手拭いの匂いと、静かな香の煙が漂う和室。
布団の上に体を起こし、静かに窓の外を見つめていた老女――真一の母親。
女性は、ゆっくりとタロウへと視線を向け、嬉しそうな表情を浮かべた。
「あらあら、どちらさまかしら? お客さんかしら?」
「……突然の訪問、失礼します。私のことは……タロウとお呼びください」
「まあ! タロウさんっていうのね! ごめんなさいね~。まだ涼二さんたちは戻ってきてないのよ~、ほんとどこへ行ってしまったのかしら……?」
「ね、ねぇっ、ざこお兄ちゃん? この人、まだ正気を取り戻してないじゃん!」
ダメかもしれないといった表情を浮かべる真夜が、タロウへと話しかける。
タロウが懐から、先ほど手に入れた手記を取り出した瞬間――。
「…………そう……ソレを見つけたのなら、あなたが私たち夫妻の待ち望んでいた方ですね」
手記が目に入った途端、彼女の瞳に理性の光が戻り、落ち着いた声色で話しはじめた。
「はい」
「そう……タロウさん。こんな姿でごめんなさいね。お客さんがいらっしゃるなら、ちゃんとした服装をしたのだけれど……。私のことは、香澄《かすみ》と呼んでくださいね」
そう言って、老女――真一の母は名乗った。
「さて、ここまで来たということは、探しているのは、『入口』ということでいいのね?」
香澄がタロウに問いかける。
「そうです。あなたが“真実を知る者”であるならば、お願いします」
「わかりました。では行きましょうか。すべてが始まった場所へ」
そう言って香澄は布団から立ち上がり、歩き出した。
一行が向かったのは、庭にある蔵であった。
「ふわ~、おっきいねぇ~! ねぇねぇ、お宝あるかな~」
そんな蔵を見上げ、真夜が感想を漏らす。
蔵の前で立ち止まり、見上げながら香澄は話し始めた。
「ここには、“禁忌”アクマについての記録が眠っています」
「アクマと呼んでいますが、多くの人が思い浮かべるような存在ではありません。あれは現象、概念……そういったモノなのです」
「儀式といっても、大掛かりなものではありません。」
「扉を開き、あちらを受け入れる。」
「ただ、それだけです。」
そのあまりの単純さに真夜が驚く。
「え!? そんな簡単なの!? じゃあ、誰でも“契約者”になれちゃうじゃん!」
そんな真夜の声が聞こえているかのように、香澄は言葉を続けた。
「もちろん、誰でも“契約者”になれるというわけではありません。普通の人よりも肥大化しすぎた、悪徳の欲望を持っていなければいけないのです」
「逆に言えば、悪人ほどなりやすい、ということか……」
最悪なシステムに、タロウは吐き捨てるように呟いた。
「はい、そうです。けれどデメリットもあります。それは、契約時に自身の魂を対価にしなければいけないのです。だからこそ、歴代の当主はこれを“禁忌”とし、封じたのです」
タロウの言葉を肯定するように、香澄がうなずく。
「つまり、精神世界とは魂そのものということか。では、“真実を知る者”とは?」
「アクマの力とはいえ、万能ではありません。あれらは覆い隠すことのみ。ありもしないものを生み出すことはできませんし、隠される瞬間を見た者には干渉ができないのです」
「その瞬間を見たからこそ、か……」
香澄の発言に、タロウは自分の中の結論が間違っていなかったことを確信した。
ガチャン。ギィ――――。
蔵の鍵が重厚な音を立てて外れ、扉が開いた。
「この先です、この蔵の中であの子は、『手のひらサイズの紙』を見ていました」
香澄が指さした空間が揺らぎ始め――精神世界への入口が開いた。
「この先が真一の精神世界……」
「重要なのは『手のひらサイズの紙』だからね!……じゃ! ちゃっちゃと終わらせるよ、ざこお兄ちゃん!」
「どうか、終わらせてください」
タロウと真夜はそろって入口へと入っていく。
その後ろで、香澄はただ静かに頭を下げていた。