アーク製薬会社   作:ai試し2

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6話 脱出

 シェリーとスティーブは、屋上から建物の内部へ入った。

 

 扉が閉まると、外から差し込んでいた光が途切れ、階段は一気に暗くなった。スティーブが足元を確かめるように一段下りる。

 

「電気、ついてないね」

 

 シェリーが壁へ手を伸ばし、スイッチを押す。

 

 何も起こらない。

 

 別のスイッチも試してみるが、照明が点く気配はなかった。

 

「こっちも駄目」

 

 スティーブも近くのスイッチを押す。やはり反応はない。

 

「停電か」

 

「テラグリジアで停電してるところがあるって聞いたことがある」

 

「じゃあ、ここもその一つか」

 

「たぶん」

 

 シェリーが小さく苦笑した。

 

「運が悪いね」

 

「今日の俺たちは、本当に運が悪いな」

 

 スティーブも苦笑する。

 

 ヘリは撃墜され、墜落した。連絡手段も失い、頼りになるのは手元の装備だけだ。そのうえ、逃げ込んだ建物まで停電している。

 

 それでも、立ち止まっているわけにはいかなかった。

 

 二人は慎重に階段を降り、最上階へ向かった。

 

 最上階は、どうやらオフィスとして使われていたらしい。廊下にはいくつもの扉が並び、壁際には掲示板や案内板が残っている。停電したまま放置された空間には、人がいた頃の気配だけが残っていた。

 

 シェリーが手近な扉へ近づき、ノブを回す。

 

「ここも駄目」

 

 鍵が掛かっている。

 

 スティーブも別の扉を試した。

 

「こっちもだ」

 

 二人は暗闇の中、手探りで廊下を進んだ。ほとんどの扉は施錠されている。

 

 しばらくして、スティーブが足を止めた。

 

「……あそこ」

 

 シェリーが顔を向ける。

 

 暗闇の中に、わずかに開いている扉があった。

 

「開いてる?」

 

「たぶん」

 

 スティーブが慎重に近づき、扉の隙間から室内を覗き込む。

 

 人の気配はない。

 

「誰もいなさそうだ」

 

「じゃあ、入ろう」

 

「俺が先に行く。シェリーは後ろを頼む」

 

「分かった」

 

 スティーブが扉を押し開ける。

 

 二人は静かに室内へ入った。

 

 そこもオフィスだった。

 

 机やキャビネットが並び、書類や文房具がそのまま残されている。窓から差し込む光だけでは、部屋の奥まで十分に見渡せない。

 

「暗いね」

 

「何か明かりになるものを探そう」

 

 二人は室内を調べ始めた。

 

 シェリーが机の引き出しを開ける。

 

「ない」

 

 スティーブが別の机へ移る。

 

「こっちも駄目」

 

 キャビネットを開け、その中を確認していると、シェリーが声を上げた。

 

「あった!」

 

「何?」

 

「懐中電灯!」

 

 シェリーが引き出しから懐中電灯を取り出し、スイッチを入れる。

 

 白い光が暗い室内を切り裂いた。

 

「よし」

 

 スティーブが安堵の息を吐く。

 

「これなら少しは見える」

 

 シェリーは懐中電灯を動かし、室内を照らしていく。机の下、棚の陰、キャビネットの隙間。光が届けば、そこに何があるのか確認できる。

 

「でも、一本だけじゃ心配だね」

 

「もう少し探そう」

 

 二人は再び机や棚を調べた。

 

 しばらくして、別の引き出しから二本目の懐中電灯が見つかった。

 

「あった」

 

「よし」

 

 さらに棚の奥を探す。

 

「……これも」

 

 シェリーが三本目を取り出した。

 

「これなら二人で使えるし、一本は予備にできるね」

 

「十分だな。電池も探しておこう」

 

 二人は周辺の引き出しを調べた。

 

 すると、乾電池の入ったケースまで見つかった。

 

「電池もある」

 

「助かったな」

 

 シェリーは三本の懐中電灯を並べた。

 

「これでしばらくは大丈夫そう」

 

「そうだな」

 

 一本ずつ手に取り、残った一本と予備の電池を荷物へ収める。

 

 そこでシェリーが部屋の隅へ懐中電灯を向けた。

 

「電話がある」

 

 デスクの上に、古い電話機が置かれていた。

 

「使えるか試してみよう」

 

 スティーブが受話器を取る。

 

 耳へ当てる。

 

「……何も聞こえない」

 

 シェリーも別の電話機を確認した。

 

 こちらも反応しない。

 

「電話も使えないね」

 

「電気が戻るまでやっぱり無理か」

 

 スティーブは受話器を戻した。

 

「ここにいても仕方ない。下へ降りよう」

 

「うん」

 

 二人が部屋を出ようとした、その時だった。

 

 シェリーが足を止めた。

 

「……待って」

 

 スティーブもすぐに立ち止まる。

 

「どうした?」

 

 シェリーは答えず、懐中電灯を消した。

 

 部屋が再び暗闇に沈む。

 

 耳を澄ます。

 

 静かな室内の奥から、何かを擦るような音が聞こえてきた。

 

 続いて、床を踏むような、湿った音。

 

 スティーブも気配を察したのか、無言で銃を構えた。

 

「……いるね」

 

 シェリーが小声で言う。

 

 二人は懐中電灯を点けず、音の方向へ視線を向けた。

 

 暗闇の向こう。

 

 オフィスの机やキャビネットの陰から、ゆっくりと何かが姿を現した。

 

 人間らしい輪郭を残している。

 

 だが、明らかに人間ではない。

 

 身体の一部が不自然に膨らみ、皮膚は粘液に濡れたように変質している。

 

 ウーズだった。

 

 どうやら、先ほどから部屋のどこかに潜んでいたらしい。二人が室内を調べている間も、物陰に身を潜めていたのだろう。

 

 今のところ、こちらには気づいていない。

 

 ウーズは二人とは反対側へ身体を向け、ゆっくりと歩いている。

 

 シェリーがスティーブを見る。

 

 スティーブが小さく頷いた。

 

 二人は左右へ分かれ、音を立てないように回り込んだ。

 

 ウーズが一歩進む。

 

 その瞬間、シェリーが踏み込んだ。

 

 足を払われ、ウーズの身体が大きく傾く。

 

 倒れかけたところへ、スティーブが間髪入れずに距離を詰めた。

 

 ウーズの首を足で押さえ込み、そのままへし折る。

 

 床へ鈍い音が響いた。

 

 ウーズの身体から力が抜け、そのまま動かなくなった。

 

 二人はすぐには動かなかった。

 

 新たな物音がないか、周囲へ意識を向ける。

 

 何も聞こえない。

 

 シェリーが懐中電灯を点ける。

 

 光が床に倒れたウーズを照らした。

 

「……やっぱりいたね」

 

「ああ」

 

 スティーブも懐中電灯を点ける。

 

「この建物、思ったより残ってるな」

 

「下にもいるかもしれない」

 

「だろうな」

 

 スティーブは倒したウーズをもう一度確認した。

 

 動かない。

 

 だが、油断はできない。

 

 彼は廊下へ視線を向けた。

 

「慎重に行こう」

 

「うん」

 

 二人は懐中電灯を前方へ向けた。

 

 暗いオフィスの廊下。その先には階段が続いている。

 

 何が待っているのかは分からない。

 

 それでも二人は足を進めた。

 

 足音を抑え、互いの死角を補いながら、建物の内部へ進んでいく。

 

     ◆

 

 二人は、さらに階段を下りていった。

 

 スティーブが先を歩き、シェリーがその後ろを追う。懐中電灯の細い光が、コンクリートの壁と手すりを順番に照らしていく。

 

「結構降りてきたね」

 

「このまま一階まで行けるかな」

 

「行ってみないと分からないな。ただ、こういう場合、すんなりとはいかないだろ」

 

 シェリーが小さく笑う。

 

「それ、今までの経験から?」

 

「今までの経験から」

 

「説得力あるね」

 

「だろ?」

 

 そんな短いやり取りを交わしながら、二人はさらに階段を下りていく。

 

 やがて、先を進んでいたスティーブが足を止めた。

 

「……ここから先は無理だ」

 

 シェリーが前へ出る。

 

 階段の途中に、スチール製のキャビネットやデスクが寄せ集められていた。家具を積み重ねて作られた即席の封鎖だった。人が通れる隙間はほとんど残っていない。

 

「塞がれてるね」

 

「ああ。誰かが動かしたんだろうな」

 

 シェリーは懐中電灯の光を隙間へ向けた。

 

 その先は暗い。

 

 光を少しずつ動かしながら、向こう側を探る。何かが動く気配はない。

 

「……何もいなさそう」

 

 スティーブも耳を澄ました。

 

 物音は聞こえない。

 

「今は無理どかすのはやめておこう」

 

「うん」

 

 二人は少し考えた。

 

「一旦、この階を見てみよう」

 

「そうしよう」

 

 階段を少し戻り、近くにあった扉の前へ移動する。

 

 スティーブがノブへ手を掛けた。

 

「少しだけ開ける」

 

「分かった」

 

 シェリーが背後につく。

 

 スティーブはゆっくりと扉を開いた。

 

 わずかな隙間から、暗い廊下が見える。

 

 懐中電灯の光を抑え、二人は中を覗き込んだ。

 

 シェリーの目が細くなる。

 

「……ウーズ」

 

「どこだ?」

 

「あちこちにいる」

 

 廊下の先には、いくつもの影があった。

 

 壁際に身体を寄せている個体。

 

 床にうずくまっている個体。

 

 廊下の奥で、ゆっくりと身体を揺らしている個体。

 

 一体ではない。

 

 さらにその奥にも、別の姿が見えている。

 

「……多いね」

 

 スティーブが低く呟いた。

 

「ここは無理だ」

 

 二人はそれ以上、扉を開けなかった。

 

 ウーズの数を考えれば、ここで戦えば銃声が他の個体を呼び寄せる可能性もある。

 

 スティーブがゆっくりと扉を閉める。

 

 二人はその場を離れ、来た道を戻った。

 

     ◆

 

 別の階へ移動する。

 

 階段を上がりきったところで、スティーブが扉の前に立った。

 

「少しだけ開けるぞ」

 

「うん」

 

 スティーブが慎重に扉を開く。

 

 その向こうにも、暗い廊下が続いていた。

 

 二人は懐中電灯の光を最小限に絞り、扉の隙間から様子を窺う。

 

 シェリーが目を細めた。

 

「……人影?」

 

「どこだ?」

 

「奥。……でも遠くて、よく見えない」

 

 廊下の奥に、人らしきものが立っている。

 

 直立しているようにも見える。

 

 ただ、暗闇のせいで、それが人間なのか、それとも別の何かなのかまでは判別できなかった。

 

「反対側の階段が使えるか見てみよう」

 

 シェリーが小声で言う。

 

 スティーブが先頭に立つ。

 

 シェリーは少し距離を空けて後ろについた。

 

 二人は廊下を進んだ。

 

 だが、しばらく進んだところで、スティーブが手を上げた。

 

 シェリーもすぐに足を止める。

 

 廊下の先。

 

 先ほど見た人影とは別の何かが、ふらつきながら歩いていた。

 

 一見すると、人間の姿をしている。

 

 しかし、その動きがおかしい。

 

 肩を揺らし、足を引きずるようにして、目的もなく廊下を進んでいる。

 

「……ゾンビ」

 

 シェリーが小さく呟いた。

 

 スティーブが頷く。

 

 幸い、まだこちらには気づいていない。

 

 二人は目を合わせた。

 

「一旦、離れよう」

 

「うん」

 

 足音を抑えながら、来た方向へ少しずつ戻る。

 

 ゾンビとの距離が十分に開いたところで、スティーブが足を止めた。

 

「反対側の階段、どうする?」

 

 シェリーは廊下の先を見た。

 

「……あのゾンビの後ろ」

 

「何かあるのか?」

 

「さっき見えたんだけど、オフィスの扉が開いてた」

 

 スティーブが思い出すように廊下を見つめる。

 

「オフィス?」

 

「うん。少しだけ開いてた」

 

「そこに何かいる可能性は?」

 

「分からない」

 

 シェリーは声を落とした。

 

「でも……もしハンターがいたら?」

 

 スティーブの表情が変わった。

 

「ハンターなら、確認しておいた方がいいな」

 

「そう思う」

 

 二人は再び廊下の奥を見る。

 

 ゾンビはまだこちらに気づいていない。

 

 シェリーがスティーブへ顔を向けた。

 

「スティーブ」

 

「ん?」

 

「お願い。ハンクさんみたいに、あのゾンビを倒してきてよ」

 

 スティーブは一瞬だけシェリーを見た。

 

 それから、口元に小さな笑みを浮かべる。

 

「任せろ」

 

 銃には手を伸ばさなかった。

 

 ここで銃声を響かせれば、周囲にいる感染者まで呼び寄せる可能性がある。

 

 ゾンビはこちらに背を向けている。

 

 この状況なら、わざわざ銃を使う必要はない。

 

 スティーブがシェリーへ小さく頷いた。

 

「静かに片付ける」

 

 ゾンビがゆっくりと背を向けた。

 

 その瞬間、スティーブが動いた。

 

 足音を殺し、一気に距離を詰める。

 

 ゾンビが異変に気づいて振り返ろうとした。

 

 その前にスティーブが背後へ回り込み、頭部を押さえ込む。

 

 身体を固定し、首へ力を加えた。

 

 小さな音がした。

 

 力を失った身体を、そのまま支える。

 

 床へ倒せば音が響く。

 

 スティーブは慎重に身体を横たえた。

 

「……よし」

 

 シェリーが近づいてくる。

 

「さすがスティーブ」

 

「うまいだろ?」

 

「ハンクさんみたいだった」

 

「それなら合格だな」

 

 二人は小さく笑った。

 

 だが、すぐに視線を廊下の奥へ戻す。

 

 目的はゾンビを倒すことではない。

 

 その先にある、開いたオフィスを確認することだ。

 

 二人は再び歩き出した。

 

 やがて、半開きになった扉の前へ辿り着く。

 

 スティーブが足を止めた。

 

「ここだな」

 

 シェリーも後ろから覗き込む。

 

 扉の隙間から懐中電灯を向ける。

 

 薄暗い室内に、人影が見えた。

 

 一つは立ったまま、ゆっくりと身体を揺らしている。

 

「……ゾンビ」

 

 シェリーが小声で呟く。

 

 その少し先には、床に倒れている人影もあった。

 

「誰か倒れてる」

 

 スティーブはすぐには入らなかった。

 

 懐中電灯を動かし、机の下、キャビネットの陰、部屋の奥を順番に確認する。

 

「まだ何かいるかもしれない。入るぞ」

 

「うん」

 

 二人は慎重に室内へ入った。

 

 机や椅子が散乱している。

 

 床には書類がばら撒かれ、壁際には倒れたキャビネットがある。

 

 その奥に、窓が一つあった。

 

 ガラスは大きく割れ、床には破片が散らばっている。風がそこから吹き込み、紙をかすかに揺らしていた。

 

 シェリーが窓へ目を向ける。

 

「……ハンターはいないね」

 

「いないな」

 

 スティーブも周囲を確認する。

 

「窓から入ってきたのか?」

 

「たぶん」

 

 シェリーは割れた窓を見つめた。

 

「ハンターがここに侵入して、そのあと外へ出ていったのかも」

 

「それなら、さっきのゾンビや倒れてる人も……」

 

「襲われた可能性はあるね」

 

 二人は倒れている人影へ近づこうとしたが、スティーブが足を止めた。

 

 今の目的は、この建物を隅々まで調べることではない。

 

 反対側の階段へ向かい、地上へ出る道を確保することだ。

 

「行こう」

 

「うん」

 

 スティーブが扉へ手を伸ばす。

 

 シェリーは最後にもう一度、室内を見回した。

 

 立っているゾンビ以外に動くものはない。

 

 ハンターの姿も見当たらない。

 

 二人は静かに部屋を出る。

 

 スティーブが扉を閉めた。

 

 そして、廊下の奥にある反対側の階段へ向かって歩き出した。

 

 暗い建物の中には、まだ何が潜んでいるのか分からない。

 

 それでも二人は足を止めなかった。

 

 少しずつ前へ進みながら、この街から抜け出すための道を探していった。

 

     ◆

 

二人は反対側の階段へ向かって、暗い廊下を歩いていた。懐中電灯の光が床や壁を淡く照らしている。先ほどまでウーズやゾンビの気配を警戒していたせいか、短い会話を交わしている間だけは、少しだけ緊張が和らいでいた。

 

 ふと、スティーブが隣を歩くシェリーへ目を向けた。

 

「それにしても、バイトなのに大変だな」

 

「え?」

 

「アークの仕事だよ。ワクチンを運んだり、病院でハンターと戦ったり、今度はこんなところから脱出だ」

 

 スティーブは周囲を見回した。停電したオフィス、薄暗い廊下、そしてウーズやゾンビまでいた。

 

「こうして見ると、本当に普通のバイトじゃないな」

 

 シェリーは苦笑した。

 

「確かに……」

 

 アークが対生物兵器企業であることは、もちろん知っている。そこで働く以上、危険な現場に関わることになるのも理解していた。それでも、実際に現場へ出てみれば、想像していた以上に緊張を強いられる場面は多かった。

 

「最初から危険な仕事なのは分かってたけど、実際にやってみると大変だね」

 

「だろうな」

 

 スティーブは頷いた。

 

「卒業したら、そのまま社員になるのか?」

 

「うん。いつかは社員になるつもり」

 

 シェリーはそう答えたあと、少しだけ言葉を止めた。

 

「でも、クレアやアレクシア様からは、大学へ進むことも勧められてる」

 

「大学か」

 

「うん」

 

 シェリーは懐中電灯を少し前へ向けた。

 

「二人とも、勉強する時間をちゃんと作ったほうがいいって。仕事だけじゃなくて、別のことも学んだほうがいいって言われてる」

 

 スティーブはしばらく黙っていた。

 

「まあ、それもいいんじゃないか」

 

「そう思う?」

 

「ああ。社員になった後からじゃ大学は難しいだろ」

 

「うん……」

 

 シェリーは小さく頷いた。

 

「私も、そのあたりはまだ迷ってる」

 

 その言葉に、スティーブが横目でシェリーを見る。

 

「なるほどな」

 

 シェリーは少しだけ笑った。

 

「クレアたちは、焦って決めなくてもいいって言ってくれてる」

 

「それなら、ゆっくり考えればいい」

 

「そうだね」

 

 二人は少し歩いた。

 

 しばらくして、今度はシェリーがスティーブへ顔を向ける。

 

「スティーブは?」

 

「俺?」

 

「大学、行かないの?今からでも遅くはないでしょ?」

 

 意外な質問だったのか、スティーブが目を丸くする。

 

「俺が?」

 

「うん」

 

「……考えたことなかったな」

 

 シェリーは少し笑った。

 

「でも、元U.S.S.の人たちも、許可された人は大学を目指してるよ」

 

「そういえば、そうだったな」

 

「うん。アークに入ってから本格的な勉強を始めた人もいるし」

 

 スティーブは腕を組み、しばらく考え込んだ。

 

「そっか……」

 

 やがて肩をすくめる。

 

「まあ、ちょっと落ち着いたら考えるよ」

 

「うん」

 

「アシュフォード島から色々忙しかった」

 

 スティーブが前方を見る。

 

「クレアのことももっと手伝いたい」

 

「そうだね」

 

 シェリーも頷いた。

 

 その会話は、暗い建物の中では少しだけ場違いだった。

 

 けれど、二人にとっては必要な時間だった。

 

 戦うことだけが、この街で生き残るための方法ではない。

 

 こうして他愛のない話をすることで、まだ自分たちが普段の生活を忘れていないことを確かめられる。

 

 やがて、廊下の先に階段へ続く扉が見えてきた。

 

 二人は自然と表情を引き締めた。

 

 進路の話は、いったんそこで終わった。

 

 先に何が待っているのかは分からない。

 

 それでも、今は進むしかない。

 

 シェリーが懐中電灯を握り直した。

 

「行こう」

 

「ああ」

 

 二人は並んで、階段へ向かって歩き出した。

 

     ◆

 

 スティーブを先頭に、二人はさらに階段を下りていった。懐中電灯の光がコンクリートの壁を細く照らし、足元に落ちた小さな瓦礫や埃を浮かび上がらせる。しばらく下りたところで、スティーブが片手を上げた。

 

 シェリーがすぐに足を止める。

 

 スティーブは声を出さず、階段の下を指差した。

 

 下階へ続く扉が、わずかに開いている。

 

「……開いてる」

 

 シェリーが口元を近づけて囁いた。

 

「そうだな」

 

 スティーブは懐中電灯の光をさらに絞った。二人のいる場所から扉までは、そう遠くない。下りきれば、扉の向こうにいる何かと鉢合わせする可能性がある。

 

 スティーブはその場で動かず、扉へ意識を集中させた。

 

 微かな音がする。

 

 何かが床を擦るような気配。

 

 続いて、短く何かが触れ合う音。

 

 シェリーも耳を澄ました。

 

「階段には出てきてないね」

 

「ああ」

 

 スティーブは扉を見た。

 

「そっと行って、閉めるぞ」

 

 シェリーが頷く。

 

「合図は私がする」

 

「頼む」

 

 二人はしばらく待った。

 

 シェリーは目を閉じ、音だけに意識を向ける。扉の向こうにいる何かは、まだ近い。気配が消えない。

 

 やがて、聞こえていた物音が少しずつ遠ざかっていった。

 

 シェリーが目を開く。

 

 もう一度、扉の向こうへ意識を向ける。

 

 今なら動ける。

 

 シェリーが指先をわずかに動かした。

 

 スティーブが頷く。

 

 音を立てないように階段を下りる。

 

 扉の前まで来ると、スティーブが身体を低くした。片手を伸ばし、扉の端へ指を掛ける。

 

 一度、シェリーを見る。

 

 彼女が頷いた。

 

 スティーブがゆっくりと扉を引く。

 

 蝶番が軋まないよう、重さを支えながら少しずつ動かしていく。

 

 扉が閉まる。

 

 最後まで手を添えたまま、スティーブは静止した。

 

 しばらく待つ。

 

 向こう側から反応はない。

 

 足音も近づいてこない。

 

「……よし」

 

 スティーブが小さく息を吐いた。

 

 シェリーを手招きする。

 

 彼女も静かに階段を下り、スティーブの隣へ並んだ。

 

「閉められたね」

 

「ああ」

 

 スティーブは閉じた扉を一度だけ振り返る。

 

「何がいたのかは分からない。でも、今のところ追ってくる気配はない」

 

「うん」

 

 シェリーも扉を見つめた。

 

 見えないものほど気になる。

 

 それでも、ここで扉を開けて確認する理由はなかった。

 

 スティーブが先へ進む。

 

 シェリーも後に続いた。

 

 懐中電灯の光が、さらに下へ続く階段を照らす。

 

 そして今度は、さっきよりも慎重に足を運びながら、暗い階段の奥へ進んでいった。

 

     ◆

 

 二人はさらに階段を下りていった。

 

 しばらくすると、それまでとは明らかに階段の造りが変わった。狭かった通路が急に開け、踊り場から先は幅の広い階段になっている。手すりも増え、壁際には案内板らしきものまで取り付けられていた。

 

 スティーブが足を止める。

 

「……まずいな」

 

「何が?」

 

「この階段、さっきまでと違う」

 

 シェリーも周囲へ懐中電灯を向けた。建物の構造が変わっている。事務所の内部だけを通っていた時とは違い、ここから先は不特定多数が利用する区画なのだろう。

 

「商業施設……かな」

 

「たぶんな」

 

 スティーブは階段の下を覗き込んだ。

 

「この先、かなり広い場所に繋がってるかもしれない」

 

 二人は警戒を強めながら階段を下りた。

 

 やがて、下階へ続く扉が見えてくる。

 

 スティーブが扉の前で立ち止まり、シェリーもその背後についた。

 

「開けるぞ」

 

「うん」

 

 スティーブがノブを握る。

 

 シェリーの呼吸が止まった。

 

「……多い」

 

 その先には、広大なフロアが広がっていた。

 

 柱の陰。

 

 通路の端。

 

 閉鎖された店舗の前。

 

 床に身体を伏せているものまでいる。

 

 そこかしこに、ウーズがいた。

 

 一体や二体ではない。

 

 数えることを諦めるほどの数が、広いフロアのあちこちに散らばっている。

 

 ある個体は壁にもたれ、別の個体は床へ身体を沈めていた。さらに奥では、何体かが粘つく身体を引きずりながらゆっくりと移動している。

 

 スティーブは即座に扉を戻した。

 

 音を立てないよう、最後まで手を添えて扉を閉じる。

 

「一階は無理だね」

 

「ああ」

 

 スティーブは扉から距離を取った。

 

「あれだけいると、撃ち合いになった瞬間に囲まれる」

 

「それに、全部倒してる間に別のB.O.W.まで寄ってきそう」

 

「その可能性もある」

 

 二人は顔を見合わせた。

 

 ここを突破するのは得策ではない。

 

「戻ろう」

 

「うん」

 

 二人は来た階段を上がり、ひとつ上の階へ戻った。

 

 階段を上りきると、今度はシェリーが扉の前へ進み出た。

 

「今度は私が見るね」

 

「頼む」

 

 シェリーがノブを回し、扉をほんの少しだけ開ける。

 

 数秒。

 

「……こっちもいる」

 

「どのくらい?」

 

 シェリーは少し考えた。

 

「いっぱい」

 

 その一言で十分だった。

 

 シェリーはすぐに扉を閉める。

 

「二階も駄目」

 

「一階も二階もか……」

 

 スティーブは階段を見上げた。

 

 残るのは、さらに上の階だけだった。

 

「三階を見てみる」

 

「うん」

 

 二人は再び階段を上がった。

 

 途中でシェリーが小さく息を吐く。

 

「ここまで来ると、何も出てこない方が不思議かも」

 

「そういうこと言うと、出てくるぞ」

 

「……やめてよ」

 

「悪い」

 

 スティーブが小さく笑った。

 

 少しだけ緊張が和らいだところで、二人は三階の扉の前へ着いた。

 

 スティーブが手をかける。

 

「……今度こそ何もいないといいな」

 

「祈ろうか」

 

「そうだな」

 

 シェリーが目を閉じた。

 

「お願いします」

 

 スティーブも真似するように目を閉じる。

 

「俺も祈っとく」

 

 シェリーが思わず笑った。

 

「そんな簡単なので効くかな」

 

「やらないよりはいいだろ」

 

「それもそうだね」

 

 二人は短く笑い、それから再び表情を引き締めた。

 

 スティーブが扉を開く。

 

 ほんのわずかな隙間。

 

 まず耳を澄ます。

 

 一階や二階で感じたような、密集した気配はない。

 

「……少ない?」

 

 シェリーが囁いた。

 

「みたいだな」

 

 スティーブは慎重に扉を広げる。

 

 三階の廊下には、いくつかの人影があった。

 

 シェリーが目を凝らした。

 

「……あれ?」

 

「どうした?」

 

「奥に何かいる」

 

 スティーブも視線を向ける。

 

 廊下の奥。

 

 暗闇の中に、巨大な影が立っている。

 

 人間よりはるかに大きい。

 

 身体を丸めるようにしているため、正確な大きさは分からない。それでも、ここまで離れていても異様な圧迫感を感じさせる存在だった。

 

 シェリーの表情から笑みが消える。

 

「……ウーズじゃない」

 

 スティーブも銃へ手を添えた。

 

「ピンサーでもないな」

 

「トライコーンでもない」

 

 二人はその場から動かなかった。

 

 巨大な影がわずかに身じろぎする。

 

「……頭が二つ?」

 

 シェリーが息を潜めて呟いた。

 

 暗闇の奥に、二つの頭部が並んでいる。

 

 左右へ分かれるように伸びた異様な首。

 

 通常の感染者とは明らかに違う。

 

 スティーブはそれ以上、扉を開けるのをやめた。

 

「……あれは知らないな」

 

「私も」

 

 シェリーは怪物から目を離さなかった。

 

 これまでテラグリジアで未知の変異を見てきた。

 

 それでも、目の前の存在は別格だった。

 

 ウーズとは違う。

 

 ピンサーでも、トライコーンでもない。

 

 まして、ラクーンシティで見たゾンビやリッカーとも一致しない。

 

「一旦、閉めよう」

 

 スティーブが囁いた。

 

「うん」

 

 シェリーが頷く。

 

 スティーブがゆっくりと扉を戻した。

 

 完全に閉じる直前まで、二人は怪物から視線を外さなかった。

 

 扉が閉じる。

 

 それでも、二人はすぐには動かなかった。

 

 向こう側から、何かが這うような低い音が聞こえる。

 

 シェリーが小さく息を吐く。

 

「……あれ、何なんだろう」

 

「分からない」

 

 スティーブは扉を見つめたまま答えた。

 

「でも、今の俺たちに必要なのは名前じゃない」

 

「近づかないことだ」

 

 二人は静かにその場を離れた。

 

 後に、その異形には一つの名が与えられることになる。

 

 ――スキャグデッド。

 

 だが、今の二人にはそんな呼び名を知る術はない。

 

 ただ、三階の奥には、これまで確認したどの個体とも異なる怪物が潜んでいる。

 

 その事実だけが、重く二人の胸に残っていた。

 

 二人は扉の前から、しばらく動かなかった。

 

 目の前には正体の分からない巨大な怪物がいる。下の階へ戻れば大量のウーズが待ち構え、その途中の階にも感染者の姿が確認されている。

 

 どの方向へ進んでも、簡単には抜けられそうになかった。

 

「……どうする?」

 

 スティーブが低く尋ねる。

 

 シェリーは三階の廊下を見つめた。

 

「一階と二階は、あの数だと通るのは難しいね」

 

「ああ」

 

「だったら、三階を使うしかないと思う」

 

 スティーブも扉の向こうへ目を向けた。

 

「問題は、あいつだな」

 

「でも、こっちはまだウーズが少ない」

 

 シェリーは周囲を見回した。

 

 先ほど見た限り、三階には大量のウーズが集まっている様子はない。正体不明の巨大な個体がいることを除けば、下の階よりは動きやすそうだった。

 

「商業施設なら、近くに案内図があるんじゃないかな」

 

「案内図?」

 

「施設全体のフロアマップ。出口や非常口も載ってるはず」

 

 スティーブが少し考える。

 

「それがあれば、怪物のいる場所を避けて外へ出られる可能性がある」

 

「うん」

 

「探してみよう」

 

 二人は廊下の壁へ目を向けた。

 

 施設の案内表示らしい掲示物がいくつか並んでいる。照明が落ちているせいで細部までは見えないが、その中に大きなパネルが一つあった。

 

「あれじゃないか?」

 

 スティーブが指差す。

 

「見てくる」

 

「俺がここで見張る」

 

「分かった」

 

 シェリーは懐中電灯の光を絞ると、身を低くして廊下へ出た。

 

 怪物が潜んでいる方向とはできるだけ距離を取り、壁際を選んで進んでいく。

 

 数歩進むたびに足を止め、廊下の奥を確認する。

 

 何も動かない。

 

 あの巨大な影も、こちらへ近づいてくる様子はなかった。

 

 やがて、シェリーは案内板の前へ辿り着いた。

 

「……あった」

 

 懐中電灯を向ける。

 

 そこには施設全体のフロアマップが描かれていた。

 

 各階の店舗や通路に加え、非常口や避難経路まで表示されている。

 

 シェリーは現在地を確認し、続いて三階の構造を目で追っていった。

 

「ここが今いる場所……こっちが非常口」

 

 指で経路をたどる。

 

「これなら、外へ出られる」

 

 さらに近くへ目を向けると、パンフレットが数部、ラックに残されていた。

 

 シェリーはそのうちの数枚を取った。

 

「これも使えそう」

 

 施設の簡易案内図なら、現場で持ち歩くにはこちらの方が便利だ。

 

 シェリーはパンフレットをまとめ、急いでスティーブのもとへ戻った。

 

「戻ったよ」

 

「何か分かったか?」

 

「うん」

 

 シェリーは折り畳んだ地図を開いた。

 

「三階から外に出られる」

 

「本当か?」

 

「ここ。非常口がある」

 

 現在地から続く通路を指で示す。

 

「この廊下を抜ければ、非常階段に繋がってる。そこから外へ出られるみたい」

 

 スティーブが地図を覗き込む。

 

「なるほど」

 

 シェリーは別の場所を指した。

 

「それと、こっち」

 

「何だ?」

 

「この施設から少し離れたところに病院がある」

 

 スティーブが地図上の距離を確認する。

 

「……三キロくらいか」

 

「たぶんそれくらい」

 

「徒歩でも行ける距離だな」

 

「あとは外に出た後、どう移動するかだけど」

 

 スティーブは地図から顔を上げた。

 

「建物の中を無理に突破するよりはいい」

 

「私もそう思う」

 

 シェリーは一階と二階のマップへ目を落とした。

 

 大量のウーズがいるフロア。

 

 感染者が徘徊していた階。

 

 そして、三階には正体不明の巨大な怪物。

 

 どこも安全とは言えない。

 

 それでも、出口へ繋がる道が分かっただけで状況は変わった。

 

「よし」

 

 スティーブが決める。

 

「三階から外へ出るルートを使おう」

 

「うん」

 

     ◆

 

 二人は三階の廊下を進んだ。

 

 先ほど確認した巨大な怪物には、できるだけ近づかない。スティーブが時折振り返り、怪物のいる方向を確認するが、今のところこちらへ向かってくる様子はない。

 

「……さっさと進もう」

 

 スティーブが小声で言った。

 

「うん」

 

 シェリーが頷く。

 

 彼女が先頭に立ち、スティーブが後方を警戒しながら続いた。懐中電灯の光は必要最低限に絞っている。廊下の先を照らしすぎれば、こちらの存在を敵に知らせることになる。

 

 途中で、どこかの部屋から物音がした。

 

 二人は同時に足を止めた。

 

 シェリーが光を壁際へ向け、スティーブが背後を確認する。

 

 音は、それ以上続かなかった。

 

 シェリーが小さく息を吐く。

 

 「……行こう」

 

 二人は再び歩き始めた。

 

 そして、案内図で確認していた非常口が見えてきた。

 

「もうすぐ非常口だね」

 

「ああ。あと少しだ」

 

 スティーブが周囲を見回す。

 

 非常口までの距離は、もうわずかしかない。

 

 その時だった。

 

 シェリーが突然、足を止めた。

 

「……待って」

 

 スティーブも立ち止まる。

 

「どうした?」

 

 シェリーは前方を見つめていた。

 

 廊下の奥に何かがいる。

 

 細い腕。

 

 異様に変形した身体。

 

 その姿を確認した瞬間、シェリーが小さく呟いた。

 

「トライコーン……」

 

 異形が腕を持ち上げる。

 

「来る!」

 

 次の瞬間、硬質な棘が一直線に飛んできた。

 

 シェリーは反射的にトマホークを抜いた。

 

 迫ってきた棘を刃で横から弾く。

 

 甲高い音とともに、棘が床へ落ちた。

 

「危なっ……」

 

 だが、その音は静かな廊下には大きすぎた。

 

 周囲から何かが動き出す。

 

 廊下の脇にいたウーズが、ゆっくりとこちらへ身体を向けた。

 

 その奥では、別の個体も起き上がっている。

 

 さらに、壁際に身を潜めていたピンサーが身体を持ち上げた。

 

「まずい」

 

 スティーブが銃を構える。

 

 しかし、ここで撃てば銃声が周囲へ響く。

 

 さらに別の感染者を呼び寄せる可能性がある。

 

 シェリーは背後を振り返った。

 

 非常口は、すぐそこだった。

 

「スティーブ!」

 

「ああ!」

 

 二人の間に、それ以上の言葉は必要なかった。

 

「逃げるぞ!」

 

 スティーブが叫ぶ。

 

 二人は同時に走り出した。

 

 シェリーが先頭を切る。

 

 トマホークを握ったまま廊下を駆け抜ける。

 

 その背後から、ウーズたちが一斉に動き始めた。

 

 床を擦る音。

 

 壁へ身体をぶつける音。

 

 複数の足音が重なって迫ってくる。

 

 さらにトライコーンが腕を持ち上げた。

 

「走れ!」

 

 スティーブが後方を確認しながら叫ぶ。

 

 シェリーは振り返らない。

 

 非常口だけを見据え、速度を落とさず走る。

 

 扉まで、あとわずか。

 

 シェリーが手を伸ばした。

 

 ノブを掴む。

 

「開いて!」

 

 勢いをつけて押し開ける。

 

 外から冷たい空気が流れ込み、シェリーの頬を撫でた。

 

「出た!」

 

 シェリーがそのまま外へ飛び出す。

 

「シェリー!」

 

 スティーブも続いた。

 

 二人は扉から離れ、建物の壁際まで一気に走る。

 

 そこでようやく足を止めた。

 

 振り返る。

 

 開いた非常口の向こうには、まだ感染者たちの姿がある。

 

 ウーズが廊下を這うように近づいてくる。

 

 ピンサーもこちらへ向かっている。

 

 その奥では、トライコーンが再び腕を構えていた。

 

 さらに三階の奥には、先ほど確認した二つの頭を持つ巨大な怪物がいる。

 

 建物の中には、まだ多数のB.O.W.が残っている。

 

 シェリーは息を整えながら、それらを見つめた。

 

「……まだいるね」

 

「ああ」

 

 スティーブも銃を構え直す。

 

「だけど、ここに立ち止まってる暇はない」

 

 シェリーが頷く。

 

 二人は建物の外周へ沿って移動を始めた。

 

 背後では、非常口から感染者たちがこちらへ迫っている。

 

 逃げ切ったわけではない。

 

 それでも、閉ざされた建物の中から外へ出られたことで、二人には新たな逃走経路が生まれていた。

 

 シェリーは懐中電灯をしまい、手にしたパンフレットへ一瞬だけ目を落とす。

 

「病院まで、あと三キロくらい」

 

 二人は前を向いた。

 

 背後からは、まだB.O.W.の気配が続いている。

 

 二人は建物から離れるように、一気に通りへ飛び出した。

 

 外へ出たばかりの道路には、避難の途中で放置された車両が何台も残っている。開け放たれたドア、路肩へ乗り上げた車、道を塞ぐように停められたバス。その隙間を縫わなければ、まっすぐ進むこともできない。

 

 シェリーが前方を見据え、走る速度を落とさず車両の間を抜けていく。

 

 その時だった。

 

 前方の車陰から、粘ついた身体を引きずるようにしてウーズが現れた。

 

 シェリーは足を止めなかった。

 

 ウーズが腕を伸ばし、正面から襲いかかってくる。

 

 シェリーは走りながら身体を横へ滑らせた。迫ってきた腕がすぐ脇を掠める。

 

 その瞬間、トマホークが振り抜かれた。

 

 刃が腕を弾き、ウーズの身体が大きく傾く。

 

「今!」

 

 スティーブが声を上げる。

 

 二人はそのまま進路を変えず、よろめいたウーズの横を一気に駆け抜けた。

 

 背後で、異形の身体が路面へ崩れ落ちる音が響く。

 

 スティーブが前方を指した。

 

 今度はピンサーだった。

 

 大きく変形した両腕を振り上げ、二人の進路を塞いでいる。

 

「来るよ!」

 

 シェリーは速度を緩めない。

 

 ピンサーの腕が振り下ろされる。

 

 シェリーは走る勢いを保ったまま身体を横へずらし、迫ってきた腕をトマホークで弾き飛ばした。

 

 硬い衝撃が腕へ伝わる。

 

 ピンサーの体勢が崩れる。

 

 そこへスティーブが横から踏み込んだ。

 

「どけ!」

 

 身体をぶつけるようにしてピンサーを押し退け、最後に蹴り飛ばす。

 

 ピンサーが車両へ激突し、金属の軋む音が通りに響いた。

 

 二人はそのまま走り抜けた。

 

 背後から、複数の足音と這いずるような音が重なって聞こえてくる。

 

 スティーブが一度だけ振り返った。

 

「止まるな!」

 

「分かってる!」

 

 シェリーは前方へ視線を戻す。

 

 道路にはまだ放置車両が続いている。

 

 二人はその隙間を縫うように進み、車体へ手をついて方向を変えながら、さらに通りの奥へ駆けていった。

 

 テラグリジアの街路には、放置された車や散乱した荷物が残っている。遠くではサイレンが鳴り、どこかの建物からは薄い煙が上がっていた。

 

 それでも、二人の前には道が続いている。

 

 二人は並んで、病院のある方向へ向かって走り続けた。

 

 まだまだ距離はある。

 

 遠くにサイレンが聞こえる。

 

 どこかの建物から煙が上がっている。

 

 道路には、避難の途中で残された荷物が散らばっていた。

 

 それでも二人は止まらなかった。

 

 病院へ戻る。

 

 仲間のもとへ帰る。

 

 今は、その目的だけを胸に、二人は街の奥へ進んでいった。

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