アーク製薬会社 作:ai試し2
ハンクは犬を連れて、テラグリジアの街を歩いていた。
道路脇には避難の途中で放棄された車両が並び、割れた窓から風が吹き込んでいる。遠くから断続的に銃声が聞こえてくるものの、二人の周囲には不思議なほど静かな時間が流れていた。
犬はハンクの少し前を進んでいる。
その歩みには迷いがない。時折立ち止まって周囲の匂いを探り、それからまた一定の方向へ向かっていく。
ハンクは余計な声をかけず、その後ろを一定の距離で追っていた。
やがて、犬が突然足を止めた。
「……どうした?」
犬は答える代わりに、前方へ顔を向けた。
鼻を上げ、空気を嗅ぐ。
そして、小さく一度だけ吠えた。
ハンクはその視線の先を追う。
「そっちか」
犬が振り返る。
まるで理解しているかのようにハンクを一度だけ見たあと、再び歩き出した。
向かった先にあったのは、三階建ての建物だった。
犬は入口へは向かわなかった。
そのまま建物の側面へ回り込む。
そして、外壁に沿って設置された配管へ前足を掛けた。
「……まさか、登るのか」
ハンクが足を止める。
犬は一度だけ振り返った。
それから、迷うことなく器用に上へ進んでいく。
やがて、その姿が屋上の縁へ消えた。
ハンクはしばらく建物を見上げていた。
「……行くしかないか」
周囲を確認する。
他に屋上へ上がれる場所がないか探したが、近くに使えそうな階段や梯子は見当たらなかった。
ハンクは犬が使った足場へ近づいた。
配管を確認する。
強度に問題はなさそうだった。
ハンクは足場へ手を掛け、身体を引き上げた。
一段。
また一段。
狭い足場を確かめながら上へ進む。
最後の段を越え、屋上へ身体を乗せた。
そこでハンクは足を止めた。
床に、二体の異形が倒れていた。
一体は両腕を異様に変化させたピンサー。
もう一体は、腕から鋭い棘を射出するトライコーンだった。
どちらも動かない。
少し離れた場所で、犬が振り返っている。
ハンクは倒れている二体へ近づいた。
まずピンサーを確認する。
続いてトライコーンへ視線を移す。
どちらにも動く気配はない。
ハンクは犬を見た。
「……お前がやったのか」
犬は返事をするように、尻尾をわずかに揺らした。
ハンクは一瞬だけ黙った。
「よくやった」
ハンクは犬の頭へ手を置き、軽く撫でた。
犬は嫌がることもなく、その場でじっとしている。
ハンクは立ち上がり、改めて屋上全体を見渡した。
建物の屋上には、他に動くものは見当たらない。
ただ、遠くの街からは銃声が聞こえてくる。
テラグリジアでは、まだ戦闘が続いている。
そして、この街のどこかにはスティーブとシェリーがいる。
◆
ハンクは屋上の端に立ち、テラグリジアの街を見渡した。
遠くの建物群の向こうから、黒い煙が立ち上っている。風に流されながら細長く伸び、その先端が空へ溶けていた。
ハンクは目を細めた。
「……あれか」
スティーブとシェリーが乗っていたヘリは、正体不明のUAVによって撃墜された。
もし、あの煙が墜落したヘリから上がっているのなら、自分が進んできた方向は間違っていない。
ハンクは双眼鏡を取り出した。手早く視野を合わせ、煙の周辺を確認していく。
建物。
道路。
放置された車両。
目立った動きはない。
しばらくして、煙の下方を横切る影が見えた。
「……感染者か」
ハンクが倍率を調整する。
一体ではない。
複数のウーズが通りを進んでいる。
身体を引きずるように歩く個体もいれば、車両の陰を縫うように移動する個体もいる。
だが、奇妙だった。
その動きがばらばらではない。
何体ものウーズが、同じ方向へ向かっている。
ハンクはしばらく黙って観察した。
「……生存者か?」
そう呟いた直後だった。
双眼鏡の視界に、別の二つの人影が入った。
走っている。
一人は小柄な身体を前へ運び、もう一人がその少し後ろを追っている。
ハンクは倍率を上げた。
「……あれは」
見間違えるはずがなかった。
シェリー。
その後ろにいるのは、スティーブだった。
二人はウーズたちの群れから逃げるように、通りを走っている。
ハンクはすぐに双眼鏡を下ろした。
無線機を取り出す。
「こちらハンク」
短いノイズの後、通信が繋がる。
「スティーブとシェリーを発見した。墜落地点から病院方面へ移動中。現在位置を送る」
ハンクは座標を確認し、続けた。
「応援を頼む」
『了解』
通信を切る。
ハンクは再び双眼鏡を覗いた。
通りの先では、音に反応した数体が二人の進路を塞ぐように動いている。
このままでは挟まれる。
ハンクは双眼鏡を下ろし、背負っていたライフルを手に取った。
屋上の縁へ身を伏せる。
銃身を安定させ、照準を通りへ向けた。
二人との距離が近すぎれば、流れ弾が危険になる。
ハンクはシェリーとスティーブの動きを追いながら、引き金へ指を置いた。
さらに数秒。
ウーズの一体が、その先へ回り込もうとした。
ハンクが引き金を引く。
乾いた銃声が、屋上からテラグリジアの街へ響いた。
狙われたウーズが身体を大きく揺らし、そのまま路面へ崩れ落ちる。
シェリーが一瞬だけ顔を上げた。
だが、立ち止まらない。
スティーブも周囲を確認しながら走り続けている。
ハンクはすぐに次の個体へ照準を移した。
ピンサーがシェリーへ向かって近づいていく。
引き金。
もう一体が倒れる。
その隣から別の個体が迫った。
ハンクは照準を滑らせ、続けて撃ち込む。
ウーズが路面へ転がった。
進路が開く。
「そのまま行け」
声が届く距離ではない。
それでもハンクは呟いた。
二人は開いた道を駆け抜けていく。
背後から追っていた個体がなおも距離を詰めようとする。
ハンクは再び照準を合わせた。
一発。
ウーズが倒れる。
もう一体。
引き金を引く。
それも動かなくなった。
ハンクは追撃せず、二人の動きを確認する。
シェリーとスティーブは、ひとまずウーズたちの群れから抜け出していた。
ライフルを下ろす。
ハンクはもう一度、通りの先へ目を向けた。
「もう少しだ」
◆
銃声が、通りの上を乾いた音で駆け抜けた。
シェリーはわずかに肩を揺らしたが、足は止めなかった。前方を塞いでいたウーズが銃弾を受け、身体を大きくのけぞらせて倒れていく。
続けて、横合いから迫っていたピンサーにも一発が撃ち込まれた。
異形の身体が崩れ、進路が開く。
「……援護だ」
シェリーが息を弾ませながら言った。
「この銃撃、私たちを助けてくれてる」
スティーブが走りながら銃声のした方へ目を向ける。
二人は速度を落とさなかった。
前方に現れるウーズが撃ち倒され、その横から回り込もうとした個体倒れる。
まるで、見えない誰かが二人のために道を切り開いているようだった。
二人は開けた進路へ飛び込んだ。
その先に、三階建ての建物が見えてきた。
銃撃は、どうやらあの建物から行われている。
シェリーが走りながら顔を上げた。
屋上の縁に、人影が立っている。
その姿がはっきりと見えた瞬間、シェリーの表情が変わった。
「……ハンクさん!」
声が思わず大きくなる。
屋上の人物がこちらへ視線を向けた。
スティーブもその姿を確認しようとする。
「……見えねぇ」
二人は建物の足元へ駆け込んだ。
「急ごう!」
シェリーは立ち止まらない。
建物の一階部分から張り出した屋根を見つけると、そこへ手を掛けた。
勢いを殺さず身体を引き上げる。
屋根の上へ乗ったシェリーが、すぐに下へ腕を伸ばした。
「スティーブ、手!」
「頼む!」
スティーブが伸ばされた手を掴む。
シェリーが腕へ力を込め、体重を後ろへ預ける。
「よいしょ……!」
スティーブの身体が屋根の縁まで引き上げられた。
「上がって!」
「助かった!」
スティーブが屋根へ身体を乗せる。
「こっち!」
シェリーが取り付いた。
手を掛ける場所を確かめ、身体を持ち上げていく。
スティーブも後に続く。
二階部分へ上がると、シェリーは一度足場を確かめた。それからさらに上を目指す。
数メートル先に、三階部分の縁がある。
二人はそこへよじ登った。
その上には、屋上がある。
縁から顔を出すと、ハンクが二人を見下ろしていた。
「ハンクさん!」
「あと少しだ」
ハンクが身を屈め、手を伸ばす。
シェリーがその手を掴んだ。
「お願いします!」
ハンクが腕を引く。
シェリーの身体が屋上へ引き上げられた。
「……っ!」
屋上へ上がったシェリーはすぐに振り返る。
「スティーブ!」
「分かってる!」
下からスティーブの声が返る。
彼が屋上の縁へ手を掛けた。
シェリーが身を伏せて腕を伸ばす。
「掴んで!」
「よし!」
スティーブがその手を掴む。
シェリーが引き上げようとする。
しかし、さすがに一人では重い。
ハンクが反対側へ回り、スティーブの腕を掴んだ。
「引くぞ」
「はい!」
二人が同時に力を込める。
スティーブの身体がゆっくりと持ち上がる。
最後にスティーブが肘を屋上へ掛け、二人の力を借りながら身体を引き上げた。
「よし!」
スティーブが屋上へ転がり込む。
三人が、ようやく同じ場所に揃った。
シェリーは荒い息を整えながらハンクを見る。
「ハンクさん……!」
ハンクはまず二人の姿を確認した。
怪我はある。
服も汚れている。
それでも、自分の足でここまで来ている。
ハンクは短く頷いた。
「無事だったな」
「はい」
シェリーが答える。
スティーブも息を整えながら立ち上がった。
「なんとか、ですけどね」
スティーブが苦笑する。
シェリーもようやく肩の力を抜いた。
二人とも、今になって初めて実感していた。
自分たちは仲間と、ようやく再会できたのだ。
◆
シェリーは、ようやく落ち着きを取り戻したところで、隣に立つスティーブへ目を向けた。
「スティーブ、怪我してる」
袖の一部が裂け、腕には細い傷が走っている。
「これ?」
スティーブは自分の腕を見下ろした。
「かすり傷だよ。大したことない」
「本当に?」
「ああ。本当に」
シェリーは納得しきれない様子で傷をもう一度確認してから、今度は自分の身体へ視線を落とした。
服には埃や汚れが付着し、ところどころ擦れた跡がある。
「私も……かすり傷かな、トライコーンの弾き損ねた」
「だったら、お互い様だな」
スティーブが笑う。
その時だった。
「ワン」
背後から、小さな鳴き声が聞こえた。
シェリーの表情が変わる。
「……え?」
振り返る。
そこに立っていたのは、見慣れた姿だった。
「……あなたも来てくれたの?」
シェリーは思わず駆け寄った。
愛犬は待っていたかのように尻尾を大きく振る。
次の瞬間、シェリーがその身体へ抱きついた。
「よかった……」
抱きしめた腕に力が入る。
愛犬は嫌がることもなく、嬉しそうに彼女の周囲を尻尾で叩いていた。
シェリーはしばらく離れようとしなかった。
ヘリを撃墜され、通信手段も失い、見知らぬ建物の中を抜けてきた。
そしてようやく仲間と再会したと思ったら、そこに家で待っているはずの愛犬までいる。
張り詰めていたものが、ようやく一つほどけた。
その様子を見ていたスティーブが、わずかに笑う。
「会えてよかったな」
シェリーは愛犬の頭を撫でながら頷いた。
「うん」
ハンクはそんな二人を一度確認すると、無線機を取り出した。
「こちらハンク」
通信を開始する。
「シェリー・バーキン、スティーブ・バーンサイドを保護した。二人とも生存」
短い報告だった。
『了解』
返答を確認すると、ハンクは無線を切った。
そして三人と一頭を見渡す。
「準備はいいか」
「はい」
シェリーが答える。
「大丈夫です」
スティーブも頷いた。
ハンクは屋上の縁へ歩いていった。
眼下には、道路を塞ぐ車両と、ふらつく異形の影が見える。
「行くぞ」
ハンクが手にしていた手榴弾を下へ落とした。
数秒後。
建物の下から爆発音が響いた。
大きな音に合わせるように、集まっていたウーズたちの動きが乱れる。
シェリーが先に動いた。
愛犬を伴って屋上から下へ飛び降りる。
着地すると同時に身体を低くして衝撃を逃がし、トマホークで邪魔なウーズを一閃、そのまま愛犬と一緒に前へ駆けた。
続いてハンクが降りる。
最後にスティーブも屋上から飛び降りた。
四人は着地した場所に留まらず、すぐにその場を離れた。
シェリーは愛犬の隣を走る。
愛犬も彼女の歩調に合わせるように駆けている。
スティーブは時折振り返り、後方から迫る気配を確認する。
その前をハンクが進んでいた。
「撤退する」
短い指示に、二人が応じる。
「はい!」
「ああ!」
ハンクを先頭に、四人は街路を抜けていく。
目的地は、先ほど連絡を入れた救援部隊との合流地点だった。
シェリーは走りながら隣の愛犬へ目を向ける。
愛犬がこちらを見上げる。
「もう少しだからね」
返事の代わりに、尻尾が一度だけ揺れた。
スティーブがそれを見て笑う。
「元気そうで何よりだな」
「うん」
シェリーも笑った。
テラグリジアの街では、まだ戦闘が続いている。
だが今は、三人と一頭が再び同じ場所にいる。
それだけで十分だった。
ハンクは前方を見据えたまま、足を止めなかった。
救援部隊との合流地点へ。そのまま走り続けた。
ウーズの姿が見えなくなってからもしばらく走り続け、ようやく一行は足を止めた。ハンクが周囲を確認する。背後から追ってくる気配はない。
「……ここならいいだろう」
三人と一匹が立ち止まる。 シェリーは愛犬の身体を撫でながら、乱れた呼吸を整えた。スティーブは二丁の拳銃を手に取り、残弾を確認する。
「弾は大丈夫か」
「俺はちょっと減ってますね。弾薬、分けてもらいます」
「分かった」
シェリーも自分の装備を確認した。
「私は大丈夫」
「ならいい」
ハンクが周囲へ視線を向ける。
その時だった。
「……グルル」
愛犬が低く唸った。
シェリーが振り返る。
「どうしたの?」
犬は答えない。ただ、ある一点をじっと見つめている。
シェリーもその先へ目を向けた。
放置された車両と建物がある。
それだけだった。
「……何かいる」
シェリーがトマホークを握る。
スティーブも拳銃を構えた。
「どこだ?」
「分からない。でも、この子も何かを感じてる」
シェリーは愛犬へ手を添えた。
「あっちへ」
犬をスティーブの方へ下がらせる。
「スティーブ、お願い」
「ああ」
スティーブが犬のそばにつく。
シェリーは周囲を警戒しながら、トマホークを構えた。
愛犬が唸り声を上げる。
次の瞬間、犬が何もない空間へ向かって勢いよく飛び掛かった。
犬の身体が大きく揺れる。
何かに噛みついたのだ。
その瞬間、何もなかった空間が歪んだ。
透明になっていた異形の姿が、一瞬だけ浮かび上がる。
「そこだ!」
スティーブが瞬時に反応した。
二丁の拳銃を抜き、何かへ向けて連射する。
銃声が重なった。
銃弾を受けた異形の身体が大きく揺れ倒れる。
その一方で、シェリーも別の個体へ向かっていた。
姿は見えない、いや見えにくい。
それでも、そこにいる。
シェリーは気配と僅かな視覚を頼りに、目の前の空間へトマホークを振り抜いた。
ガキンッ! 刃が爪に弾かれる。
一瞬だけ、異形の姿が浮かび上がった。
鋭い爪でトマホークを受け止めている。
シェリーはすぐに身を引き、距離を取った。
異形は追ってこない。
その輪郭が再び揺らぎ、周囲の景色へ溶け込むように消えていく。
「……消えた」
シェリーはトマホークを構えたまま、周囲へ視線を走らせる。
今、対峙していた個体は見えない。
それでも、まだ終わっていないような感覚があった。
愛犬が再び低く唸る。
その視線が、先ほどとは別の場所へ向いている。
「……待って」
シェリーは犬を見る。
「たぶん、まだいる。もう一体……」
ハンクがライフルを構え直した。
スティーブも周囲へ目を走らせる。
次の瞬間、犬が駆け出した。
「今!」
シェリーも同時に走る。
二人は別々の方向へ飛び込んだ。
シェリーが目の前の空間へトマホークを振り下ろす。
ガキンッ!
また爪に阻まれた。
再び透明だった異形の姿が浮かび上がる。
シェリーはそのまま踏み込んだ。
トマホークを横薙ぎに振る。
異形は後方へ跳び、攻撃をかわした。
シェリーはすぐに空いた手でハンドガンを抜く。
「そこ!」
銃声が響いた。
何もないように見えた空間から、血が飛び散る。
透明化していた異形が、わずかに姿を現した。
シェリーが追撃しようとした、その時だった。
別の場所から銃声が響く。
ハンクのライフルだった。
弾丸が異形を捉える。
身体が大きく揺れ、そのまま地面へ倒れた。
透明化が解け、異形の姿がはっきりと浮かび上がる。
ハンクが倒れた個体を確認する。 「もう動かない」
シェリーは息を整えながら頷いた。
「ありがとう、ハンクさん」
その直後、少し離れた場所からスティーブの銃声が響いた。
一発。
二発。
続いて、犬の唸り声が聞こえる。
さらに短い格闘音が重なった。
シェリーがそちらを見る。
そこにはスティーブと愛犬が立っていた。
二丁の拳銃を下ろしたスティーブの足元には、もう一体の異形が倒れている。
犬もそのそばで警戒していた。
「もう一体も終わったようだ」
ハンクが言う。
スティーブは倒れた異形を見下ろした。
「こいつら、透明になれるのかよ……」
ハンクはライフルを下ろし、倒れている異形へ目を向けた。
ハンターに似た姿。
だが、これまで確認されているハンターとは明らかに異なる。
姿を透明にし、周囲の景色へ紛れ込む。
目で捉えられない状態から、突然こちらへ襲いかかることもできる。
ハンクはしばらく黙って三体の異形を見つめた。
「……今までのハンターとは少し違うな」
シェリーは愛犬の身体へ手を置いた。
「この子が気づいてくれなかったら、危なかったね」
「ああ」
スティーブが頷く。
ハンクは周囲へ視線を戻した。
先ほどまでの戦闘で道路にはいくつもの痕跡が残っている。放置された車両の陰、建物の入口、路地の奥。見落としがないよう、一つずつ目を動かしていく。
隣ではシェリーも同じように周囲を確認していた。愛犬も鼻を地面へ近づけながら、警戒を続けている。
「……新手はいないな」
「いないと思います」
シェリーが答える。
ハンクはしばらく待った。
物音はない。
気配もない。
少なくとも、今すぐ襲ってくる個体はいないようだった。
ハンクは無線機を取り出した。
「こちらハンク。新種と思われるハンターを確認、撃破した。死体を確保している」
一度通信を切る前に、もう一つ尋ねる。
「応援はあとどのくらいだ?」
『現在向かっている。到着まで二十分ほどだ』
「了解」
無線を切る。
その間、スティーブは道路に倒れている異形へ近づいていた。しゃがみ込み、慎重に外皮へ目を向ける。
「改めて見ると……」
指先で触れることはせず、目だけで状態を確かめる。
「外皮が青い以外は、そんなにハンターと変わらねぇな」
「そうね」
シェリーも少し離れた場所から死体を見た。
頭部や四肢の形状は、これまで確認してきたハンターとよく似ている。だが、あの透明化能力だけは明らかに別物だった。
「それでも、普通のハンターじゃないんだよね」
「ああ」
ハンクが答える。
「念のため持ち帰る価値はある」
未知の生物兵器を現場に放置するわけにはいかない。
外見が似ているからといって、既存のハンターと同じ性質だとは限らない。今回確認された透明化能力が何によるものなのか、現時点では何も分かっていなかった。
ハンクはそれ以上死体へ近づかず、周囲の警戒へ戻った。
時間が過ぎていく。
さっきまで遠くから聞こえていた銃声も、いつの間にか途切れていた。街全体が、戦闘の合間に深い静けさへ沈んでいる。
その静寂を破ったのは、複数の足音だった。
ハンクが顔を上げる。
「来たな」
建物の角から、武装したEU隊員たちが姿を現した。
「ハンク!」
先頭の隊員が手を上げる。
「状況は?」
「全員無事だ」
ハンクが簡潔に答えた。
隊員たちの視線が周囲へ向く。
「それと、これを回収する」
ハンクが倒れている個体へ目を向けた。
隊員の一人が近づき、死体を確認する。
「……青いな」
「新種か?」
「恐らくな、詳しいことは戻ってからだ」
ハンクはそう答えた。
現場で名前を決める必要はない。
まずは確保し、しかるべき機関へ運ぶ。それから分析すればいい。
隊員たちは手早く回収の準備を始めた。簡易担架を展開し、死体を運べる状態へ整えていく。
その横で、シェリーは愛犬の頭を撫でた。
「帰ろう」
愛犬は彼女を見上げ、小さく鳴いた。
「ワン」
シェリーが微笑む。
「うん」
ハンクは回収作業を確認してから、最後にもう一度周囲を見渡した。
新種のハンター。
透明化する能力。
そして、テラグリジアの各地で確認されている複数のB.O.W.。
まだ分からないことは多い。
だが、ここで立ち止まって考え続けるわけにはいかなかった。
「終わったら戻るぞ」
「了解」
回収を終えた隊員たちが応じる。
ハンクを先頭に、部隊はその場を離れた。
シェリーは愛犬と並んで歩き、スティーブもその後ろへ続く。
回収された異形の死体は、隊員たちによって慎重に運ばれていった。
テラグリジアの街には、まだ不気味な静けさが残っている。
それでも、今夜の任務の一つは終わった。
一行は新たな情報を携え、拠点へ向けて帰還を始めた。
病院へ戻ると、ようやく張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。だが、シェリーの疲労は隠しようがなかった。長時間の移動に加え、B.O.W.との遭遇まで続いたのだ。歩き方にも、さすがに疲れが滲んでいる。
それに気づいたハンクが、シェリーへ声を掛けた。
「シェリー、今日はもう休め」
「でも、報告が……」
「それは俺たちがやる」
スティーブも頷いた。
「今日は十分動いただろ。休んでこい」
シェリーは二人の顔を順番に見た。まだ何か言いたそうだったが、やがて小さく息を吐く。
「……分かった」
足元で待っていた愛犬が尻尾を揺らした。
シェリーはその首筋を軽く撫でると、一緒に病院の中へ入っていった。用意された休憩場所へ向かう途中、何度か振り返りそうになったが、今度はそのまま奥へ進んでいく。
二人の姿が見えなくなると、ハンクとスティーブは病院の一角に設けられた作業スペースへ向かった。
机の上には端末と資料が並べられている。
スティーブが椅子を引き、画面を立ち上げた。
「さて……何から書く?」
「確認した事実からだ」
ハンクは簡潔に答えた。
今回の捜索で確認したものは多い。
商業施設の内部で確認した、二つの頭を持つ巨大な異形。
これまでのウーズ系統とは明らかに異なる身体構造。
そして、もう一つ。
先ほど回収した、青い外皮を持つハンター。
透明化し、周囲の景色へ紛れ込むという、既存のハンターには確認されていない能力を持っていた。
スティーブがキーボードへ指を置く。
「商業施設の個体は……やっぱり新種として報告するしかないな」
「ああ」
ハンクも端末へ目を向ける。
「二つの頭部を持つ大型個体。既存のウーズ系とは明確に異なったんだろう」
「外見だけじゃなく、身体の構造そのものが違ってた」
「記録しておけ」
「了解」
スティーブが入力を続ける。
「それと、透明化するハンター」
「そっちも重要だ」
ハンクは回収された死体の写真を確認した。
「能力についても書いておけ。ひどく視認しにくい状態から接近してきたこと」
「分かった」
報告は単なる感想ではなく、現場で確認した事実を積み重ねていく。
いつ、どこで確認したのか。
どんな外見だったのか。
どのような能力を示したのか。
そして、どう対処したのか。
ハンクは一つずつ確認し、不要な推測は記録から外していった。
「……これでいいか」
スティーブが最後の行を入力する。
ハンクが画面へ目を通した。
「問題ない」
スティーブが椅子の背もたれへ身体を預けた。
「これで終わりだな」
「ああ」
ハンクが立ち上がった、スティーブが顔を上げる。
「ハンク」
「何だ」
「この二つの個体、アークにとってかなり重要な情報になるよな」
「なる」
ハンクは即答した。
「特に透明化する個体は、今後ほかの地域でも出る可能性がある。現場とアークへ情報を回しておく必要がある」
「了解」
スティーブが端末を閉じる。
「じゃあ、報告を回しておく」
「頼む」
二人は作業スペースを片付けた。
スティーブはそのまま病院に残り、ハンクは出入口へ向かった。
「俺は本部へ行く」
「ホテルの方か?」
「そうだ」
スティーブが頷く。
「分かった。こっちは任せてくれ」
「ああ」
ハンクは病院を出た。
夜のテラグリジアは静まり返っている。
それでも、街のどこかではまだ戦いが続いている。
ハンクが向かうのは、EU側の本部として使用されているホテルだった。
商業施設で確認した、二つの頭を持つ巨大な異形。
そして、透明化する新種のハンター。
どちらも、これまでテラグリジアで確認されたB.O.W.とは異なる存在だった。
特に透明化する個体については、実際に交戦したハンク自身が直接報告する必要がある。
そして、テラグリジアで起きている事件についても、まだ分からないことばかりだった。