ザザァ、と波が砂浜を洗う音が聞こえる。
船は無事に、夜の闇に隠れた無人島の海岸へと接岸していた。
「よし、ここが目的地だ!上陸しろ。急げ!」
4191が先頭を切って砂浜に飛び降りる。
続いて5963、そして3470が足元を確かめながら降りていく。
一郎も彼らに続き、濡れた砂を踏み締めた。
ついに逃げ切った。ここから新しい人生が、家族の元へ帰るための道が始まる――。
誰もが、そう確信した次の瞬間だった。
――乾いた、鋭い音が夜の静寂を切り裂いた。
タァン!
「ぶっ……!?」
先頭を歩いていた4191の胸から、鮮血が噴き出す。
彼は何が起きたのかも分からぬまま、糸が切れた人形のように砂浜に倒れ込み、
ピクリとも動かなくなった。
「はっ?……なんで――!」
5963が叫ぼうとした瞬間、さらに連続して銃声が響き渡る。
タァン! タァン!
「がはっ!」
「う、あ……!」
闇を貫く無慈悲な弾丸は、正確に急所をぶち抜いていく。崩れ落ちる5963。
そして、一郎のすぐ目の前にいた3470の腹部からも、どっと赤い血が溢れ出した。
わずか数秒。
たったそれだけの時間で、さっきまで笑い合っていた仲間たちが、
一人残らず砂浜に転がっていた。
耳を打つ波の音。漂う硝煙の臭いと、濃密な血の匂い。
「え……?」
一郎の口から、掠れた声が漏れた。
思考が完全に停止する。何が起きている? なぜ、みんなが倒れている?
「し、しっかりしてください! 3470さん!!」
一郎は恐怖を忘れ、ただ反射的に、目の前で倒れた3470の元へと駆け寄った。
その体を抱き起こし、必死に声をかける。
「は?……え?嘘だ・・・…、目を、目を開けてくれ! おい!」
返事はなく。
3470の瞳からは急速に光が失われ、一郎の手を握り返す筋力さえ、すでに残されてはいなかった。
ただ、生温かい血だけが、一郎に現実を教えていた。
ザッ、ザッ、と濡れた砂を踏みしめる重い足音が、暗闇の向こうから近づいてくる。
懐中電灯の強い光が、血に染まった砂浜と、立ち尽くす一郎の姿を容赦なく照らし出した。
一郎は眩しさに目を細めながら、光の主を見上げ――その瞬間、息を呑んだ。
そこに立っていたのは、かつて、我が家で一緒にビールを酌み交わしたはずの男だった。
「なんで……」
真一は、一郎の困惑など意にも介さない様子で、ただ無表情で立っていた。
「ゴミはキチンと処分しないとな」
「お前らみたいなクズが助かると思ってたのか?」
「しかも、好きに生きる?はっ!お笑いだ」
あまりにも冷酷な言葉。
「しん、いち……?」
一郎の声が震える。
「なんで、なんでここに……」
「なんで?ハァ……いつまでもおめでたい頭だな?一郎・・・…」
真一がポケットから取り出したのは、小さな無線機だった。そのインジケーターが、静かに明滅している。
「全部、聞いていたからさ」
「なぜか機能しなかった監視カメラ。都合よく用意されていた船。全てお膳立てしていたのさ、この俺が」
「船の上で、家族がどうの、心配をかけただの、今度は悪さをするなだの……。
吐き気がするな」
「うそだ……」
一郎の頭の中で、何かにひびがはいった音がした。
銃口がまっすぐに一郎の胸元へと向けられる。
引き金にかかる指。
その瞬間、脳裏に、不意に、先ほどの波の音が蘇った。
『無事に会えるといいな』
それは、冷たい骸となった3470の、あの静かな声だった。
(ここで、終わったらだめだ……!)
一郎の瞳に、凄まじい生への執着が宿る。
「くっ、うああああああっ!!」
一郎は真一に背を向け、濡れた砂を蹴り上げた。
諦めない。
死んでたまるか。
彼らの思いを、自分の無実を、家族が待っている、このまま闇に葬らせてなるものか。
「・・・…」
真一の視線を背中にうけ。
一郎はがむしゃらに走った。
ただひたすらに、命の鼓動が続く限り足を動かす。
けれど――。
パン!
夜空を切り裂く銃声。
パン!
夜の静寂を切り裂いた銃声。
その直後、一郎の右膝が不自然に折れ、彼は激しく砂浜に転倒した。
「がはっ……、あ、が……ッ!」
激痛が脳を焼き焦がす。そして暗闇からゆっくりと歩み出てきた人物――。
「……み、よ……?」
そこには、夜の潮風に長い髪を揺らす、妻の美代が立っていた。
彼女の目は、殺意で満ちているわけではなかった。
ただ、一郎を激しく見下す、醜悪なまでに瞳は「狂気」に濁っている。
美代は狂ったように叫び、銃口を地面に這いつくばる一郎に向け直した。
「世界で一番美しいこの私よ……! なんで、あの写真の……あんなダサイ女なんかに……!」
感情が高ぶるにつれ、言葉は支離滅裂になり、ヒステリックな金切り声が無人島に響く。
「さっさと私に靡けばよかったのよ!
私を、私だけを愛していれば、こんな目に合わずに済んだのに!
世界で一番美しいのは私よ! 私なのよ!!」
真一が退屈そうに肩をすくめ。
「すべては、俺との賭け。
一郎という男の心を自分に完全に屈服させられるかという、ゲームさ。
そしてそれに失敗した腹いせのために、彼女はお前の足を撃ち抜いたのさ」
ハァ、ハァ、と荒い息を吐く美代の後ろから、さらにもう一つの影がゆっくりと姿を現した。
「お母さん、みっともないよ」
冷たく、一切の抑揚のない声が響く。
「み・・・…こ・・・…?」
手にはいつも、一郎を写していたあのカメラが握られている。
そのレンズが一郎に向けられるが、ファインダー越しに一郎を見る彼女の瞳には、情の一片すらもなかった。
「何でもかんでも信じた結果がこれ」
美子は地面に血を流して伏せる一郎を見下ろし、口元を小さく歪めた。
「ほんっと、ダサい」
それは、今まで一郎に一度も見せたことのない、心底軽蔑しきった少女の本性だった。
しかし美子はすこしだけ楽しそうに、笑い。
「でも、家族ごっこ、結構面白かったよ? だからね、お義父さん」
カメラのシャッターが、静かに切られる。
カシャ、と。あの朝と同じ、軽い音が絶望の夜に響く。
「――最後まで、利用してあげるから」
夜の闇の中、かつて愛した家族の本当の顔が、一郎の網膜に焼き付く。