修道士が悪魔召喚する話   作:下駄ロボ

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肉とカモミール

かつて、神は沈黙された。

人がその耳元で、自らに都合のよい『言葉』を囁き続けたゆえに。

 

それ以来、地上の正義は二転三転し、

人々は自らの罪を他者に押し付け、血で血を洗う時代が訪れた。

 

疑え。神の言葉を。預言者の教えを。

秘められた知識を。手に入れた財宝を。

秘めたる野心を。

そして何より、目の前に現れたこの自分を疑え。

 

そう語る悪魔は、肉を嫌い。嘘をつかぬ。

悪魔が何より恐れるのは、自覚なき狂気である。

世では聖地奪還が謳われる中、地下聖堂の暗闇では

信心深き修道士と理知的な悪魔の噛み合わないお茶会が幕を開ける。

 

1307年、サン・ヴィクトール修道院 地下聖堂

 

━━━主よ、我が魂をお守りください。

異端の猛威が教会の足元を揺るがす今、私は禁忌を犯します。

地獄の深淵より出でし異形の言葉から、奴らを滅ぼす真理を盗み出すために。━━━

冷たい石床に描かれた五芒星。

羊皮紙に記された古い召喚陣に、私は一滴の聖水を垂らし、呪文を唱え上げた。

揺れる蝋燭の炎が不吉な漆黒に染まり、部屋じゅうに濃厚な硫黄の匂いが立ち込める。

 

「……いでよ、異教の悪魔、バフォメット!」

 

煙が渦巻き、その中からぬっと姿を現したのは、黒く渦巻く角を持つ大きな山羊の頭部と、異型の肉体であった。

私は震える手で胸元の銀の十字架を強く握り締め、胸を張った。

悪魔の欺瞞に、最初の瞬間から飲まれてなるものか。院長たちからは金になる知識を聞き出せと命じられているが、私の目的はそこにはない。

 

「覚悟しろ悪魔よ! 私はお前の欺瞞を見抜き、教会の敵を滅ぼす術を聞き出す! ほら、お前たちが好む新鮮な生の羊肉だ! 喰らいつく前に、問いに答えろ!」

 

私は中央の台座に、自ら捌いた血の滴る生肉をドンと叩きつけた。

異型の怪物は、ゆっくりとまばたきをした。

水平に裂けた山羊特有の金色の瞳が、台座の生肉と、私を交互に見つめる。

 

「……召喚主よ」

 

地響きのような掠れ声が響いた。私は身構える。

 

「……私は、何に見える?」

「何だと? 悪魔以外の何者でもないだろう!」

 

悪魔は、心底不快そうに長くて黒い鼻先を背け、爪のある大きな手で鼻を覆った。

 

「馬鹿なのか? 見ての通り私は山羊だぞ。山羊達の怨念に色々足された集合体だ。山羊が肉なんて食えるわけないだろう。血の匂いだけで吐き気がするんだ、早く下げてくれ」

「……は?」 

 

私は拍子抜けして毒気を抜かれた。

 

「嘘をつくな! 聖書にも、悪魔は血と肉を求めると――」

「悪魔にも色々いるんだ。いいか? 私は人間に喰い散らかされ、欲望のために生贄にされ、喉を掻き切られてきた無数の山羊たちの『怨念』と、お前たちが身代わりに押し付けた呪いや悪意、不幸が混ざって生まれた。繰り返すが、私は呪われた山羊の霊なんだ。肉の味なんて知りたくもないし、見たくもない。……おい、何か口直しはないのか。ハーブの煎じ湯とか」

「ハ、ハーブの煎じ湯……?」

「そうだ。お前たち修道士が薬草園で育てているようなハーブを煎じたやつだ。中々美味いぞ。魂は要らん。今時はその辺に転がっているからな。出来るまでじっくり待つから作って来い」

 

私は呆気に取られながらも、調薬室の在庫を思い返した。院長の指示で召喚を行っている以上、薬草を使う許可は下りるはずだ。

私はどうにか院長から調薬室の使用許可を取り付け、一番在庫の多いカモミールを煎じ、バフォメットの元に煎じ湯入りの小鍋と、修道院の窯で焼いた鉢を抱えて引き返した。

水分が染み込まぬよう灰を溶かした水に沈めて塗り、高温で焼き固めた灰釉の鉢だ。全体が青緑色のガラス質で均一に覆われ、湯が漏れないのはもちろん、市に出せば良い値がつく自慢の品だった。

立ち上るリンゴのような甘い香りに、バフォメットは上機嫌だ。

 

「……ふむ。カモミールか。悪くない。なかなか良い腕をしているじゃあないか」

 

悪魔は器用に大きな手で煎じ湯を取り分けた灰釉の鉢を持ち上げ、ぬめりのある表面を光にかざしてまじまじと見つめた。

 

「……それにしても、灰の沈殿をよく漉さずに液に沈めただろう。底のフチに少しダマが残っていて、せっかくの滑らかな口当たりを邪魔しているぞ」

(……くっ、私達が農園で手塩にかけて育てた羊の肉だというのに嫌がるどころか、祈りの合間に汗を流し、市に出すために手間暇かけて焼き上げた鉢にまでケチをつけるか! 悪魔の分際で貴重な薬草に、湯まで使わせるとは、この悪魔め足元を見やがって……!)

 

私が心の中で不遜な悪魔へ毒づいていると、バフォメットは音を立てずに優雅に一口含み、満足げに息をついた。貴族である私の実家で嗜む所作にも劣らない、驚くほど手慣れた手つきだ。

 

「……さて、召喚主よ。私を警戒し、一切の言葉を疑おうとするとは実に素晴らしい。正しい対応だ」

「……戯言を。お前はそうやって私を油断させ、隙を突いて魂を買い叩く気だろう」

「買い叩く? ハハハ、滅多なことを言うな。死体も珍しくない今のご時世、魂にそこまでの価値は無い。対価なら煎じ湯で十分だ。私はこれが大好きでね」

 

あんまりな悪魔の言葉に、私は羊皮紙とインクを構えたまま言葉を失った。

 

「ああそうだ、私を消すならお前たち人間が他者に自分の罪を押し付けたり、偽証で裁く事をやめればいい。それが無くなれば私の存在は少しずつ消えていく。……私のような存在は、いて良いものではないのだからな」

 

自嘲気味に呟いた悪魔は、ゆっくりと灰釉の鉢を置いた。

 

「だが、お前たちには無理だろう。『原罪』とやらは、既にイエスという男に全て押し付けた。共謀や偽証で他者に自らの罪を擦り付け、放逐や処罰を下すことも各地で行われている。お前がその気になったとしても、お前一人では意味がない」

「黙れ! お前の消し方はともかく、主の尊い犠牲や聖なる裁判を、そのような言葉で愚弄するな!」

「事実を言ったまでだ。……さて、対価は確かに頂いた。おかわりを注いでくれるなら、更に一つか二つ質問に答えてやろう」

 

私は不服に思いながらも、足元を見られている口惜しさに噛みつきそうになりつつ、鍋から注ぎ足した。

 

「……ならば答えろ。院長様から命じられている。お前は隠された財宝のありかや、金を生み出す錬金術の秘密を知っているはずだ」

「財宝のありかなら知っているぞ。地図とペンはあるか? 書き込んでやろう」

 

地図とペンを受け取ったバフォメットは、迷いなく地図の数カ所に印を書き込んだ。

 

「ずいぶん素直に教えてくれるのだな……。ではもう一つだ。街では異端者どもが怪しげな儀式で民を惑わしている。奴ら悪魔の信徒を、我々はどうやって見分ければいい!?」

「見分ける? 簡単だ。本当の悪魔の信徒なんてものは存在しない。いるのは『気に入らない隣人に異端の濡れ衣を着せたい奴ら』が殆どだ。そもそも、悪魔を信仰しようにも名前すら知らない奴が大半だろう。その悪魔とやらも、私のような例外を除けば大半が叩き潰された異教の神々だ。厳密に言えば悪魔と呼べる存在ではなく、教義なども散逸しているからおまじないやジンクス程度の物でしかない」

「な……! 戯言を言うな! どの様な物であれ、異教や異端は明確な敵だ!」

「その方が都合が良いからな。殴る相手を作れば人心をまとめやすい上に、奪う大義名分になる。お前に私を呼ばせた院長様もそうだろう? 真面目なお前を炭鉱のカナリアのように都合よく使った後、用が済めば『悪魔召喚の異端者』としてお前を家ごと処断する算段なんじゃないか?」

 

異端審問――修道士たちの書いた書物によって煽られ、拡大していくあの不吉な裁判。実際、私が見てきた審問官たちも権力に酔った品性に欠ける者が多かった。だからこそ、悪魔の言葉には嫌な説得力があった。

 

「黙れ! 院長様方のことをお前が知るはずもない!」

「私を呼ぶ奴は、だいたいそんな奴らばかりだからな。……さて、追加の対価も確かに頂いた。今日の対話はここまでとしよう」

 

【マルコの修道日記より】

 

1307年10月4日

 

本日、禁忌の儀式を執り行い、バフォメットと呼ばれる怪異を地下聖堂に呼び出した。

奴は生肉を嫌い、修道院の貴重な薬草の煎じ湯を要求してきた。不遜で図々しい悪魔め。我々が手塩にかけて育てた羊だというのに不満を持ち、挙げ句の果てには祈りの合間に汗を流し、市に出す売り物として手間暇かけて焼き上げた灰釉の鉢にまでケチをつける始末だ。厚かましいにもほどがある。

だが、奴は脅迫もせず、魅了も使わず、煎じ湯を飲みながら我々の信仰をせせら笑った。

院長様から託された「財宝のありか」にはあっさり答えたが、私の「異端退治の問い」を、奴はすべて人間の欲と身勝手さであると言い切った。

奴の言葉をすべて悪魔の欺瞞として切り捨てることは容易い。

だが、奴の言う「他者に罪を押し付ける人間の身勝手さ」という指摘に、私は何一つ反論できなかった。

我が手の震えは、悪魔への恐怖からなのか。

それとも、奴の語る言葉が、あまりにも『正論』であったからなのか。

主よ。私をお護りください。

 

追記

鍋に残った煎じ湯を頂いたが中々美味しかった。健康な身体で飲むと印象が変わるものだ。

私達より先にこの味を知っているとは贅沢な奴め。

 




用語解説

サン・ヴィクトール修道院

物語の舞台となる架空の修道院。
聖地奪還や異端審問で世間がピリピリしている中、実態は裏金や権力闘争に目が眩んだ人間が巣食う場所。表向きは厳格な信仰の場だが、中身はなかなかにドロドロしている。

バフォメット

地下聖堂でマルコに呼ばれた山羊頭の悪魔。
世間のイメージとは裏腹に、肉が嫌いで嘘もつかず、やたらと頭が切れて現実的なアドバイスをくれる。人間たちの身勝手さや欲深さには嫌と言うほど付き合っており、マルコのような召喚者は珍しかったりする。
ハーブの煎じ湯が大好き。

異端審問

教会の教えに背く者や悪魔崇拝者を裁く裁判制度。
作中どころか史実でも、本当にやばい悪魔信徒を炙り出すというより、政治的な敵対者や邪魔者を排除したり、濡れ衣を着せて財産を巻き上げたりするための便利な道具として使われている。

灰釉(はいゆう)の鉢

マルコが手ずから焼き上げた青緑色の鉢。
液体が染み込まないように灰を溶かした水に沈めて焼いてある。バフォメットに細かいダメ出しを受けたが、当時の基準では高値で売れる質の良い陶器。

ハーブの煎じ湯

沸騰したお湯でハーブを煮出したもの。実質ハーブティーである。
当時ハーブは結構な高級品なので、かなり贅沢な飲み物。現代で言う医薬品に近い物だったりする。
お高い薬を嗜好品として飲むような物なので、困ってる病人の飲む分を奪うに等しい行為でもある。

炭鉱のカナリア

有毒ガスの発生をいち早く察知するために炭鉱で飼われていた小鳥のこと。
転じて、危険な状況や汚れ仕事に真っ先に放り込まれて使い捨てにされる身代わりの比喩。
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