アーク製薬会社 作:ai試し2
シェリーとスティーブは、屋上から建物の内部へ入った。
扉が閉まると、外から差し込んでいた光が途切れ、階段は一気に暗くなった。スティーブが足元を確かめるように一段下りる。
「電気、ついてないね」
シェリーが壁へ手を伸ばし、スイッチを押す。
何も起こらない。
別のスイッチも試してみるが、照明が点く気配はなかった。
「こっちも駄目」
スティーブも近くのスイッチを押す。やはり反応はない。
「停電か」
「テラグリジアで停電してるところがあるって聞いたことがある」
「じゃあ、ここもその一つか」
「たぶん」
シェリーが小さく苦笑した。
「運が悪いね」
「今日の俺たちは、本当に運が悪いな」
スティーブも苦笑する。
ヘリは撃墜され、墜落した。連絡手段も失い、頼りになるのは手元の装備だけだ。そのうえ、逃げ込んだ建物まで停電している。
それでも、立ち止まっているわけにはいかなかった。
二人は慎重に階段を降り、最上階へ向かった。
最上階は、どうやらオフィスとして使われていたらしい。廊下にはいくつもの扉が並び、壁際には掲示板や案内板が残っている。停電したまま放置された空間には、人がいた頃の気配だけが残っていた。
シェリーが手近な扉へ近づき、ノブを回す。
「ここも駄目」
鍵が掛かっている。
スティーブも別の扉を試した。
「こっちもだ」
二人は暗闇の中、手探りで廊下を進んだ。ほとんどの扉は施錠されている。
しばらくして、スティーブが足を止めた。
「……あそこ」
シェリーが顔を向ける。
暗闇の中に、わずかに開いている扉があった。
「開いてる?」
「たぶん」
スティーブが慎重に近づき、扉の隙間から室内を覗き込む。
人の気配はない。
「誰もいなさそうだ」
「じゃあ、入ろう」
「俺が先に行く。シェリーは後ろを頼む」
「分かった」
スティーブが扉を押し開ける。
二人は静かに室内へ入った。
そこもオフィスだった。
机やキャビネットが並び、書類や文房具がそのまま残されている。窓から差し込む光だけでは、部屋の奥まで十分に見渡せない。
「暗いね」
「何か明かりになるものを探そう」
二人は室内を調べ始めた。
シェリーが机の引き出しを開ける。
「ない」
スティーブが別の机へ移る。
「こっちも駄目」
キャビネットを開け、その中を確認していると、シェリーが声を上げた。
「あった!」
「何?」
「懐中電灯!」
シェリーが引き出しから懐中電灯を取り出し、スイッチを入れる。
白い光が暗い室内を切り裂いた。
「よし」
スティーブが安堵の息を吐く。
「これなら少しは見える」
シェリーは懐中電灯を動かし、室内を照らしていく。机の下、棚の陰、キャビネットの隙間。光が届けば、そこに何があるのか確認できる。
「でも、一本だけじゃ心配だね」
「もう少し探そう」
二人は再び机や棚を調べた。
しばらくして、別の引き出しから二本目の懐中電灯が見つかった。
「あった」
「よし」
さらに棚の奥を探す。
「……これも」
シェリーが三本目を取り出した。
「これなら二人で使えるし、一本は予備にできるね」
「十分だな。電池も探しておこう」
二人は周辺の引き出しを調べた。
すると、乾電池の入ったケースまで見つかった。
「電池もある」
「助かったな」
シェリーは三本の懐中電灯を並べた。
「これでしばらくは大丈夫そう」
「そうだな」
一本ずつ手に取り、残った一本と予備の電池を荷物へ収める。
そこでシェリーが部屋の隅へ懐中電灯を向けた。
「電話がある」
デスクの上に、古い電話機が置かれていた。
「使えるか試してみよう」
スティーブが受話器を取る。
耳へ当てる。
「……何も聞こえない」
シェリーも別の電話機を確認した。
こちらも反応しない。
「電話も使えないね」
「電気が戻るまでやっぱり無理か」
スティーブは受話器を戻した。
「ここにいても仕方ない。下へ降りよう」
「うん」
二人が部屋を出ようとした、その時だった。
シェリーが足を止めた。
「……待って」
スティーブもすぐに立ち止まる。
「どうした?」
シェリーは答えず、懐中電灯を消した。
部屋が再び暗闇に沈む。
耳を澄ます。
静かな室内の奥から、何かを擦るような音が聞こえてきた。
続いて、床を踏むような、湿った音。
スティーブも気配を察したのか、無言で銃を構えた。
「……いるね」
シェリーが小声で言う。
二人は懐中電灯を点けず、音の方向へ視線を向けた。
暗闇の向こう。
オフィスの机やキャビネットの陰から、ゆっくりと何かが姿を現した。
人間らしい輪郭を残している。
だが、明らかに人間ではない。
身体の一部が不自然に膨らみ、皮膚は粘液に濡れたように変質している。
ウーズだった。
どうやら、先ほどから部屋のどこかに潜んでいたらしい。二人が室内を調べている間も、物陰に身を潜めていたのだろう。
今のところ、こちらには気づいていない。
ウーズは二人とは反対側へ身体を向け、ゆっくりと歩いている。
シェリーがスティーブを見る。
スティーブが小さく頷いた。
二人は左右へ分かれ、音を立てないように回り込んだ。
ウーズが一歩進む。
その瞬間、シェリーが踏み込んだ。
足を払われ、ウーズの身体が大きく傾く。
倒れかけたところへ、スティーブが間髪入れずに距離を詰めた。
ウーズの首を足で押さえ込み、そのままへし折る。
床へ鈍い音が響いた。
ウーズの身体から力が抜け、そのまま動かなくなった。
二人はすぐには動かなかった。
新たな物音がないか、周囲へ意識を向ける。
何も聞こえない。
シェリーが懐中電灯を点ける。
光が床に倒れたウーズを照らした。
「……やっぱりいたね」
「ああ」
スティーブも懐中電灯を点ける。
「この建物、思ったより残ってるな」
「下にもいるかもしれない」
「だろうな」
スティーブは倒したウーズをもう一度確認した。
動かない。
だが、油断はできない。
彼は廊下へ視線を向けた。
「慎重に行こう」
「うん」
二人は懐中電灯を前方へ向けた。
暗いオフィスの廊下。その先には階段が続いている。
何が待っているのかは分からない。
それでも二人は足を進めた。
足音を抑え、互いの死角を補いながら、建物の内部へ進んでいく。
◆
二人は、さらに階段を下りていった。
スティーブが先を歩き、シェリーがその後ろを追う。懐中電灯の細い光が、コンクリートの壁と手すりを順番に照らしていく。
「結構降りてきたね」
「このまま一階まで行けるかな」
「行ってみないと分からないな。ただ、こういう場合、すんなりとはいかないだろ」
シェリーが小さく笑う。
「それ、今までの経験から?」
「今までの経験から」
「説得力あるね」
「だろ?」
そんな短いやり取りを交わしながら、二人はさらに階段を下りていく。
やがて、先を進んでいたスティーブが足を止めた。
「……ここから先は無理だ」
シェリーが前へ出る。
階段の途中に、スチール製のキャビネットやデスクが寄せ集められていた。家具を積み重ねて作られた即席の封鎖だった。人が通れる隙間はほとんど残っていない。
「塞がれてるね」
「ああ。誰かが動かしたんだろうな」
シェリーは懐中電灯の光を隙間へ向けた。
その先は暗い。
光を少しずつ動かしながら、向こう側を探る。何かが動く気配はない。
「……何もいなさそう」
スティーブも耳を澄ました。
物音は聞こえない。
「今は無理どかすのはやめておこう」
「うん」
二人は少し考えた。
「一旦、この階を見てみよう」
「そうしよう」
階段を少し戻り、近くにあった扉の前へ移動する。
スティーブがノブへ手を掛けた。
「少しだけ開ける」
「分かった」
シェリーが背後につく。
スティーブはゆっくりと扉を開いた。
わずかな隙間から、暗い廊下が見える。
懐中電灯の光を抑え、二人は中を覗き込んだ。
シェリーの目が細くなる。
「……ウーズ」
「どこだ?」
「あちこちにいる」
廊下の先には、いくつもの影があった。
壁際に身体を寄せている個体。
床にうずくまっている個体。
廊下の奥で、ゆっくりと身体を揺らしている個体。
一体ではない。
さらにその奥にも、別の姿が見えている。
「……多いね」
スティーブが低く呟いた。
「ここは無理だ」
二人はそれ以上、扉を開けなかった。
ウーズの数を考えれば、ここで戦えば銃声が他の個体を呼び寄せる可能性もある。
スティーブがゆっくりと扉を閉める。
二人はその場を離れ、来た道を戻った。
◆
別の階へ移動する。
階段を上がりきったところで、スティーブが扉の前に立った。
「少しだけ開けるぞ」
「うん」
スティーブが慎重に扉を開く。
その向こうにも、暗い廊下が続いていた。
二人は懐中電灯の光を最小限に絞り、扉の隙間から様子を窺う。
シェリーが目を細めた。
「……人影?」
「どこだ?」
「奥。……でも遠くて、よく見えない」
廊下の奥に、人らしきものが立っている。
直立しているようにも見える。
ただ、暗闇のせいで、それが人間なのか、それとも別の何かなのかまでは判別できなかった。
「反対側の階段が使えるか見てみよう」
シェリーが小声で言う。
スティーブが先頭に立つ。
シェリーは少し距離を空けて後ろについた。
二人は廊下を進んだ。
だが、しばらく進んだところで、スティーブが手を上げた。
シェリーもすぐに足を止める。
廊下の先。
先ほど見た人影とは別の何かが、ふらつきながら歩いていた。
一見すると、人間の姿をしている。
しかし、その動きがおかしい。
肩を揺らし、足を引きずるようにして、目的もなく廊下を進んでいる。
「……ゾンビ」
シェリーが小さく呟いた。
スティーブが頷く。
幸い、まだこちらには気づいていない。
二人は目を合わせた。
「一旦、離れよう」
「うん」
足音を抑えながら、来た方向へ少しずつ戻る。
ゾンビとの距離が十分に開いたところで、スティーブが足を止めた。
「反対側の階段、どうする?」
シェリーは廊下の先を見た。
「……あのゾンビの後ろ」
「何かあるのか?」
「さっき見えたんだけど、オフィスの扉が開いてた」
スティーブが思い出すように廊下を見つめる。
「オフィス?」
「うん。少しだけ開いてた」
「そこに何かいる可能性は?」
「分からない」
シェリーは声を落とした。
「でも……もしハンターがいたら?」
スティーブの表情が変わった。
「ハンターなら、確認しておいた方がいいな」
「そう思う」
二人は再び廊下の奥を見る。
ゾンビはまだこちらに気づいていない。
シェリーがスティーブへ顔を向けた。
「スティーブ」
「ん?」
「お願い。ハンクさんみたいに、あのゾンビを倒してきてよ」
スティーブは一瞬だけシェリーを見た。
それから、口元に小さな笑みを浮かべる。
「任せろ」
銃には手を伸ばさなかった。
ここで銃声を響かせれば、周囲にいる感染者まで呼び寄せる可能性がある。
ゾンビはこちらに背を向けている。
この状況なら、わざわざ銃を使う必要はない。
スティーブがシェリーへ小さく頷いた。
「静かに片付ける」
ゾンビがゆっくりと背を向けた。
その瞬間、スティーブが動いた。
足音を殺し、一気に距離を詰める。
ゾンビが異変に気づいて振り返ろうとした。
その前にスティーブが背後へ回り込み、頭部を押さえ込む。
身体を固定し、首へ力を加えた。
小さな音がした。
力を失った身体を、そのまま支える。
床へ倒せば音が響く。
スティーブは慎重に身体を横たえた。
「……よし」
シェリーが近づいてくる。
「さすがスティーブ」
「うまいだろ?」
「ハンクさんみたいだった」
「それなら合格だな」
二人は小さく笑った。
だが、すぐに視線を廊下の奥へ戻す。
目的はゾンビを倒すことではない。
その先にある、開いたオフィスを確認することだ。
二人は再び歩き出した。
やがて、半開きになった扉の前へ辿り着く。
スティーブが足を止めた。
「ここだな」
シェリーも後ろから覗き込む。
扉の隙間から懐中電灯を向ける。
薄暗い室内に、人影が見えた。
一つは立ったまま、ゆっくりと身体を揺らしている。
「……ゾンビ」
シェリーが小声で呟く。
その少し先には、床に倒れている人影もあった。
「誰か倒れてる」
スティーブはすぐには入らなかった。
懐中電灯を動かし、机の下、キャビネットの陰、部屋の奥を順番に確認する。
「まだ何かいるかもしれない。入るぞ」
「うん」
二人は慎重に室内へ入った。
机や椅子が散乱している。
床には書類がばら撒かれ、壁際には倒れたキャビネットがある。
その奥に、窓が一つあった。
ガラスは大きく割れ、床には破片が散らばっている。風がそこから吹き込み、紙をかすかに揺らしていた。
シェリーが窓へ目を向ける。
「……ハンターはいないね」
「いないな」
スティーブも周囲を確認する。
「窓から入ってきたのか?」
「たぶん」
シェリーは割れた窓を見つめた。
「ハンターがここに侵入して、そのあと外へ出ていったのかも」
「それなら、さっきのゾンビや倒れてる人も……」
「襲われた可能性はあるね」
二人は倒れている人影へ近づこうとしたが、スティーブが足を止めた。
今の目的は、この建物を隅々まで調べることではない。
反対側の階段へ向かい、地上へ出る道を確保することだ。
「行こう」
「うん」
スティーブが扉へ手を伸ばす。
シェリーは最後にもう一度、室内を見回した。
立っているゾンビ以外に動くものはない。
ハンターの姿も見当たらない。
二人は静かに部屋を出る。
スティーブが扉を閉めた。
そして、廊下の奥にある反対側の階段へ向かって歩き出した。
暗い建物の中には、まだ何が潜んでいるのか分からない。
それでも二人は足を止めなかった。
少しずつ前へ進みながら、この街から抜け出すための道を探していった。
◆
二人は反対側の階段へ向かって、暗い廊下を歩いていた。懐中電灯の光が床や壁を淡く照らしている。先ほどまでウーズやゾンビの気配を警戒していたせいか、短い会話を交わしている間だけは、少しだけ緊張が和らいでいた。
ふと、スティーブが隣を歩くシェリーへ目を向けた。
「それにしても、バイトなのに大変だな」
「え?」
「アークの仕事だよ。ワクチンを運んだり、病院でハンターと戦ったり、今度はこんなところから脱出だ」
スティーブは周囲を見回した。停電したオフィス、薄暗い廊下、そしてウーズやゾンビまでいた。
「こうして見ると、本当に普通のバイトじゃないな」
シェリーは苦笑した。
「確かに……」
アークが対生物兵器企業であることは、もちろん知っている。そこで働く以上、危険な現場に関わることになるのも理解していた。それでも、実際に現場へ出てみれば、想像していた以上に緊張を強いられる場面は多かった。
「最初から危険な仕事なのは分かってたけど、実際にやってみると大変だね」
「だろうな」
スティーブは頷いた。
「卒業したら、そのまま社員になるのか?」
「うん。いつかは社員になるつもり」
シェリーはそう答えたあと、少しだけ言葉を止めた。
「でも、クレアやアレクシア様からは、大学へ進むことも勧められてる」
「大学か」
「うん」
シェリーは懐中電灯を少し前へ向けた。
「二人とも、勉強する時間をちゃんと作ったほうがいいって。仕事だけじゃなくて、別のことも学んだほうがいいって言われてる」
スティーブはしばらく黙っていた。
「まあ、それもいいんじゃないか」
「そう思う?」
「ああ。社員になった後からじゃ大学は難しいだろ」
「うん……」
シェリーは小さく頷いた。
「私も、そのあたりはまだ迷ってる」
その言葉に、スティーブが横目でシェリーを見る。
「なるほどな」
シェリーは少しだけ笑った。
「クレアたちは、焦って決めなくてもいいって言ってくれてる」
「それなら、ゆっくり考えればいい」
「そうだね」
二人は少し歩いた。
しばらくして、今度はシェリーがスティーブへ顔を向ける。
「スティーブは?」
「俺?」
「大学、行かないの?今からでも遅くはないでしょ?」
意外な質問だったのか、スティーブが目を丸くする。
「俺が?」
「うん」
「……考えたことなかったな」
シェリーは少し笑った。
「でも、元U.S.S.の人たちも、許可された人は大学を目指してるよ」
「そういえば、そうだったな」
「うん。アークに入ってから本格的な勉強を始めた人もいるし」
スティーブは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「そっか……」
やがて肩をすくめる。
「まあ、ちょっと落ち着いたら考えるよ」
「うん」
「アシュフォード島から色々忙しかった」
スティーブが前方を見る。
「クレアのことももっと手伝いたい」
「そうだね」
シェリーも頷いた。
その会話は、暗い建物の中では少しだけ場違いだった。
けれど、二人にとっては必要な時間だった。
戦うことだけが、この街で生き残るための方法ではない。
こうして他愛のない話をすることで、まだ自分たちが普段の生活を忘れていないことを確かめられる。
やがて、廊下の先に階段へ続く扉が見えてきた。
二人は自然と表情を引き締めた。
進路の話は、いったんそこで終わった。
先に何が待っているのかは分からない。
それでも、今は進むしかない。
シェリーが懐中電灯を握り直した。
「行こう」
「ああ」
二人は並んで、階段へ向かって歩き出した。
◆
スティーブを先頭に、二人はさらに階段を下りていった。懐中電灯の光がコンクリートの壁を細く照らし、足元に落ちた小さな瓦礫や埃を浮かび上がらせる。しばらく下りたところで、スティーブが片手を上げた。
シェリーがすぐに足を止める。
スティーブは声を出さず、階段の下を指差した。
下階へ続く扉が、わずかに開いている。
「……開いてる」
シェリーが口元を近づけて囁いた。
「そうだな」
スティーブは懐中電灯の光をさらに絞った。二人のいる場所から扉までは、そう遠くない。下りきれば、扉の向こうにいる何かと鉢合わせする可能性がある。
スティーブはその場で動かず、扉へ意識を集中させた。
微かな音がする。
何かが床を擦るような気配。
続いて、短く何かが触れ合う音。
シェリーも耳を澄ました。
「階段には出てきてないね」
「ああ」
スティーブは扉を見た。
「そっと行って、閉めるぞ」
シェリーが頷く。
「合図は私がする」
「頼む」
二人はしばらく待った。
シェリーは目を閉じ、音だけに意識を向ける。扉の向こうにいる何かは、まだ近い。気配が消えない。
やがて、聞こえていた物音が少しずつ遠ざかっていった。
シェリーが目を開く。
もう一度、扉の向こうへ意識を向ける。
今なら動ける。
シェリーが指先をわずかに動かした。
スティーブが頷く。
音を立てないように階段を下りる。
扉の前まで来ると、スティーブが身体を低くした。片手を伸ばし、扉の端へ指を掛ける。
一度、シェリーを見る。
彼女が頷いた。
スティーブがゆっくりと扉を引く。
蝶番が軋まないよう、重さを支えながら少しずつ動かしていく。
扉が閉まる。
最後まで手を添えたまま、スティーブは静止した。
しばらく待つ。
向こう側から反応はない。
足音も近づいてこない。
「……よし」
スティーブが小さく息を吐いた。
シェリーを手招きする。
彼女も静かに階段を下り、スティーブの隣へ並んだ。
「閉められたね」
「ああ」
スティーブは閉じた扉を一度だけ振り返る。
「何がいたのかは分からない。でも、今のところ追ってくる気配はない」
「うん」
シェリーも扉を見つめた。
見えないものほど気になる。
それでも、ここで扉を開けて確認する理由はなかった。
スティーブが先へ進む。
シェリーも後に続いた。
懐中電灯の光が、さらに下へ続く階段を照らす。
そして今度は、さっきよりも慎重に足を運びながら、暗い階段の奥へ進んでいった。
◆
二人はさらに階段を下りていった。
しばらくすると、それまでとは明らかに階段の造りが変わった。狭かった通路が急に開け、踊り場から先は幅の広い階段になっている。手すりも増え、壁際には案内板らしきものまで取り付けられていた。
スティーブが足を止める。
「……まずいな」
「何が?」
「この階段、さっきまでと違う」
シェリーも周囲へ懐中電灯を向けた。建物の構造が変わっている。事務所の内部だけを通っていた時とは違い、ここから先は不特定多数が利用する区画なのだろう。
「商業施設……かな」
「たぶんな」
スティーブは階段の下を覗き込んだ。
「この先、かなり広い場所に繋がってるかもしれない」
二人は警戒を強めながら階段を下りた。
やがて、下階へ続く扉が見えてくる。
スティーブが扉の前で立ち止まり、シェリーもその背後についた。
「開けるぞ」
「うん」
スティーブがノブを握る。
シェリーの呼吸が止まった。
「……多い」
その先には、広大なフロアが広がっていた。
柱の陰。
通路の端。
閉鎖された店舗の前。
床に身体を伏せているものまでいる。
そこかしこに、ウーズがいた。
一体や二体ではない。
数えることを諦めるほどの数が、広いフロアのあちこちに散らばっている。
ある個体は壁にもたれ、別の個体は床へ身体を沈めていた。さらに奥では、何体かが粘つく身体を引きずりながらゆっくりと移動している。
スティーブは即座に扉を戻した。
音を立てないよう、最後まで手を添えて扉を閉じる。
「一階は無理だね」
「ああ」
スティーブは扉から距離を取った。
「あれだけいると、撃ち合いになった瞬間に囲まれる」
「それに、全部倒してる間に別のB.O.W.まで寄ってきそう」
「その可能性もある」
二人は顔を見合わせた。
ここを突破するのは得策ではない。
「戻ろう」
「うん」
二人は来た階段を上がり、ひとつ上の階へ戻った。
階段を上りきると、今度はシェリーが扉の前へ進み出た。
「今度は私が見るね」
「頼む」
シェリーがノブを回し、扉をほんの少しだけ開ける。
数秒。
「……こっちもいる」
「どのくらい?」
シェリーは少し考えた。
「いっぱい」
その一言で十分だった。
シェリーはすぐに扉を閉める。
「二階も駄目」
「一階も二階もか……」
スティーブは階段を見上げた。
残るのは、さらに上の階だけだった。
「三階を見てみる」
「うん」
二人は再び階段を上がった。
途中でシェリーが小さく息を吐く。
「ここまで来ると、何も出てこない方が不思議かも」
「そういうこと言うと、出てくるぞ」
「……やめてよ」
「悪い」
スティーブが小さく笑った。
少しだけ緊張が和らいだところで、二人は三階の扉の前へ着いた。
スティーブが手をかける。
「……今度こそ何もいないといいな」
「祈ろうか」
「そうだな」
シェリーが目を閉じた。
「お願いします」
スティーブも真似するように目を閉じる。
「俺も祈っとく」
シェリーが思わず笑った。
「そんな簡単なので効くかな」
「やらないよりはいいだろ」
「それもそうだね」
二人は短く笑い、それから再び表情を引き締めた。
スティーブが扉を開く。
ほんのわずかな隙間。
まず耳を澄ます。
一階や二階で感じたような、密集した気配はない。
「……少ない?」
シェリーが囁いた。
「みたいだな」
スティーブは慎重に扉を広げる。
三階の廊下には、いくつかの人影があった。
シェリーが目を凝らした。
「……あれ?」
「どうした?」
「奥に何かいる」
スティーブも視線を向ける。
廊下の奥。
暗闇の中に、巨大な影が立っている。
人間よりはるかに大きい。
身体を丸めるようにしているため、正確な大きさは分からない。それでも、ここまで離れていても異様な圧迫感を感じさせる存在だった。
シェリーの表情から笑みが消える。
「……ウーズじゃない」
スティーブも銃へ手を添えた。
「ピンサーでもないな」
「トライコーンでもない」
二人はその場から動かなかった。
巨大な影がわずかに身じろぎする。
「……頭が二つ?」
シェリーが息を潜めて呟いた。
暗闇の奥に、二つの頭部が並んでいる。
左右へ分かれるように伸びた異様な首。
通常の感染者とは明らかに違う。
スティーブはそれ以上、扉を開けるのをやめた。
「……あれは知らないな」
「私も」
シェリーは怪物から目を離さなかった。
これまでテラグリジアで未知の変異を見てきた。
それでも、目の前の存在は別格だった。
ウーズとは違う。
ピンサーでも、トライコーンでもない。
まして、ラクーンシティで見たゾンビやリッカーとも一致しない。
「一旦、閉めよう」
スティーブが囁いた。
「うん」
シェリーが頷く。
スティーブがゆっくりと扉を戻した。
完全に閉じる直前まで、二人は怪物から視線を外さなかった。
扉が閉じる。
それでも、二人はすぐには動かなかった。
向こう側から、何かが這うような低い音が聞こえる。
シェリーが小さく息を吐く。
「……あれ、何なんだろう」
「分からない」
スティーブは扉を見つめたまま答えた。
「でも、今の俺たちに必要なのは名前じゃない」
「近づかないことだ」
二人は静かにその場を離れた。
後に、その異形には一つの名が与えられることになる。
――スキャグデッド。
だが、今の二人にはそんな呼び名を知る術はない。
ただ、三階の奥には、これまで確認したどの個体とも異なる怪物が潜んでいる。
その事実だけが、重く二人の胸に残っていた。
二人は扉の前から、しばらく動かなかった。
目の前には正体の分からない巨大な怪物がいる。下の階へ戻れば大量のウーズが待ち構え、その途中の階にも感染者の姿が確認されている。
どの方向へ進んでも、簡単には抜けられそうになかった。
「……どうする?」
スティーブが低く尋ねる。
シェリーは三階の廊下を見つめた。
「一階と二階は、あの数だと通るのは難しいね」
「ああ」
「だったら、三階を使うしかないと思う」
スティーブも扉の向こうへ目を向けた。
「問題は、あいつだな」
「でも、こっちはまだウーズが少ない」
シェリーは周囲を見回した。
先ほど見た限り、三階には大量のウーズが集まっている様子はない。正体不明の巨大な個体がいることを除けば、下の階よりは動きやすそうだった。
「商業施設なら、近くに案内図があるんじゃないかな」
「案内図?」
「施設全体のフロアマップ。出口や非常口も載ってるはず」
スティーブが少し考える。
「それがあれば、怪物のいる場所を避けて外へ出られる可能性がある」
「うん」
「探してみよう」
二人は廊下の壁へ目を向けた。
施設の案内表示らしい掲示物がいくつか並んでいる。照明が落ちているせいで細部までは見えないが、その中に大きなパネルが一つあった。
「あれじゃないか?」
スティーブが指差す。
「見てくる」
「俺がここで見張る」
「分かった」
シェリーは懐中電灯の光を絞ると、身を低くして廊下へ出た。
怪物が潜んでいる方向とはできるだけ距離を取り、壁際を選んで進んでいく。
数歩進むたびに足を止め、廊下の奥を確認する。
何も動かない。
あの巨大な影も、こちらへ近づいてくる様子はなかった。
やがて、シェリーは案内板の前へ辿り着いた。
「……あった」
懐中電灯を向ける。
そこには施設全体のフロアマップが描かれていた。
各階の店舗や通路に加え、非常口や避難経路まで表示されている。
シェリーは現在地を確認し、続いて三階の構造を目で追っていった。
「ここが今いる場所……こっちが非常口」
指で経路をたどる。
「これなら、外へ出られる」
さらに近くへ目を向けると、パンフレットが数部、ラックに残されていた。
シェリーはそのうちの数枚を取った。
「これも使えそう」
施設の簡易案内図なら、現場で持ち歩くにはこちらの方が便利だ。
シェリーはパンフレットをまとめ、急いでスティーブのもとへ戻った。
「戻ったよ」
「何か分かったか?」
「うん」
シェリーは折り畳んだ地図を開いた。
「三階から外に出られる」
「本当か?」
「ここ。非常口がある」
現在地から続く通路を指で示す。
「この廊下を抜ければ、非常階段に繋がってる。そこから外へ出られるみたい」
スティーブが地図を覗き込む。
「なるほど」
シェリーは別の場所を指した。
「それと、こっち」
「何だ?」
「この施設から少し離れたところに病院がある」
スティーブが地図上の距離を確認する。
「……三キロくらいか」
「たぶんそれくらい」
「徒歩でも行ける距離だな」
「あとは外に出た後、どう移動するかだけど」
スティーブは地図から顔を上げた。
「建物の中を無理に突破するよりはいい」
「私もそう思う」
シェリーは一階と二階のマップへ目を落とした。
大量のウーズがいるフロア。
感染者が徘徊していた階。
そして、三階には正体不明の巨大な怪物。
どこも安全とは言えない。
それでも、出口へ繋がる道が分かっただけで状況は変わった。
「よし」
スティーブが決める。
「三階から外へ出るルートを使おう」
「うん」
◆
二人は三階の廊下を進んだ。
先ほど確認した巨大な怪物には、できるだけ近づかない。スティーブが時折振り返り、怪物のいる方向を確認するが、今のところこちらへ向かってくる様子はない。
「……さっさと進もう」
スティーブが小声で言った。
「うん」
シェリーが頷く。
彼女が先頭に立ち、スティーブが後方を警戒しながら続いた。懐中電灯の光は必要最低限に絞っている。廊下の先を照らしすぎれば、こちらの存在を敵に知らせることになる。
途中で、どこかの部屋から物音がした。
二人は同時に足を止めた。
シェリーが光を壁際へ向け、スティーブが背後を確認する。
音は、それ以上続かなかった。
シェリーが小さく息を吐く。
「……行こう」
二人は再び歩き始めた。
そして、案内図で確認していた非常口が見えてきた。
「もうすぐ非常口だね」
「ああ。あと少しだ」
スティーブが周囲を見回す。
非常口までの距離は、もうわずかしかない。
その時だった。
シェリーが突然、足を止めた。
「……待って」
スティーブも立ち止まる。
「どうした?」
シェリーは前方を見つめていた。
廊下の奥に何かがいる。
細い腕。
異様に変形した身体。
その姿を確認した瞬間、シェリーが小さく呟いた。
「トライコーン……」
異形が腕を持ち上げる。
「来る!」
次の瞬間、硬質な棘が一直線に飛んできた。
シェリーは反射的にトマホークを抜いた。
迫ってきた棘を刃で横から弾く。
甲高い音とともに、棘が床へ落ちた。
「危なっ……」
だが、その音は静かな廊下には大きすぎた。
周囲から何かが動き出す。
廊下の脇にいたウーズが、ゆっくりとこちらへ身体を向けた。
その奥では、別の個体も起き上がっている。
さらに、壁際に身を潜めていたピンサーが身体を持ち上げた。
「まずい」
スティーブが銃を構える。
しかし、ここで撃てば銃声が周囲へ響く。
さらに別の感染者を呼び寄せる可能性がある。
シェリーは背後を振り返った。
非常口は、すぐそこだった。
「スティーブ!」
「ああ!」
二人の間に、それ以上の言葉は必要なかった。
「逃げるぞ!」
スティーブが叫ぶ。
二人は同時に走り出した。
シェリーが先頭を切る。
トマホークを握ったまま廊下を駆け抜ける。
その背後から、ウーズたちが一斉に動き始めた。
床を擦る音。
壁へ身体をぶつける音。
複数の足音が重なって迫ってくる。
さらにトライコーンが腕を持ち上げた。
「走れ!」
スティーブが後方を確認しながら叫ぶ。
シェリーは振り返らない。
非常口だけを見据え、速度を落とさず走る。
扉まで、あとわずか。
シェリーが手を伸ばした。
ノブを掴む。
「開いて!」
勢いをつけて押し開ける。
外から冷たい空気が流れ込み、シェリーの頬を撫でた。
「出た!」
シェリーがそのまま外へ飛び出す。
「シェリー!」
スティーブも続いた。
二人は扉から離れ、建物の壁際まで一気に走る。
そこでようやく足を止めた。
振り返る。
開いた非常口の向こうには、まだ感染者たちの姿がある。
ウーズが廊下を這うように近づいてくる。
ピンサーもこちらへ向かっている。
その奥では、トライコーンが再び腕を構えていた。
さらに三階の奥には、先ほど確認した二つの頭を持つ巨大な怪物がいる。
建物の中には、まだ多数のB.O.W.が残っている。
シェリーは息を整えながら、それらを見つめた。
「……まだいるね」
「ああ」
スティーブも銃を構え直す。
「だけど、ここに立ち止まってる暇はない」
シェリーが頷く。
二人は建物の外周へ沿って移動を始めた。
背後では、非常口から感染者たちがこちらへ迫っている。
逃げ切ったわけではない。
それでも、閉ざされた建物の中から外へ出られたことで、二人には新たな逃走経路が生まれていた。
シェリーは懐中電灯をしまい、手にしたパンフレットへ一瞬だけ目を落とす。
「病院まで、あと三キロくらい」
二人は前を向いた。
背後からは、まだB.O.W.の気配が続いている。
二人は建物から離れるように、一気に通りへ飛び出した。
外へ出たばかりの道路には、避難の途中で放置された車両が何台も残っている。開け放たれたドア、路肩へ乗り上げた車、道を塞ぐように停められたバス。その隙間を縫わなければ、まっすぐ進むこともできない。
シェリーが前方を見据え、走る速度を落とさず車両の間を抜けていく。
その時だった。
前方の車陰から、粘ついた身体を引きずるようにしてウーズが現れた。
シェリーは足を止めなかった。
ウーズが腕を伸ばし、正面から襲いかかってくる。
シェリーは走りながら身体を横へ滑らせた。迫ってきた腕がすぐ脇を掠める。
その瞬間、トマホークが振り抜かれた。
刃が腕を弾き、ウーズの身体が大きく傾く。
「今!」
スティーブが声を上げる。
二人はそのまま進路を変えず、よろめいたウーズの横を一気に駆け抜けた。
背後で、異形の身体が路面へ崩れ落ちる音が響く。
スティーブが前方を指した。
今度はピンサーだった。
大きく変形した両腕を振り上げ、二人の進路を塞いでいる。
「来るよ!」
シェリーは速度を緩めない。
ピンサーの腕が振り下ろされる。
シェリーは走る勢いを保ったまま身体を横へずらし、迫ってきた腕をトマホークで弾き飛ばした。
硬い衝撃が腕へ伝わる。
ピンサーの体勢が崩れる。
そこへスティーブが横から踏み込んだ。
「どけ!」
身体をぶつけるようにしてピンサーを押し退け、最後に蹴り飛ばす。
ピンサーが車両へ激突し、金属の軋む音が通りに響いた。
二人はそのまま走り抜けた。
背後から、複数の足音と這いずるような音が重なって聞こえてくる。
スティーブが一度だけ振り返った。
「止まるな!」
「分かってる!」
シェリーは前方へ視線を戻す。
道路にはまだ放置車両が続いている。
二人はその隙間を縫うように進み、車体へ手をついて方向を変えながら、さらに通りの奥へ駆けていった。
テラグリジアの街路には、放置された車や散乱した荷物が残っている。遠くではサイレンが鳴り、どこかの建物からは薄い煙が上がっていた。
それでも、二人の前には道が続いている。
二人は並んで、病院のある方向へ向かって走り続けた。
まだまだ距離はある。
遠くにサイレンが聞こえる。
どこかの建物から煙が上がっている。
道路には、避難の途中で残された荷物が散らばっていた。
それでも二人は止まらなかった。
病院へ戻る。
仲間のもとへ帰る。
今は、その目的だけを胸に、二人は街の奥へ進んでいった。