「ほらほら、タロウおにいちゃん! ここのお肉屋さんのコロッケ、すっごく美味しいんだよ!」
香ばしい揚げ物の匂いが漂う商店街。
朝日は目を輝かせながら、コロッケを頬張っている。
「……美味い」
「でしょー! おじちゃんがいつもおまけしてくれるの!」
通りを行き交う人々は穏やかで、あちこちで挨拶を交わす温かい声が響いている。
「『美味い』だけって、食レポざこすぎ~! お子様味覚じゃん~! あはは」
タロウの肩口で、真夜がいつものようにニヤニヤと煽っていた。
商店街を抜けると、朝日は「こっちこっち!」と狭い路地裏へタロウを引っ張っていった。
入り組んだ住宅街の隙間、大人一人しか通れないような塀と塀の間を潜り抜けていく。
「ここね、み~んな使ってるショートカットなんだ! 地図には載ってないんだよ?」
「……ほう。確かに効率的だ」
「えっ、効率っていうか……冒険っぽくてワクワクしない?」
「あはは! ざこお兄ちゃん、夢なさすぎ~!」
朝日の呆れ顔と、真夜の嘲笑が重なる。
だが、タロウの瞳は捉えていた。
昔は空き地だった場所に建った新しい家や、いつの間にか掛け変わった新しい街頭看板を。
自分が止まっていても、この街はゆっくりと、けれど確かに、変化し続けていたのだ。
さらに歩を進めると、今では訪れる人もなさそうな、古びた廃ビルが見えてきた。
「ここね、昔は『秘密基地』にして遊んでたの。今は危険だからって立ち入り禁止になっちゃったけど……」
朝日はどこか懐かしそうに廃ビルを見上げると、すぐ近くにある細い石段を指差した。
「でも、その先にある神社は、ボクのお気に入りの場所なんだ!」
苔むした石段を登り切ると、そこには樹齢数百年はあろうかという大きな神木と、静謐な境内に佇む古い社があった。
眼下には、先ほど歩いてきた商店街や住宅街、そして遠くにそびえるビル群までを一望できるパノラマが広がっている。
心地よい風が吹き抜け、神木の葉がサワサワと揺れる。
「……なるほど。一望できるな」
思わず漏れ出たタロウの言葉に、朝日は嬉しそうに「えへへ」と笑った。
「ここでね、風に吹かれながらボーッとするのが大好きなんだ」
タロウは眼下に広がる街並みを静かに見つめた。
(……街を、知る……か)
己の復讐と闇の世界しか見ていなかった胸の奥で、冷たく固まっていた何かが、ほんの少しだけ解けていくような感覚を覚えていた。
「じゃあ、お待ちかね……メインイベントのお弁当タイムだよ!」
「わぁぁ……パチパチ。ほら! ざこでも手は叩けるでしょ? 朝日ちゃんを褒めてあげなさいよ~!」
朝日は背中のリュックをぽんぽんと叩き、その横で真夜がパチパチと大げさに手を叩く。
眩しい日差しの中、二人はタロウに向かって満面の笑みを向けていた。
木漏れ日が差し込む境内のベンチで、タロウと朝日は並んで座っていた。
「じゃじゃーん! 今日のお弁当は、みんな大好き……卵焼きと唐揚げ!」
パカッと蓋が開けられると、彩り豊かな手作りのお弁当が顔を出した。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「……上手くできているな」
タロウが箸を伸ばし、唐揚げを一口口に運ぶ。
衣はサクッとしており、中からはジューシーな肉汁が溢れ出た。
「どう……かな……?」
「……美味い」
「本当!? えへ~!」
朝日はパぁっと顔を輝かせ、自分の分のお弁当に手を伸ばす。
その横で、タロウの頭上からニヤニヤ顔の真夜がぬっと身を乗り出してきた。
「なになに~?ざこお兄ちゃん、
また若い女の子の手料理食べてブタみたいにブヒブヒ喜んじゃってさぁ~!
本当チョロい~!ざこすぎじゃん!いっひひ~!」
調子に乗って耳元で煽り倒してくる真夜。
タロウは無表情のまま、朝日の視線が自分のお弁当箱に向いた一瞬の隙を見逃さなかった。
シュッ、と素早い手筋で、朝日の見えない角度から真夜の額へデコピンを繰り出す。
パチンッ!
「痛ぁっ!?!?」
境内に静寂を破る真夜の悲鳴が上がった。
額を押さえ、涙目で叫ぶ真夜。
「な、なにするのよこのぼ~りょく男ぁっ! 本気でデコピンするとか正気!?
痛い! 痛いんだけどぉーっ! 横暴だぁーっ! 幽霊権の侵害だぁーっ!」
真夜が必死に抗議するが、タロウは知らん顔で淡々と卵焼きを口へ運ぶ。
そんなタロウの様子に、朝日は不思議そうに首を傾げた。
「? タロウおにいちゃん、どうしたの?」
「……いや。ハエが飛んでいた」
「ハエ!? 誰がハエよ! 撤回しなさいよ、この! この……ざこ!!」
お弁当を食べ終え、街歩きを再開した二人と一霊。
陽が少し傾き始め、街並みがオレンジ色に染まり始めていた。
「次はね、約束の場所だよ!」
朝日はそう言うと、普通の歩行者なら素通りしてしまうような、古い民家の塀と竹林の間にできた――手前の郵便ポストで見づらくなっている狭い隙間へ迷いなく入っていった。
大人が横を向いてギリギリ通れるかどうかという、隠された抜け道だ。
タロウは足を止め、その隙間と、先を行く朝日の背中を見つめた。
単なる近道やショートカットの域を超えている。
あらかじめ知っていなければ絶対に気づけないスポットだった。
少しばかり興味を惹かれたタロウは、隙間を潜り抜けながら問いかけた。
「……なぜこんな場所を知っている?」
地図にも載っておらず、大人なら目にも留めないような道。
朝日は振り返り、切なげな笑みを浮かべた。
「昔ね、孤児院のみんなで遊んでて見つけたんだよ」
その無造作に放たれた一言に、タロウは一瞬だけ足を止め、朝日の瞳の奥を静かに見つめた。
言葉の余韻が、風に乗ってスーッと消えていく。
「……そうか」
タロウは深く追及することなく、短く答えると、再び朝日の後ろをついて歩き始めた。
肩の上の真夜も、何も言わず朝日の背中を見つめていた。