部屋の中に、かすかな朝焼けの光が差し込んでいる。
いつものように真一の情報を調べようとパソコンに向かうタロウの視界の端に、ベッドの上で器用に眠っている真夜の姿が映り込んだ。
(今さらの疑問であるが……あいつは幽霊だったはずだ。なぜベッドで寝る? そもそも寝る必要があるのか……?)
以前の一件以来、自分の中でもわずかに心境の変化が起きているのを感じていた。
(真夜、か……)
タロウはデスクの前に座り直し、静かに思考を巡らせた。
頭をよぎったのは、前回の件で見え始めた「レギオン」の誕生についてだった。
(あの時、黒い影が一斉に真夜に向かって収束し始めた。
状況だけを抜き出せば、俺の時と同じだ……周りには無数の怨念。
そして、霊の状態でなお自我を失わずにいた存在……。
仮説だが、レギオンとなるには核となる強固な自我が必要なのか?
そこに引き寄せられるように、霊が群がり始めるのか……?)
タロウは頭をガシガシと掻き、さらなる思考の深みへ落ちかけていた。その時――
ピンポーン!
静まり返った早朝の部屋に、威勢の良いチャイムの音が響いた。
続いて、ドアの向こうから元気いっぱいの声が届く。
「タロウおにいちゃーん! おっはよう!」
タロウがドアを開けると、そこには私服姿の朝日の姿があった。
朝の光を浴びて、眩しいほどの笑顔を浮かべている。
「こんな早朝にどうした」
「あのね、えへへっ……この前、美味しいって褒めてもらったから、
またお弁当を作ってきたんだ! それでね……えっと、ピクニックに行こうよ!」
「……ピクニック?」
無表情のまま問い返すタロウ。
「えっと……ダメ、かな?」
しょんぼりと肩を落とす朝日の様子に、タロウが少し返答に困ったその時――タロウの頭上からぬっと青白い影が現れた。
目をこすりながら、あくびを噛み殺す真夜だった。
「ふあぁぁ……なに朝から騒いでんのよ、うるさいわねぇ……。あ、朝日ちゃんだ!」
真夜はタロウの頭の上にふよふよと浮き上がると、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。
「ぷぷーっ!なになに……ざこお兄ちゃん、
ひょっとして朝っぱらから若い女の子にデートに誘われちゃってんの~!
うわっ鼻の下伸ばしちゃってキモいんですけど~!
あ、もともと無表情だから伸ばす鼻の下もなかったわね、いっひひ~!」
「……」
タロウは真夜の煽りを完全に無視し、再び朝日と向き合った。
「無視するな~っ!」と後ろで真夜が騒ぎ立てるが、朝日の手前、タロウは一切取り合わなかった。
「ピクニック……か」
お弁当箱を大事そうに抱える朝日を見下ろしながら、タロウは静かに呟いた。
「だが、俺はこの街の地理は概ね把握している。わざわざ案内してもらう必要はない」
きっぱりと言い放つタロウ。
「あ……そ、そうなんだ……」
朝日の顔から一瞬で笑顔が消え、露骨にしょんぼりと眉が下がった。あまりにもわかりやすく落ち込む姿に、真夜がタロウの肩口で腹を抱えて爆笑する。
「ギャハハハ!ざこお兄ちゃん、相変わらず空気読めなさすぎー!
女の子の好意をバッサリ切り捨てるとか、人として終わってる~!」
タロウが真夜を無視していると、朝日がハッと顔を上げた。
その瞳に、キラリと一筋の閃きが宿る。
「……ふ、普通に暮らしてるだけじゃ知らない場所があるんだよ!?」
「何?」
「タロウおにいちゃんは最近引っ越してきたばっかりでしょ?
ネットとか地図に出てない、この街の『とっておき』があるの! ……知りたいでしょ!?」
力説する朝日に、タロウは淡々と応える。
「いや、別――」
「ううん、絶対知りたい! 絶対に知りたいっ!」
「ぷぷっ! 朝日ちゃん押し強っ! ざこお兄ちゃん押されっぱなしじゃ~ん!」
食い気味に距離を詰めてくる朝日の勢いに、タロウは思わず半歩引き、頭上の真夜も「あ、押されてる押されてる~!」と笑いながら一緒に後ずさった。
真剣そのものの大きな瞳で見つめられ、しばしの沈黙が流れた。
(……ネットにも載っていない街の情報、か)
数年間の空白――「失われた時間」を持つタロウにとって、ネットや地図だけでは埋まらない『今の街の生の姿』を知ることは、あながち無駄とも言い切れなかった。
タロウは軽く溜め息をつくと、無表情のまま小さく頷いた。
「……分かった。案内を頼む」
「やったー! えへー!」
パァァッと顔を輝かせ、飛び跳ねんばかりに喜ぶ朝日。
「よーし! それじゃあ『ボクのとっておき街めぐりツアー』、出発進行っ!」
元気に歩き出す朝日の後ろ姿を追いながら、タロウは静かに歩みを進めた。
タロウの頭上では、
真夜が「いっひひ~!朝日ちゃんの勝ち~!ほら、ざこお兄ちゃん、行くよ~!」と呆れたようにケラケラと笑っていた。