルートに乗せてティエンティーを密輸していた」との「ウワサ話」を聞いた。
フードコートの大型ディスプレイでは延々とニュースを流しており、今はRSDのロゴが付いた薄オレンジ色のテーブルが映っていた。サンダー保安部長殿の会見だ。
「……今回の卑劣な襲撃に関わった海賊どもは、地の果てまで追い詰めます!」
演台を拳で叩いている。海賊ども、と何度も繰り返しているのは、あくまで保安部が管轄だと言い張るためだろうか?
しかし、「ヒギエア」海賊とは言わなかった。マユルのように艦影や襲撃方法の情報を持っているならともかく、普通の人は火星の海賊だと思っているようだし、保安部長はその思い込みを訂正しなかった。
画面の下を流れるコメットニュースの字幕では、ドーン採掘基地の死傷者数はまだ「確認中」のままだった。
フードコートに見覚えのある顔……プルメリアによるとゴールファミリーの構成員、が現れたのを見て、マユルは上層階のピエール・ディオンヌに移動した。いちおう6,000ドル儲かったわけだし、とお祝いに紅茶とミルフィーユを頼む。
「マーケットに上がってくるのは何日くらいだと思う?本物の犯人にせよ、スケープゴートにせよ。日ごとの確率分布で出してみて。」
フォークの先で、ミルフィーユの下の層を左からそっと切る。ソイミルククリームの中には水耕栽培のイチゴが入っていて、甘酸っぱくておいしい。
『お待たせしました。こちらの表の通りです。算定根拠ですが、報復対象・範囲の意思決定に1~3日、捜索と部隊編成に2~4日、移動に2~3日、戦闘後の処理に1日、そしてサルベージ権マーケットに上がるまでに2~3日と見込んでいます。』
「だいぶ開きはあるけど、1~2週間はかかりそうだね。まあそんなもんか。ちなみに報復対象にされるのは……」
『おそらく「実行犯ではないヒギエア系海賊」でしょう。あちらも一枚岩ではないとの情報ですので。』
「ヒギエア系海賊」「ヴァイキング」といっても、その内実は様々だ。自分たちだけの生存領域を作って半
彼らは表向きは互いに停戦しているが、隙あらばお互いを統治企業に売るし、利害関係が揃えば協調するし、ときどき離合集散するしでカオスな状態になっている、らしい。第四艦隊としては、彼らのいずれかを叩きのめして「悪しき海賊に制裁」することができれば、いちおうのメンツを立てることはできる。
「じゃあ、1週間は輸送依頼でもこなして、その後は情報集めつつ待機かなー。サルベージ権が出たときに外に出てました、じゃ悲しいもん。」
『かしこまりました。こちらでも、ニュースや第四艦隊の動向などをまとめておきます。』
この店では「寝る前」の時間帯は、紅茶を頼むとデカフェのものが出てくる。なんと二酸化炭素を使ってカフェインを除去しているらしく、高圧をかけて「超臨界状態」にした二酸化炭素にカフェインを溶かし出すそうだ。ティーボックス社の「スノードームFOP」茶葉の風味をほとんど損なわずに提供できているとかなんとか。そう、店のウェブログに書かれていた。
デカフェだから夜もちゃんと眠れる?らしい。こんな事件に出くわした日だけれど、稼ぎになると思えばぐっすり眠れるというものだ。
『ところでマスター。……さきほどから、店内に客が来ていないようですが……?』
そう言われて、マユルは
「相席、よろしいですか。」
返事をする前に、向かいの椅子が引かれていた。
張り付けた仮面のような笑み。ホコリ一つないグレーのジャケット。ラージュだ。
「その節はどうも?」
「マユルさんも、ご健勝のようで何よりです。」
運ばれてきた2杯のマサラ・チャイから、香辛料の香りが立つ。
「デカフェのアッサムです。よろしければどうぞ。ジンジャーは身体を温めてくれますよ。」
「…わざわざどうも。いただきます。」
口につけてみると、前回よりだいぶ甘さが控えめだった。3回目の夜が近い時間帯だし、マユルの注文を把握して眠りを妨げにくいブレンドにしたのだろう。
よく見ると、ラージュの方のカップは少し色が濃い。カフェインを残し、砂糖も香辛料も多めのチャイなのだろう。
「そちらはお仕事の休憩時間ですか。遅くまでお疲れ様です。」
「ええ。なんせあんなことがありましたからね。悩みが絶えません。」
ラージュはわざとらしくため息をついて見せた。
「トラブルの場に居合わせる、マユルさんはそんな星の下に生まれたのかもしれませんね。いや、活動が活発だから、必然なのかも。」
「……試運転をしてただけです。」
「存じております。通報のご協力も頂いて、感謝申し上げます。」
ラージュが手を振ると、テーブルの上にケレス周辺の航行図が浮かんだ。
「悩みというのがですね。海賊の拠点から様々な文物を持ち帰りたいのですが、船倉がまったく足りないのです。」
マユルは驚いて眉を上げた。監査部が自分に何を期待しているのかと思えば、よもや「輸送船」として使われることになろうとは。
「そこで、信頼できる方にサルベージの協力と、ピアッツィ・ベースまでの運搬をお願いしたいのです。今から6日後の見込みですが、前後するかもしれません。その際は、アーガスから連絡を入れさせます。」
「……いろいろ聞きたいことがあるんですが、聞いても良いんですか?」
聞きたいことの第一は、マユルが聞いても良いのかという点だ。
「それはもう。信頼できる方ですから。」
「では、なぜ私に?」
「そこは、マユルさんの『引きの強さ』に期待してのことです。」
運が良いから、と?答えになっていない。
「持ち帰る品というのは?」
「こちらが指定するドーン採掘基地襲撃に関わりそうな記録、武器弾薬類、設備、その他諸々です。1~8トンほどを想定しています。それと、場合によっては証人も。座席を4つお持ちでしたね。」
「乗り合い船って、そういう意味じゃないんですけど。」
「お客様には違いありません。」
マユルはもう一口チャイを飲んだ。通常のサルベージとは異なり、監査部の指揮下で監査部の指示の通りにサルベージを行うということだ。マユルにサルベージ権が無い状態での仕事になる。海賊拠点自体に関する情報は持っていないか、教える気がないと。
次に考えるべきは、リスクとリターンの天秤だ。
「監査部として第四艦隊に着いていくわけですか。私の船にはステルスはありませんが。」
「一つ訂正を。今回の海賊退治を担うのは保安部、エンフォーサーです。」
えっ?そうなの?アテが外れた。いや、サンダー保安部長の剣幕からすると、第四艦隊より先に動くということもありうるのか?……拠点の位置を既に知っている?
「コラ級の戦闘艦を12隻出すそうです。我々はその戦闘後に、証拠品の押収にかかることになりますね。」
「保安部の捜査の一環ですよね?では、船倉を持たない戦闘艦の代わりに捜索をやって、保安部に渡す、ということですか?」
ラージュはチャイに口を付けた。
「保安部とは話が付いています。我々は監査部として、独自に捜査を行います。その後、必要に応じケレス支社に情報開示や物品の共有を行う場合があります。」
こいつマジか。エンフォーサーが面子争い?で第四艦隊を抑えて海賊退治に乗り出すところで、その尻に付いて行って横から証拠品をかっさらうと?本社の権力を振りかざして?
(これ、エンフォーサーめっちゃ怒るよね?)
『恐らくは。ただし、ラージュ氏の口ぶりからするに、保安部内にも協力的な人員がいる可能性が高いでしょう。』
(その場合、私は許される?)
『まあ、睨まれはするでしょう。監査部の犬として。』
(うわぁ……。嫌だなあ……。)
こちらの顔色を見てか、ラージュは笑顔を強めて報酬の話を始めた。
「もちろん、お礼はいたします。」
テーブルの航行図が消えて、代わりに輪切りにしたドーナツのような図が浮かんだ。その底に、黒い受け皿のような部品が並んでいる。
ダイバータだ。
核融合炉の中で、いちばん熱を浴びる部品である。核融合の燃えかすの粒子と熱を受け止めるタングステンの受け皿で、1平方メートルあたり1,000万ワットを浴び続ける。消耗品なので、核融合炉を持つ限り何年かおきに買い替えることになる。VRの教材でも、ここの交換手順は3回やらされた。
「本社が近々、ケレス向けに核融合炉をまとめて発注します。その注文書に、弊部の予算でマユルさんの分のダイバータを1組書き足しておきます。届いたら、そのままお渡しする。もちろん無料。新品の正規品を報酬としてご提供します。」
ダイバータ1組で、
『ダイバータなら、発信機や盗聴器の心配もないかと。』
そりゃあそうだろうね。
「お返事は、明日の18:00までにアーガス宛にお送りください。また、出航までに、船倉を空けておいていただけると助かります。」
ラージュは支払いを済ませると、店を出ていった。テーブルの上には、ダイバータの断面図がまだ浮いている。
報酬があまりに魅力的だ。だがその分、リスクも大きい。RSDケレス支社の保安部に睨まれるのはもちろんのこと、ゴールファミリーからの見え方も心配だ。
だが断ったら、どうなるか。サルベージ権のマーケットも、Nゲートの駐機枠も、スノードームまでのレーザー送電も、全部RSDのものだ。監査部の権力はかなり強いようだし、保安部内にも手を伸ばしている様子だ。
今日もまた、なかなか眠れない日だろうな。マユルはひとつ、ため息をついた。