アクシオトルの依頼検索画面が灰色で染まっている。
「いちおう信用ランク付いたけど、まだまだ受注不可ばっかりだね。」
『ピアッツィ・ベース発、評価スコア条件を満たす依頼は138件ですが、うちマスターが受注可能なのは7件です。』
「その心は?」
『信用ランクが必要な依頼はほとんど1SU以上です。』
SUは、22世紀に入る前に地球と軌道の間を往復していた大型輸送機の、貨物区画の内寸から決まった箱の大きさである。2列2段で4個、それを4列。1回の打ち上げで16SU。これがそのまま単位になった。
1SUの外寸は4.0m×2.5m×2.5m。標準的なカーボンコンテナで自重420kg、質量マックス14トン。
ファイブスター号には載せられない。
「この際外付けでもいいかな。デブリに当たったら嫌だけど。」
『質量ベースで見ても手に負えませんよ。1SUコンテナ貨物は直近30日の平均で4.6トンです。』
「スノードーム航路だと積載限界でも2.2トンかー。」
それに、加速度にも制限がかかる。普通コンテナは、船体側の固定金具に噛ませて留める。加減速のたびに何トンもの箱が揺さぶられるのだから、ワイヤーで縛って済ませるのは規約で禁じられている場合も多い。壁にラッチを付ける必要があるのだが、今度は壁の構造材がその重量を受け止められるかの問題が出てくる。ファイブスター号の壁は、よその船から切り出してきた壁を継ぎ合わせたものだ。何トンもある箱を振り回す前提で溶接されてはいない。
今回は二酸化炭素吸着装置のテストをするつもりだから、加減速は緩やかにして長時間ゆっくり輸送にするつもりではある。それでも、運べる限界はせいぜい0.5SUコンテナくらいだろう。
マユルは念じて画面をスクロールして、『【96時間以内】ピアッツィ→スノードーム 冷凍ハーフコンテナ 1.7トン 報酬560ドル』を選択。プルメリアにレビューしてもらってから、受注ボタンをタップした。
冷凍コンテナは航行中ずっと冷却ユニットを回し続けるので、電力を船から取る。60時間で、バッテリー容量の1割弱。積荷が電気を食う分だけ、運賃から差し引かれているようなものだ。
出航して6分。Sゲートの中継塔の圏内を出たところで、マユルはIPNCの接続を切った。
ファイブスター号にはモーニングスター号の通信アンテナを組み込んである。しかし、圏外では通信衛星を経由することになり、料金体系が一変する。ベース内なら定額で使い放題だが、外に出た途端に従量課金だ。バディAIのアプリは音声や映像を切ることはできるものの、思考入力が前提の設計だから、帯域の食い方が尋常ではない。プルメリアを繋ぎっぱなしにすると、1時間で4ドルは飛んでいく。往復58時間なら232ドル。今回の配達報酬560ドルの半分近い。
『……では、行ってらっしゃいませ、マスター。』
「うん。帰ったらね。」
インクのしずくがふっと消えて、AR視界が静かになった。残るのはコンソールの制御AIと、EVASの貧弱なアシスタントだけ。数字を読み上げてはくれるが、雑談の相手にはならない。
深呼吸をひとつして、マユルは読みかけの小説を開いた。
18時間目。二酸化炭素濃度は680ppmから動かない。ベッドでぐっすりと眠る余裕もある。以前なら14時間で頭が重くなっていたところだ。
ウェットシートで身体を拭いていたところ、コンソールが甲高い音を鳴らした。
『遭難中継 RSDピアッツィ管制 優先度1』
遭難ビーコンは、決められた周波数に電力を叩き込んで一方的に吠えるだけの装置だ。それがピアッツィの大型アンテナに届き、管制のAIが即座に周辺宙域の船へ中継を撒く。会話はできないが、悲鳴だけは光速で届く。IPNCという背骨があるからこそ成り立つ仕組みだった。
シートをクリップで止めて、EVASを引っ掴みながらコンソールを覗き込むと、メッセージアイコンをタップした。
『採掘船「カファ号」 主電源喪失 推進不能 乗員1名 ここから距離6,800km 相対速度412m/s 加速度無し
保険:ケレス相互航行保険 証券有効
救援に応じる船は応答されたし』
マユルはまず、保険の詳細をチェックした。
救援報酬を払うのは、助けられた側ではなく、その保険会社だ。バッテリー切れや小天体衝突といった事故は、通常の航行保険でカバーされる。証券が有効なら、報酬の取りっぱぐれはない。
これが無保険だと話が変わる。船主が全額を自腹で負う建前になっていて、払えなければ請求は紛争解決センター行き、回収まで年単位。応じる船もぐっと減る。
次にチェックするのは「状況」のウィンドウだ。海賊絡みではないことを確認する。
海賊絡みの遭難信号には誰も応じない。連中は襲った船をわざと生かしたまま漂わせ、ビーコンを鳴らさせて、寄ってきた救助船を続けて食う。あるいは最初から遭難信号そのものが罠、ということもある。救助船は低速で近づくしかないから、リスクが高すぎる。ピアッツィ管制がなぜ律儀にブロードキャストするのか、はサルベージャー七不思議の1つだ。
だから中継に「海賊」の文字が入った瞬間、民間船は一斉に沈黙する。対応するのは、傭兵の武装船やエンフォーサー部のM級フリゲートの仕事だ。
ちなみに、マユル自身は航行保険に入っていない。
ツギハギの自作船は査定額が付きにくいし、無認可の改造だらけだから引受を渋られる。仮に入れたとしても、保険料は船価の数%が毎年出ていく。
海賊被害となると、さらに特約が要る。会合年で襲撃報告が跳ね上がっている今、その特約の値段は目玉が飛び出るほどだ。
つまり、自分が遭難したら誰も来ないかもしれない。
「……応答。向かいます。」
6,800kmの寄り道。推進剤と時間の持ち出しになるが、締切までの余裕は60時間ある。
そして何より、船内に居られる時間のリミットが消えている。以前のファイブスター号なら、この寄り道は物理的に不可能だった。
カファ号は、船体側面に採掘ドリルを抱えた15m級の小型採掘船だった。
航行灯は消え、船首の非常用ビーコンだけが赤く明滅している。
「主電源喪失」とのことだったが、損傷は外からは見受けられない。たぶんバッテリーが尽きたか、壊れたパターンかな。絶縁グローブ持っていこう。
有人船に横付けする際のマニューバは、サルベージのときとは勝手が違う。
スクラップ相手なら多少ぶつけても構わないが、普通の「生きている」船にぶつけたら修理費が発生してしまう。特に遭難船の場合は既に損傷していることが多く、まとめてこちらの責任を問われかねない。慎重に、慎重にいこう。
相対速度を秒速2cmまで落とし、姿勢を合わせ、最後はスラスターを細かく叩いて詰めていく。接触。ドッキングクランプが噛む音が、足の裏から伝わってきた。
ハッチを開けると、生温い空気が流れ込んできた。
思ったより暖かい。非常用バッテリーが空気ポンプとヒーターを最低限だけ回しているのだろう。
「あっ、あの、来てくださって、本当に、その、ありがとうございます。」
浮かんできたのは、痩せた長身の男だった。50歳前後。EVASは着ておらず、作業着姿である。手すりを掴む手に、必要以上の力が入っていた。
ダウィット・ベケレ。船体に大書された「カファ」の文字と同じ、癖のある手書き風のフォントのワッペンを胸に付けている。
「マユルです。独立サルベージャーの。」
「サルベージャーさん、ですか」ダウィットはマユルの背後、開いたハッチの向こうに目をやって、それから慌てて視線を戻した。「あ、いや、他意はないんです。ええと、あの、お船は」
「ツギハギですよ。いわゆるフランケンシュタイン船。」
「……はあ。なるほど」
まあ、うん。壁のパネルは色が揃っていないし、継ぎ目は炭素繊維の溶接痕が残っている。船尾には黒テープを巻いた酸素ボンベが3本ぶら下がっている。
17歳の小娘が、あんな船で救援に来た。不安にならないほうがどうかしている。
ダウィットは眉をへの字にして、今いちど自船のコンソールに視線を向けると、状況の説明を始めた。なんでも、バッテリー残量にはまだ6割ほど余裕があったハズなのに、突然主電源が落ちたそうだ。
「ここ、ここが主電源なんですけど……。」
と言って、コンソールのスイッチをカチカチと押している。画面には「
カファ号の電気系統は二重化・三重化されているようだから、ケーブル側のトラブルは考えにくい。
「じゃあ、まずバッテリー見せてください。」
「はい。あの、こっちです。すみません、散らかってて」
ふむ。隅のランプが消えているから、やっぱりバッテリーがお亡くなりになっているようだ。
電動ドライバでケースを開けると、円筒形のセルが整然と並んでいた。96グループの直列。
マユルは無言でテスターを当てていく。
「直列繋ぎ」は電圧を強くする繋ぎ方。電気工学テキストの初歩の初歩だ。全部のセルに同じ電流が流れるので、一番弱いグループが全体の電圧を決めてしまう。
水路に水を流すときに、ホースの一部でも詰まっていたら全体でちょろちょろとしか水が出なくなる、のと同じだ。
「12番と13番、他より0.8V低いですね。劣化してます。」
「えっ?1年前にセル交換したばかりなのに。」
「それって、どこで仕入れたものですか?」
「B4のガラクタ市場で。再生セルってやつです。新品の3分の1で手に入ったんですけど……。」
再生セルというのは、廃船から抜いた中古セルを選別して、容量の近いものを組み直したパックのことだ。マユル自身、サルベージ時にバッテリーから抜いたセルを市場に卸している。つまり、こういうパックの材料を供給している側でもある。
安いわりに、ちゃんと動く。ただし、寿命はもとの中古セルの残り寿命でしかない。1年もすればばらつきが出はじめる。
「……ってことで、安い分長持ちしないんですよ。」
「そうなんですか。…えっと、直りそうですかね?」
「直せるとは思います。ただ……。これでドリルも使いましたよね?」
「はい、今日は2時間ほど。途中で止まってエラーが出てしまったんですが……。もしかして、それも原因ですか。」
電磁ドリルの起動時のピーク電流は、この船の他の機器を全部合わせたより大きい。弱ったパックにその電流を要求すると、電圧が瞬間的に落ちて、制御基板が回路を切る。ご家庭でいえば、「ドライヤーを付けたらブレーカーが落ちた」状態だ。
ただし家の中とは違って、宇宙船では制御基板が自動で復帰を試みる。空気ポンプへの給電が止まったら遠からず死だもの。
今回はそれが裏目に出たようだ。
回路を繋ぎ直せば、ヒーターも空気ポンプも起動中のドリルも、いっせいに電気を要求する。弱った12番と13番は、その立ち上がりでまた沈む。沈めばまた切れる。
ログを開くと、カファ号の制御基板は4時間前に、再起動を7回繰り返していた。これが弱ったセルに追い打ちをかけたのだろう。
つまり、ドリルの起動トリガーを押しっぱなしにしていたのが原因その2だ。
そうして、ドリルが止まってしまったからと帰還のためにスラスターを起動したところで、バッテリーが完全にダウンしてしまった、という流れだろう。
なお、生命維持は非常用バッテリーで維持されている。別系統・別化学の小さなパックで、主系統が何をしようと巻き添えを食わないよう独立している。
「はあ、そんなことが……。いや、お恥ずかしい。機械のほうはどうも、さっぱりで」
「外から電気を入れてやれば起きます。ケーブル繋ぎますね。」
「はい。あの、何か手伝えることは」
「じゃあ、そこの手すり掴んでてください。浮いてこられると危ないので。」
「あ、はい。」
ファイブスター号から引いてきたのは、セレーネ号の壁から抜いた銅芯ケーブルだった。太くて重いが、大電流を流すにはうってつけだ。
問題は、両船の電圧が違うことである。ファイブスター号はS型の低電圧系、カファ号は採掘機器を回すために一段高い。直結すれば、こちらのパックから相手へ一気に電流が流れ込んで、両方とも壊れかねない。
マユルは工具箱から降圧・昇圧兼用のコンバータを取り出した。これも実はサルベージ品である。
出力電流を10Aに絞って設定する。相手のセルは冷えているし、深く放電している。急いで入れれば、負極に金属リチウムが析出して寿命を削る。ゆっくり起こしてやるしかない。
「…起きましたね。ここから2時間くらいで、10%まで入れます。」
「10%……。それで足りるものでしょうか」
「スラスター絞って、低推力で長く吹けば届きます。40時間くらいかかりますけど。急がないなら、それが一番燃費いいので。」
「40時間……。ええ、構いません。ありがたいです、本当に」
ダウィットは自分のコンソールを覗き込み、赤から橙に変わったランプをしばらく見つめていた。それから、長く息を吐いた。
肩の力が、目に見えて抜けていく。
「……いや、失礼しました。正直、来ていただいたときは、その」
「船を見て、不安になりました?」
「はい」ダウィットは素直に頷いた。「すみません。手つきを見ていたら、その。私なんかよりよほどお詳しい」
「配電は、まあ、仕事なので。」
ダウィットは安心と感心がないまぜになったような奇妙な表情をしている。
「あの、2時間、ありますよね」ダウィットは天井の収納に手を伸ばしかけて、途中で止めた。「もしお邪魔でなければ、コーヒーでも。こんなときに何ですが、私、じっとしていると落ち着かなくて」
「…ええ、どうぞ。」
出てきたのは、明らかにこの船で一番大事にされている機械だった。
金属光沢のある円筒形。無重力用に完全密閉されていて、加圧した湯を粉に押し通す方式である。マグネットで固定された本体の脇に、豆の入った小さな真空パックが並んでいた。
「これってもしかして、本物の豆ですか。」
「はい。地球産のアラビカです。1kgで340ドルもしました」
「340ドル。」
「馬鹿げてますよね。自分でもそう思います」ダウィットは真剣な顔で粉を計量していた。「ただ、ケレスで飲めるコーヒーって、たいてい藻の代用品でしょう。あれは色と苦味だけなんですよ。香りがない。人間は香りを飲んでるんだと、私は思うんです」
淹れ上がった液体を、吸い口の付いたタンブラーに移して手渡された。
一口飲んで、マユルは目を丸くした。
「……美味しい。」
「よかった」
ダウィットは自分のタンブラーを両手で持って、少しずつ啜っていた。まだ手が落ち着かないのか、時々コンソールに視線を逃がす。トラブルシューティング画面の後ろ。何かのニュース記事が、更新の止まったまま表示されていた。
「…恒星間入植船?」
「あ、そこの画面のですね。えっと、はい。」
ダウィットは苦笑した。
グッドホープがC/2162 T1彗星の追跡ミッションを飛ばしたのが3年前。あれが有人の核融合フラグメント航行の実証実験で、その次に
確かなことは何もない。出資が集まっているという話も、白紙になったという話も、両方流れている。
「私が聞いたのは、建造場所の話でして」ダウィットは遠慮がちに指を1本立てた。「D-He3の主機って、有人居住地の軌道内じゃ点火できないでしょう。除外半径が桁違いだそうで。だから建造も試験も、人のいないところでやるしかない」
「……ベルト。」
「ええ。ケレスでもいい、ヴェスタでもいい。とにかくこの辺で組むって話が出てるとか。もしそうなったら、どうなると思います?」
マユルは少し考えた。
恒星間航行に耐える船体となれば、大きさは今の大型船の比ではない。構造材が要る。水が要る。組み立てのための足場が要る。作業員が要る。
そのすべてが、ベルトにある。
「造船景気ですね。それも、何十年も続くやつ。」
「そうなんです。今の木星景気なんて比べものにならないと」ダウィットはタンブラーを一口すすった。「私の孫の代の話かもしれませんけどね。ここが太陽系の造船所になる」
「乗る人は、どうやって決めるんでしょうね。」
「そこなんですよ」ダウィットの声が少し落ちた。「そこが一番、汚い話になるらしくて。統治企業たちがナショナリズム剥き出しで枠を取り合っている、って話ですよ。」
マユルは黙ってコーヒーを飲んだ。
不法移民の二世が、その名簿に載ることはたぶんない。だが、船を造る側の仕事なら、話は別だ。
「まあ、あくまでウワサですけどね。」
「ウワサです。10年後も同じこと言ってるかもしれません。」
2時間20分で、充電率10.4%。
ケーブルを外し、端子カバーを閉じ、ダウィットが主電源を入れる。コンソールが順に立ち上がり、航行灯が点いた。
「低推力モードの設定、送っておきました。途中でパックの電圧が下がったら、無理せず止めて再要請してください。」
「ありがとうございます。何から何まで。保険の請求も、お手間をおかけします。」
ハッチを離れる間際、ダウィットはコーヒー豆の切り口が印刷されたプラパックを差し出してきた。80g。
「あの、これを。インスタントタイプですみません。お礼というには軽すぎますが……。」
「いいんですか?高いんですよね。」
「ぜひ。それから、もしケレスでご一緒する機会があれば、またぜひ淹れさせてください。やっぱり豆から挽いたほうが、本物ですよ。」
結局スノードームでカーゴを降ろしたのは、締切の40時間前だった。
往復の総滞在時間は58時間。二酸化炭素濃度は、最後まで700ppmを超えなかった。装置のほうは、文句のない合格である。
ピアッツィに戻って報告書を提出すると、4日後に入金があった。
『ケレス相互航行保険 救援報酬 4,800ドル
内訳:出動費、電力融通分、拘束時間、消耗品』
配達の680ドルと合わせて、5,480ドル。寄り道した分の推進剤と電力を差し引いても、しっかり黒字だった。
『マスター。ダウィット様から、コーヒーの淹れ方の動画が届いています。18分あります。』
「18分?」
『豆の挽き方だけで6分使っておられます。』
「……もらったのはインスタントなんだけど?まあ、そのうち見るよ、そのうちね。」
マユルは通販サイトでコーヒーメーカーの値段を調べ、顔をしかめてから、電子家計簿を開いた。
救援報酬の欄に、新しい行が1つ増えている。
「ま、ファイブスターホテルになるんなら、本物の豆があってもいいかな。」