呪術廻戦に八百年余りを生きる呪術師が紛れ込む話 作:死者誤入
広がる空は澄み渡る透明な青をしている。通り雨の過ぎ去った後の、光を溜め込んだ境界のように。
砂埃一つ混ざり気のない風が一度、刈られることなく伸びていた芝生の上を過ぎ去った。
芝生の上には高校によく置かれている、生徒が座るようなしかし古びた椅子が一つ置かれ、男がそこに背もたれを抱え込むようにして座っている。
白髪をアイマスクでとどめ逆立たせ、一見すると学生服のようにも見える黒い服を着ている長身の怪人――五条悟は、現代最強の呪術師と謳われる彼は、ニヤつくようにして笑っている。
「結構いい運動になったねぇ‥‥最近デスクワーク多めでさぁ、ちゃんと体動かさないと鈍るなぁって思ってたところなんだよね」
その声には言葉を聴く者をからかうような軽薄さが滲み出ていた。
彼が口元だけ見える笑みを浮かべながら見下ろす芝生の上に、二人の男子学生達と一人の女子学生が思い思いに草木に体を預けている。
誰もが息も絶え絶えに今ここにあるのが精一杯というような有様だった。
「いや、いい運動ってか、必死に逃げてんのにつかず離れずの距離で笑いながら追ってくるのちょっとしたホラーだったんだけど‥‥しかもチェーンソー振り回してたし」
五条の言葉に、早くも失った体力が回復してきていた虎杖悠仁がそれでも疲れを隠せないままに聞き、それに賛同するように釘崎野薔薇が言葉だけで追随した。
「そうね、床から頭と手が生えてきたときは本気で殺そうかと思ったわよ‥‥」
二人の言葉に五条は一層笑みを深くする。
「ははっ、いい感じの演出だったでしょ。ちょうど昨日見たんだよねぇ、そういう感じの昔の映画――あ、仮面とか被ればよかった?」
「要りません‥‥」
三人の中でもっとも疲れ切っていた伏黒恵が即座にそう返す。
旧校舎、と呼ばれる廃墟内で三人は五条悟と積極的鬼ごっこを繰り広げた。
五条悟に触れる事が出来れば生徒側の勝ち。
リミットである一時間を過ぎれば五条の勝ち。
五条は生得術式という呪術を用いず、限定された呪力による肉体の強化のみの行動が認可され、生徒側はなんでもありというルールの元で行われた。
三人の中でも直接的な戦い方をする虎杖と、逆に遠距離から中距離を得意とする釘崎は即座に逃げを決め込み、複数の式神を使役することでの手数の多さを強みとする伏黒もまた、撹乱に秀でた兎の式を用いて逃げに走った。
三人とも最初に逃げを選ぶ。相手との距離を確保する。それだけ自分たちの前にいた男の力を信頼していた。
彼が遊び半分でも自分たちを即座に刈り取れるだけの力をもっていることを。
どこかわからないところから取り出した、まるで異次元の中からでも現れたチェーンソーの金切り音とその姿そのものにドン引いたというのもあったが。
そして結果は圧倒的優位を保ち五条悟の勝ちだった。
せいぜい時間切れ間際の三人同時の遠中近距離での波状攻撃が、五条に一瞬の口笛をもって称賛されたのみ。
それでも三人にとってみれば、現状で出せる最高の案であり五条の肌へと届く可能性がもっとも高い手段だった。
座ってあぐらをかいていた虎杖は芝生の上へと倒れ込むようにして背中を地面へと預け空を見上げる。
「あーあ、最後のはいけると思ったんだけどなぁ‥‥知ってたけどさぁ、五条先生強すぎでしょ!」
「まぁ、僕、最強だしね」
釘崎が湿度の高い視線を、ニヤつく五条へと向ける。
「うわぁ、ウザー‥‥」
「でも、五条先生も最後の方は少しだけ纏ってる呪力を強めてましたよね?」
伏黒のその言葉に五条は今日見せた中で一番の笑みを浮かべた。
「あ、気がついた? さっすが、恵、良く見てるぅ!」
「ホント、最後の最後でしたけどね‥‥」
授業ということで力をセーブしている五条悟の顔を驚きに染めるという、校舎を逃げていて再び集合出来た三人で勝手に決めた自分たちのもう一つの目標自体はクリアしたようだった。
そういう意味では三人の体を襲う倦怠感も、どこか心地がよいものだろう
会話も一段落を終え、風が四人の間を涼やかに通り過ぎる中、突然思い出したように虎杖が体を起こし右掌を上げて質問した。
「あ、そうだ、五条先生、質問があるんだけど!」
「ん? 何かな? 悠仁」
「先生はさ、特級呪術師って奴なんでしょ? だったらさ、日本には何人の"特級"呪術師がいんの?」
「あー‥‥それねー、悠仁達にはまだ教えてなかったっけ」
五条はアイマスク越しに視線をわずか斜め上と向け空を見たあとに、虎杖を見据えて右手の指を"四"本立たせた。
「いま日本にいる特級呪術師は、僕を含めて四人存在してる。そのうちの一人は――恵、知ってるよね」
「乙骨先輩、ですよね?」
「そ! 乙骨憂太。東京高専のニ年で君らの先輩! まぁ憂太に関しては後で恵に聞くといいよ。仲、良かったよね?」
「はい、とは言っても最近は会ってないんですけど」
「憂太も色々忙しいからねぇ‥‥特に最近は呪霊絡みの事件がなーんか多くなってきてるし。っと、まぁ、それはいいとして。んであとは九十九由基っていう‥‥あー‥‥お姉さん‥‥?」
「‥‥? なんでそこで疑問系なのよ?」
「いやまぁ‥‥僕がまだ君達くらいの学生の頃からお姉さんだったからさぁ‥‥」
「先生、いま何歳よ?」
「二十八」
「ってことは十二、三年前ってこと? まぁ、それくらいなら体質とか化粧とかでイケるでしょ」
「いやアレはもう化粧とかそういうレベルじゃ‥‥いや、まぁいいや‥‥あんまり喋ると僕が殺されそう」
「最強なのに?」
「最強でも勝てないものはあるんだよ」
「五条先生、その人、いま何してんの?」
「さあ? どこにいるのかすら、僕、知らないんだよねぇ‥‥ほんと、根無し草みたいな人でいっつも世界中渡り歩いててさぁ‥‥たまに会うと女の好みを聞いてくる、みたいな、まぁそんな感じ」
生徒は三人それぞれに、微妙な顔をして五条を見つめた。
「なにそれ?」
「‥‥」
「へ、へぇ‥‥アレ? なんか最近、似たようなことをどこかで聞かれたような‥‥あれ?」
四人の間を吹く、先程までは涼やで爽やかなだけだった風さえもが今や寒々しかった。
虎杖が一人、誰に九十九由基と同じ言葉を言われたのかを思い出そうと腕を組みながら頭を悩ましている中、釘崎が声を上げる
「それで四人目は? もう一人、特級呪術師がいるんでしょ? どんな奴よ?」
釘崎の問いかけに、それまでの軽い口調を下げて五条は語る。
「そうだねぇ――四人存在する日本の特級呪術師の中でも、いや恐らくこれまで存在していた特級呪術師の中でも、もっとも古くもっとも邪悪な人物の一人ってとこかな」
獣じみた感覚からか、すぐさま違和感を感じ取った虎杖が釘崎の疑問を引き継ぐ。
「‥‥名前は?」
五条悟はたしかに真面目にその名を口にした。
「"真改"ただ彼はそう呼ばれている」
短く告げられたその言葉に、虎杖は其の者を表す漢字が頭に浮かばないのか、ふわふわとしたイントネーションで彼の者の名を口にした。
「しんかい? 新海? え、アニメの監督?」
対象的に伏黒は正しく真改の名前を認識する。
「真改。たしか、江戸時代前期の有名な刀鍛冶の名前ですよね」
「そ、でも関係ないと思うよ。ただ彼が自分でそう名乗ってるだけだから」
「どんな奴なのよ?」
釘先の言葉に僅か五条は悩むように言った。
「さぁ?」
「さぁ? って‥‥あったことあるんじゃないの?」
「あるよ? けどその時僕は七歳くらいだったからさ。殆どわかってないんだよねぇ‥‥ただ、アレは化物だってことは断言できる」
それまで快活さやからかい、あるいは楽観的な声色だった五条悟の声はそこで急転直下し、冷たいものへと変わっていた。
「僕のこの目、六眼ですらアレを正しく認識できなかった。まるで――そう、まるで真っ黒に塗りつぶされた魂を見ているようで、けど、実際は真っ黒ではなく沢山の色が個別に一度に一人の存在の中に閉じ込められてるような、そういう感覚‥‥後にも先にも今でさえ僕の目が完全に捉えきれなかったのは彼だけだよ」
食傷気味とでもいうように虎杖が軽く舌を出す。
「うへぇ、それ聞いてるだけだけでも化物チックじゃん――でもさ」
そのまま思いついたように真顔に変わり、五条悟の隠された瞳を真正面から見据える。
「五条先生とソイツ、真改だっけ? はどっちが強いの?」
一瞬、あっけに取られたように口を開けた五条悟はすぐさま笑いをこぼし立ち上がった。
そうして生徒たちを背後にし、振り返るようにして宣言する。
「そりゃ僕でしょ。だって僕、最強だし?」
嬉しそうに笑みを見せる虎杖と、当然の回答だとばかりに目を閉じつつ口元には笑みを残す伏黒を横目に、釘崎が半目になり漏らす。
「やっぱウゼー‥‥」
こうして釘崎の言葉が空に消える同時に、授業の終わりを知らせるチャイムの音が山にこだまするようにして周囲に響き渡った。