朝日の足音が完全に消え、部屋は再び静まり返っている。
ノートパソコンの青白い光が、タロウの険しい横顔を切り取っていた。
キーボードを叩く指は止まり、音はない。彼の意識は、画面のデータではなく、自身の記憶の底へと深く潜っていた。
下野清太の「王冠」を叩き割った。その結果、世界は変わり始めた。
いや、変わったのではない。「あるべき姿に戻った」のだ。
タロウは静かに目を閉じ、脳内に、今回の件で得られた『情報』を並べていく。
「まず、あの歪んだ空間――『精神世界』へのアプローチだ」
分かっていることは少ない。
事実1:あの世界へ繋がる「裂け目」を視認できるのは、俺だけ。
あの時の周囲の反応からして、普通の人間は気付きもしない。
例外として、なぜか俺には真夜もそれを見えているようだったが。
事実2:裂け目を通って内部へ侵入できるのは、レギオンである俺だけ。
真夜曰く、弾かれて入れなかった。
事実3:内部は本人の欲望や執着、記憶が混ざり合った空間
あの時の様相からして、現実の肉体ではなく「意識」だけと見ていい。
事実4:最奥にあった『王冠』を破壊した直後、世界に変化が起きた。
認識の異常が元へ戻ったように見えた。
「……妙だな」
タロウの思考が、最初の壁にぶつかる。
もし、あの精神世界が清太個人の「妄想」や「イメージ」に過ぎないのだとしたら――
なぜそれを壊しただけで、現実の警察や世間の人間の『認識』までが書き換わる?
清太がどれほど強欲で、どれほど強大な自己顕示欲を持っていようが、それでも一介の人間のはずだ。
人間ひとりの脳内妄想が、世界そのものを書き換えるなど――。
「!?」
脳裏に、パチリと火花が散る。
「待て!……あの時、あの幽霊はなんと言っていた?……そうだ、あいつは確かにこう言った。
『アクマのちから』、『契約者』、『虚構世界』、『精神世界』」
タロウはパズルのピースが噛み合う感覚を覚え、すぐさまペンを掴んだ。
そのまま、木製の机の表面へ滑らせるように直接書き込み始める。
「『アクマのちから』――これが全ての元凶、大元だとしたらどうだ?」
ガリガリとペン先が机を削る。
「その力を行使する『契約者』。これが清太だ」
一度ペンを止める。
「……『精神世界』。あの歪んだ空間をそう呼ぶなら、辻褄は合う」
「よし、いいぞ。次は……『虚構世界』。
これはなんだ?そんなもの、どこにあった?……おい!」
事情を知っていそうな同居人に呼びかけ、ハッと気づいて動きを止める。
……あいつはさっき、外へ出掛けたな。
「いない者はしかたない……『虚構世界』については後回しにするか……。いや、アイツが言っていたのは、もう一つあったな。
『真実を探せ』と『囚われるな』だったか……」
「そういえば、怯えきったワイシャツ姿の幽霊がいたな。あいつのことか? 『真実』というのは……。だが、どういう意味だ?」
「……そうだ! あの幽霊だけは認識がずれていなかった! つまり『真実』とはそれを知る者……『真実を知る者』ということか!」
「『囚われるな』……これは身をもって体験したな。あの時は本当に危なかった。
もらったア、アクリルキーホルダー?だったか、これが無ければ、おそらく俺は……」
タロウは、さらに机へと思考の断片を書き殴っていく。
「……一度、整理するか。アクマのチカ……長いな。
要するに『アクマの契約者』とは、世界を相手に好き放題できる存在。これが清太とおそらく真一もだ」
「……待て、もし清太と真一が同じ存在なら、世界はもっと歪んでいるはずだ。
そういえば、真一と対峙した時と清太を見た時では感覚が違ったな」
「真一には説明のつかない悪寒があった。だが、清太にはそれがなかったな。
同じ『契約者』ではない……のか?」
「いや、情報が足りん。今は保留だ……話を戻そう……今分かっていることを整理すると――」
タロウは、机の余白へとさらに書き殴っていく。
「確か……歪んだ空間への入り口を開けられるのは、『真実を知る者』だけ。
その先にある悪趣味な場所が、契約者の『精神世界』だ」
「これも今にして思えば、妙なことがあったな。
なんとも名状しがたい不快感……これが『囚われる』というやつなのだろう。
前のレギオンは、これで帰らぬ人となったのでは……と推測できる」
「最後にここの最奥にあったのは『巨大な王冠』――」
「あの時は感情の赴くままに、手近にあったゴルフクラブを使おうと思ったが……結果的には使わなくてよかったのかもしれない
だが……もし使っていたら? あの時の清太の様子から見るに、碌なことにはならなかったはずだ」
一瞬、思考が逸れかける。
「……また脱線したな。よし。とにかくあの『巨大な王冠』――」
「これは破壊できたが、咄嗟のひらめきで血を振りかけるなど、正気の沙汰ではなかったな。
我ながら無茶をしたものだ」
「だが、その甲斐あって明確な変化が現れた。粉々に砕け散り、あの世界が崩壊した……つまり、あの『王冠』は空間を維持する楔(くさび)――」
「いや、違う。」
「中心。そう、『核』だ。人々の認識がおかしくなっていた原因は、この『核』にある。
これを壊すことで、人々にかかった認識は戻ったはず」
ペンを置き、机に広がった歪な図式をじっと見つめる。
「この説が正しいのかどうかは……もう一度、試してみるしかないな」
青白いモニターの光に照らされたタロウの唇が、昏い笑みの形に歪んだ。
彼は視線を画面に戻し、一人の名前を、低く、呟いた。
「なぁ……美代?」
第6話END