呪術廻戦に八百年余りを生きる呪術師が紛れ込む話 作:死者誤入
燦々たる太陽の透明な光の底で、潮の香りがし、波が寄せては返す音が流れている。砂浜は一層清潔で人間共が糞のように垂れ流す塵芥の一つも落ちていない。
ただ緑を伸ばすヤシの木の葉が一、二枚と砂の上に落ちているだけだ。
そのプライベートビーチとでも言うべきの、閉鎖された空間――領域に、まるで人間の観光客のように赤と白とが眩しいパラソルを砂地に立てて、耐水性のビーチェアが置かれている一角に四人の呪霊と一人の呪術師とが集っていた。
山の中腹に目玉が浮かんだような頭を持つ特級呪霊――漏瑚がヤシの木の影に座りながら、特定の誰に語りかけるわけでもなく囁くように言った。
「‥‥しょせんはただの器と、あの宿儺の入れ物を侮ったのは不味かったな」
漏瑚と同じようにヤシの木の影に入り、彼のすぐ側に立って控えていた、白い巨体をもつ花御が返す。
およそその声は人にも呪霊にも認識出来ないような声と言語体系であったが、直接的脳内に響くようにして女性の声が同時並行し通訳するかのように頭蓋に響く。
「すみません漏瑚。油断をしていたつもりはなかったのですが‥‥」
その体の左半身をまるで吹き飛ばされたように穿たれた花御はしかし、前日に起きた闘いのダメージを回復しきってはいないものの、それでもさくじつに比べれば相当に快癒はしてきている。
その姿を見、漏瑚は一つしかない目の瞼を細める。
「いや花御、気にするな。お前のせいではない。今回は予測不能な事態が起き続けただけだ。まさか、お前と殴り合える程に宿儺の器が急成長し、ましてやその状態の奴と同等以上の者が居合わせるなどとは誰も思わん――宿儺の器と共にいたのはどんなやつだったのだ?」
「一言で言えば‥‥変態です。いえ、変質者、でしょうか」
花御のその言葉に、人と変わらぬ姿をしている真人と呼ばれる呪霊が笑いながら言った。
「アハハハ、それ言ってること殆どおんなじじゃん! そーいうの気にしなそうな花御に言われるとか、どんだけ気持ち悪いやつだったんだよ!」
真人はツギハギを顔に走らせ、灰色の髪と病的さを残す白い肌をしている。その笑い方は、人の悪意を煮詰めたようなものだ。善良な人が見ればそれだけで軽蔑するような。
しかし仲間に対してのそれであるから、大分に希釈されてはいたし、むしろ純粋そうなものではあった。
砂浜で、陀艮という、人よりも一回り程に大きなタコのような姿をした呪霊と共に砂の城を作って遊んでいた彼は、砂のついた手を叩きながら立ち上がると、漏瑚と花御、両者へと近づいていく。
それに釣られるようにして、陀艮もヌルヌル動き四人は一箇所に集まった。
陀艮は花御の側へと近づくと言った。
「はなみぃ、まだ、いたいぃ?」
ニュルニュルとした赤くも太い触手を伸ばし、傷ついた花御の体を労るように触れる。
「いえ、もう痛みは殆どありませんよ陀艮。ありがとうございます」
そう嘘を言いながら花御は残っていた右腕で、陀艮が被るフードの上から頭を撫でる。
「ぷしゅるるるるるぅぅううう‥‥」
気持ち良さそうに陀艮はその大きな双眼を細めた。
四人の側でビーチチェアに体を預けている夏油傑を名乗る呪術師が言った。かけていたサングラスを外しながら。
「私もあの時点で虎杖悠仁があそこまで覚醒するとは予想していなかった。いや、どうやら警戒するべきなのは五条悟だけじゃなかったみたいだね。もちろん、彼と比べれば天と地の差ではあるけれど」
夏油はハイビスカスが刺繍された青いアロハシャツ、という、なんともこの海の空間に似合う、そしてだからこそ五人で話し合っている、殺した殺された、戦った負けたと血なまぐさい会話にはある意味そぐわない姿をしていた。
予想が外れた、と言いながらもその顔には余裕とむしろ好奇心の為か笑みさえ浮かんでいる。真人のようなツギハギが一線ある額を、意識を集中させる為にカリカリと掻く。
その姿を一瞥し、暗い瞳を真人は夏油に向ける。それは他の三人に対する視線とは違い、侮蔑と嘲りと殺意とがないまぜになった真っ黒な感情を孕んだものだった。
しかし、それも一瞬のこと。すぐに真人は笑顔を貼り付け漏瑚達に向き直る。漏瑚や花御はその視線に気がついても何も語らず、陀艮にいたっては気が付かず、夏油は気がついてもなお面白そうに笑っている。
「ふーん‥‥ま、五条悟は無理でもさ、やっぱり虎杖だけでも先に殺しちゃおうよ。大丈夫、前回はダメだったけど、俺に任せてくれればグチャグチャにするからさぁ。宿儺とかいらないらない。俺達には獄門疆もあるんだしさ、俺達なら出来るって! そうだろ? 漏瑚?」
真人の言葉に漏瑚は息を一つ吐き出して、腕を組むと単眼の視線動かし彼を見据える。
「そうは言うがな真人。そもそもお前の術式は宿儺の器には使えんのだろう? 奴の中に居る宿儺本体に干渉してしまう、と言っていたではないか?」
「アレー‥‥ソウダッケー?」
真人の感情としては、娯楽的な考えと花御の仇討ちが三割づつ、そして虎杖悠仁への殺意が4割というもので占められている。
真人は享楽的に行動をする部分がある。まるで子供のように、愉しいという事は、彼の行動原理の中でそれなり以上の割合を占める。
たとえ後から苦しむのが分かっていても、夏休みの宿題を後回しにし、ソーダ味の青いアイスを夏の暑さの道連れに、自転車に乗りながら友人達と遊びにでかけてしまうようなそういう感覚。
漏瑚や花御と比べて産まれてからそう時が過ぎていない、それこそ子供から大人になりたてのような存在であるからこその行動規範なのかもしれない。
「まったく、お前と言うやつは、どうしてそう落ち着きがない」
子供を叱りつける親のように漏瑚がそう言った言葉に対し、真人はやはり善良な人が嫌う笑み浮かべる。
「いいじゃんいいじゃん。それが俺だし。ま、どのみち花御と戦ったって奴は生かしておかないけどね。もちろん虎杖もだけど」
「真人! 虎杖は宿儺復活のための重要な素材だ。そうそう殺すことは許さんぞ!」
半身動かし手を砂浜につき、ヤシの木の影から僅かに体を太陽の本に晒しながら、漏瑚は真人へと食い下がる。
だが真人はその姿になんら感じ入ることもなく、むしろただただイタズラを止められた子供のように、眉をしかめつつ笑みは崩しながら、それでも続ける。大袈裟に身振り手振りを添えて。
彼等の目的を。彼の夢を。漏瑚が語り、花御が受け入れ、陀艮が付き従い、そして真人がそこに至るまでの過程にこそを愉しみにしているそれを。
「えぇ‥‥俺達なら宿儺なんて居なくても出来るって。俺達が人間になる世界だっけ? 人間のいない世界を――」
――そこまで真人が続けた所で、近くで何かがグシャリと潰れる音がした。とても乾いたしかし同時に潤ってもいる何かが潰れたような音。ザラザラと崩れていく何か。
音の発生源は先程、真人と陀艮が砂の城を作って遊んでいた砂浜からだった。
彼等が作った城は踏み潰されて原型を留めていなくなっていた。実際、砂の城は夢が覚めるようにして崩れ去っていた。
「あ?」
最初にそう声を発したのは真人だった。自分と陀艮とが作った作品が何者かの足蹴にされて崩れていることを自覚した。それ自体は、いい。だが陀艮と――仲間と作った物が壊れている、壊されているということには不快感を覚えたし、怒りのようなものも現れた。
だが最初に彼の心を満たしたのは疑問と困惑だったことは否めない。怒りはそれを追うようにしてやってきただけだった。
「‥‥何者だ貴様」
低く鈍くしかしだからこそ鋭い声で漏瑚が唐突に現れた存在に問いかける。花御は不格好となり疲労を強く残す肉体を、それでも臨戦態勢へと移行し、陀艮はそんな花御の後ろでプルプルと震えていた。
そして夏油は――夏油傑を名乗る呪術師は、観察するような真顔にも近く警戒にも近い表情で唐突に現れた闖入者をビーチチェアから体を起こして見据えていた。
五人が、いや、新たに現れた一人を含めた六人が今いるこの空間は、この太陽と海と砂浜に満たされた空間は自然に作られたそれではない。そもそも現在は時刻で言えば深夜にあたる。太陽の光が意気揚々と降り注いでよい時間ではない。
そんな天地の理をひっくり返すような、そういう回転をさせる力、自身の支配領域を生み出す呪術の最奥の力。
ここは陀艮が生み出した陀艮が支配し陀艮を神とする一つの世界。決して他者が外から簡単に入れるような空間ではない。
無理矢理にでも入ろうとすれば、確実にこの領域世界そのものに文字通り亀裂が入る。
だが領域内には穢れもヒビも一つもない。ただいつもの光景が広がるばかりだった。
だがそれこそが呪霊達を警戒させるに至っている。
普通のやり方ではない。
目の前に居る、古びた、いっそ廃れたと言っても言い程に摩耗した和服を着、砂浜に立ちてかつて砂の城だった今は砂の塊を足蹴にし踏みにじっているそれは何者か。
誰もその答えを知らない。否。知らないし、語ろうとはしない。ただ夏油傑を名乗る存在だけが四人の呪霊が目の前の存在にあっけに取られている中で、笑みの溢れかけた口元を手で隠しただけだった。