呪術廻戦に八百年余りを生きる呪術師が紛れ込む話 作:死者誤入
踏みにじる、踏みにじる。
彼等の信念と砂の城とを同期させるようにして、見せつけるようにして踏みにじる。
己が足の裏と砂の大地とを顎として、彼等の心や矜持其のものをすり潰すように踏みにじる。
先程まで和気藹々と作っていた物を、無価値と踏んで踏みにじる。
愉悦。
人間が人間として持っている邪悪さ悪辣さ。
己より下位存在を嬲るのは楽しい。己より上位の存在に挑むのとは違う快楽がそこにはある。
真改という人間は五条悟が評したように、間違いなく邪悪な存在だった。
人間であることで見つめ得られるおおよその善行を行い善果をもたらしてきた反面、同等の悪を行い悪果を得てきた存在だった。
彼の中では嬲ることも人を愛することにも対して違いがない。愛も憎しみも所詮は根を同じくするものと嗤い、善悪どちらの陣営に身を寄せようとも、必死に生きた人間が行うのならばそれを肯定出来た。
人を救うことも人を殺すことも。
真改本人が己を人間である、と結論を付けたとしても、その極端なまでの包容力とでも言うべき価値観は、もはや皮肉にも人のそれではなかった。
潔癖なまでの人間主義。善悪関わらず必死に生きているならばそれを認めるという。
人間に代わるこの星の支配者として存在することを願う、特級呪霊達の方が余程に純粋と言えるだろう。
少なくとも彼等は己らの身勝手極まりない正義を信じているのだから。
「くふっ‥‥」
呪霊達のその在り方を直で見て、真改は心底から嘲笑う。心より先に肉体が反応し、嘲笑いが吹き溢れる。
「呵呵ッ‥‥!呪霊ごときが人間になるとは、大言を吐くものよ。壮語を語るものよ。人にはなれず、純粋な呪霊ですら居られぬ、誰でもない半端者の挑戦者が」
真改は彼等が別に言葉のとおりに人間になるの宣言しているわけではない事は知っている。あくまでもそれは方便であり、人がはびこるように呪霊が地平を埋め尽くす。それを人になる、と語っている事は理解している。
だが、伊達に彼は八百年を生き、移動する災厄として悪意と善意を振りまいてきたわけではない。心の機微というものに、皮肉にもそうやって生きてきたからこそ近しい。
「お前たちは嫉妬しているのだろう? 人間に。人間の在り方に。いやいや、そんなはずはないと、彼奴らのような悍ましき弱い"群れ"に、なにゆえ我らがそのような感情を抱かんや、と想い焦がれているのであろう?」
以前からの知己のように語り始める真改の言葉を呪霊たちはしかしただ聞き入ることしか出来なかった。少なくとも今このときは。下手に動けばどうなるか知れない。
「違うのだ‥‥違うのだ呪霊よ‥‥お前たちは気がついていない。まるで赤子のようだ。いやいや、気がついていてなお、気が付かぬフリをしているのか? 気がついてしまえばもう大地に根をおろし立ってなどいられないから」
再び真改は心の底から呵々と嗤う。勝手に呪霊達の存在の真贋を睥睨し、感じたままの言葉を嘲りと共に自然に口から発する。
「人でも呪霊でも言葉というものは信じがたいものよ。愛の為に命を捨てると粋がった身投げ者が命を惜しみ、お前だけを愛すと言った者が他の誰かに劣情を向ける――いやさそれは愛するべき感情のブレである。
人間も呪霊も、知恵をもち知識を蓄え言葉を話し、文字を書き記す者は、言葉の選択にこそその者の本質が産まれる。
人間を滅す。と、ただそうのたまえば良いのだ呪霊達は。しかしそうではない。人間に代わると言ってのけた。たとえその先に人間という者たちの殲滅があったとしても、それは正しく人間に憧れている者の言葉の繰り方だ。
「‥‥」
唐突に現れた真改の言動に対し、漏瑚は返す言葉を持たなかった。否、返す言葉は星の数のようにもあれどしかし言葉を紡げない。
ただ漏瑚は右掌に炎を宿し灯らせて腰を低く構えていつでも飛び出せるようにし、満身創痍でなお耐久に優れる花御は震える陀艮の前で、庇うようにさらに一歩前へと出るだけだった。
自分たちの夢を誇りを嘲り笑う者を目の前にして、しかし幼い精神を持つ陀艮はおろか、心身ともに成熟した呪霊である漏瑚も花御もそれ以上動くに動けない。
否。成熟しているからこそ臨戦態勢以上の動きを見せられない。
これはなんだ? この目の前に佇む人の形をしたナニカは。
黒い髪――短い髪の毛、汚らしい和服、傷だらけの肌。
肌以外はそこらに居る虫けら達と何もかわらない。学生服でも着せて傷を隠して小奇麗にすれば学び舎にでも通っていそうだ。
だが明らかに違う。異質な空気をソレは持っている。
そのおぞけはどこからやってきた?
古めかしい喋り方から?
否。
狂気染みた笑い声から連想した?
否。
それはそこにあり、あるだけでまるで引力のように視線をひきつけ理解させられる。
これは化物だ、と。
漏瑚も花御も己をただの胡乱な存在などとはおもっていない。それは慢心ではなくただの純然たる事実である。並み居る特級を冠する者たちと比較してすら、己たちはその段階にすらいない。
それはそうだ。
元になった畏れが違うのだ。
自然。
この国でもっとも恐れられる災害への恐怖。それが長い月日を持ってして、怨嗟の声と信仰の想いを畏れとして集約しつくして産まれたのが己らなのだ。
それはもはや神が産まれるのに等しい。産土神、土地神、時折人が生贄でもってしてようやく沈め奉らんとする自然発生の呪霊――時には神と崇められる。
それに最も近く、しかし束縛されずにそれらよりも強大で自由な存在が自分たちなのだ、と。
ただびとの人間はなどもっての他で、なまなかな呪術師では自分たちを祓うことなど出来ない。嘲笑いの中で濡れ紙を破くが如くに殲滅することが出来る。
だが目の前のこれは違う。
二級はおろか一級の呪術師ですら相手になどならず、特級呪術師でもなければ自分たちの敵にはなりえない。
そんな事はわかっている。存在するだけで己らに一歩すら踏み出せないようにしているこれは、特級に値する呪術師なのだろう。
口ぶりからしても呪霊ではなく人間なのだろう。
――本当に?
これは本当に人間なのか?
それにしてはあまりにも存在そのものが――異質に過ぎる。
「‥‥もう一度聞く、貴様は何者だ? どうやってこの領域に侵入した?」
普段の漏瑚ならば文字通り頭を噴火させ、顔を真っ赤にし、言葉を吐いた人間がなんであれ滅ぼしにかかったであろう。しかしいま、漏瑚の心は水面に全く揺れがないように落ち着いていた。
すこし前、侮り、怒りに任せてこういう化物と対峙したことがある。
五条悟。
あの怪物との戦闘経験と、目の前に存在する化物とを照らし合わせ、漏瑚を冷静にさせる。何よりもぼろを纏った化物は、その力を隠そうともしていない。
そもそも漏瑚達呪霊組は大なり小なり困惑もしていた。いきなり領域内に現れて、嘲る言葉を持って対峙されたものの。ただあるのは警戒という感情だった。
「くッふふ‥‥侵入などしていないとも。
この領域が展開されるその始まりから、近くに居たのだと真改は語る。だがそれもおかしなことだ。そうであるのならば領域の展開主たる陀艮が気づかぬ筈もない。
このような化物がいたなどと。少なくとも真人と共に砂の城を作っている余裕はなかったはずだ。
花御が僅か頭だけで後ろをふりかえる。
「‥‥そうなのですか? 陀艮?」
陀艮は花御の言葉に、体を左右に振ることで否定を示した。プルプルと。
「呵呵呵‥‥そやつには感知出来てはいまいよ。ただの羽虫か地虫かと誤認したに違いない故」
笑う真改と警戒心を顕にする呪霊達。しかしその中にあって唯一、畏怖や恐怖や歓喜もなく、肉体と魂とを行動せることが出来る者がいた。
真人である。
彼は漏瑚達のように成熟してはおらず、かといって陀艮のような幼な過ぎることもない。悪戯好きの学徒がしかし悪事を働くように、この場に居るどの呪霊よりも純粋な悪意で動くことが出来た。
それは皮肉にも真改が人間未満と嘲う、人間モドキの中にあってなお、人への畏れから発生した呪霊故の性質であった。
「どーでもいいよ! コイツが何処からやって来たとかさ! 大事なのは俺達のプライベートビーチにコイツがのこのことやって来て俺と陀艮が作った砂の城を踏み潰した挙げ句、俺達を嘲笑ってる。つまり殺す動機は積み上がってる。いや、無くてもさっさと殺せばいいんだよッ!」
真人が中腰に体をかがめて真改へと向けて走り出す。ゆらゆらと左右に不規則に動きながら。それは相手の攻撃をかわしやすくする為であったが真改からの攻撃はいっさいなく、予測された反抗も起きない。
「よせっ! 真人!」
漏瑚の静止の声を振り切り、目指したその懐へと真人は辿り着く。
「ひひっ‥‥とった!」
今後こそ極限に溶け出した三日月のような悪辣な笑みを浮かべ、真人は真改の胸へと触れて囁くように言った。これから身の毛もよだつ悍ましき肉塊へと至る哀れな犠牲者へと精一杯の愛を込めて。
「無為転変‥‥!」
が、しかし、開かれた和服の胸元から確かに肌に触れたはずの、そして正しく呪力を用いて術式を解放したにも関わらず、何事もなく代わり映えのしない一日を過ごすように真改はその場に立っていた。
「は?」
言葉より先に、術式よりも先に、真人は魂で違和感を感じ取っていた。
――なんだこれ? 気持ち悪い‥‥
普段、人間を見た時にしか感じないような強烈な嫌悪感。群体となった百足や蜘蛛やら。
――をかんじ取ったのは一瞬のことで、すぐさま真人は吹き飛ばされ、漏瑚たちの背後で風に揺れ動くヤシの木の幹へと叩きつけられていた。