同級生の女の子にゲームを教えるだけの簡単なお仕事です。 作:漂流者
次第に意識が覚醒する。
最初に感じたのは、背中に伝わる硬い地面の感触だった。
次に、朝の冷たい空気。
そして最後に昨日の出来事を思い出した。
「…………」
目を開けると、そこには綺麗に切り出された石の天井。
同じ材質の壁面には数本のたいまつが飾られていて、煌々と燃え盛る焚き火もそのままだった。
何もかも寝る前と同じ──そう思って、俺はぼやいた。
「……夢じゃ、なかったのかよ」
自分の声に胸の奥が、妙な具合に沈んだ。
やっぱり帰れていない。
ここは俺の部屋でも、学校でもない。
現実そっくりのどこかでもない。
俺が何度も遊んだゲーム。
アークラの世界だ。
昨日、俺たちはこの世界からログアウトできないことを確認した。
ステータス画面は開ける。
アイテムボックスも使える。
けれど、システム画面は出てこない。
つまり、自分の意思で帰る方法がない。
ゲームの中で死んだらどうなるのかも分からない。
それなのに、俺は。
「……ちょっと、安心してるのか?」
自分でも驚いた。
怖い。
帰りたい。
こんな理不尽な状況から、一刻も早く抜け出したい。
なのに──昨日の出来事が夢じゃなかったことに、ほんの少しだけ安堵している。
だって。
昨日一日で終わるはずだったものが、まだ続いている。
その理由を考えれば、答えはすぐに出た。
「……水瀬さん」
「おはよう、コーイチ君」
「うわっ!」
突然、目の前に顔が現れた。
水瀬さんが、俺の顔を覗き込んでいる。
「おはよう。よく寝てたね」
「……おはようございます」
反射的に返してから、俺は外を見上げた。
どうしてだろう。
この子の顔を見た瞬間、さっきまで胸に溜まっていた重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
帰れない。
死ぬかもしれない。
それでも。
もう少しだけ、この理不尽な現実が続いてほしい。
そんなことを思ってしまった。
「水瀬さんって、すごいな」
「え?」
「……あ」
しまった。
口に出ていた。
「いや、その……」
慌てて口元を手で覆う。
何を言ってるんだ、俺は。
水瀬さんだって怖いはずだ。
昨日の時点で、ゲーム内で死んだら現実でも死ぬ可能性があることには気付いている。
ログアウトもできない。
帰る方法も分からない。
それなのに。
「今日は何をするの?」
水瀬さんは笑っていた。
「……なんでそんなに普通なんですか」
「普通じゃないよ?」
「いや、普通ですよ」
「だって、昨日からずっと大変なことばっかりだよ?」
そう言いながら、水瀬さんは森のほうを指差した。
「あれとか!」
「え?」
森の木々の向こうから、何かがふらふらと歩いてくる。
緑色の肌。
生気のない顔。
こちらに気付いたらしく、ゆっくりと近付いてきて――。
「ほらっ、緑のおじさん!」
「ゾンビです」
「ゾンビだ!」
水瀬さんが楽しそうに叫んだ。
そのゾンビが森から出た瞬間、朝日を浴びて身体から火を噴き始める。
「燃えた!」
「日光に弱いので」
「すごい! 本当に燃えるんだ!?」
「いや、そこ感心するところじゃないですよ」
俺は思わず苦笑した。
……やっぱり、何も考えてないのかもしれない。
そう思ったところで、水瀬さんがこちらを振り返った。
「それで?」
「はい?」
「今日は何をするの?」
「ああ……」
俺は立ち上がり、周囲を見回した。
昨日はとにかく生き残ることを優先して、最低限の拠点を作っただけだ。
でも、このままでは長くは持たない。
水も必要だし、食料も必要。
そして何より、俺たちは帰る方法を探さなければならない。
一番確実なのは、ゲームをクリアすることだ。
アークラにはエルダードラゴンというラスボスがいる。
そいつを倒し、最果てにあるワープゲートに飛び込めばエンディング。
ゲームとしては、それが一応のゴールだ。
問題は。
水瀬さんをそこまで連れて行くことだ。
「一応確認しますけど、水瀬さん」
「うん」
「木、石、鉄、ミスリル、アナザー、要塞、最果てって、何のことか分かります?」
「…………呪文?」
「違います」
やっぱりダメだ。
ゲームをほとんど知らない水瀬さんに、いきなり攻略ルートを説明しても意味がない。
危険な場所に連れて行くなら、その前に最低限の装備と知識を身につけてもらわないといけない。
だったらまずは──。
「拠点をちゃんと作りましょう」
「うん!」
「食料と水を確保して、畑を作って、家畜を飼えるようにする。あと、近くに鉱石を掘れる場所も欲しいです」
「うん、楽しみだね」
水瀬さんは元気よく頷いた。
とりあえず、今日のところはそれでいい。
俺たちは昨日作った仮拠点を出発した。
しばらく歩いていると、俺は道端の草むらに向かって斧を振るった。
ざくっ。
草が消える。
地面に小さなアイテムが落ちた。
「あ、それ」
水瀬さんがしゃがみ込む。
「何?」
「植物の種です」
「種?」
「畑に植えると麦になります」
「草の種が?」
「そうです」
アークラではそういうものだ。
現実の植物がどうこうという話ではない。
「水瀬さんもやってみてください」
「分かった」
水瀬さんが斧を振る。
ざくっ。
草が消える。
けれど――何も落ちない。
「……あれ?」
もう一度。
ざくっ。
何も出ない。
「…………」
水瀬さんが無言で俺を見る。
「もう一回やってみてください」
「うん」
三回目。
何も出ない。
「なんで?」
「スキルの効果ですよ」
「スキル?」
水瀬さんが首を傾げる。
俺はステータス画面を開いた。
「アークラはキャラクターを作ったときに、三つのスキルを選べるんです」
「そうなの?」
「僕は採取を選びました」
「採取?」
「こういう、アイテムが出る可能性のあるオブジェクトを壊したときに、ボーナスがかかるスキルです。だから普通の人より、種が出やすいんですよ」
「へえ……」
水瀬さんが自分のステータス画面を開く。
「しかも、スキルって使えば使うほど強くなるんです」
「へえー……」
水瀬さんは、画面を見ながら感心したように何度も頷いた。
「じゃあ、コーイチ君は草をいっぱい刈れば強くなるんだ」
「まあ、そういうことです」
「ゲームってすごいね」
「水瀬さんのスキルは何なんですか?」
「え?」
「ステータス画面の右下にアイコンがありますよね」
「あ、本当だ」
水瀬さんが指で画面を操作する。
「えっと……弓術、探索、罠師」
「……え?」
思わず聞き返した。
「弓術と、探索と、罠師」
「それ、本当ですか?」
「うん」
俺は水瀬さんのステータスを見直した。
……強い。
普通に強い。
アークラでは、最終装備さえ揃えば大抵の敵は剣を振っているだけで倒せる。
でも、近付くこと自体が危険な敵もいる。
代表的なのがスイーパーだ。
近づくと爆発するあいつを遠距離から処理できる弓は、とにかく便利だった。
探索も強い。
地下でもアナザーでも最果てでも、オートマッピングができる上に、敵の配置まで把握できる。
罠師だって便利だ。
致命的な罠を自動で回避してくれる。
「……かなり強いよ」
「本当?」
「うん。たぶん僕より、危険な場所では水瀬さんのほうが役に立つと思う」
「ほんとに?」
水瀬さんの顔が、ぱっと明るくなった。
「じゃあ、私もちゃんと力になれるんだ」
「もちろん」
「よかった」
どうやら本当に嬉しいらしい。
「ホントにご機嫌だね。水瀬さん、そんなに嬉しい?」
「嬉しいよ」
「そんなに?」
「うん」
水瀬さんは笑った。
「コーイチ君が、ですます口調じゃなくなったから」
「…………え?」
「打ち解けてもらえたのかなって」
「…………」
言われて初めて気付いた。
俺はいつの間にか、敬語を使っていなかった。
昨日まではずっと、水瀬さんに対して丁寧な喋り方をしていたはずなのに。
「……あ」
顔が熱くなる。
「ほんとだ」
「うん」
水瀬さんは嬉しそうに笑っている。
「なんか、コーイチ君と仲良くなれた感じがする」
「……そういうこと、言わないでもらえるかな?」
「なんで?」
「……恥ずかしいから」
「ふふっ」
水瀬さんは楽しそうに笑った。
俺は顔を背ける。
なんだか、さっきよりもずっと暑い。
太陽のせいじゃないことくらい、自分でも分かっていた。
顔が熱い。
さっきからずっとそうだった。
別に、何か恥ずかしいことをしたわけじゃない。
ただ、水瀬さんに「仲良くなれた感じがする」と言われただけだ。
それなのに、俺は赤くなった。
「……やっちまった」
小さく呟く。
昨日までずっと「水瀬さん」と呼んで、丁寧な口調を崩さないようにしていたのに。
今さら意識すると、余計に恥ずかしくなってくる。
でも。
よく考えてみれば、ここには俺と水瀬さんしかいない。
学校じゃない。
クラスメイトもいない。
からかってくる友達もいない。
「……別に、気にしなくてもいいか」
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
どうせ今は、そんなことを気にしている場合じゃない。
まずは生きること。
そのために食料を確保して、拠点を整える。
俺は気持ちを切り替えて歩き出した。
「コーイチ君!」
「はい?」
「見て!」
水瀬さんが突然、俺の腕を引っ張った。
「何ですか?」
「あれ!」
指差した先にいたのは――。
「……アヒル」
数羽どころではない。
十羽近いアヒルが、草地をのんびり歩いている。
「かわいい!」
水瀬さんが駆け寄っていく。
「ちょっと待ってください。野生動物に不用意に近付くと――」
「コーイチ君!」
「はい?」
「なんか寄ってくる!!」
「はい、アヒルは植物の種をエサと認識するんで」
水瀬さんの手には、さっき拾った種があった。
だから寄ってくる。
わらわらと、わらわらと。
試しに、俺も種に持ち替える。
するとこっちに振り向き、アヒルは俺たちの間を行き来するようになった。
「かわいい〜〜!!」
そんなアヒルたちの姿に水瀬さんもご満悦だ。
俺も嬉しい。
これで今夜は焼き鳥だな、と──。
「これ、飼えるんだよね?」
「飼えるよ」
俺は斧に持ち替えながら言った。
「種があればいくらでも増やせるから、二匹だけ残してあとは適当に処分しちゃおうか」
「…………」
水瀬さんが固まった。
アヒルたちも、なぜか一斉に俺を見る。
「……コーイチ君」
「はい」
「その斧、何に使うの?」
「アヒルを仕留めるためだけど」
「…………」
水瀬さんがアヒルを抱きしめる。
「だめ」
「でも、食料になる」
「だめ」
「羽毛も取れる」
「だめ!」
水瀬さんはアヒルを背中に隠すようにして、俺の前に立った。
「この子たちは、わたしが責任を持ってお世話するから!」
「……」
「だから、お願い! 見逃して……」
必死だった。
本気で命乞いをしている。
「分かりました」
「……え?」
「じゃあ飼おう」
「いいの?」
「はい」
俺が斧を下ろすと、水瀬さんの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう、コーイチ君!」
「ただ、餌は必要だからね」
「うん!」
水瀬さんは嬉しそうにアヒルたちを撫で始めた。
俺はその様子を眺めながら、別の意味でため息をつく。
まあ、いいか。
アヒルがダメでも、他の食料を確保すればいい。
そう思って顔を上げた。
少し離れたところに、豚がいた。
しかも親子連れ。
さらにその向こうには牛が二頭。
どう見ても夫婦だった。
俺は自然とそちらを見る。
すると水瀬さんも、俺の視線を追った。
そして、ゆっくりと俺を見る。
「……」
「……」
水瀬さんが首を横に振る。
俺は頷く。
「僕らが生きるために必要なことですから」
「…………」
さっきまでの俺の口調が、いつの間にか戻っていた。
水瀬さんは何も言わなかった。
ただ、少しだけ悲しそうな顔で豚と牛を見る。
「生きるって……綺麗事じゃないんだね」
「そうですね」
俺は斧を握り直した。
それでも、水瀬さんの顔を見ていると、なんとなくやりづらい。
結局その日は、豚と牛を必要なだけ狩り、羊を見つけて毛を確保した。
さらに歩いた先で水源も発見した。
そこからは一気に作業を進めた。
水源の近くを耕して畑を作る。
種を植える。
アヒルを柵で囲う。
そして、近くの山に掘った横穴を新しい拠点にした。
ベッド。
作業台。
かまど。
チェスト。
昨日作った仮拠点から必要なものを運び込む。
大した家ではない。
壁は土と石。
入口には扉が一枚あるだけ。
それでも、水源があって、食料が育って、動物がいる。
「……なんか、家っぽくなったね」
畑を眺めながら、水瀬さんが言った。
「そうですね」
さっきまで少し沈んでいた表情が、また明るくなっている。
特に、柵の中で草を食べているアヒルと戯れてからは機嫌がいい。
「アヒルちゃん、かわいいなあ」
「名前を付けるのはまだ早いですよ」
「なんで?」
「死んだときに悲しくなるので」
「……」
水瀬さんが黙った。
「冗談です」
「もう!」
頬を膨らませる。
俺は思わず笑った。
そして、その日の最後。
俺たちは焚き火の前で、焼いた肉を食べていた。
塩もない。
調味料もない。
ただ、肉を焼いただけ。
それでも。
「……おいしい」
水瀬さんが串焼きを頬張りながら呟いた。
「そうですね」
空腹だったからだろう。
焼いただけの肉なのに、妙にうまい。
水瀬さんは畑と動物たちを眺め、それから手元の肉を見る。
「……今日はごめんね」
「何がですか?」
「ううん……」
水瀬さんは少し考えてから、曖昧に笑った。
「コーイチ君に嫌なことをさせちゃったから」
「……ああ」
昼間のことか。
アヒルを守るために、俺に豚や牛まで殺させるような気持ちにさせてしまったと思っているのだろう。
「気にしなくていいですよ」
「でも……」
「水瀬さんらしいですね」
「え?」
「アークラの動物にまで感情移入するところ」
「だって、かわいいじゃん」
「まあ、そうですね」
柵の向こうでは、アヒルが何羽か寄り添って眠っている。
昼間なら、俺はただの家畜として見ていた。
食料。
素材。
ゲームを進めるために必要なもの。
でも、水瀬さんが隣で「かわいい」と言い続けるせいか、少しだけ見え方が変わってきた気がする。
「……まあ、飼うのも悪くないか」
「でしょ?」
水瀬さんが笑った。
夕方になり、空が暗くなっていく。
俺たちは洞窟の中へ戻った。
「そういえば、ベッド」
「一個しかないですね」
今日、羊毛を集めて作ったベッドは一つだけ。
もう一つ作るには、あと少し羊毛が足りなかった。
「どうする?」
「どうするって……」
さすがに同じベッドを使うって発想はない。
俺は仮拠点から持ち出した葉っぱブロックを設置した。
「俺はこっちを使うんで、水瀬さんはベッドを使ってください」
「ダメだよ。コーイチ君が作ってくれたベッドなのに、わたしだけ使うなんて」
「いや、そんなこと言ったって一つしかないんだし……」
「うん、だから半分こにしよう」
って、どうしてそんな発想になるかな。
ベッドの奥端に身体を寄せて、じっとこちらを見つめてくる水瀬さんが何を考えているのか、俺にはなんとなく理解できた。
安全な男と思われているのでなければ、別にそうなっても構わないと思ってるわけでもない。
単に距離感がバグってる。
たぶん、断ったときのほうが水瀬さんのダメージは大きい。
その程度のことは、この二日間で十分に読み取れた──。
「わかった。その代わりあまりベタベタするのは無しだからな」
「やった! ぞんざいな口調も復活!」
……やれやれ、まるで子供だ。
まぁ俺もまだまだガキだし、水瀬さんに嫌われるようなコトをする気は欠片もないけど……なんだろうな。
案の定、俺がベッドに入ると水瀬さんが安心したような顔になった。
「お疲れさま」
「お疲れさまです」
「……あ」
「どうしました?」
「またですますになった」
「……」
そう言われて、俺は少しだけ気まずくなった。
「……癖なんだよ」
「そっか」
水瀬さんが笑う。
「でも、今日は楽しかったね。コーイチ君」
「……うん」
今度は自然に返せた。
帰る方法は、まだ何も分かっていない。
エルダードラゴンを倒せば、本当に帰れるのかも分からない。
それでも今日は、畑を作った。
動物も飼った。
食料も確保した。
そして、俺を家族のように扱う水瀬さんと寄り添って一日を終えようとしている。
「おやすみ、水瀬さん」
「おやすみ、コーイチ君」
目を閉じる。
明日になったら、また帰る方法を探さなければならない。
そのために、もっと強くならなければならない。
分かっている。
でも――。
明日は何をしよう。
そんなことを考えながら、俺は眠りについた。