アーク製薬会社 作:ai試し2
翌朝。
大学の会議室には、クリス、ジル、スティーブ、レディハンク、シェリーの五人が集まっていた。
朝の光が窓から差し込む一方、机の上には昨日までに使われた地図や資料が残されている。テラグリジアでの戦いは続いているが、少なくともこの部屋にいる間だけは、次の行動を落ち着いて決めることができる。
スティーブは手にしていた資料を机へ置いた。
「まず、EU本部からの指示についてだ」
その声に、四人が顔を向ける。
「今のところ、具体的な命令は来ていない」
「何も?」
クリスが聞き返した。
「ああ」
スティーブは椅子へ背を預けることもなく、いつもの調子で答えた。
「ただ、一人でも多くの生存者を保護しろって方針だけは出ている」
それを聞いたクリスは、短く頷いた。
それなら、やることは変わらない。
敵を倒すだけではない。街のどこかで助けを待っている人間を見つけ、できる限り安全な場所へ移す。それも自分たちの役目だった。
「だから、俺たちは今までどおり動く。道路の掃討も、生存者の捜索も、できる範囲で進める」
スティーブはそう言って、次の資料を広げた。
「それと、第三病院と大学の間の移動についてだ」
地図上に描かれた二つの施設を指で示す。
「道路の掃討が進めば、徒歩での移動はできるようになる。ただ、生存者や物資を運ぶことまで考えると、それだけじゃ足りない」
「車両が必要になるな」
クリスが言った。
「そういうことだ。ただ、装甲車はない」
スティーブは一度、地図から顔を上げる。
「だから、使えるバスを確保して移動に使うことになるだろう」
「バスか」
クリスが繰り返す。
ジルが地図へ顔を寄せた。
「ホテルと第一病院、第二病院の間では装甲車を使っているけど、第三地区まで回せる道路がないのね?」
「ああ。空輸も難しいそうだ」
スティーブは頷いた。
「現地にあるものを使うしかない」
レディハンクが地図を覗き込みながら口を開く。
「それなら、バスの状態を見てきたほうがいいね」
「そうだな」
スティーブは彼女へ視線を向けた。
「使えそうなバスがあるか、燃料を保管できそうな場所があるか調べてくれ」
「任せて!」
レディハンクが元気よく答える。
シェリーもその隣で頷いた。
スティーブは続けた。
「燃料についても現地調達だ。放置車両から確保するか、使えるガソリンスタンドがあればそこから取る」
「かなり現場任せだな」
クリスが苦笑する。
「今の状況じゃ仕方ない。なんせ、第三地区は陸路でまともに繋がってない」
スティーブも肩をすくめた。
クリスは地図を見下ろした。
第三病院と大学。
その間を結ぶ道路。
そこが通れるようになれば、人も物資も今よりずっと動かしやすくなる。
「バスを使うなら、護衛も必要ね」
ジルが言った。
「ああ。前後を車両か徒歩の部隊で固める」
スティーブが頷く。
「特にトライコーンには注意したほうがいい」
クリスの表情が引き締まる。
遠距離から骨の棘を飛ばしてくるトライコーンを相手にするなら、装甲がない輸送車両だけでは心許ないが仕方ない。
「避難民が歩かなくて済むだけでも、かなり違うだろうな」
スティーブは資料をまとめた。
「俺は今日も第三病院に駐屯する」
そこでレディハンクが手を挙げた。
「じゃあ、私の部隊は車両と燃料のチェック!」
「頼む」
スティーブが即答する。
「何か見つけたら無線で知らせてくれ」
「了解!」
レディハンクが胸を張る。
その隣で、シェリーが笑った。
スティーブはそんな二人を見てから、クリスへ向き直る。
「それで、BSAAはどうする?」
クリスは地図へ目を落とした。
「道路の掃討を続ける」
「昨日の続きね」
ジルが頷く。
「ああ。少しでも先へ進めておきたい」
クリスはそのまま五人全員へ聞こえるように続けた。
「俺とジルは午前中、第一候補の道路を掃討する。道路の状態と生存者の有無も確認する」
シェリーが頷く。
「分かった」
レディハンクも地図へ目を落とした。
「私たちはバスと燃料を確保する」
「そうだ」
スティーブが答える。
「それぞれ、進捗は無線で報告してくれ。何かあれば連絡を頼む」
全員が頷いた。
これで、今日の役割が決まった。
「じゃあ、俺は第三病院へ戻る」
スティーブが席を立つ。
「明日、何もなければ朝にまたここへ来る」
「気をつけてくれ」
クリスが声を掛ける。
「ああ。そっちもな」
スティーブは短く返し、会議室を出ていった。
レディハンクもすぐに立ち上がった。
「じゃあ、私たちも行こう、シェリー!」
「うん」
二人も会議室を出る。
最後にクリスとジルが立ち上がった。
「行きましょうか」
「ああ」
クリスは装備を確認する。
今日も道路の掃討が始まる。
大学と第三病院を繋ぐための道を少しずつ広げ、生存者を探し、避難と物資輸送のための手段を整えていく。
派手な作戦ではない。
それでも、テラグリジアに残された人々にとっては、一歩ずつでも確実に必要な仕事だった。
二人はBSAAの隊員たちが待つ場所へ向かい、出発の準備に取りかかった。
◆
昼を過ぎると、午前中の道路掃討を終えたクリスたちは、いったん大学へ戻っていた。
中庭には簡易的な食事場所が設けられ、BSAAの隊員たちはそこで昼食を取っている。大学に避難している人々も同じ場所で食事を受け取り、EUの守備隊や現地警察の隊員たちも、それぞれの持ち場へ戻る前に短い休息を取っていた。
数日前までなら、ここにいるBSAAの隊員たちにとって、テラグリジアは未知の戦場だった。
しかし、実際に街へ入り、何度もウーズと交戦したことで、その感覚は少しずつ変わってきている。
ウーズが潜んでいそうな場所。
建物の中で特に警戒すべき場所。
道路を進む際に視線を向けるべき死角。
これまでに得た情報と実戦経験が積み重なり、隊員たちは自分たちで危険を予測できるようになっていた。
最初の頃と比べれば、動きにも明らかな余裕がある。
だからこそ、今の中庭には妙に穏やかな時間が流れていた。
外では依然としてB.O.W.が徘徊している。
それでも、この場所だけを切り取れば、とても大規模なバイオテロの真っ只中にあるとは思えない。
避難民が食事を受け取っている。
EUの隊員が行き交っている。
その中には、現地警察の制服姿も混じっていた。
クリスは昼食を取りながら、そんな光景を何気なく眺めていた。
そして――ふと、人の流れの向こうへ目を向けた。
一人の男が歩いている。
金髪。
後ろへきっちりと撫でつけられた髪。
黒いサングラス。
黒い服に覆われた身体は、衣服の上からでも分かるほど鍛え上げられている。
クリスの手が止まった。
「……」
見間違えるはずがなかった。
忘れられるはずもない。
あの顔を。
あの男を。
手にしていた昼食が、力なく膝の上へ落ちる。
「クリス?」
隣にいたジルが異変に気づいた。
「どうしたの?」
クリスは答えない。
ただ、男だけを見つめている。
その視線を追ったジルの表情も、次第に変わっていった。
「……嘘」
小さな声が漏れる。
男もこちらに気づいたらしい。
足を止め、黒いサングラスの奥から二人を眺めている。
その立ち方。
その仕草。
何もかもが、記憶の中に残っている男と重なっていた。
クリスの脳裏に、過去の光景が一気に蘇る。
ラクーンシティ。
S.T.A.R.S.
そして南極。
自分たちの前に立ちはだかった男。
何度も戦い、何度もその存在を追い続けた相手。
クリスは椅子を蹴るように立ち上がった。
「クリス!」
ジルが呼ぶ。
だが、クリスはすでに歩き出していた。
一歩。
さらに一歩。
男との距離が縮まっていく。
周囲の人間など目に入っていなかった。
なぜ、ここにいる。
あの男が、なぜ――。
胸の奥から湧き上がる怒りを抑えきれない。
「……ウェスカー!」
クリスの声が中庭に響き渡った。
周囲の空気が一変する。
食事をしていた避難民たちが顔を上げ、EUの隊員や現地警察官も一斉に振り返った。
近くにいたBSAAの隊員たちも異変に気づき、立ち上がりかける。
「クリス!」
ジルが急いで追いつき、その腕を掴んだ。
「ここには大勢の人がいるのよ。こんな場所で騒ぎを起こしたら危険だわ」
「離してくれ」
クリスの目はウェスカーから離れない。
「クリス!」
ジルが強く呼びかける。
しかし、クリスはその手を振りほどいた。
ウェスカーは逃げない。
身構えもしない。
ただ、その場に立ったままクリスを見ていた。
むしろ、どこか面白がっているようにさえ見える。
やがて、クリスが目の前まで迫った。
「……貴様」
低く、押し殺した声だった。
ウェスカーはそんなクリスを前にしても、表情を変えなかった。
「久しぶりだな、クリス」
あまりにも穏やかな声だった。
まるで、かつて敵として殺し合った相手ではなく、久しぶりに再会した旧友へ声を掛けるかのようだった。
その余裕が、クリスの怒りをさらに煽る。
周囲のざわめきが大きくなっていく。
ジルも警戒しながら周囲を見回した。
ここには避難民がいる。
EUの隊員も、現地警察もいる。
不用意に事を起こせば、巻き込む人間が多すぎる。
そのことだけは、クリスにも分かっていた。
それでも、目の前にいる男を許せるはずがない。
そのときだった。
「あら?」
背後から女の声がした。
クリスとジルが同時に振り返る。
「兄さん。友達かしら?」
二人の後ろに、一人の女が立っていた。
クリスもジルも知らない顔だった。
女は二人を気にする様子もなく、ウェスカーへ視線を向けている。
ウェスカーがわずかに口元を緩めた。
「似たようなものだ」
その答えに、女は小さく笑った。
クリスは無意識に周囲へ視線を走らせた。
いつの間にか、自分とジルは二人に挟まれる形になっている。
しかも、周囲には避難民がいる。
EUの隊員たちもこちらの様子を窺っている。
ここで不用意に動くことはできない。
ジルも警戒を解かないまま女とウェスカーを交互に見た。
そんな二人の緊張など気に留める様子もなく、女は軽く手を叩いた。
「なら兄さん、カフェにでも移動しましょう」
そして、中庭を見渡す。
「ここだと落ち着いて話もできないでしょう?」
ウェスカーは特に反対する様子もなく、肩をすくめた。
そして再びクリスへ顔を向ける。
「再会を祝して、お茶でもどうだ?」
その口元には、薄い笑みが浮かんでいた。
「もちろん――お前のおごりでな」
「……」
クリスの眉間に深い皺が刻まれる。
怒りを抑え込むように拳を握り締めながら、目の前の男を睨みつけた。
よりにもよって、この状況で。
よりにもよって、こいつが。
テラグリジアという戦場のただ中で、クリスは宿敵と再会していた。
◆
その一連のやり取りを、少し離れた場所から見ている二人がいた。
レディハンクとシェリーだった。
二人は中庭へ出たところで、ただならぬ空気に気づいた。
「……あれ?」
レディハンクが足を止める。
視線の先には、クリスとジル。
そして、その向かいに立つ一人の男。
金髪に黒いサングラス。
「……ウェスカー?」
シェリーの声が小さくなる。
突然始まったクリスとウェスカーの対峙に、二人ともその場で動けなくなっていた。
クリスの表情からは、いつもの落ち着きが完全に消えている。
ジルも必死に彼を抑えようとしていた。
さらに、その二人の背後には、先ほど現れた女までいる。
「……どうする?」
レディハンクが声を落とした。
シェリーは答えず、しばらく中庭の様子を見つめていた。
ここで自分たちが割って入れば、かえって状況を悪化させるかもしれない。
かといって、何もしないまま見ているわけにもいかない。
「どうするって……スティーブに知らせたほうがいいと思う」
「だよね」
レディハンクが頷いた。
すぐに無線機へ手を伸ばす。
「スティーブ、聞こえる?」
少し急いだ声が無線へ流れた。
『ああ。どうした?』
「大学の中庭で、ちょっと大変なことになってる」
『大変なこと?』
「クリスとウェスカー元幹部がなんか会ってる」
無線の向こうで、しばらく沈黙が続いた。
やがて。
『……はぁ』
深いため息が返ってくる。
レディハンクが思わず隣のシェリーを見る。
シェリーも、何とも言えない顔をしていた。
『すぐそっちへ向かう』
「分かった」
通信が切れた。
二人は無言のまま、もう一度中庭へ目を向けた。
クリス。
ジル。
その向かいにはウェスカー。
そして、アレックス・ウェスカー。
どう考えても、昼食のついでに眺めていていい光景ではない。
レディハンクが大きく息を吐く。
シェリーも肩を落とした。
二人は顔を見合わせる。
そして、ほとんど同時に小さく呟いた。
「……余所でやって」
騒ぎの中心にいる四人へ届くはずもない、控えめなぼやきだった。
◆
それからしばらくして。
大学の一角にあるカフェには、四人の姿があった。
ウェスカー兄妹とクリス、そしてジル。
先ほどまで中庭で周囲の注目を集めていたとは思えないほど、四人は何事もなかったかのように席へ着いている。
ただ一人、クリスだけは明らかに機嫌が悪かった。
こめかみがぴくぴくと引きつり、向かいに座るウェスカーを睨みつけている。
その様子を正面から眺めながら、ウェスカーはどこか楽しそうに口元を緩めていた。
「さて」
ウェスカーが隣の女へ手を向ける。
「紹介しておこう。アレックス・ウェスカーだ」
女は穏やかな笑みを浮かべていた。
「兄さんから話は聞いているわ」
その言葉に、クリスの表情がわずかに険しくなる。
ウェスカーはそんな反応など気にした様子もなく、続けた。
「それから、ここはクリスの奢りだ。好きなものを頼むといい」
「兄さん……」
アレックスが呆れたように兄を見る。
「本人はまだ何も言っていないが、別に構わんだろう」
「よくないと思うけれど」
アレックスは苦笑しながら、近くの店員へ声を掛けた。
「注文をお願いします」
店員が近づいてくる。
「紅茶を一つ。それから……」
ウェスカーがメニューへ目を落とした。
「私はコーヒーでいい」
それを聞いたジルが、すぐに口を挟む。
「コーヒーを三つ。クリスの分も一緒に」
クリスが横を見る。
「ジル」
「今はいいでしょ」
ジルは落ち着いた口調で答えた。
「話をするために来たんだから」
クリスは不満そうな顔をしたものの、それ以上は何も言わなかった。
やがて注文を終えると、店員がその場を離れていく。
アレックスは改めてクリスとジルへ向き直った。
「改めまして。アレックス・ウェスカーです。アルバートとは兄妹のようなものです」
にこやかに頭を下げる。
「兄がお世話になっています」
「……」
クリスのこめかみが、また引きつった。
今にも何か言い返しそうになったクリスの手を、隣に座っていたジルがそっと握る。
クリスが振り向く。
ジルは小さく首を横に振った。
「今は情報を集めましょう」
静かな声だった。
「ここで感情的になっても、何も得られないわ」
クリスはしばらくジルを見つめていたが、やがて渋々と椅子へ座り直す。
その様子を見ていたウェスカーが、くすりと笑った。
「すっかり尻に敷かれているな、クリス」
「……黙れ」
即座に返ってきた声に、ウェスカーの笑みが深くなる。
「あら」
アレックスが二人を見比べる。
クリスとジル。
並んで座る二人の距離と、先ほどのやり取り。
アレックスの視線が、どこか意味ありげに二人の間を行き来した。
クリスもその視線に気づいたが、あえて何も反応しなかった。
余計なことを言われる前に、話を進めたほうがいい。
クリスは正面のウェスカーへ視線を戻した。
「それで、お前は何をしている?」
単刀直入な問いだった。
ウェスカーは運ばれてくるコーヒーを待ちながら、肩をすくめる。
「何をしている、か」
薄く笑う。
「お前の顔を見に来た、とでも言えば満足か?」
「ふざけるな」
「そう怒るな。妹のお情けで、ようやくテラグリジアへ入れたそうじゃないか」
クリスの顔が険しくなる。
ウェスカーはその反応を楽しむように続けた。
「まさか、お前がそんな立場になるとはな」
ジルがウェスカーを睨む。
「そんなことはどうでもいいわ」
静かながら鋭い声だった。
「あなたたちが、このテロの黒幕なの?」
ウェスカーを真っ直ぐ見据える。
「この街で起きていることに、あなたたちは関わっているの?」
ウェスカーはすぐには答えなかった。
しばらく二人を見つめたあと、淡々と口を開く。
「さあな」
「……」
「私が、わざわざお前たちに説明する必要があるのか?」
ジルの表情が硬くなる。
クリスも拳を握り締めた。
また空気が張り詰める。
だが、その前にアレックスが口を開いた。
「まあまあ、兄さん」
穏やかな声だった。
「久しぶりに昔からの知り合いと会ったからって、あまり意地悪をしないの」
アレックスは困ったように微笑む。
「話をするつもりなら、ちゃんと話したほうがいいでしょう?」
ウェスカーは妹へ視線を向けた。
そして、わずかに笑った。
ちょうどそのとき、注文した飲み物が運ばれてきた。
紅茶と三つのコーヒーが、それぞれの前へ置かれる。
ウェスカーはカップへ手を伸ばした。
しばらく沈黙したあと、先ほどまでの軽い調子を引っ込めるように表情を変える。
「……分かった。そこまで聞きたいのなら、話してやろう」
クリスとジルがウェスカーを見る。
「私はサンプルを取りに来た」
「サンプル?」
クリスが聞き返す。
「ああ。この街で使われているウイルスのサンプルだ」
ウェスカーはコーヒーへ口をつけた。
「どうやら、新しいウイルスが使われているようだからな」
クリスは黙り込んだ。
隣のジルも、考えるように視線を落とす。
目の前にいるのは、かつて何度も敵として立ちはだかった男だ。
その言葉を簡単に信用することなどできない。
それでも、何もかもを疑っていては話が進まない。
クリスとジルは短く視線を交わした。
少なくとも、今は話を聞く価値がある。
「ウイルスのサンプルは、もう手に入れたんだろう?」
クリスが尋ねる。
「それなら、どうしてまだここにいる?」
ウェスカーはサングラスの奥からクリスを見つめ、口元をわずかに緩めた。
「ラクーンシティ以来の大事件だからな」
淡々とした口調だった。
「サンプルを手に入れれば、それで終わりというわけではない。実際に現場へ入り、色々と見ておく必要がある」
「現場を見る?」
「ああ」
ウェスカーはカップを置いた。
「ラクーンシティの時とは違う」
その言葉に、クリスの表情がわずかに変わる。
「今回は現地の行政組織が機能している。少なくとも、外部から妨害されているわけではない」
ウェスカーは続けた。
「現地の組織と人間がどう動き、どのように対応しているのか。それを見るだけでも価値はある」
そして、口元に薄い笑みを浮かべた。
「もっとも――」
そこで一拍置く。
「BSAAは、ろくに活動できなかったようだがな」
「……」
クリスの眉間に、再び深い皺が刻まれた。
ウェスカーが何を狙っているのかは、まだ分からない。
ただ、その言葉だけは明らかな挑発だった。
ウェスカーはそんな反応を気に留めることもなく、手にしたコーヒーを口へ運ぶ。
しばらく、四人の間に沈黙が続いた。
やがて、その重苦しい空気を変えるようにジルが口を開く。
「……一つ、聞いてもいい?」
ウェスカーが顔を上げ、ジルへ視線を向けた。
「何だ?」
「あなた、妹がいたの?」
その問いに、ウェスカーはすぐには答えなかった。
なぜか、隣に座っているアレックスではなく、正面のクリスへ視線を向ける。
クリスは、その視線の意味が分からず眉をひそめた。
「……何だ?」
ウェスカーはサングラスの奥からクリスを見つめたまま、わずかに口元を緩める。
「ほう」
そして、一度だけアレックスへ目を向けた。
「妹からは、何も聞いていないようだな」
「何の話だ?」
クリスの声が低くなる。
「クレアに何の関係がある?」
その言葉を聞いた瞬間、ウェスカーの表情からわずかに笑みが消えた。
だが、質問に答えるつもりはないらしい。
「おい」
クリスが身を乗り出す。
「お前は何を知っている?」
ウェスカーは答えなかった。
手にしていたカップを静かにテーブルへ戻す。
そして、まるで今の問いなど聞かなかったかのように話題を変えた。
「ならば、ウェスカー計画についても話してやろう」
「ウェスカー計画……?」
ジルが聞き返す。
アレックスも口を挟まず、兄の横顔へ視線を向けた。
ウェスカーは椅子の背へ身体を預ける。
「オズウェル・E・スペンサー」
その名が口にされた瞬間、テーブルを囲む空気が変わった。
「奴には野望があった」
クリスとジルは黙ったまま、ウェスカーを見つめている。
「ただ生物兵器を開発するだけではない。ウイルスを利用して人間そのものを変える。そして、その先にある新しい世界を、自分の手で作り上げようとしていた」
ウェスカーの声は淡々としていた。
「ウェスカー計画は、その野望を実現するためのものだった」
クリスは腕を組んだまま、険しい視線を向ける。
「……その計画に、お前たちが関わっていたのか」
「私だけではない」
ウェスカーは静かに答えた。
「選ばれた人間たちがいた」
その言葉に、ジルの表情が曇る。
アレックスは何も言わない。
ただ、兄の話を黙って聞いていた。
「スペンサーは、人間を選別しようとした」
ウェスカーは続ける。
「優れた人間だけを残し、それ以外を淘汰する。そして、自分が選んだ者たちによって新しい秩序を築くつもりだった」
「……狂ってる」
ジルが低く呟いた。
「そうだな」
ウェスカーは否定しなかった。
「だが、スペンサーにとっては狂気ではない。奴自身が信じた未来だった」
クリスは拳を握り締める。
ラクーンシティ。
アンブレラ。
そして、そこに積み重ねられてきた数え切れない犠牲。
それらの背後に、スペンサーの野望があった。
「そして――」
ウェスカーが一度言葉を切る。
「その野望を実現するために生み出されたのが、ウェスカー計画だ」
カフェのテーブルを、重い沈黙が覆った。
ウェスカーは二人の様子を眺めながら、さらに話を続ける。
「スペンサーは、ただ優秀な人間を集めたわけではない」
その声には、過去を振り返るような響きがあった。
「幼少期から秘密裏に英才教育を施した。選ばれた子供たちに高度な教育を与え、徹底的に能力を引き出していった」
クリスは口を挟まず、その話に耳を傾けている。
「そして、最後の仕上げとしてウイルスを投与する」
「ウイルスを……」
ジルの表情が険しくなる。
「ああ」
ウェスカーは淡々と答えた。
「それによって、選ばれた人間の中から、さらに適性のある者を選別する。スペンサーが求めていたのは、単なる知識や才能ではない。ウイルスを乗り越え、その力を手にすることのできる人間だった」
アレックスは何も言わなかった。
ただ、兄の言葉を静かに聞いている。
クリスはウェスカーを見据えた。
「……そんなことを、何人も繰り返していたのか」
「そういう計画だった」
ウェスカーは短く答える。
「スペンサーにとって、我々は人間ではなかった。自らの野望を実現するための実験材料だ」
ジルが息を呑む。
ウェスカーは二人の反応を気にすることなく、話を締めくくった。
「そして――」
わずかな間を置く。
「ウェスカー計画で生き残ったことが確認されているのは、我々二人だけだ」
クリスとジルは、しばらく言葉を失っていた。
アレックスも何も言わない。
ただ、静かに兄の話を受け止めている。
やがて、ウェスカーがクリスへ視線を移した。
「……ところで、クリス」
「何だ?」
突然名前を呼ばれ、クリスが顔を上げる。
ウェスカーはカップをテーブルへ置いた。
「お前は今、何をしている?」
「何をって……」
「BSAAの設立には尽力したようだな」
その言葉に、クリスの表情がわずかに強張った。
「だが、そのBSAAはテラグリジアに入ることすらできなかった」
「それは――」
クリスが言い返そうとする。
しかし、ウェスカーはそのまま言葉を重ねた。
「ラクーンシティの事件を経験し、バイオテロと戦う組織を作った。その志そのものを否定するつもりはない」
先ほどまでの挑発的な調子とは違い、声は冷静だった。
「だが、結果として何が起きた?」
クリスは答えなかった。
「お前自身が、お前の力でこの街へ入ることすらできなかった」
その言葉が、クリスの胸に突き刺さる。
ウェスカーは視線を逸らさない。
「妹の助けがなければ――」
一度、言葉を切る。
「そして、あのアレクシア・アシュフォードの設立したアークの助けがなければ、お前は今ここにすらいない」
ジルが黙ってクリスを見る。
クリスは拳を握り締めた。
「……」
何も言い返せない。
ウェスカーはそんなクリスを見つめていた。
そこには、先ほどまで浮かんでいた愉快そうな笑みはなかった。
嘲笑でもない。
怒りでもない。
ただ、どこか失望したような表情が浮かんでいた。
◆
「はいはい」
その空気を断ち切るように、ぱん、と手を叩く音が響いた。
クリスが顔を上げる。
声の主はレディハンクだった。
その後ろにはシェリーが立っている。シェリーはウェスカー兄妹の様子を警戒するように視線を巡らせ、その足元では愛犬が身を低くしていた。いつでも動けるよう、静かに二人を見据えている。
レディハンクはクリスへ目を向けると、呆れたように肩をすくめた。
「名門貴族と一般人の若造を、同じ物差しで比べるもんじゃないって」
クリスが眉を寄せる。
「……は?」
「だって、アシュフォード家でしょ?」
レディハンクはウェスカーへ視線を向ける。
「そんな家の人間とレッドフィールド家を比べたって、そりゃ勝手が違うって」
「おい……」
クリスが何か言い返そうとする。
だが、レディハンクは気にすることなく続けた。
「それより、お二人さん――」
そこで一度言葉を切り、ウェスカー兄妹とクリス、ジルを順番に見渡す。
「……もとい、お二人組さん。だったら、一緒に共同作業でもして、お互いのことを改めて知ればいいんじゃない?」
ジルがわずかに目を細めた。
クリスは嫌な予感を覚えたように、レディハンクを見る。
「そもそも、二人ともカフェで落ち着いて話し合うなんて柄じゃないでしょ?」
「……二人とも?」
クリスが呟く。
レディハンクは真顔で頷いた。
「男は二人で河原に行って、殴り合って友情を深めるっていうし」
「おい」
クリスが即座に反応する。
「何でそうなる」
「いや、だって今の二人を見てたら、それが一番手っ取り早そうじゃん」
「全然違うだろ」
クリスが睨みつける。
すると、横からウェスカーが静かに口を挟んだ。
「……殴り合いか」
わずかに顎を引く。
「相手になるとは思えんな」
「お前まで乗るな!」
クリスが苛立った声を上げる。
レディハンクはそんな二人のやり取りを眺めながら、さらに言葉を重ねた。
「ここで言い争ってるより、実際に一緒に動いたほうが今のお互いのことわかるって」
軽かった声が、少しだけ真面目なものになる。
「人助けなら、嫌でも相手のことが分かってくるでしょ?」
アレックスが興味深そうにレディハンクを見る。
「人助け?」
「そうそう!」
レディハンクは軽く頷いた。
「実は、ここに来た時から現地警察に生存者の情報を聞いて回ってたんだ」
クリスが顔を向ける。
「警察から?」
「うん。避難誘導や救助に関わった人たちから、どこで助けを求めていたのか、どこから連絡が入っていたのか、一つずつ聞いてた」
レディハンクはそう言いながら、テーブルへ資料を置いた。
「FBCは全然情報をくれないみたいだしね。だから、こっちで集められるものをまとめてみた」
ジルが資料へ目を向ける。
「複数の生存者から、ショッピングモール内から連絡が入ってる。だから、そこにはまだ生き残ってる人間がいる可能性が高い」
クリスは資料に目を落としたまま考える。
「なら、そこへ向かえばいい」
「……それが、そう簡単じゃないんだよ」
レディハンクの声から、先ほどまでの軽さが消えた。
「ショッピングモールは、今かなり危険な場所になってる」
「ウーズか」
クリスが察する。
「そう。あいつらが厄介なんだよ」
レディハンクは頷いた。
「数が多いだけじゃない。あの性質のせいで、建物の中を探すのが難しい。生存者を探している間に、こっちが怪我する可能性も高い」
ジルが眉を寄せた。
「警察は救助に向かわなかったの?」
「向かったよ」
レディハンクは即答した。
「私もその情報を確認した。でも……救出には失敗してる」
その一言で、テーブルの空気が変わった。
「救助に向かった部隊の中で、戻ってこられたのは数人だけだった。それでFBCも犠牲の方が大きいと思ったのか以降はずっと放置されてるみたい」
クリスは黙って聞いている。
レディハンクは続けた。
「二日前に、ショッピングモールにいる生存者から連絡が入ってる。そのとき、携帯電話の電池がそろそろ切れるって話してたそうだよ」
クリスが資料へ視線を戻す。
「今は連絡がつかないけど、電池が切れた可能性が高いわけか」
「そう」
レディハンクは頷く。
「最初は複数からそれぞれ連絡があったって話だから、少人数ずつ、それぞれ安全そうな場所に立てこもって、見つからないように生き延びてるんじゃないかと思う」
クリスが腕を組む。
「二日前までは生存者の存在が確認できていた。他にも生存者がいる可能性も高い。今、連絡がつかないのは、単に連絡手段がなくなっただけかもしれない」
「そういうこと」
レディハンクが頷いた。
「だから、まだ間に合う可能性はある。ただ――」
そこでレディハンクは、資料から顔を上げる。
「警察が一度失敗してる場所だよ。行くなら、それなりの覚悟は必要だよ」
静かな沈黙が落ちた。
アレックスはレディハンクの話を聞き終えると、兄へ視線を向けた。
ウェスカーも一瞬だけ妹へ目を向ける。
それから、クリスとジルを見る。
「私は構わない」
あっさりとした答えだった。
「だが――クリスとジルはどうかな?」
その言葉に、クリスの拳が強く握り込まれた。
爪が掌へ食い込む。
力を込めすぎて、血が滲んでいるのではないかと思えるほどだった。
ジルも同じだった。
唇を噛みしめ、込み上げる感情を押し殺す。
目の前にいる男は、かつて自分たちの仲間を裏切り、ラクーンシティの事件にも関与していた元凶の一人だ。
簡単に信用できるはずがない。
それでも――二人の頭の中では、すでに冷静な計算が始まっていた。
レディハンクの言った通り、ショッピングモールは危険だ。
警察の部隊が救助に失敗している場所だ。
大量のウーズが潜み、生存者を探すだけでも命懸けになる。
だが。
目の前にいるウェスカーの実力は、二人とも知っている。
ラクーンシティで。
そして、その後の戦いで。
常人とはかけ離れた戦闘能力を、二人は実際に目にしてきた。
そのウェスカーと同等と思われる力を持つアレックスもいる。
もし、この二人が加わるなら――。
ショッピングモールへ向かうための戦力としては、これ以上ない。
あとは、自分たちの問題だった。
クリスの脳裏に、ラクーンシティの山中に建つ洋館が浮かんだ。
そこで命を落としていった、S.T.A.R.S.の仲間たち。
あの夜から、どれだけの時間が流れたのか。
生存者がいる可能性は高い。
しかも、一人ではない。
複数いる可能性がある。
助けられるかもしれない人間がいるのなら、見捨てるという選択肢はなかった。
クリスは顔を上げた。
ちょうどそのとき、ジルと目が合う。
言葉は必要なかった。
ジルもクリスの考えを理解している。
二人はほんの僅かに頷き合った。
そして、クリスがウェスカーへ向き直る。
「……それでいい」
低い声だった。
「ウェスカーと組む」
ジルも続ける。
「生存者の救出を優先するわ」
ウェスカーは二人を見つめると、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「決まりだな」
クリスはその笑みを睨み返した。
だが、今はそれ以上何も言わなかった。
目的は一つ。
ショッピングモールに取り残された生存者を救い出す。
そのためなら――一時的に、この男と手を組むことも選択肢の一つだった。