「トイレと、ベッドが、ほしい!!」
マユルは叫んだ。声はカーボン壁に吸われ、自分の耳にすら虚しく聞こえる。
コバルトローズ号の大仕事を終えてピアッツィのドミトリーで12時間眠った後でも、まだ身体のあちこちが軋んでいる。腰、肩、首、それから何より、目の奥。
サルベージャーの仕事は3D、つまり「3K《ケー》」だ。キツイ、汚い、危険。
「危険」は仕事の本質だからどうしようもない。だが「キツイ」と「汚い」は、設備でかなり改善できる。
前回の出費が帳簿アプリに並んでいる。Sゲートの駐機料金、宇宙港整備負担金、空気料、ライフサポート料、電力料金、シリンダー充填料、それらを5往復分で締めて2,800ドル。156,000ドルの売上から見れば誤差みたいなものだが、睡眠は慣性航行中に取っていたから、この出費は実質「バッテリーを充電する」のと「気密室の空気を入れ替える」ためだけのものだった。馬鹿らしい。
特にひどかったのが二酸化炭素対策。閉め切った気密室で長距離航行すると、空気中のCO2濃度がじわじわ上がる。マユルのヨンコイチには空気ポンプも循環器もないから、対処法はただひとつ。EVASを着込んで気密室の空気を宇宙に捨て、酸素・窒素シリンダーから「直接」吐き出させて補充する。エコでも何でもない、贅沢な空気の使い方だ。
それから睡眠も、操縦席のリクライニングを倒して寝るので、起きたら身体はバキバキだ。
要するに、ヨンコイチには「住む」という発想が決定的に欠けている。
作業ポッド以上、宇宙船未満。
「ゴゴイチ計画、発動。」
マユルがひとり宣言すると、AR視界の隅でプルメリアが小首をかしげるアニメーションを出してくれた。
『ランチはカレーにします?』
「次の改造の名前。ヨンコイチに五つ目を継ぎ足して、ゴゴイチ。」
となればまず、ベッドとトイレと洗面台の確保だ。
中型船以上のスクラップになると、ちゃんとした生活区画が付いているものが多い。クルーが多日数のオペレーションで宿泊できるよう、ベッド、トイレ、洗面台の一式を組み込んだ「クルールーム」が用意されているのだ。ハイエンド向けならシャワーボックスすらある。
しかし生活区画の備品は、サルベージャーから見ると「金になりにくい」部類に入る。トイレやシンクは値段の割に重いし、中古市場が薄い。中古のエンジンは良くても中古のトイレは嫌、というのが人情である。
なお、無重力空間で使うトイレは惑星上のトイレよりはるかにゴツい。掃除機のように排泄物を吸引するし、足を固定するストラップやハンドルも付いてるし、小便用にホースが付いてるタイプもある。こんなのを回収しても割に合わないので、たいていは船体に付いたまま放置される。
ということは、金目の物を剥ぎ取った残りカス、のサルベージ権を買えれば安く済みそうだ。
が、コトはそう単純ではない。
「めぼしいものを抜かれた中型船スクラップ」のサルベージ権は、もとの権利者が一度はRSDから合法に買い受けたものだ。しかしRSDとの契約上、サルベージ権を第三者に譲渡することは禁じられている。そんなことを認めてしまえば、サルベージのライセンスを持たない「モグリ」のサルベージャーがはびこってしまう。せっかくのライセンス管理が台無しだ。
というわけで生活区画付きのスクラップの数々は、権利の名義が変わらぬまま、ただ宙に漂っている。
以上が表向きの話。現実には、その「使い終わったガラ」を裏で手放したい売り手と、特定のパーツを欲しがる買い手は常にいる。
ゴールファミリーは、ケレス周辺の
そしてもう一つの顔として、サルベージ権の「又借り」を仲介している。元の権利者が残飯権限を手数料分の小銭に替え、ファミリーが仲介手数料を取り、買い手は無認可の又借り名義で現場に取り付く。フロントの紙に「協力会社による派遣作業」とでも書いておけば、形式上は通る。契約違反ではあるが、RSDはこの慣行を昔から黙認している。下層の自主処理に任せておけば、スクラップを自分たちで掃除する手間が省けるからだ。
マユルがこの仲介所を客として利用するのは初めてのことだ。
ピアッツィ・ベース、B7フロアのN3ブロック。ガラクタ市場よりさらに二層下、ベースの工業区画の奥。
カーボン壁の継ぎ目から鉄錆と機械油の臭いが滲み出る通路を、マユルは久しぶりに歩いた。15歳までチャイルド・セーフティ・ファンドの寮にいて、そこを「卒業」してから最初に紹介された廃棄品の仕分け仕事の現場が、このフロアだった。あの頃から、ほとんど何も変わっていない。
奥のシャッターをくぐると、広い倉庫風の空間にコンテナが並んでいる。仕分け台では、防塵マスクと軍手の作業員たちが、サルベージ品をベルトコンベアに乗せて回している。半数以上が10代の子だ。RSDの清掃下請けの肩書きで雇われているが、実態はゴールファミリーの末端労働者である。
マユルは中へ入り、見知った顔を探した。
「おう、マユルじゃねえか。」
作業台の脇で、痩せた老年の男が顔を上げた。レンさん。ベトナム系の元水道工で、10年以上ここで仕分けをやるうちに「顔役」のような立場に収まった人だ。マユルが15歳でこのフロアに入ってきたとき、いの一番に「マスクをちゃんと締めろ」と教えてくれた。
「ご無沙汰してます。」
「死んだかと思ってたぜ。火星人が来た時によ。」
「しぶといのが取り柄ですから。」
「そうか?幽霊みたいな顔色だぜ?」
レンさんは仕分けの手を止めずに、目だけマユルへ向ける。マユルは要件を伝えた。クルールーム付きの中型スクラップを「又借り」したい、安いやつで構わない、と。
レンさんが虚空に視線を向けて、待つこと1分。
「距離と価格のバランスを取るなら、コイツだな。観測船アステリア号、ケレス低軌道、もう一年も漂ってる。コンソールもバッテリーも持ってかれて値が付かなくなったやつだ。クルールームは生きてる。臨時業務委託契約、800ドルで切ってやる。」
「では、それで。」
「水回りはな、1年モノでも悪くはならない。真空パックされてるようなモンだからな。タンクと循環器とコネクタを揃えれば、素人でも一日仕事だ。」
「助かります。さすが、元水道工。」
レンさんはそこで、初めて手を止めた。一拍置いて、低い声で続ける。
「気をつけて行けよ。最近、上で火が付いたらしい。誰の何かは知らねえが、いつもよりピリピリしてる。要らないトラブルに首突っ込むな。」
「上、ですか?」
「詮索するなってことだよ。詮索に見えるようなことも慎め、ってことだ。」
マユルは肯いてフロアを出た。
何かの揉め事が組織の上層で起きている?レンさんが言うからにはガセではない。まあ、自分には関係のない話だ。たぶん。
胸の奥に薄い違和感を残したまま、マユルはエレベーターのボタンを押した。
観測船アステリア号は、レンさんの言うとおり、ケレス低軌道に漂っていた。ヨンコイチで近づき、外観をあらためる。
全長32m級、痩せた葉巻型の船体。前部のセンサーアレイは折れ、操縦区画のハッチは内側から切り開かれている。コンソールとバッテリーは抜かれて久しい。だが船体下部の生活区画は、外殻に大きな破断もなく、ハッチも生きていた。
中に入ると、無重力に漂う塵と、抜け殻になった配線の断面が、誰もいないクルールームの存在を静かに伝えてくる。二段ベッドが二組、間の通路を挟んでシンクと折りたたみテーブル、奥の小ドアの先がトイレ・シャワー兼用のキャビン。
ベッドはただの二段ベッドではない。無重力環境向けに、ストラップ付きの拘束マット式である。寝ているうちに浮いて天井に頭をぶつけずに済む、という設計だ。
マユルは超音波カッターを取り出し、クルールームをぐるりと取り囲むように切り出していった。配管と配線は、後で組み直しがしやすいよう、繋ぎ目で切る。船体を構成するカーボン壁の切断面には、整えるための余白を残しておく。
外壁はともかく船内側のカーボン壁は薄かったから、切り出し作業は5時間で済んだ。長さ4.5m、幅2.4m、高さ2mのカーボン製の「箱」が、宇宙空間にゆっくりと浮いてくる。
これをワイヤーで縛り、ヨンコイチで曳いてピアッツィへ帰る。慣性航行中、操縦席で目を瞑りながらマユルは思った。
これが終わったら、もうリクライニングシートで寝なくて済む、と。
ピアッツィのSゲートで駐機料を払い、船外作業エリアで「箱」をヨンコイチに溶接する。ヨンコイチ側の外壁材を切り出してクルールームの内壁のさらに外側に隙間を作り、継ぎ目に硬化樹脂を盛って気密を出し、配電線を内部に引き直す。アステリア号はMクラスとはいえ、生活区画ならSサイズ船の電圧でも動くように設計されている。ありがたい話だ。
問題は水回り、つまり水道管工事である。
これまでのヨンコイチには、水道など存在しなかった。飲み水はキャップ式のポリ袋、トイレは前回買った携帯トイレ+トイレ砂、洗顔も歯磨きもウェットティッシュ。「水道管工事」というカテゴリそのものが、この船には存在しなかったのだ。
そして、アステリア号の水タンクはデカ過ぎる。350Lなんて1人では手に余るし、スペースも足りない。
DIYショップで、純水タンク20L、灰色水タンク15L、バキュームウェイストカートリッジ、それから真空ポンプ式の小型循環器を仕入れる。アステリア号のシンクとトイレの配管口に合うコネクタも、ぴったりサイズが見つかった。
タンクをクルールーム内壁と外壁の間のスペースに差し込み、供給ラインをシンクとトイレに引く。排水は灰色水タンクへ。シャワーは閉鎖空間でループ循環、フィルター付き。
継ぎ目に水漏れ防止のシーリングを塗り、軽く加圧して耐圧テスト。漏れなし。感圧板に軽く触れると、ぴっと水が出た。
低重力で蛇口から水を出すと、表面張力で球のようになってゆっくりと落ちていく。マユルはその球を手で受け止め、口に運んで飲んだ。少し消毒薬の味がするが、間違いなく水である。
トイレの真空サクションもちゃんと機能している。蓋を開けてスイッチを入れると、低く控えめな唸り声を立てて空気を吸い込む。ピアッツィ・ベースでもよく見かける形式だ。
ベッドも試してみた。マットのストラップを締めると、起き上がろうとしても身体が動かない。PGS社のサルベージ船のと同じような感覚だ。
最後に気圧センサーが0.8気圧で動かないのを眺めて、マユルは満足げに息を吐いた。
ヨンコイチに生活区画を一つ継ぎ足した。理屈で言えばゴコイチである。
ただ、いちいち名前を変えるのも面倒だ。サンコイチからヨンコイチへの変名で、書類の書き換えに20分かかったのを思い出す。
それに、こんな名前で呼んでばかりだと、いつまで経っても「作業ポッド」の延長線上で頭が止まってしまう気がする。
プルメリアに名前の候補を出してもらったところ、気に入ったものが一つあった。
「ファイブスター号」
そう言って、マユルはぐっと胸を張った。
今は名前負けも良いところかもしれないが、いつかこのフネを、五つ星ホテル並みの暮らしができるシップに育てる。シャワーは温水、ベッドはふかふか、冷蔵庫には果物。窓からは木星の縞模様が見える、そんな船に。
そうやって生活水準を引き上げていけば、交易や貨客、調査船団のような、「陽の当たる」仕事だけで暮らしていけるようになるかもしれない。
マユルは水をボトルに入れると、ARで赤紫色の色を付けて1人、乾杯した。
「そろそろ腰を落ち着ける、って意味も込めて。ファイブスター号に、どうか良い旅を。」