ようこそ実力至上主義の教室へ~女王の魂を宿す少女~ 作:仮面の観測者
第3話(加筆修正後)
私は水泳の授業が苦手だ。理由は、恵まれすぎている自分の体格にある。
得をすることもあれば損をすることもあるが、健康的な身体であることだけは確かだ。中学生の頃は随分と荒れていたから、当然その体格について心ない言葉を投げかけられることもあった。恥ずかしさや鬱陶しさはあったものの、そんな馬鹿なことを言っている暇があるなら授業に集中してほしいと冷めていたし、正直に言えば殴り飛ばしてやりたくもなった。
高度育成高等学校に入学して一週間が経過した。そして今日、いよいよ水泳の授業が行われる。一部の男子生徒たちは欲望を隠そうともせず、教室で大盛り上がりを見せていた。その品のない熱気に、私は思わず身震いをする。
時間が過ぎ、プールでの授業が始まった。女子の大半は男子たちの不躾な視線や行動に憤慨し、見学という名のボイコットを決行した。
気持ちが分からなくもない。私だって聞いていて不愉快だった。だが……安易に見学などをすれば、個人ポイントやクラスの評価にどのような悪影響を及ぼすか分かったものではない。だから私は、授業を受ける選択をした。
スクール水着に着替え、プールサイドへと足を踏み入れる。施設自体は非常によく出来た構造だ。
ふと肌に刺さる視線を感じて顔を上げると、案の定、男子たちがこちらを見ていた。私個人というよりは、櫛田を中心とした女子全体を品定めするように眺めているのだろう。……見る分には罪にはならないとはいえ、余計な口だけは叩かないでほしいものだ。
「と、刀祢……」
「あっ、綾小路君。どうか——」
返事をしようとして、言葉が途切れた。目の前に立つ綾小路の肉体と筋肉は、一朝一夕で作れるような生半可なものではない。
「物凄い肉体ですね……」
「と、刀祢は、物凄く健康的だと思うぞ」
「褒め言葉として受け取っておきます。綾小路君は何か運動をやっていたのですか?」
「堀北にも言ったが、オレは帰宅部だ。親の遺伝に恵まれたんだろう」
嘘だと言いたかったが、綾小路は徹底した事なかれ主義者だ。目立つことを極端に嫌っているのだろう。
「……そういうことにしておきます」
会話が途切れ、教師がプールサイドに現れて授業が始まった。先生は見学者の多さには深く触れず、どこか意深げな言葉を口にする。
「俺が担当するからには、夏までには泳げるようにしてやる」
「今は苦手でも構わないが、必ず克服させる。泳げるようになれば、後で絶対に役に立つ。必ず、な」
確かに夏は一番水泳をする季節だろう。だが、その言葉に妙な含みがあるように思えるのは、私の考えすぎだろうか。「必ず役に立つ」とそこまで断言できる理由は何なのか。……だが、今は思考を切り替え、目の前の授業に集中することにした。
準備運動を終え、いよいよ水に入る。久しぶりの水泳だったが、身体は覚えている通りに動いてくれた。
「早速だが、競争をしてもらう」
「1位になった生徒には特別ボーナスとして、5000ポイントを支給しよう。逆に一番遅かった奴には補習を受けてもらう。覚悟しておけよ」
突然始まった競争。自分がどこまで通用するかは分からないが、狙うべきは当然1位だ。
私は第2レースで泳ぐことになった。第1レースでは堀北がかなりの好タイムを叩き出し、暫定1位に躍り出ている。
続く第2レース。櫛田がレーンに立つと、男子たちから歓声が上がる。その中に綾小路、平田といった存在が混ざっていないのは幸いと言うべきか。
スタートのホイッスルが鳴り響くと同時に、私は水へと飛び込んだ。水流に乗る感覚を掴み、一気にコースを泳ぎ切る。ゴール後、先生が信じられないといった様子で私を見つめていた。タイムはどうだったのだろうか。
「に、25秒……だと……!?」
恵まれた高身長とリーチを活かした荒業のようなものだが、これで女子の1位は確定したはずだ。私は胸の中に湧き上がる興奮を表に出さないよう意識しながら、クールにプールサイドへ上がった。
「刀祢! お前、水泳部に入らないか!?」
「お誘いいただきありがとうございます。ですが、私は生徒会に興味がありますので、申し訳ありませんがお断りさせていただきます」
「そ、そうか……残念だが仕方ないな」
先生の勧誘を躱したあと、私は男子のレースを眺めていた。綾小路の泳ぎを見る限り、絶対とは言い切れないものの、あからさまに手を抜いている気配があった。ただ、どうせ巧みに誤魔化されるのだろうと思い、突っ込むのはやめておく。男子の決勝レースは須藤と高円寺の一騎打ちとなり、勝者は高円寺となった。
授業が終わり視線を巡らせると、綾小路が櫛田と一緒にいて、そこに池が絡んでいるのが見えた。男子の複雑な心境にはまだ疎い部分があるが、大事には至らなさそうな小さなトラブルに見えたため、深入りせずにその場を後にすることにした。
放課後。私は一度寮へ戻り、プールで濡れた体をシャワーで洗い流した。急いで身支度を整え、再び静まり返った校舎へと向かう。
「ここが生徒会室、ですか」
重厚な扉の前に立ち、一度深く息を吸い込んで心を落ち着かせる。
「……行きましょうか」
覚悟を決め、扉を軽くノックした。
「1年Dクラス、刀祢リコです」
「入れ」
室内から重厚な声が響く。
「失礼します」
応答に応じて足を踏み入れると、そこには生徒会長である堀北学と、書記の橘茜先輩の姿があった。堀北生徒会長の鋭い眼光が、私を静かに射抜く。
「そこに座るといい」
「ありがとうございます」
促された席に着くと、堀北生徒会長と橘先輩もまた、私と対面する位置へ着席した。
「それでは聞かせてもらおうか。お前の仮説とやらを」
「はい。まず初日、私は月に支給される額が10万ポイントとは限らないと申し上げました。私は現在、これが決定事項であると見ています」
「続けろ」
「毎月定額の10万ポイントでないとすれば、ポイントの支給額を決定する評価基準が存在するはずです。そこで想起されたのが、茶柱先生の『生徒を実力で測る』という発言でした。私はこの実力の正体を、生徒個々の成績、および日頃の授業態度であると推測しました」
今思い返せば、茶柱先生の言動にはあちこちに違和感が散りばめられていた。あえて示唆するような言い方をしていたのだ。学校側は、私のようにこの構造の不自然さに気づく生徒が現れるかどうかを試していたのだろう。
「次に引っかかったのは、同じく茶柱先生の『ポイントで買えないものは無い』という発言です。……つまり、遅刻や欠席の記録を帳消しにする権利すらも、ポイントによって売買可能なのではないかと考えられます」
「ほう……」
堀北生徒会長の眉がわずかに動く。
「最後に、クラス分けにおける明確な違和感です。初日に感じた座席配置の違和感に加え、本日の水泳授業での男子生徒たちの品のない騒ぎよう、さらには見学によるボイコット。お世辞にも授業態度が良いとは言えません。加えて、二日目にして早くも居眠りをする生徒が見受けられます。……初日に見かけたAクラスの生徒たちと比較すれば、私たちDクラスがどのような扱いを受けているかは明白です。まだ一週間程度の観察が必要ではありますが、この学校はAクラスを最上位とし、優秀な順に割り振られている——それが私の結論です」
堀北生徒会長の目つきが、一層鋭さを増す。横にいた橘先輩は感嘆の声を漏らしそうになり、口を開きかけた。
「す——」
「しーっ……」
称賛の言葉が漏れ出る直前、私は自身の唇にすっと人差し指を立てた。軽率に口にしていい内容ではないという意思を込めて。橘先輩ははっとしたように、慌てて両手で自分の口を塞いだ。
「さて、いかがでしょうか、堀北生徒会長。私の立てた仮説の精度は」
「……あいにく、答えられないな」
「……やはり、そうなりますか。……仮にポイントを支払いその回答を得たとしても、今度は私自身に口止めが課されることになる。ですから、この探り合いはここまでにしておきましょう」
「いいだろう。……だが最後に、一つだけ尋ねさせてくれ。進学や就職の希望をほぼ100%叶えると謳うこの学校の触れ込み……お前は本当に、それを真実だと思うか?」
「いいえ。クラスメイトたちにとっては残酷な現実でしょうが、その特権を享受できるのは『Aクラスとして卒業した者たちだけ』でしょうね。何の努力もなしに莫大な権利が得られるほど、甘い組織だとは最初から思っていません」
「……そうか。流石は中学時代、生徒会長を務めていただけのことはあるな」
私の過去をすでに把握している。この手の個人情報は、生徒会が閲覧を許される領域か。
「お前の過去を調べさせてもらった。中学で『恐怖政治』とまで揶揄される行いをしてきたお前ならば、この学校の真の構造に辿り着くのも時間の問題だったということか」
「き、恐怖……政治?」
事態を呑み込めていない橘先輩が、信じられないといった表情で私と堀北生徒会長を見比べる。
「中学校全体を生徒会長という立場から完全に掌握し、他者の自主性を削ぎ、恐怖によって支配した独裁者。圧倒的なカリスマと徹底した厳罰主義により学校を塗り替えた……それが学校側に記録されているお前の評価だ」
「概ね事実に沿っていますね。否定はしません」
「そんな……」
「……」
「ですが、私はただ、彼らが歩むべき道筋を整えたに過ぎません。最終的に自らの足で立ち、思考し、行動することにこそ意味があると考えていますから」
「……とても恐怖政治を敷いた人間の言葉とは思えんな」
無理もない。外部からの評価はあくまで冷酷な独裁者止まりだ。裏でどれほど対話を重ね、生徒たちと共に足掻いてきたかなど、記録の表面だけでは見えてこないのだから。
「橘。お前は刀祢という人間をどう見る」
堀北生徒会長が不意に隣の橘先輩へ振った。
「そうですね……失礼かもしれませんが、独裁者の言葉には思えません。それに……先ほどおっしゃっていた時、とても優しく、温かい表情をされていましたから」
「……そうですか?」
「はい!」
橘先輩は迷いのない瞳で、私の本質を真っ直ぐに見抜いてくれた。誰も知らないはずの私の内面を、肯定してくれたのだ。
「……学校側も、時に判断を誤るということか。だが、振り分けられたクラスを変更できないのもまた事実」
「っ!」
「……刀祢。お前が中学時代に何を行い、何を考えていたのかには非常に興味がある。機会があれば聞かせてほしい。……それと、これはお前の意志次第だが――生徒会の面接試験を受けてみないか?」
「会長!?」
橘先輩が素で驚きの声をあげる。堀北生徒会長自らが1年生をスカウトし、試験に推薦するなど異例中の異例だろう。
「お前には、この生徒会室に足を踏み入れるだけの資格と器量がある。あとはお前自身の決断だ。じっくりと考えてみるといい」
「……承知いたしました。持ち帰らせていただき、深く考えさせていただきます」
私は静かに席を立ち、扉の前へと向かった。
「それでは、失礼いたしました」
深く一礼し、生徒会室を後にする。
静まり返った廊下を、一人踏みしめるように歩いていく。
『学校の規律そのものを変えうる権利と使命が認められ、期待されている』
その組織を束ねる生徒会長本人から、「資格がある」と認められてしまった。
「……私にその資格があるというのなら。その重圧を背負ってみるのも、悪くはないのかもしれませんね」
西日に赤く染まる校舎の渡り廊下を、私はどこか晴れやかな心地で歩いていくのだった。
・活躍させたい分、バランスを取りたくなる。贅沢な悩み。
・生徒会役員試験→生徒会の面接試験に変更しました。