ファイブスター号は、寝床への改造を終えたわずか1週間で、倉庫に格下げされていた。
生活区画の天井には磁石ラックが取り付けられ、窒素ボンベや酸素ボンベが吊るされている。その下では貨客用のシートが3脚ネットに縛られて浮いており、ベッドの下には小型アンテナが2本、床には解体した空気ポンプの筐体が磁着されている。もはや寝床の面影も薄い。
生活区画を追加してから1週間で、マユルは4件のサルベージをこなした。うち1件、
大当たりは、最後の1件だった。高速貨客船「モーニングスター号」スクラップには、貨客シートや通信アンテナのような「かさばるけれど、そこそこの値段で売れる」パーツがごっそり残っていた。持ち帰るには嵩張るし、配置に悩む。コンソール周辺は誤操作防止のためすっきりさせておかねばならず、操縦席周りも同様だ。となると、荷物置きに使えるのは「普段使わない」空間だけ。つまり生活区画である。せっかく整えた寝床エリアが、いつの間にか在庫の海になっていた。
「作業ポッドじゃなくなった、って言った矢先に、これかぁ。」
回収してきたマグネットテーブルをネットに括り付けて、マユルは呟いた。声はカーボン壁に吸われ、返事は無い。
ピアッツィ・ベースに戻り、大物ショップ「リグオフ」とシャオの店を回って在庫を売り捌く。財布に3万ドル弱。口座残高もだいぶ余裕が出てきた。
長距離航行がやりやすくなったのだ。今度はサルベージ以外の仕事も、少し試してみたい。
ケレス周辺には、実はピアッツィ・ベース以外にも複数の拠点がある。
「ポロス・ベース」はRSD第4艦隊の司令基地で、マーズ・アタックで半壊してから復興途上。「スノードーム」は「日当たりの良い」軌道の氷アステロイドに据え付けたメグミフーズの藻類プラントで、ピアッツィから排出される二酸化炭素と下水を食料へ転換している。いずれも小惑星を拠点化したもので、ケレスとだいたい同じ速度・同じ周期で太陽の周りを回っている。
さらに足を伸ばせば、アステロイドベルト内にヴェスタ、パラス、その他の小コロニーが点在する。周期次第では、火星圏や木星圏、地球圏の交易船が入港することもある。
輸送依頼にはマーケットがある。マユルが使えるのは、主に小口輸送向けの配達依頼をマッチングする「アクシオトル」アプリだ。
宇宙時代の運送業は、荷主・荷受人・コンテナのすべてが指紋のように識別される。カーゴには温度・圧力・衝撃・位置を常時ログするセンサーが張り付いていて、「開けたら罰金」「揺れが記録に残る」というプレッシャーがドライバーにのしかかる。アクシオトルは中央仲介プラットフォームであり、依頼と受注のマッチング、支払のエスクロー、センサーログの改竄防止、問題が起きたときの一次仲裁までを担う。3〜5%の手数料はその対価だ。
ドライバーには評価スコアが付く。時間厳守、破損ゼロ、密封違反ゼロ、事故ゼロ。スコアが高いほど上位ランクの依頼が回ってくるし、荷主の格も上がっていく。逆に、スコアが低ければ底辺の民生小口しか回ってこない。
マユルの評価スコアは、まだ「未評価」。たいていの個人事業主がここから始める。
ケレス宙域で高額なのは軍事物資。レーザー砲台のバレル、ミサイル、艦艇のスペアパーツなどだ。だがこれらの依頼は、RSDが認めた「信用篤い船主」か、RSD子会社にしか回ってこない。積み荷が高価なだけでなく、抜けたり流出したりすれば政治的にも面倒だからだ。
中位の依頼、たとえば時間縛りの緩い惑星間便や比較的高価な民生機材の輸送なども、スコアの積み上がった経験者が優先的に指名を受ける。特に貨客便などは、荷主に「信用スコア〇〇以上限定」の指定が付いているものも多い。
リストを一通りスクロールして、マユルは軽く息を吐いた。受注できるのはリストの下のほう、報酬がしょっぱい小口だけ。まあ、いきなり稼げるとは思っていない。とりあえずポロス・ベース行きの緩い定期便あたりから、と目星をつけて、マユルはアプリをいったん閉じた。
B6フロアのフードコートで湯気の立つソイヌードルを啜っていると、AR視界の隅でプルメリアが控えめに手を挙げた。
『マスター。ちょうど今、面白い依頼が飛び込んできました。信用スコアの縛りが付いていないのに、報酬が民生小口としては悪くありません。』
『【10時間15分以内】ピアッツィ→スノードーム 修理部材 0.8トン 報酬2,480ドル』
2,480ドルは「日給」としては破格に見えるが、ガス代(ガソリンではなく推進剤のガス)や諸経費と自分の人件費も含めると……いやそれでも破格だな?
荷主はヴィクラム軌道建設という中堅の建設会社。スノードーム拡張工事の現場で使う磁気クレーンが故障し、交換ユニットを至急ピアッツィから届けてほしい、という話だった。
「ゼネコンか。時間縛りが厳しいから、常連ドライバーが敬遠したのかな。」
『そのようです。ですが荷主の側は、もっと切羽詰まっているようで。』
プルメリアが次のファイルを提示したので視線を送ると、このスノードーム拡張工事の
ゼネコンの立場は、施主のメグミフーズよりはるかに弱い。工期が遅れれば彼ら自身の信用スコアが吹き飛ぶ。だから背に腹は代えられず、アクシオトルで信用スコアの縛りを外してまで至急便を投げてきた、ということだろう。
10時間45分。通常便36時間コースの距離だが、二機目のスラスターモジュールと組み合わせれば現実的な時間だ。「リグオフ」に一報入れて、売却品の運び出しを急いでもらおう。
マユルはヌードルを啜り終えると、指先でタップして受注した。
コンテナの積み込みは30分で済んだ。中身は本当に「修理部材」で、実物を目視で確認できた。磁気クレーンの磁力コイル交換ユニットと、制御ドライバのボード一式。ゼネコンの現場担当が「これが動かないと外殻を張れないんだ」と苦々しい顔で言い添えていた。積み込みが終わるとコンテナ側のセンサーがピッと音を鳴らし、マユルの決済口座から「エスクロー1,500ドル、預託完了」の通知が飛んできた。
早足でコンソールに飛び込んだマユルは、始動前チェックリストをパパっと指差し確認しながら、ボイスコマンドでEVASの設定を耐Gに振った。ギュッと脚が締め付けられ、続いて身体全体が窮屈に締め上げられる感じがした。加圧呼吸のため、胸まで締め付けられている。
吐きそう。本当は食後にはやりたくないのだが、緊急依頼なのだからしょうがない。
それから、スロットルのバーを倒してスラスターを全開にした。
グッとシートに押しつけられる感覚。視界が暗く狭くなり、世界から色が抜け落ちた。
出航後の最初の2時間は、両スラスターを全開で吹かして加速する。マユルは操縦席に体を預けて、加速中の姿勢を保つ。
ケレス出身で筋量が少なく心肺機能も弱いマユルは、高Gに耐えられない。たかが3Gで、EVASの耐圧機能を使ってもグレイアウトが起きているのだから、自分の虚弱さに泣きたくなる。
身体が慣れてくるとグレイアウトも解消してくるが、それでも血の引いたような感覚が強い。
(キツイ…!コレをあと2時間!近場でこんなにキツイんじゃ、惑星間航行はどうなっちゃうんだ。)
それから90分後に徐々にスロットルを絞り始め、110分後にエンジンをアイドル状態にした。EVASを緩めて一息つくと、コンソールの黒い画面にゲッソリとした顔が映っていた。
ピアッツィからスノードームまでは約20万km。慣性飛行をしている途中、コンソールに警告が点滅した。「近接航行体・非動力・0.3km/s」。マスドライバーで「放り投げ」られた二酸化炭素コンテナや下水ペレットの塊が、スノードームに向けて弾道で流れていくのが。ぶつかれば大惨事だが、経路はRSD管制が計算済みで、マユルの航路とは綺麗に交差しないよう組まれている。
8時間10分。二酸化炭素濃度が2,000ppmを超えて、頭がわずかに重い。バッテリーは冷却込みで70%まで下がったが、まだ余裕はある。ここからは逆噴射に入っていく。
そうして10時間ちょうど経った頃、スノードームが視界に入ってきた。
最初に飛び込んできたのは、光だった。
マユルはこれまで、ピアッツィ・ベースの周辺しか見たことがない。物心ついてからずっとケレスの地下フロアで暮らし、PGSのサルベージ・バルジで働いた頃も、母船が届く範囲を出たことはなかった。数万km級の航路そのものが、彼女には初めての「遠出」だ。
スノードームは、その初めての遠出の目的地として、期待を裏切らなかった。
氷アステロイドの本体に藻類プラントを据え付けた人工衛星は、周囲を巨大なミラー構造体が「スカート」のように取り囲んでいる。アステロイドベルトまで届く太陽光は地球の3〜4%しかない。だからこそ、この巨大鏡で残らず集めて藻に浴びせる。ミラーの反射光で、周辺の宇宙空間そのものが眩しいほど明るく、氷の本体が青白く輝いていた。
本体はドーム状の氷塊で、外殻には透明な窓が縦横に並ぶ。窓の向こうには何段にも重なった水槽が見え、緑色の藻がびっしりと繁殖している。ドッキング姿勢に入るあいだ、マユルはずっとその光景に見とれていた。生きた緑を宇宙空間で見るのは、初めてに近い経験だった。
ドッキング後、修理部材をロジスティクスセンターへ引き渡すと、担当者はコンテナのセンサーログを確認し、時計の残り時間を目視して頷いた。「時間内、破損ゼロ、密封違反ゼロ。2,480ドル、口座に振り込みました。評価スコアも初回加点しておきます。」
コンテナ側で「タン」と軽い音が鳴り、マユルの決済口座残高が更新された。エスクローで預託していた保証金1,500ドルも戻ってきている。
「観光もできますよ、時間があれば。」と担当者が言い添えた。「ちょうどシフトの替わり目で、休憩フロアも開いていますし。」
そこでマユルは、迷わず観光を選んだ。
スノードームの内側は、想像していたよりずっと生き物臭かった。
狭い通路の空気は湿って生温かく、藻と水と何かの発酵の匂いが混じっている。壁のカーボン素材の代わりに、ところどころ生きたコケが張り付いていて、通気口から下水の湿気を吸っては空気に返す循環になっている。ケレスの地下フロアで嗅ぎ慣れた「機械油と鉄錆」とはまったく違う、有機物のにおいだ。
案内図に従ってグリーンハウスの展望通路を歩く。透明な壁の向こうに、床から天井までびっしりと重なる水槽。中では緑色の藻が渦を巻き、光を受けて時折金色に光る。何十トンもの生きた緑が、無音で光合成をしている。
別のフロアでは、外殻の拡張工事の現場が見えた。マユルが運んできた磁気クレーンの交換ユニットが、今まさに整備クルーの手で本機に組み込まれている最中だった。組み立てが終わるとクレーンのアームがゆっくり起動し、新品の外殻パネルを掴んで正確な位置に運んでいく。作業員のひとりが窓越しに手を振ってくれて、マユルは反射的に振り返した。
食堂で、成形前の「生の藻」をターメリックとクミン、青唐辛子で炒め合わせた
スノードームの重力はケレスのそれよりさらに小さいが、磁気ブーツのおかげで床を「歩く」ことはできる。足を伸ばすように一回りしていたら、最初の受付まで戻ってきてしまった。ピアッツィ・ベースと比べると、人間が歩けるスペースはずいぶんと小さいようだ。あくまでゲスト扱いで入れるスペースが少ないからかもしれないが。
眺めは良いが、娯楽の種類も少ない。VRエクササイズルームには休憩時間らしき工員たちが集まっていたが、ピアッツィ・ベースの
時間制のドーミトリーもあったが、今のマユルにはベッドがある。アンテナも売却済だから、ちゃんと寝られる。そろそろ帰りの便を考えるべきだろう。プルメリアに探してもらったところ、アクシオトルで契約できる中では、これがベストな依頼だった。
『スノードーム→ピアッツィ 密封カーゴ 1.2トン 通常便 報酬640ドル 160時間以内』
ずいぶんと時間に余裕があるが、「放り投げ」便と比べればこれでも急ぎの方なのだ。宇宙開発では時間のスケールが長くなる。
慣れたサルベージャーは輸送依頼の道すがらサルベージをこなして移動するというが、無理せずまっすぐ帰るつもりだ。
積み込みを終えて出航。帰路は時間縛りが緩いので、燃費モードでのんびり32時間コース。加減速のGも2Gに抑えている。二酸化炭素の問題はあるので、加減速時にEVASを着用するときはヘルメットも使う。ゆったり羽を伸ばせたおかげか、身体の調子も良い感じだ。
帰路はなにごともなく、ピアッツィに帰着した。往路2,480ドル、復路640ドル、燃料代諸経費込みで手取り約1,900ドル。1件のサルベージには遠く及ばないが、ただ運ぶだけの仕事で危険やリスクが小さい。それに評価スコアが初回加点されたので、次のジョブでは少しだけ上位の案件が視界に入ってくるはずである。
アクシオトルの依頼リストを開いて、次の候補にざっと目を通した。リストにはヴェスタ行きやパラス行きも並んでいるが、CO2吸着装置なしのファイブスター号ではまだ手が届かない。当面はポロス・ベース、スノードーム、その他ケレス周辺の連絡便が現実的な射程だ。時間縛りの緩いもの、厳しいもの、報酬の高いもの、安いもの。運送業には運送業の相場と流れがある。少しずつ、覚えていくしかない。
いずれは、船の居住空間を五つ星ホテル並にしたいものだ。そうすれば、高賃料の貨客便だって狙えるようになるだろう。