孤児院、施設内で職員たちが話し合っていた。
その顔には、子供を育てる聖職者の面影など微塵もなかった。
浮かんでいるのは、卑俗で金に目のくらんだ欲望に満ちた笑みだ。
「よし、これで今月分のは確保だな」
「大金持ちのジジイどもは、新鮮な若い臓器をいくらでも欲しがってる。
いい金になる。笑いがとまんねぇな」
「ウヒヒッ……お前、今度の金、なんに使う?」
彼らの本性は、孤児たちを守る盾ではなく、
彼らを切り売りする人身売買・臓器売買のブローカーだった。
そこへ、背後から無機質な足音が近づく。
タロウが、影のように立っていた。その瞳は無機質にただ殺意だけを湛えている。
「あぁ? なんだお前、誰だよ? 邪魔だ、失せろ!」
職員の一人が懐から銃を抜き、容赦なくタロウの胸へと引き金を引いた。
――銃声。
弾丸は確実にタロウの心臓を貫いた。はずだったが、血の一滴すら流れない。
弾頭は彼の衣服すら傷がつかずに、まるで黒い霧に吸い込まれるように消滅した。
「……は? え?弾……?」
「先に手を出したのはお前たちだ……」
タロウは驚愕する職員の胸ぐらを、片手で掴み上げる。
成人男性の身体が、まるで紙切れのように軽々と宙に浮いた。
「くそ、死ね――」
「静かにしろ」
タロウが低く呟いた瞬間、拳を振りぬき、職員たちは壁に花を咲かせた。
さらに、タロウの周囲の空間が歪み、地面から、無念の死を遂げた子供たちの霊が、半透明の姿で何体も這い出てくる。
『あいつら……僕たちをバラバラにした……』
『痛かった……苦しかったよ……』
普通の人間には見えない彼らの姿を、タロウははっきりと見つめ、静かに頷いた。
「他の奴らの場所は?」
霊たちは一斉に指し示した。
そこからは、戦いとすら呼べない一方的な蹂躙。
殴りかかってくる職員の腕を、触れるだけで容易くへし折る。
鉄パイプでの殴打も、強靭な肉体には傷一つつかない。
手をかざした瞬間、男の身体が吹き飛び、壁へ叩きつけられた。
悲鳴をあげる暇もなく転がっていく。
「ひぎゃぁぁぁ」
「あ、あが、化け物……頼む、助けてくれ……っ!」
「い、いやだ―――!死にたく……ぐぇ」
最後に残った男が這いつくばって命乞いをする。
タロウはその首を容赦なく踏みつけ、冷たく見下ろした。
「……」
バキリ、と鈍い音が当たりに響き渡り、静寂が戻る。
人身売買の拠点だった施設は、一瞬にして、
悪党たちの血と絶望が染み込む屠殺場へと変貌していた。
人身売買のブローカーたちを瞬く間に肉塊へと変えたタロウは、
そのまま静かに施設内へと歩みを進めた。
そして一夜にして、その組織は完全壊滅した。
事務室に残された血塗られたPCの前に立つタロウ。
彼が端末に触れた瞬間、無数の怨念に刻まれた誰かの知識が浮上する。
その指は迷うことなく動き、画面のコードが書き換えられていった。
「……これか……」
暴かれたのは、この人身売買組織に莫大な資金を融通し、
子供たちの臓器や命を買い漁っていた裏のスポンサーたちのリスト――
その中に、タロウの瞳を激しく燃え上がらせる名前があった。
【下井 清太】
「……下井……清太……」
その文字が網膜に焼き付いた瞬間、
タロウの脳内で混濁していた全てのピースが、凄まじい勢いで噛み合っていった。
過去に自分を機密漏洩の罪で陥れた男、どうやらその時の功績で会社を興し、
今や若き成功者としてメディアに持て囃されている、かつての部下。
(そうだ……俺は、田中一郎。あの島で、真一たちに……)
バラバラに散らばっていた一郎の記憶と、レギオンとしての復讐の意思が完全に融合し、一郎の記憶が、ようやく一本の線になった。
「あれから10年経っているのか……」
過ぎ去った年月に思いを馳せた瞬間。
「……これで、約束は果たした」
タロウは慣れた手つきで、下井清太を含む裏組織の全顧客データ、
人身売買の証拠を、匿名で警察の捜査機関と主要メディアへと一斉に同時送信した。
明日になれば、この国は大騒ぎになり、清太の築き上げた偽りの栄光は根底から揺らぐことになる。
データ送信を終えたタロウは、青年の魂との「約束」は果たした。
組織は消え、朝日は自由になり、警察の保護によって孤児院の仲間たちも救われる。
「……これでいい、あいつ等の未練も俺が背負う」
タロウは静かに呟く。
「下井清太……」
******
深夜の孤児院。
静寂を取り戻したはずの敷地は、
いまや何十台ものパトカーの赤色灯によって、赤と黒に染め上げられていた。
深夜にもかかわらず、現場には異様な緊迫感が張り詰めている。
そこへ、スーツ姿を隙なく着こなし、ショートカットがよく似合う。
鋭い眼光を宿した若き女性刑事――正田法子《しょうだのりこ》が、警察の鑑識官たちを押しのけるようにして足を踏み入れた。
「正田先輩! こ、こちらです!」
駆け寄ってきた部下の刑事が、青ざめた顔で報告する。その手はかすかに震えていた。
「……状況は?」
「施設内にいた裏組織のメンバー、およびブローカーらしき男たち……全員死亡です。生存者は、監禁されていた子供たちのみ。彼らは全員無事ですが、何が起きたのかよくわからないそうです……」
法子は部下の言葉を遮るように、凄惨を極める現場の奥へと進み、その光景を凝視した。
「……何これ……うっ」
一歩、息を呑む。
目の前に広がるのは、通常の殺人事件の概念を遥かに超越した「異常」な光景だった。
血溜まりの中に転がる死体は、銃で撃たれたわけでも、刃物で切り裂かれたわけでもない。
まるで、巨大な怪力によって、肉体そのものを雑巾のように捻り絞られたかのように破壊されていた。
だが、法子が最も驚愕したのは、死体ではなく「部屋」そのものだった。
「壁が……内側から潰されてる?」
頑丈なコンクリートの壁が、まるで巨大な何かに叩き潰されたかのように大きくへこんでいる。
しかし、そこに残された痕跡はあまりにも不自然だった。
爆発でも、衝撃でも説明できない。
ただ何か途方もない力によって、無理やり押し潰されたような跡だった。
「あり得ない……。なにをどうすれば、こんな壊れ方を……」
冷たい汗が、法子の頬を伝う。
科学を信じる彼女では、到底理解できない現実がそこにあった。
この凄惨な壊滅劇を引き起こした、正体不明の『何か』。
その圧倒的なまでの「力」の残滓に触れ、
正田法子は言葉を失ったまま、ただ赤色灯に照らされる現場を立ち尽くして見つめることしかできなかった。
そんな法子と孤児院を見つめるもう一つの瞳があった。
「へ~……うまくやった同類さんかな?」
その呟きは、赤色灯の喧騒へ静かに溶けていった。誰一人、それに振り返る者はいない。
~~~~~~
「みんな笑顔でうれしいな! タロウさん、ありがとう!」
警察の聴取を終えた、朝日が無邪気な満面の笑みをタロウに向けた。
過酷な運命から救い出され、仲間たちの安全を確信した少女の笑顔であった。
タロウは、その笑顔を静かに見つめた。
「…………」
その瞬間、朝日の小さな姿に、かつて失った、娘・朝陽の幼い笑顔が、鮮烈に重なり合う。
重なった幻影はブレて、消える。タロウの瞳から、一瞬の揺らぎが消え失せた。
タロウは静かに目を閉じる。
ゆっくりと目を開けたタロウは、手を振る朝日に背を向け、闇の向こうへと歩き出した。
「……待っていろ」
奥へとさらに一歩、足を踏み出し。
「真一」
第3話 END