アーク製薬会社   作:ai試し2

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7話 合流

 ハンクは犬を連れて、テラグリジアの街を歩いていた。

 

 道路脇には避難の途中で放棄された車両が並び、割れた窓から風が吹き込んでいる。遠くから断続的に銃声が聞こえてくるものの、二人の周囲には不思議なほど静かな時間が流れていた。

 

 犬はハンクの少し前を進んでいる。

 

 その歩みには迷いがない。時折立ち止まって周囲の匂いを探り、それからまた一定の方向へ向かっていく。

 

 ハンクは余計な声をかけず、その後ろを一定の距離で追っていた。

 

 やがて、犬が突然足を止めた。

 

「……どうした?」

 

 犬は答える代わりに、前方へ顔を向けた。

 

 鼻を上げ、空気を嗅ぐ。

 

 そして、小さく一度だけ吠えた。

 

 ハンクはその視線の先を追う。

 

「そっちか」

 

 犬が振り返る。

 

 まるで理解しているかのようにハンクを一度だけ見たあと、再び歩き出した。

 

 向かった先にあったのは、三階建ての建物だった。

 

 犬は入口へは向かわなかった。

 

 そのまま建物の側面へ回り込む。

 

 そして、外壁に沿って設置された配管へ前足を掛けた。

 

「……まさか、登るのか」

 

 ハンクが足を止める。

 

 犬は一度だけ振り返った。

 

 それから、迷うことなく器用に上へ進んでいく。

 

 やがて、その姿が屋上の縁へ消えた。

 

 ハンクはしばらく建物を見上げていた。

 

「……行くしかないか」

 

 周囲を確認する。

 

 他に屋上へ上がれる場所がないか探したが、近くに使えそうな階段や梯子は見当たらなかった。

 

 ハンクは犬が使った足場へ近づいた。

 

 配管を確認する。

 

 強度に問題はなさそうだった。

 

 ハンクは足場へ手を掛け、身体を引き上げた。

 

 一段。

 

 また一段。

 

 狭い足場を確かめながら上へ進む。

 

 最後の段を越え、屋上へ身体を乗せた。

 

 そこでハンクは足を止めた。

 

 床に、二体の異形が倒れていた。

 

 一体は両腕を異様に変化させたピンサー。

 

 もう一体は、腕から鋭い棘を射出するトライコーンだった。

 

 どちらも動かない。

 

 少し離れた場所で、犬が振り返っている。

 

 ハンクは倒れている二体へ近づいた。

 

 まずピンサーを確認する。

 

 続いてトライコーンへ視線を移す。

 

 どちらにも動く気配はない。

 

 ハンクは犬を見た。

 

「……お前がやったのか」

 

 犬は返事をするように、尻尾をわずかに揺らした。

 

 ハンクは一瞬だけ黙った。

 

「よくやった」

 

 ハンクは犬の頭へ手を置き、軽く撫でた。

 

 犬は嫌がることもなく、その場でじっとしている。

 

 ハンクは立ち上がり、改めて屋上全体を見渡した。

 

 建物の屋上には、他に動くものは見当たらない。

 

 ただ、遠くの街からは銃声が聞こえてくる。

 

 テラグリジアでは、まだ戦闘が続いている。

 

 そして、この街のどこかにはスティーブとシェリーがいる。

 

     ◆

 

ハンクは屋上の端に立ち、テラグリジアの街を見渡した。

 

 遠くの建物群の向こうから、黒い煙が立ち上っている。風に流されながら細長く伸び、その先端が空へ溶けていた。

 

 ハンクは目を細めた。

 

「……あれか」

 

 スティーブとシェリーが乗っていたヘリは、正体不明のUAVによって撃墜された。

 

 もし、あの煙が墜落したヘリから上がっているのなら、自分が進んできた方向は間違っていない。

 

 ハンクは双眼鏡を取り出した。手早く視野を合わせ、煙の周辺を確認していく。

 

 建物。

 

 道路。

 

 放置された車両。

 

 目立った動きはない。

 

 しばらくして、煙の下方を横切る影が見えた。

 

「……感染者か」

 

 ハンクが倍率を調整する。

 

 一体ではない。

 

 複数のウーズが通りを進んでいる。

 

 身体を引きずるように歩く個体もいれば、車両の陰を縫うように移動する個体もいる。

 

 だが、奇妙だった。

 

 その動きがばらばらではない。

 

 何体ものウーズが、同じ方向へ向かっている。

 

 ハンクはしばらく黙って観察した。

 

「……生存者か?」

 

 そう呟いた直後だった。

 

 双眼鏡の視界に、別の二つの人影が入った。

 

 走っている。

 

 一人は小柄な身体を前へ運び、もう一人がその少し後ろを追っている。

 

 ハンクは倍率を上げた。

 

「……あれは」

 

 見間違えるはずがなかった。

 

 シェリー。

 

 その後ろにいるのは、スティーブだった。

 

 二人はウーズたちの群れから逃げるように、通りを走っている。

 

 ハンクはすぐに双眼鏡を下ろした。

 

 無線機を取り出す。

 

「こちらハンク」

 

 短いノイズの後、通信が繋がる。

 

「スティーブとシェリーを発見した。墜落地点から病院方面へ移動中。現在位置を送る」

 

 ハンクは座標を確認し、続けた。

 

「応援を頼む」

 

『了解』

 

 通信を切る。

 

 ハンクは再び双眼鏡を覗いた。

 

 通りの先では、音に反応した数体が二人の進路を塞ぐように動いている。

 

 このままでは挟まれる。

 

 ハンクは双眼鏡を下ろし、背負っていたライフルを手に取った。

 

 屋上の縁へ身を伏せる。

 

 銃身を安定させ、照準を通りへ向けた。

 

 二人との距離が近すぎれば、流れ弾が危険になる。

 

 ハンクはシェリーとスティーブの動きを追いながら、引き金へ指を置いた。

 

 さらに数秒。

 

 ウーズの一体が、その先へ回り込もうとした。

 

 ハンクが引き金を引く。

 

 乾いた銃声が、屋上からテラグリジアの街へ響いた。

 

 狙われたウーズが身体を大きく揺らし、そのまま路面へ崩れ落ちる。

 

 シェリーが一瞬だけ顔を上げた。

 

 だが、立ち止まらない。

 

 スティーブも周囲を確認しながら走り続けている。

 

 ハンクはすぐに次の個体へ照準を移した。

 

 ピンサーがシェリーへ向かって近づいていく。

 

 引き金。

 

 もう一体が倒れる。

 

 その隣から別の個体が迫った。

 

 ハンクは照準を滑らせ、続けて撃ち込む。

 

 ウーズが路面へ転がった。

 

 進路が開く。

 

「そのまま行け」

 

 声が届く距離ではない。

 

 それでもハンクは呟いた。

 

 二人は開いた道を駆け抜けていく。

 

 背後から追っていた個体がなおも距離を詰めようとする。

 

 ハンクは再び照準を合わせた。

 

 一発。

 

 ウーズが倒れる。

 

 もう一体。

 

 引き金を引く。

 

 それも動かなくなった。

 

 ハンクは追撃せず、二人の動きを確認する。

 

 シェリーとスティーブは、ひとまずウーズたちの群れから抜け出していた。

 

 ライフルを下ろす。

 

 ハンクはもう一度、通りの先へ目を向けた。

 

「もう少しだ」

 

     ◆

 

銃声が、通りの上を乾いた音で駆け抜けた。

 

 シェリーはわずかに肩を揺らしたが、足は止めなかった。前方を塞いでいたウーズが銃弾を受け、身体を大きくのけぞらせて倒れていく。

 

 続けて、横合いから迫っていたピンサーにも一発が撃ち込まれた。

 

 異形の身体が崩れ、進路が開く。

 

「……援護だ」

 

 シェリーが息を弾ませながら言った。

 

「この銃撃、私たちを助けてくれてる」

 

 スティーブが走りながら銃声のした方へ目を向ける。

 

 二人は速度を落とさなかった。

 

 前方に現れるウーズが撃ち倒され、その横から回り込もうとした個体倒れる。

 

 まるで、見えない誰かが二人のために道を切り開いているようだった。

 

 二人は開けた進路へ飛び込んだ。

 

 その先に、三階建ての建物が見えてきた。

 

 銃撃は、どうやらあの建物から行われている。

 

 シェリーが走りながら顔を上げた。

 

 屋上の縁に、人影が立っている。

 

 その姿がはっきりと見えた瞬間、シェリーの表情が変わった。

 

「……ハンクさん!」

 

 声が思わず大きくなる。

 

 屋上の人物がこちらへ視線を向けた。

 

 スティーブもその姿を確認しようとする。

 

「……見えねぇ」

 

 二人は建物の足元へ駆け込んだ。

 

「急ごう!」

 

 シェリーは立ち止まらない。

 

 建物の一階部分から張り出した屋根を見つけると、そこへ手を掛けた。

 

 勢いを殺さず身体を引き上げる。

 

 屋根の上へ乗ったシェリーが、すぐに下へ腕を伸ばした。

 

「スティーブ、手!」

 

「頼む!」

 

 スティーブが伸ばされた手を掴む。

 

 シェリーが腕へ力を込め、体重を後ろへ預ける。

 

「よいしょ……!」

 

 スティーブの身体が屋根の縁まで引き上げられた。

 

「上がって!」

 

「助かった!」

 

 スティーブが屋根へ身体を乗せる。

 

「こっち!」

 

 シェリーが取り付いた。

 

 手を掛ける場所を確かめ、身体を持ち上げていく。

 

 スティーブも後に続く。

 

 二階部分へ上がると、シェリーは一度足場を確かめた。それからさらに上を目指す。

 

 数メートル先に、三階部分の縁がある。

 

 二人はそこへよじ登った。

 

 その上には、屋上がある。

 

 縁から顔を出すと、ハンクが二人を見下ろしていた。

 

「ハンクさん!」

 

「あと少しだ」

 

 ハンクが身を屈め、手を伸ばす。

 

 シェリーがその手を掴んだ。

 

「お願いします!」

 

 ハンクが腕を引く。

 

 シェリーの身体が屋上へ引き上げられた。

 

「……っ!」

 

 屋上へ上がったシェリーはすぐに振り返る。

 

「スティーブ!」

 

「分かってる!」

 

 下からスティーブの声が返る。

 

 彼が屋上の縁へ手を掛けた。

 

 シェリーが身を伏せて腕を伸ばす。

 

「掴んで!」

 

「よし!」

 

 スティーブがその手を掴む。

 

 シェリーが引き上げようとする。

 

 しかし、さすがに一人では重い。

 

 ハンクが反対側へ回り、スティーブの腕を掴んだ。

 

「引くぞ」

 

「はい!」

 

 二人が同時に力を込める。

 

 スティーブの身体がゆっくりと持ち上がる。

 

 最後にスティーブが肘を屋上へ掛け、二人の力を借りながら身体を引き上げた。

 

「よし!」

 

 スティーブが屋上へ転がり込む。

 

 三人が、ようやく同じ場所に揃った。

 

 シェリーは荒い息を整えながらハンクを見る。

 

「ハンクさん……!」

 

 ハンクはまず二人の姿を確認した。

 

 怪我はある。

 

 服も汚れている。

 

 それでも、自分の足でここまで来ている。

 

 ハンクは短く頷いた。

 

「無事だったな」

 

「はい」

 

 シェリーが答える。

 

 スティーブも息を整えながら立ち上がった。

 

「なんとか、ですけどね」

 

 スティーブが苦笑する。

 

 シェリーもようやく肩の力を抜いた。

 

 二人とも、今になって初めて実感していた。

 

 自分たちは仲間と、ようやく再会できたのだ。

 

     ◆

 

シェリーは、ようやく落ち着きを取り戻したところで、隣に立つスティーブへ目を向けた。

 

「スティーブ、怪我してる」

 

 袖の一部が裂け、腕には細い傷が走っている。

 

「これ?」

 

 スティーブは自分の腕を見下ろした。

 

「かすり傷だよ。大したことない」

 

「本当に?」

 

「ああ。本当に」

 

 シェリーは納得しきれない様子で傷をもう一度確認してから、今度は自分の身体へ視線を落とした。

 

 服には埃や汚れが付着し、ところどころ擦れた跡がある。

 

「私も……かすり傷かな、トライコーンの弾き損ねた」

 

「だったら、お互い様だな」

 

 スティーブが笑う。

 

 その時だった。

 

「ワン」

 

 背後から、小さな鳴き声が聞こえた。

 

 シェリーの表情が変わる。

 

「……え?」

 

 振り返る。

 

 そこに立っていたのは、見慣れた姿だった。

 

「……あなたも来てくれたの?」

 

 シェリーは思わず駆け寄った。

 

 愛犬は待っていたかのように尻尾を大きく振る。

 

 次の瞬間、シェリーがその身体へ抱きついた。

 

「よかった……」

 

 抱きしめた腕に力が入る。

 

 愛犬は嫌がることもなく、嬉しそうに彼女の周囲を尻尾で叩いていた。

 

 シェリーはしばらく離れようとしなかった。

 

 ヘリを撃墜され、通信手段も失い、見知らぬ建物の中を抜けてきた。

 

 そしてようやく仲間と再会したと思ったら、そこに家で待っているはずの愛犬までいる。

 

 張り詰めていたものが、ようやく一つほどけた。

 

 その様子を見ていたスティーブが、わずかに笑う。

 

「会えてよかったな」

 

 シェリーは愛犬の頭を撫でながら頷いた。

 

「うん」

 

 ハンクはそんな二人を一度確認すると、無線機を取り出した。

 

「こちらハンク」

 

 通信を開始する。

 

「シェリー・バーキン、スティーブ・バーンサイドを保護した。二人とも生存」

 

 短い報告だった。

 

『了解』

 

 返答を確認すると、ハンクは無線を切った。

 

 そして三人と一頭を見渡す。

 

「準備はいいか」

 

「はい」

 

 シェリーが答える。

 

「大丈夫です」

 

 スティーブも頷いた。

 

 ハンクは屋上の縁へ歩いていった。

 

 眼下には、道路を塞ぐ車両と、ふらつく異形の影が見える。

 

「行くぞ」

 

 ハンクが手にしていた手榴弾を下へ落とした。

 

 数秒後。

 

 建物の下から爆発音が響いた。

 

 大きな音に合わせるように、集まっていたウーズたちの動きが乱れる。

 

 シェリーが先に動いた。

 

 愛犬を伴って屋上から下へ飛び降りる。

 

 着地すると同時に身体を低くして衝撃を逃がし、トマホークで邪魔なウーズを一閃、そのまま愛犬と一緒に前へ駆けた。

 

 続いてハンクが降りる。

 

 最後にスティーブも屋上から飛び降りた。

 

 四人は着地した場所に留まらず、すぐにその場を離れた。

 

 シェリーは愛犬の隣を走る。

 

 愛犬も彼女の歩調に合わせるように駆けている。

 

 スティーブは時折振り返り、後方から迫る気配を確認する。

 

 その前をハンクが進んでいた。

 

「撤退する」

 

 短い指示に、二人が応じる。

 

「はい!」

 

「ああ!」

 

 ハンクを先頭に、四人は街路を抜けていく。

 

 目的地は、先ほど連絡を入れた救援部隊との合流地点だった。

 

 シェリーは走りながら隣の愛犬へ目を向ける。

 

 愛犬がこちらを見上げる。

 

「もう少しだからね」

 

 返事の代わりに、尻尾が一度だけ揺れた。

 

 スティーブがそれを見て笑う。

 

「元気そうで何よりだな」

 

「うん」

 

 シェリーも笑った。

 

 テラグリジアの街では、まだ戦闘が続いている。

 

 だが今は、三人と一頭が再び同じ場所にいる。

 

 それだけで十分だった。

 

 ハンクは前方を見据えたまま、足を止めなかった。

 

 救援部隊との合流地点へ。そのまま走り続けた。

 

 

 ウーズの姿が見えなくなってからもしばらく走り続け、ようやく一行は足を止めた。ハンクが周囲を確認する。背後から追ってくる気配はない。

 

「……ここならいいだろう」

 

 三人と一匹が立ち止まる。  シェリーは愛犬の身体を撫でながら、乱れた呼吸を整えた。スティーブは二丁の拳銃を手に取り、残弾を確認する。

 

「弾は大丈夫か」

 

「俺はちょっと減ってますね。弾薬、分けてもらいます」

 

「分かった」

 

 シェリーも自分の装備を確認した。

 

「私は大丈夫」

 

「ならいい」

 

 ハンクが周囲へ視線を向ける。

 

 その時だった。

 

「……グルル」

 

 愛犬が低く唸った。

 

 シェリーが振り返る。

 

「どうしたの?」

 

 犬は答えない。ただ、ある一点をじっと見つめている。

 

 シェリーもその先へ目を向けた。

 

 放置された車両と建物がある。

 

 それだけだった。

 

「……何かいる」

 

 シェリーがトマホークを握る。

 

 スティーブも拳銃を構えた。

 

「どこだ?」

 

「分からない。でも、この子も何かを感じてる」

 

 シェリーは愛犬へ手を添えた。

 

「あっちへ」

 

 犬をスティーブの方へ下がらせる。

 

「スティーブ、お願い」

 

「ああ」

 

 スティーブが犬のそばにつく。

 

 シェリーは周囲を警戒しながら、トマホークを構えた。

 

 愛犬が唸り声を上げる。

 

 次の瞬間、犬が何もない空間へ向かって勢いよく飛び掛かった。

 

 犬の身体が大きく揺れる。

 

 何かに噛みついたのだ。

 

 その瞬間、何もなかった空間が歪んだ。

 

 透明になっていた異形の姿が、一瞬だけ浮かび上がる。

 

「そこだ!」

 

 スティーブが瞬時に反応した。

 

 二丁の拳銃を抜き、何かへ向けて連射する。

 

 銃声が重なった。

 

 銃弾を受けた異形の身体が大きく揺れ倒れる。

 

 その一方で、シェリーも別の個体へ向かっていた。

 

 姿は見えない、いや見えにくい。

 

 それでも、そこにいる。

 

 シェリーは気配と僅かな視覚を頼りに、目の前の空間へトマホークを振り抜いた。

 

 ガキンッ!  刃が爪に弾かれる。

 

 一瞬だけ、異形の姿が浮かび上がった。

 

 鋭い爪でトマホークを受け止めている。

 

 シェリーはすぐに身を引き、距離を取った。

 

 異形は追ってこない。

 

 その輪郭が再び揺らぎ、周囲の景色へ溶け込むように消えていく。

 

「……消えた」

 

 シェリーはトマホークを構えたまま、周囲へ視線を走らせる。

 

 今、対峙していた個体は見えない。

 

 それでも、まだ終わっていないような感覚があった。

 

 愛犬が再び低く唸る。

 

 その視線が、先ほどとは別の場所へ向いている。

 

「……待って」

 

 シェリーは犬を見る。

 

「たぶん、まだいる。もう一体……」

 

 ハンクがライフルを構え直した。

 

 スティーブも周囲へ目を走らせる。

 

 次の瞬間、犬が駆け出した。

 

「今!」

 

 シェリーも同時に走る。

 

 二人は別々の方向へ飛び込んだ。

 

 シェリーが目の前の空間へトマホークを振り下ろす。

 

 ガキンッ!

 

 また爪に阻まれた。

 

 再び透明だった異形の姿が浮かび上がる。

 

 シェリーはそのまま踏み込んだ。

 

 トマホークを横薙ぎに振る。

 

 異形は後方へ跳び、攻撃をかわした。

 

 シェリーはすぐに空いた手でハンドガンを抜く。

 

「そこ!」

 

 銃声が響いた。

 

 何もないように見えた空間から、血が飛び散る。

 

 透明化していた異形が、わずかに姿を現した。

 

 シェリーが追撃しようとした、その時だった。

 

 別の場所から銃声が響く。

 

 ハンクのライフルだった。

 

 弾丸が異形を捉える。

 

 身体が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れた。

 

 透明化が解け、異形の姿がはっきりと浮かび上がる。

 

 ハンクが倒れた個体を確認する。 「もう動かない」

 

 シェリーは息を整えながら頷いた。

 

「ありがとう、ハンクさん」

 

 その直後、少し離れた場所からスティーブの銃声が響いた。

 

 一発。

 

 二発。

 

 続いて、犬の唸り声が聞こえる。

 

 さらに短い格闘音が重なった。

 

 シェリーがそちらを見る。

 

 そこにはスティーブと愛犬が立っていた。

 

 二丁の拳銃を下ろしたスティーブの足元には、もう一体の異形が倒れている。

 

 犬もそのそばで警戒していた。

 

「もう一体も終わったようだ」

 

 ハンクが言う。

 

 スティーブは倒れた異形を見下ろした。

 

「こいつら、透明になれるのかよ……」

 

 ハンクはライフルを下ろし、倒れている異形へ目を向けた。

 

 ハンターに似た姿。

 

 だが、これまで確認されているハンターとは明らかに異なる。

 

 姿を透明にし、周囲の景色へ紛れ込む。

 

 目で捉えられない状態から、突然こちらへ襲いかかることもできる。

 

 ハンクはしばらく黙って三体の異形を見つめた。

 

「……今までのハンターとは少し違うな」

 

 シェリーは愛犬の身体へ手を置いた。

 

「この子が気づいてくれなかったら、危なかったね」

 

「ああ」

 

 スティーブが頷く。

 

 ハンクは周囲へ視線を戻した。

 

 先ほどまでの戦闘で道路にはいくつもの痕跡が残っている。放置された車両の陰、建物の入口、路地の奥。見落としがないよう、一つずつ目を動かしていく。

 

 隣ではシェリーも同じように周囲を確認していた。愛犬も鼻を地面へ近づけながら、警戒を続けている。

 

「……新手はいないな」

 

「いないと思います」

 

 シェリーが答える。

 

 ハンクはしばらく待った。

 

 物音はない。

 

 気配もない。

 

 少なくとも、今すぐ襲ってくる個体はいないようだった。

 

 ハンクは無線機を取り出した。

 

「こちらハンク。新種と思われるハンターを確認、撃破した。死体を確保している」

 

 一度通信を切る前に、もう一つ尋ねる。

 

「応援はあとどのくらいだ?」

 

『現在向かっている。到着まで二十分ほどだ』

 

「了解」

 

 無線を切る。

 

 その間、スティーブは道路に倒れている異形へ近づいていた。しゃがみ込み、慎重に外皮へ目を向ける。

 

「改めて見ると……」

 

 指先で触れることはせず、目だけで状態を確かめる。

 

「外皮が青い以外は、そんなにハンターと変わらねぇな」

 

「そうね」

 

 シェリーも少し離れた場所から死体を見た。

 

 頭部や四肢の形状は、これまで確認してきたハンターとよく似ている。だが、あの透明化能力だけは明らかに別物だった。

 

「それでも、普通のハンターじゃないんだよね」

 

「ああ」

 

 ハンクが答える。

 

「念のため持ち帰る価値はある」

 

 未知の生物兵器を現場に放置するわけにはいかない。

 

 外見が似ているからといって、既存のハンターと同じ性質だとは限らない。今回確認された透明化能力が何によるものなのか、現時点では何も分かっていなかった。

 

 ハンクはそれ以上死体へ近づかず、周囲の警戒へ戻った。

 

 時間が過ぎていく。

 

 さっきまで遠くから聞こえていた銃声も、いつの間にか途切れていた。街全体が、戦闘の合間に深い静けさへ沈んでいる。

 

 その静寂を破ったのは、複数の足音だった。

 

 ハンクが顔を上げる。

 

「来たな」

 

 建物の角から、武装したEU隊員たちが姿を現した。

 

「ハンク!」

 

 先頭の隊員が手を上げる。

 

「状況は?」

 

「全員無事だ」

 

 ハンクが簡潔に答えた。

 

 隊員たちの視線が周囲へ向く。

 

「それと、これを回収する」

 

 ハンクが倒れている個体へ目を向けた。

 

 隊員の一人が近づき、死体を確認する。

 

「……青いな」

 

「新種か?」

 

「恐らくな、詳しいことは戻ってからだ」

 

 ハンクはそう答えた。

 

 現場で名前を決める必要はない。

 

 まずは確保し、しかるべき機関へ運ぶ。それから分析すればいい。

 

 隊員たちは手早く回収の準備を始めた。簡易担架を展開し、死体を運べる状態へ整えていく。

 

 その横で、シェリーは愛犬の頭を撫でた。

 

「帰ろう」

 

 愛犬は彼女を見上げ、小さく鳴いた。

 

「ワン」

 

 シェリーが微笑む。

 

「うん」

 

 ハンクは回収作業を確認してから、最後にもう一度周囲を見渡した。

 

 新種のハンター。

 

 透明化する能力。

 

 そして、テラグリジアの各地で確認されている複数のB.O.W.。

 

 まだ分からないことは多い。

 

 だが、ここで立ち止まって考え続けるわけにはいかなかった。

 

「終わったら戻るぞ」

 

「了解」

 

 回収を終えた隊員たちが応じる。

 

 ハンクを先頭に、部隊はその場を離れた。

 

 シェリーは愛犬と並んで歩き、スティーブもその後ろへ続く。

 

 回収された異形の死体は、隊員たちによって慎重に運ばれていった。

 

 テラグリジアの街には、まだ不気味な静けさが残っている。

 

 それでも、今夜の任務の一つは終わった。

 

 一行は新たな情報を携え、拠点へ向けて帰還を始めた。

 

 

 

 病院へ戻ると、ようやく張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。だが、シェリーの疲労は隠しようがなかった。長時間の移動に加え、B.O.W.との遭遇まで続いたのだ。歩き方にも、さすがに疲れが滲んでいる。

 

 それに気づいたハンクが、シェリーへ声を掛けた。

 

「シェリー、今日はもう休め」

 

「でも、報告が……」

 

「それは俺たちがやる」

 

 スティーブも頷いた。

 

「今日は十分動いただろ。休んでこい」

 

 シェリーは二人の顔を順番に見た。まだ何か言いたそうだったが、やがて小さく息を吐く。

 

「……分かった」

 

 足元で待っていた愛犬が尻尾を揺らした。

 

 シェリーはその首筋を軽く撫でると、一緒に病院の中へ入っていった。用意された休憩場所へ向かう途中、何度か振り返りそうになったが、今度はそのまま奥へ進んでいく。

 

 二人の姿が見えなくなると、ハンクとスティーブは病院の一角に設けられた作業スペースへ向かった。

 

 机の上には端末と資料が並べられている。

 

 スティーブが椅子を引き、画面を立ち上げた。

 

「さて……何から書く?」

 

「確認した事実からだ」

 

 ハンクは簡潔に答えた。

 

 今回の捜索で確認したものは多い。

 

 商業施設の内部で確認した、二つの頭を持つ巨大な異形。

 

 これまでのウーズ系統とは明らかに異なる身体構造。

 

 そして、もう一つ。

 

 先ほど回収した、青い外皮を持つハンター。

 

 透明化し、周囲の景色へ紛れ込むという、既存のハンターには確認されていない能力を持っていた。

 

 スティーブがキーボードへ指を置く。

 

「商業施設の個体は……やっぱり新種として報告するしかないな」

 

「ああ」

 

 ハンクも端末へ目を向ける。

 

「二つの頭部を持つ大型個体。既存のウーズ系とは明確に異なったんだろう」

 

「外見だけじゃなく、身体の構造そのものが違ってた」

 

「記録しておけ」

 

「了解」

 

 スティーブが入力を続ける。

 

「それと、透明化するハンター」

 

「そっちも重要だ」

 

 ハンクは回収された死体の写真を確認した。

 

「能力についても書いておけ。ひどく視認しにくい状態から接近してきたこと」

 

「分かった」

 

 報告は単なる感想ではなく、現場で確認した事実を積み重ねていく。

 

 いつ、どこで確認したのか。

 

 どんな外見だったのか。

 

 どのような能力を示したのか。

 

 そして、どう対処したのか。

 

 ハンクは一つずつ確認し、不要な推測は記録から外していった。

 

「……これでいいか」

 

 スティーブが最後の行を入力する。

 

 ハンクが画面へ目を通した。

 

「問題ない」

 

 スティーブが椅子の背もたれへ身体を預けた。

 

「これで終わりだな」

 

「ああ」

 

 ハンクが立ち上がった、スティーブが顔を上げる。

 

「ハンク」

 

「何だ」

 

「この二つの個体、アークにとってかなり重要な情報になるよな」

 

「なる」

 

 ハンクは即答した。

 

「特に透明化する個体は、今後ほかの地域でも出る可能性がある。現場とアークへ情報を回しておく必要がある」

 

「了解」

 

 スティーブが端末を閉じる。

 

「じゃあ、報告を回しておく」

 

「頼む」

 

 二人は作業スペースを片付けた。

 

 スティーブはそのまま病院に残り、ハンクは出入口へ向かった。

 

「俺は本部へ行く」

 

「ホテルの方か?」

 

「そうだ」

 

 スティーブが頷く。

 

「分かった。こっちは任せてくれ」

 

「ああ」

 

 ハンクは病院を出た。

 

 夜のテラグリジアは静まり返っている。

 

 それでも、街のどこかではまだ戦いが続いている。

 

 ハンクが向かうのは、EU側の本部として使用されているホテルだった。

 

 商業施設で確認した、二つの頭を持つ巨大な異形。

 

 そして、透明化する新種のハンター。

 

 どちらも、これまでテラグリジアで確認されたB.O.W.とは異なる存在だった。

 

 特に透明化する個体については、実際に交戦したハンク自身が直接報告する必要がある。

 

 そして、テラグリジアで起きている事件についても、まだ分からないことばかりだった。

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