――タロウが朝日とのピクニックへ向かう、前日のこと。
『――続いてのニュースです。昨日未明、市内の邸宅にて、資産家の高木美代(たかぎ みよ)さんが遺体で発見されました。警察は不審死とみて――』
楽屋のTVモニターから流れるニュース音声。
「……っ、そんな……お母さん……っ!」
ソファに崩れ落ち、両手で顔を覆って肩を震わせるのは、今をときめく若手インフルエンサー――高木美子だった。
瞳からポロポロと溢れ落ちる大粒の涙。
駆けつけたスタッフやマネージャーたちが「美子ちゃん、大丈夫!?」「今日の撮影はバラそう!」と混乱し、彼女を包み込むように同情の声をかける。
「ごめんなさい……私、泣かないって決めてたのに……っ」
健気に涙を拭い、周りの心配に応えようと儚く微笑む姿。
撮影は中断され、SNS上は瞬く間に「母を失った可哀想な美子ちゃん」「みんなで支えよう」という同情と励ましのコメントで埋め尽くされていった。
世間にとって、これはただの「資産家の不審死」であり、「可哀想な悲劇のヒロイン」の誕生に過ぎなかった。
「美子ちゃん、今日はもう家でゆっくり休んでね」
マネージャーの気遣う言葉に見送られ、自室の重厚なドアがパタンと閉まる。
その音を聞きつけるなり、部屋の隅にある大きなケージの中から、鮮やかな赤羽を纏ったベニコンゴウインコが翼をパタつかせた。
『オカエリ~! オカエリ~!』
甲高い鳥の声が、誰もいない広い部屋に虚しく響き渡る。
その声を合図にしたかのように――美子の目から、ピタリと涙が消えた。
肩の震えが止まり、顔を覆っていた手をゆっくりと下ろす。
そこには悲しみなど欠片もなく、ただ冷たく、平坦な「無」の表情だけが残されていた。
(どういうこと……? あの人から聞いた限り、契約者は無敵の存在のはず……それが、死んだ……?)
美子の脳裏を支配していたのは、母の死への哀悼ではない。
胸を占めていたのは、「理解不能」という感情だけだった。
――契約者であっても、死ぬ? どうやって?
その未知の事実だけが、美子の胸に初めての「恐怖」と「脅威」を冷たく突きつけていた。
タワーマンションの一室。
静まり返った部屋で、煌びやかな夜景を見下ろしながら、美子はスマホを耳に押し当てていた。
コール音が三回。カチャリ、と繋がる。
「……ねえ。真一さん」
『やあ。今、最も勢いのあるキミから連絡なんて、ファンが聞いたら大炎上案件だね……』
受話器の向こうから聞こえるのは、どこか軽薄で浮世離れした男の声――真一だった。
「茶化さないで! 大事な話なの!」
ふざけた調子を咎めるように美子が声を張ると、男は一転して真面目な声色へと切り替えた。
『……どうかしたのかい?』
「お母さんが死んだみたい」
『それで?』
あまりにも無淡泊な切り返し。美子の眉が、ほんのわずかにピクリと跳ねる。
「それでって……それだけなの? お父さん!」
ツーー……ツーー……。
返答すらなく、容赦なく切られた通話音。
美子は怒鳴り散らすことも、スマホを投げつけることもしなかった。
ただ静かに画面を見つめる。数秒の沈黙ののち、ディスプレイが暗転した。
黒くなった画面に映る自分の冷めた顔を見つめながら、美子はぽつりと呟いた。
「……違う」
それだけだった。
最初は真一が母を殺したかとも疑ったが、今の反応で察した。あの男ではない。自分の勘がそう告げている。
そうなると、母を殺した「何か」が別に存在するということだ。
そしてその未知の何かは、確実に自分のすぐ近くまで迫っている。
このまま何もしなければ、自分も母と同じ末路をたどるだろう。
だが――むざむざ殺されるのを待つ気など、サラサラなかった。
美子は未知の脅威を探るべく、静かに動き始めた――。
――タロウが過去の夢から目覚めた、まさにその翌日。
タワーマンションの自室。薄暗い室内で、デスクに置かれた複数のモニターの光が美子の顔を青白く照らしていた。
画面に並ぶのは、母・美代の周辺情報。
警察の公表資料、ニュース記事のアーカイブ、SNS上の噂話、そしてインフルエンサーとしての裏の人脈を使って買い叩いた裏社会の情報筋からのリーク。
美子の細い指が、鍵盤の上を淀みなく滑る。
(警察はただの心不全か、あるいは金銭トラブルによる事故死として処理しようとしている……確かに直接の死因は不明となっている)
美子が求めているのは、遺体でも、復讐でもない。
ただ「無敵のはずの存在が死んだ」という真相の究明だ。
情報とデータを突き合わせ、照合を重ねて。一つの情報を拾い上げた。
(……これは?)
画面に表示された監視カメラの粗いキャプチャ画像や、美代のSNS投稿の背景写真、そして近隣住民の目撃証言のデータ。
母・美代が不審死を遂げる数日前から、彼女の自宅周辺や行動範囲に、度々映り込んでいる影があった。
黒いジャケットの襟を立てた、背の高い男。
街頭の影に紛れ、顔の判別できない男。
だが、美代が死亡する直前の数日間、その男は、ときたま美代の一定距離に存在していた。
「……手がかり発見」
美子の唇に、冷ややかな笑みが浮かぶ。
美子にとって、犯人がこの男かどうかすら二次的な問題だった。
重要なのは、この正体不明の男は何かを知っている……もしくは何かを見たということ。
「こんなのが母さんを殺した? ……ふふっ、そんなことはどうでもいいか、問題なのは」
モニターに映る黒い影の輪郭を指先でなぞりながら、美子は静かに呟いた。
「……あなたが何なのか、ということね」
彼女は男を「追う」のではない。理解するために行動を開始した――。