タロウは建物の陰に身を寄せ、スマホの画面をスクロールし続けていた。
彼の瞳が、冷たい電子の光を反射している。
「……出ないな」
タロウの低い呟きに、彼の肩に顎を乗せるようにして画面を覗き込んでいた真夜が、
大袈裟にため息をついた。
「うっわー、今度は検索エンジンと睨めっこ? ざこ探偵じゃん、必死すぎて顔が怖いんですけどー!
で、お目当ての『不自然な事件』とやらは見つかったわけ?」
「いや。美代の周囲における『不自然な死』も、不可解なトラブルも、
かつての関係者の不審な動向すら、ただの1件もヒットしない。やはり認識が変わっているのか?」
どれほど深くデータベースの掘り進めても、出てくるのはあまりにも白々しいほどの経歴だけだった。
美代という人間の周囲には、事件の足跡が一切残っていないのだ。
タロウは方針を切り替え、美代の公式SNSアカウントを開く。
画面に躍り出たのは、あまりにも眩しい世界だった。
投稿1:慈善活動
発展途上国の子供たちに囲まれ、泥にまみれながらも満面の微笑みを浮かべる美代の写真。
投稿2:講演会
満員の講堂の壇上に立ち、堂々とした身のこなしで「見えない傷を抱きしめて 〜モラハラ・DVに立ち向かう勇気〜」について語る美代の姿。
投稿3:パーティー
絢爛豪華なドレスに身を包み、大物政治家や著名な実業家たちとグラスを掲げて談笑する華やかな夜のワンシーン。
「へーえ! この女、スッゴクいい人じゃん! どこぞのざこニートとは大違い〜。
お兄ちゃん、また人違いなんじゃないの〜? ぷぷ~!」
真夜の言葉を裏付けるように、ふとタロウが顔を上げると、交差点に設置された巨大な街頭ビジョンがニュース番組を映し出していた。
画面いっぱいに映し出されたのは、まさに今スマホで見ていた、美代のあの作られた「笑顔」だった。
アナウンサーの声が、街の喧騒に混ざって朗々と響き渡る。
『――続いてのニュースです。世界中から注目を集める高木美代氏が、本日新たな人道支援プロジェクトを立ち上げ……』
テレビの向こうの群衆が、彼女を熱狂的に支持し、拍手喝采を送っている。
タロウは画面を見つめたまま、スマホを握る手にみしりと力を込める。
「ここでこうしていても、なにも始まらんな。……直接、顔を見に行こうじゃないか」
「あーっ、また勝手に納得して話進めてるし!お兄ちゃんのくせに生意気なんだからねー!」
憤慨する真夜を置き去りにするように、タロウはスマホの画面を暗転させ、美代が今夜出席しているという慈善パーティーの情報を集めるべく、歩き出した。
美代が出席する、完全招待制の高級慈善パーティー。
本来であれば、タロウのような存在が参加することなど不可能な、
選ばれた上流階級だけの集まり。だが――。
「……始めるか」
タロウが静かに呟き、キーボードに指を走らせる。
パチパチと静かな打鍵音が闇に響く中、画面の向こうで文字列が高速で書き換わり、いくつかのデータベースの深部へと侵入していく。
身分偽造。タロウはネットワークを介して、パーティーの出席者名簿のシステムをハッキングしていた。
単に名簿に名前を付け足すのではない。戸籍、経歴、架空の投資会社に至るまで、その男の人生のすべてをシステム上で再構成していく。
やがて、画面に完成した新たなプロファイルが映し出された――。
【偽名:中田始《なかたはじめ》 / 投資ファンド最高責任者】
「うっわー、ハッキングとかやっちゃってさぁ! しかもこの名前、プッ……。
何そのセンス? ざこお兄ちゃんの分際で、いっちょ前にかっこつけちゃって! ウケるー!」
真夜がタロウの頭上でケラケラと笑う。タロウはその声を完全に無視し、一枚の厚手の紙を手に取った。
こちらも偽造が完了した、特殊な透かし入りのVIP専用招待状だ。
タロウは席を立ち、先程の帰り道で用意しておいたスーツのカバーを外す。
仕立ての良い漆黒のスリーピース・スーツ。
普段の無頓着な衣服とは一線を画する、身体のラインに計算された高級な一着だ。
袖を通し、ネクタイを締め直す。さらにレギオンの能力を動かし、
念のために「顔」の骨格と筋肉すらも変貌させる。衣服を整え、鏡の前に立ったその姿は、知的な若き実業家へと変貌を遂げていた。
真夜がふよふよと鏡の前に回り込み、目を丸くしてタロウを凝視する。
「え……? なにそれ。
ちょっと着替えて顔変えたからって、すっごく高級そうな男のフリしちゃってさぁ……。
中身はただのざこタロウのくせに、生意気……じゃん……」
いつもより少しだけ余裕のない、どこか気圧されたような真夜の煽りを、
タロウは冷たい一瞥で一蹴した。
胸ポケットに完璧な偽物の招待状を滑り込ませ、カフスボタンを静かに留める。
「……ねぇ、そのスーツ買うお金あったっけ?」
「買ってはいない」
「え?」
「レギオンの中には、生前に財を成した者もいた」
「だから……?」
「あいつらの無念ごと、俺が引き継いだ」
とタロウは静かに目を伏せた。
見劣りしない肩書きと衣装、そしてチケット。
相手の懐へ紛れ込むための、すべての準備は整った。
タロウはノートパソコンを静かに閉じ、部屋の鍵をポケットに収める。
「さていくぞ」
「あ、待ちなさいよ! 置いてったら承知しないんだからね!」
夜の闇に紛れ、黒いスーツを纏ったタロウは、静かに歩み出した。
豪奢なシャンデリアの光が、大理石の床に眩しく反射している。
天井高く響き渡るクラシックの旋律と、上品なグラスの触れ合う音。
着飾った政財界の重鎮やセレブリティたちが、一際大きな人だかりを作っていた。
その中心にいるのは、紛れもなく――美代だ。
「中田始」の顔と偽造された招待状で難なくセキュリティを突破したタロウは、グラスを片手に、その光景を遠巻きに冷静に見つめていた。
「うっわー……スッゴイきらびやかじゃん。ざこCEO、
完全に場違いで浮いてるよ? 早く帰ってポテチでも食ってなよー」
真夜が耳元でヒソヒソと騒ぎ立てるが、タロウの意識は別の場所に向いていた。
美代の周囲に、霊の姿はない。やはり、幽霊だけが『真実を知る者』ではないのかもしれなかった。
(ならば、こちらから「因縁」を探すまで――)
そう思考を巡らせ、歩き出そうとした、その時だった。
「……っ!?」
タロウの背後で、すれ違った一人の女性が、持っていたシャンパングラスを床に落とした。
パリン、と高い音が響く。
周囲の人間は「おや、大丈夫ですか?」「給仕係、片付けを」と大して気に留めず通り過ぎていくが、その女性の様子は明らかに異常だった。
おそらくは、美代が主催する限定会員制サロンのメンバーの一人であり、この華やかな世界の住人だろう。
ネイビーのシルクドレスに低いシニヨンが美しく映える彼女は、
過去の亡霊を見たかのように血の気を失った顔でタロウを凝視したが、
そして周囲の目を気にしつつ、中でも念入りに美代の方を伺っている様子であった。
「あ、あれ……? お兄ちゃん、この人、幽霊じゃないよ? 生きてるじゃん。
なのに……なんであんなにびびってるわけ?」
真夜が怪訝そうに呟く。
タロウは「中田始」としての貼り付けた愛想のいい笑顔を浮かべながら、視線をその女性へと向けた。
「私の顔に何かついてますか?」
「―――。……いいえ、それよりも、あなた」
女性はだれかの名前を呟いていたが、気にしないタロウは笑顔のまま近づこうとした、その瞬間。
女性は押し殺した震える声で、言葉を紡いだ。
「来ては駄目よ。あの人に近づいては……はやく逃げなさい……」
その悲痛な警告の残響が、きらびやかな会場の容赦ない喧騒に掻き消されていく。
第7話:終了