ようこそ実力至上主義の教室へ~女王の魂を宿す少女~ 作:仮面の観測者
翌日、学校で授業が始まった。とは言っても、最初の授業ということもあり、大半は今後の勉強方針に関する説明で占められていた。
方針説明だけで終わってしまうのは少々拍子抜けだったが、それ以上に気になったのは教師の対応だ。教室の隅で堂々と居眠りを決め込んでいる赤髪の不良生徒に対し、注意ひとつ払わないのはどう考えても不自然だった。
注意すべきだろうか……。
一瞬迷いが生じたものの、まだ登校初日の翌日、2日目だ。無用なトラブルを起こして乱闘騒ぎになるのは避けたかった。結局、今回は要観察という形で静観することを選ぶ。私はまだ、彼のことを何ひとつ知らないのだから。
特段の波乱もないまま時間は過ぎ、昼休みを迎えた。
私は一人で学食へ行こうと席を立った。一人で食事を取るなんて随分と久しぶりのことだ。胸の奥に、ほんの少しだけ寂しさが滲む。
その時、中途半端に手を挙げた綾小路と目が合った。
「と、刀祢……」
相変わらずの無表情ではあったが、その声にはどこか、路上で拾われるのを待っている捨て犬や捨て猫のような切なさが混じっていた。
もしかして、自分から誘えずに声をかけてもらうのを待っているのだろうか。
「……一緒に学食へ行きますか?」
私自身、一人で食べる寂しさに耐えかねていたこともあり、思わず手を差し伸べるような言葉を口にしていた。
「……良いのか?」
「行かないなら、私一人で——」
「行きます。行かせて欲しい」
少し意地悪な脅迫じみた言葉を投げかけると、綾小路は食い気味に返してきた。普段の様子からは想像もつかないほどの食いつきようだ。そこまで誰かと一緒に食べたかったのだろうか。……まあ、人のことは言えないが。
「そうですか。私も少々寂しさを感じていたところです。一緒に行きましょう」
「! 分かった」
表情こそ変わらないものの、どこか尻尾を振っているかのような素直さだ。まるで子犬のような懐き方だな、と密かに思う。
途中、櫛田に綾小路が呼び止められる場面もあったが、会話がひと区切りついたところで、私たちは改めて学食へと向かった。
昼休みの学食は、大勢の生徒たちで熱気に満ちあふれていた。
私と綾小路は券売機の列に並び、メニュー一覧に目を滑らせる。その中にひとつ、異彩を放つ「無料商品」——山菜定食の文字を見つけた。
無料商品……昨日、日用品を揃えるために立ち寄ったコンビニにも存在していた。この学校では、至る所にこうした救済措置が用意されているらしい。
大切なのはその味と実用性だ。ポイントの過剰消費や、第三者への譲渡といった事態によって、所持ポイントがゼロになる可能性は十分に考えられる。そんな時の命綱として機能するのかどうか、一度試しておく価値はあるはずだ。
私は山菜定食を、綾小路はごく普通の定食を選択した。山菜定食の食券を買った私を見て、綾小路は分かりやすく驚いていた。
それぞれ料理の乗ったトレーを受け取り、空いている席を探して腰を下ろす。
「刀祢は随分と質素だな。足りるのか?」
「……正直に言えば足りませんね。ですが、これが噂の山菜定食ですか。栄養バランスは考慮されているようですが、綾小路君の言う通り質素です。まあ、問題は味ですね。いただきましょうか」
「ああ……」
「「いただきます」」
手を合わせ、箸を付ける。山菜をひとくち口へと運んだ。
……独特の苦みが口いっぱいに広がる。だが、決して食べられない味ではない。山菜本来の風味と考えれば、この苦みも乙なものかもしれない。とはいえ、できることなら天ぷらにするか、調味料を加えて食べたいのが本音だった。
「美味しいか?」
「苦いですが、十分美味しいですよ。ただ、本音を言えば天ぷらにして、塩や天つゆで食べたかったところですが」
「……天ぷらか。確かに山菜には合いそうだな」
山菜を口にし、ご飯をかきこみ、味噌汁で流し込む。質素なメニューだけに、食事の動作も至極シンプルに進んでいく。
と、その時、館内に設置されたスピーカーからアナウンスが流れ始めた。
『本日、午後5時より第一体育館にて、部活動説明会を開催いたします。興味のある生徒は第一体育館へ集合してください。繰り返します——』
聞き覚えのある声……橘先輩のアナウンスだ。部活動の紹介がメインだろうが、おそらく生徒会関係者も顔を出すはずだ。
「なぁ、刀祢は部活動に入りたいのか?」
綾小路の問いに少しだけ思考を巡らせ、答えをまとめる。
「……いいえ。部活動自体にはそれほど興味はありません。ですが、生徒会の存在には少し興味がありますね」
「生徒会に入りたいのか?」
「まだそこまでは決めていません。ですが、部活動紹介の場には生徒会も出てくるでしょうから、その様子を見てから判断しようかと」
中学時代、生徒会長を務めた経験があるからこそ抱く、ほんのわずかな好奇心。ただ確信しているのは、この学校の生徒会は中学のそれ以上に重い責任を求められるだろう、ということだ。
「綾小路君は、部活動に興味があるのですか?」
「いや、無い。だけど説明会には行くつもりだ。……友達を作りたいからな」
「そうですか。……友達作り、応援していますよ」
「! ありがとう」
不器用な彼の理由はいかにも彼らしかったが、頭ごなしに否定する理由もない。私はただ静かに応援の言葉を贈ることにした。
その後も私たちは静かに会話を交わしながら、それぞれの食事を進めていった。
「「ごちそうさまでした」」
放課後。私は第一体育館へと足を運んでいた。
体育館の中は、想像以上の熱気と新1年生たちの熱気で溢れかえっていた。ここまでの人数が集まるとは予想外だったが、よく考えてみれば当然かもしれない。平田のように部活動への参加を最初から目的にしている生徒もいれば、現状を把握するために様子見で参加している生徒も多いのだろう。
「お、刀祢」
人混みを掻き分けるようにして、聞き覚えのある声が届いた。
「ん? 綾小路君ですか。来ていたのですね。それと……そちらの方は?」
視線を隣へ動かし、思わず言葉を詰まらせた。しまった。初日の自己紹介の際に教室を出て行ってしまった生徒の一人だ。顔は見覚えがあるが、名前が分からない。
「失礼、お互いにまだ名乗っていませんでしたね。私は刀祢リコと言います」
「拒否しても構わないかしら」
「はい?」
「お、おい堀北。それはないだろ」
名乗り出た瞬間にまさかの拒否である。綾小路君が慌てて「堀北」と名前を口にしてしまったが、せっかくなら目の前の黒髪の少女自身の口から聞きたいところだ。
「分かりました」
「えっ? 良いのか?」
「その代わりと言ってはなんですが、名前が分からない以上、今日からあなたのことを『ツンツン少女』とお呼びすることにしましょう」
「ぶふっ!?」
隣で綾小路君が耐えきれずに吹き出した。よほど『ツンツン少女』というネーミングが彼女の雰囲点を射抜いていたのだろう。当の仮称・ツンツン少女は、心底呆れたように深い溜め息を吐いた。
「面白くないわよ、それ」
「なら教えてください。名前とはお互いを正しく呼び合うために存在するのですから」
「……はぁ。堀北鈴音よ」
「堀北さん、ですね」
堀北鈴音——、単なる偶然の同姓か、それとも……。
『1年生の皆さん、お待たせいたしました。これより部活代表による入部説明会を開始いたします。本日司会を務めます、生徒会書記の橘と申します。よろしくお願いいたします』
スピーカーを通じて、橘先輩の声が体育館内に響き渡る。
初対面の際に感じた小動物のような可愛らしさは健在だが、壇上に立つ彼女の姿勢はピンと伸びており、生徒会役員らしい堂々とした佇まいを見せていた。
その後、各部活の代表者が代わる代わる登壇し、アピールを繰り広げていく。魅力を伝えようとする熱意や努力は十分に伝わってきた。だがやはり、私自身の心を動かし、入りたいと思わせるような部活は見当たらなかった。
「どうした?」
ふと、隣から綾小路君の呟きが聞こえた。見れば、それまで毒づいていた堀北さんの声がぴたりと途切れている。
「どうかしたのですか?」
「いや、堀北がいきなり黙り込んだ。表情も複雑で、上手く読み取れないんだが……」
「何か、気にかかるものでも目に入ったのでしょうか?」
私は気になって舞台の上へと視線を向けた。すると、壇上の奥、影の差す位置に『あの人』が立っているのが見えた。
「なるほど、そういうことですか」
「分かったのか?」
「大体は。とりあえず、今は説明に集中しましょう」
舞台の上では、各部の説明が終わり、一人また一人と人が降りていく。そして、最後に残った一人がゆっくりとマイクの前へと進み出た。
——生徒会長、堀北学だ。
彼はマイクの前に立っても、一言も発しようとしない。
沈黙に耐えかねた一部の生徒たちから「カンペでも忘れたのか」といった軽いヤジが飛ぶ。しかし、彼はピクリとも動かず、ただ冷徹な眼差しで新入生たちを見下ろしていた。
やがて、体育館の空気が一変した。
張り詰めた緊張感が波のように広がり、誰に命じられたわけでもないのに、生徒たちが次々と口を噤んでいく。喋ってはいけない——直感的にそう理解させるだけの威圧感が、そこにはあった。重苦しい完全な静寂が、およそ30秒ほど続いた。
「——私は生徒会長を務めている、堀北学だ」
静まり返った館内に、静かだが通り通る声が響く。
堀北生徒会長は淡々と生徒会の概要を語り始めた。1年生からの立候補も受け付けていること、特別な資格は不要だが、部活動との掛け持ちは原則として認められないこと。
「それから——我が生徒会は、甘い考えによる立候補など望んでいない。そのような人間は当選しないのはおろか、この学校に汚点を残すことになるだろう。我が校の生徒会には、学校の規律そのものを変えうる権利と使命が認められ、期待されている。その重みを理解できる者のみ、歓迎しよう」
威厳に満ちた演説を終え、堀北生徒会長はゆっくりとマイクを離れた。
舞台から去るほんの一瞬、彼の視線が真っ直ぐに私を捉えた気がした。
「っ……!」
一瞬息が詰まったが、周囲に悟られないよう即座に表情を押し殺す。何故、私と目を合わせたのだろうか。単なる気まぐれか、あるいは——。
『お疲れ様でした。以上をもちまして説明会を終了いたします。これより各部活の入部受付を開始いたします』
張り詰めていた空気が、橘先輩の柔らかいアナウンスによって徐々に解けていく。
あと6日経過すれば、あの堀北生徒会長と直接対峙することになる。
(実に……)
「燃えてきましたね……」
言葉が小さく漏れ出る。
底知れない能力を持つ生徒会長という人間から、どれだけの情報を引き出し、どう渡り合えるのか。私の胸の奥で、静かな高揚感が芽生え始めていた。