同級生の女の子にマ⚪︎クラを教えるだけの簡単なお仕事です。 作:漂流者
家ができた。
アースクラフトで家を作った。
ゲームなら、ただの過程だ。
木材を集めて、壁を作って、屋根を載せる。
街作りをするなら、その第一歩。
それだけのことだ。
……そのはずだった。
「ふふーん♪」
鼻歌が聞こえてくる。
振り返ると、水瀬さんが家具の埃を払っていた。
完成から数日が経った俺たちのログハウス。
その中を、彼女は楽しそうに掃除している。
窓を拭いて、床を掃いて、洗濯物を干して。
さっきまで畑にいたと思ったら、今度は台所に立って昼食の準備をしている。
ずいぶんと忙しそうなのに、水瀬さんは楽しそうだった。
「コーイチ君」
「ん?」
こちらを振り返った水瀬さんと目が合う。
すると、ぱっと笑顔になった。
「えへへ」
……なんだろう。
その笑顔を見ると、こっちまで嬉しくなってしまう。
まるでゴールデン・レトリバーだ。
誰にでも愛想を振り撒き、嬉しいことがあると全身で喜びを表現する。
それが水瀬莉央という女の子だった。
うん、ちょっと普通じゃない。
普通の中学生なら、異性というものをもう少し警戒する。
男子は男子同士でつるむ。
女子だって男子とは必要最低限しか話さない。
もちろん例外はあるだろうけど、それが普通だと思う。
だからこそ、誰からも好かれて、男子にも女子にも分け隔てなく優しく、先生からも頼りにされている水瀬さんは、やっぱり少し異質なのだ。
俺だって、水瀬さんのことが嫌いなわけじゃない。
むしろ逆だ。
一緒にいると、いつの間にかこっちまで笑っている。
それが照れくさくて。
妙に困る。
だって、水瀬さんは女の子なのだ。
俺たちはゲームから脱出するためにここにいる。
それなのに、こんなふうに毎日一緒に暮らしていたら。
家を作って。
一緒にご飯を食べて。
一緒の家で眠って。
畑を耕して。
牧場の世話をして。
そんなことを繰り返していたら。
……帰ったあと、どうなる?
もし俺が変なことをしたと思われたら。
もし水瀬さんが誰かに話したら。
たぶん、悪気なんてない。
水瀬さんはそういう子だ。
きっと「アークラの中でコーイチ君と一緒に暮らしてたんだよ」なんて、いつもの笑顔で話す。
そうしたら、どうなる?
クラス中に広まる。
男子にも女子にも。
そして俺は、二度と教室でまともに水瀬さんの顔を見られなくなる。
だから。
だから、俺は一線を越えてはいけない。
そう思っていた。
「コーイチ君、お昼できたよー」
「ああ、ありがとう」
テーブルに料理が並べられる。
冷麦。
おにぎり。
そして唐揚げ。
……俺の好きなものばかりだ。
「いただきます」
「いただきまーす」
向かい合って昼食を食べる。
それだけなら、何も問題はない。
問題なのは。
「うふふ」
水瀬さんが、やたら嬉しそうなことだった。
「……何?」
「ううん」
水瀬さんは箸を置いて、にこにこしながら俺を見る。
「わたしたち、新婚さんみたいだね」
「ぶっ……!」
危うく冷麦を吹き出すところだった。
「な、何を言ってるんだよ!」
「だって、お家もできたし」
水瀬さんは指を折りながら数えていく。
「一緒にご飯食べて、一緒に生活して、家事も一緒にやってるでしょ?」
「それは……」
「だから、新婚さんみたい」
悪びれた様子は、まったくない。
ただ、本当に嬉しそうに笑っている。
……この子は。
本当に分かっているのだろうか。
家族でもない男女が、同じ屋根の下で寝食を共にしていることの意味を。
俺たちはまだ中学生だ。
ましてや、俺たちは現実の家ではなく、ゲームの世界に閉じ込められているだけだ。
帰れば全部終わる。
元の生活に戻る。
それなのに。
ここで過ごしている時間だけは、まるで本当の生活みたいになっていく。
水瀬さんは、それを危ないことだと思っていないのだろうか。
それとも。
ただの無邪気な優しさなのだろうか。
一人っ子の俺には、判断がつかない。
少なくとも、悪気がないことだけは分かる。
……だからこそ、余計に辛い。
俺は水瀬さんと、もっと仲良くなりたい。
できることなら、この気持ちをそのまま伝えてしまいたい。
好きだ、と。
そう言ってしまえば、きっと楽になる。
でも。
もし告白して。
もし水瀬さんが受け入れてくれて。
そして帰還したあと。
「コーイチ君から告白されたんだよ」
なんて、何の悪気もなく誰かに話したら。
……終わる。
そんなことになったら、翌日には学校中に知れ渡っている。
気のいいクラスの男子も、さすがに許してはくれないだろう。
だから俺は。
アークラの作業に逃げるしかなかった。
アークラの建築には、果てがない。
家が完成したら、それで終わりではない。
風情のあるログハウスができたのだから、周囲を森で囲みたくなる。
森ができたら、花畑も欲しくなる。
花畑ができたら、散歩道が欲しくなる。
炭焼き小屋も作ろう。
薪割り場があってもいい。
畑だって、今の規模では物足りない。
牧場ももっと広くしたい。
倉庫も増築したい。
そのうち、この辺り一帯を自分たちの村にしてしまってもいい。
そうやって。
作業に没頭していれば。
余計なことを考えなくて済む。
……そう思っていた。
「コーイチ君」
「ん?」
振り返る。
そこには水瀬さんがいた。
笑っている。
ただ、それだけだった。
なのに。
胸が苦しくなる。
どれだけ作業に逃げても。
どれだけ忙しくしても。
俺と一緒にいる水瀬さんの笑顔が、全部を台無しにしてしまう。
……いや。
違う。
台無しにしているんじゃない。
俺が、もう誤魔化せなくなっているだけだ。
やっぱり俺は、水瀬さんのことが好きだ。
どうしようもなく。
そう思う。
だったら。
もう、観念するしかないんじゃないか。
帰還したあとのことなんて、今は分からない。
笑われるかもしれない。
気まずくなるかもしれない。
それでも。
今ここで何も言わなかったら、きっと後悔する。
ダメ元でいい。
今夜、告白してみよう。
もし受け入れてもらえたら──。
その先のことを考えようとした、そのときだった。
ふと、空を見上げた。
太陽が沈みかけている。
夕焼けに染まった空の向こう。
反対側には、もう月が浮かんでいた。
……月?
まだ夜には早いはずなのに。
俺は何気なく、その月を見つめた。
夕日の光を反射しているのだろうか。
妙に赤い。
いや。
違う。
赤いなんてものじゃない。
月そのものが、血を吸ったような真紅に染まっている。
「…………」
嫌な予感がした。
記憶の奥から、アークラの攻略情報が蘇ってくる。
この現象は、まず間違いなく──。
「……ブラッディームーンだ」
自分で口にした言葉に。
全身が冷えた。
「まずい」
そう呟いた瞬間、頭の中で警報が鳴り響いた。
アースクラフトには、一定の確率で特殊な夜が発生する。
その名もブラッディームーン。
発生確率は1024分の1だったか。
数字だけ見れば、滅多に起こらない珍しいイベントだ。
アークラをやり込んでいた俺だって、実際に遭遇した経験はない。
だから普通なら。
滅多に遭遇できないレアイベントに、俺は歓喜していたことだろう。
けれど。
俺は知っている。
ブラッディームーンが、何を意味するのかを。
「水瀬さん!」
「えっ?」
「今すぐ避難するぞ!」
俺は立ち上がった。
「え、でも……」
「時間がない!」
有無を言わせず、家の中へ駆け込む。
ブラッディームーンが出現した夜は、普通の夜とは違う。
まず、モンスターの出現条件が大きく変化する。
普段なら暗くならないと現れない連中が、周囲の明るさを無視して湧き始める。
しかも、それだけじゃない。
モンスターの仕様も激変する。
普段なら無視する動物やオブジェクトまで見境なく攻撃してくる。
家畜も。
建物も。
何もかもが攻撃対象になる。
だが、救いもある。
地下はブラッディームーンの影響を受けない。
だから制圧済みのダンジョンに逃げ込めば──。
「水瀬さん、地下に逃げるぞ。すぐにいつもの渓谷に……」
「待って」
水瀬さんが俺の腕を掴んだ。
「わたしたちのお家はどうなるの?」
「……」
「アヒルちゃんたちも放っておけないよ」
その言葉に、俺は何も言えなくなった。
もちろん、分かっている。
俺だってこの家を放り出したくなんかない。
昨日完成したばかりの家だ。
二人で作った。
畑も。
牧場も。
水回りだって、ようやく完成したばかりなのだ。
でも。
「大丈夫だ」
俺は自分に言い聞かせるように答えた。
「俺たちが離れれば、ここでの処理は止まる。だから、モンスターが新しく湧くことはない」
「じゃあ……」
「一度離れて、安全な場所まで逃げる。それが一番いい」
ここから地下を掘り進めてやり過ごす方法もある。
でも、それは駄目だ。
拠点の近くで地下に潜れば、俺たちを攻撃できないモンスターが別の標的を探す。
家畜や建物だ。
だから、ここから離れる。
それが正解だった。
「……分かった」
水瀬さんが頷く。
「でも、アヒルちゃんたちが心配」
「分かってる」
俺はチェストを開いた。
そして、奥から大切に保管していた装備を取り出す。
「これを着て」
「え?」
「ミスリルの防具。一式」
「コーイチ君は?」
「俺は予備の鉄装備がある」
俺は自分の装備を取り出して身につける。
正直、心細い。
ミスリル防具は、俺たちがこれまで手に入れた中でも最高クラスの装備だ。
それを水瀬さんに渡す。
つまり、俺自身は一段下の装備で戦うということになる。
でも、迷っている暇はなかった。
「行くぞ」
「うん!」
扉を開ける。
その瞬間だった。
「…………」
俺は言葉を失った。
赤い月に照らされた拠点。
その周囲には。
いる。
いる。
いる。
ゾンビ。
クモ。
スケルトン。
ざっと見渡しただけでも二十体以上。
すでに柵の一部が破壊されていた。
その向こうでは、家畜が逃げ惑っている。
「……ああっ」
水瀬さんが悲鳴を漏らした。
「大丈夫だ!」
俺は剣を抜く。
幸い、スイーパーの姿はない。
それなら、まだなんとかなる。
「俺たちを見つけた!」
何体かのゾンビがこちらを向いた。
その瞬間。
まるで示し合わせたように、一斉に駆け出してくる。
「突っ切るぞ!」
俺は剣を振った。
範囲攻撃がゾンビをまとめて吹き飛ばす。
「こいつらを引き連れて、いつものダンジョンまで走る!」
「うん!」
俺たちは走り出した。
背後から大量の足音が追いかけてくる。
ゾンビ。
クモ。
スケルトン。
矢が飛んできた。
「危ない!」
水瀬さんの腕を引く。
矢がすぐ横を通り抜けて、地面に突き刺さった。
「走れ!」
「分かってる!」
普段なら、夜道を歩いてもここまで怖くはない。
モンスターが出ても、一体ずつ処理すればいい。
逃げることだってできる。
でも今日は違う。
赤い月の下では、逃げても逃げても追ってくる。
しかも。
「うわっ!」
目の前にクモが飛び込んできた。
俺は剣を横薙ぎに振る。
なんとか倒した。
「コーイチ君!」
「平気!」
その直後、頭上から矢が降ってきた。
俺は身をひねってかわす。
「木の上でも湧くのかよ!?」
「こっち!」
水瀬さんが叫ぶ。
俺たちは森の中へ飛び込んだ。
しかし。
「……っ!」
木々の隙間から、何かがこちらを見ている。
黒い。
背が高い。
異様に細長い身体。
そして。
「
俺は叫んだ。
「目を合わせるな! 絶対に見るな!」
「う、うん!」
古代人。
流石にこいつはノンアクティブか。
ならば無視するのが一番だ。
俺は視線を逸らしたまま走る。
水瀬さんの手を握る。
走る。
ただ走る。
そのはずだった。
「――っ!」
背後から、風を切るような音がした。
次の瞬間。
地面が抉れた。
「なっ……!」
古代人がワープしてきた。
目を合わせたつもりはない。
それでも、敵と認識されたらしい。
黒い影が視界の端から消える。
そして。
別の方向から現れる。
「くそっ!」
俺は剣を振った。
空振り。
消える。
また現れる。
ゾンビの群れ。
スケルトンの矢。
クモの爪。
その間を縫うように古代人が襲いかかってくる。
最悪だ。
乱戦の中でこいつを相手にするのは、あまりにも分が悪い。
「コーイチ君!」
「走れ! 止まるな!」
そう叫んだ直後だった。
古代人が俺の目の前に現れた。
「──!」
避けられない。
そう思った。
だが。
矢が飛んできた。
古代人の頭部を正確に貫く。
その身体が、横倒しになった。
「…………え?」
俺は呆然と立ち尽くした。
振り返る。
弓を構えている水瀬さんがいた。
「大丈夫!?」
「……助かった」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。
水瀬さんは弓を下ろす。
その顔には、さっきまでの怯えがほとんど残っていなかった。
「コーイチ君、走れる?」
「あ、ああ」
「じゃあ急いで逃げよう」
そう言って。
今度は水瀬さんが俺の手を握った。
「急いで!」
引っ張られる。
「お、おい!」
「早く!」
俺は走った。
水瀬さんも走っている。
ミスリルの防具に身を包み、飛んでくる矢にも怯まず、モンスターの群れを突っ切っていく。
スケルトンの矢が肩に当たった。
それでも止まらない。
「水瀬さん!」
「平気!」
また矢が飛ぶ。
また走る。
「やらせないよ!」
こちらに追いついたクモが射抜かれる。
その奥からゾンビが追ってくる。
ちょっとしたホラーだ。
それでも水瀬さんは、俺の手を離さなかった。
……すごい。
いつの間に。
こんなに強くなったんだ。
胸の奥が、熱くなる。
怖い。
今でも怖い。
でも。
隣を走る水瀬さんを見ていると、不思議と足は止まらなかった。
「見えた!」
森の向こうに、いつもの渓谷が見えた。
「もう少し!」
「うん!」
俺たちは最後の力を振り絞って走った。
天然のウォータースライダーに身を投じて、ずぶ濡れになりながら這い上がる。
良かった。
やはりダンジョン内の湧き潰しは無効化されていない。
これでモンスターが追跡を諦めてくれたら一息つける。
そんな見立てはやはり半分は外れた。
振り返れば崖上から次々とモンスターが落下してくる。
かなりの数が落下ダメージで消滅したものの、水辺に落ちたほうは健在だ。
その数は目算で50を超える……。
「莉央、もっと奥に行くぞ。ブロックで道を狭めて、少しずつ倒していくんだ」
「──うん!」
俺たちはそのまま奥へ逃げ込んだ。
そして。
ようやく安全と思える場所に逃げ込み、入り口をブロックで封鎖した。
「はぁ……はぁ……」
喉が焼けるように痛い。
息が苦しい。
体力も、HPも、すっかり削られている。
自然回復でHPが戻ってきても、今度は空腹が襲ってくる。
俺は壁にもたれかかった。
「……生きてる」
「うん」
水瀬さんも息を切らしながら頷いた。
「コーイチ君」
「ん?」
「はい」
差し出されたのは、水筒だった。
続いて、おにぎりも渡される。
「飲んで。食べて」
「ありがとう」
「辛いと思うけど、もう少し頑張ろう」
水瀬さんは足跡のバリケードの奥を見つめる。
そこからは、モンスターの足音が聞こえていた。
「わたしたちを追いかけてきたモンスターを全部倒さないと、お家に帰れないんだよね」
「……ああ」
「なら全部、倒さないと」
俺はおにぎりを握りしめた。
水瀬さんは強くなった。
確実に強くなった。
でも。
まだ足りない。
今夜を生き延びるには。
この世界から生きて帰るには。
俺たちは、もっと強くならなければならない。
俺たちを追いかけてきたモンスターをすべて倒し、赤い月が沈むのを待って拠点に戻る。
文字にするとひどく簡単だが、実際にこれをやるとなると体力と気力の勝負になる。
だから、俺は──。
「莉央」
「コーイチ君?」
「生きて帰るぞ」
「……うん!」
俺たちの、長い夜が始まった。
どれくらい戦ったのか。
もう分からない。
ただ、長かった。
ひたすら長かった。
モンスターを倒して。
捌ききれず奥へ逃げて。
また追いついたモンスターを倒して。
傷ついて。
回復して。
腹が減って。
それでも戦った。
何度、もう駄目だと思ったか分からない。
何度、次の一撃で死ぬと思ったか分からない。
それでも。
俺たちは生きていた。
「…………」
ようやく殺到するモンスターが打ち止めとなり。
確認のため、ダンジョンの入り口に戻ると、崖上から淡い光が差し込んでいた。
「……朝だ」
どうやら、夜が明けたらしい。
俺はしばらく、その光をぼんやり眺めていた。
「……終わったの?」
隣で、水瀬さんが呟いた。
「ああ」
俺は壁に背を預けたまま答える。
「終わったよ、莉央」
「…………」
水瀬さんが、ゆっくりとこちらを見る。
何か言いたそうな顔をしていた。
でも、結局何も言わなかった。
俺も、何も言わなかった。
今は、それどころではない。
俺たちは酷い姿だった。
ミスリルの防具は傷だらけ。
俺の鉄装備も、あちこちが壊れている。
服だってボロボロだ。
正直、自分たちがどうやって生き延びたのかさえ、よく覚えていない。
それでも。
生きている。
それだけで十分だった。
「……帰ろう」
水瀬さんが立ち上がった。
「うん」
俺も立ち上がる。
重たい身体を引きずるようにして、俺たちはダンジョンを出た。
朝の光が眩しかった。
昨日までなら、気持ちのいい朝だと思っただろう。
でも。
帰り道を歩くにつれて、俺の胸には嫌な予感が膨らんでいった。
やがて。
見えてきた。
「…………」
俺は立ち止まった。
水瀬さんも、足を止める。
俺たちの家がある。
……あるには、ある。
でも。
「わたしたちの……お家が……」
水瀬さんの声が震えた。
家の壁はところどころ壊れていた。
柵も滅茶苦茶になっている。
畑は踏み荒らされ、作物が無残に散らばっていた。
そして。
「……アヒルちゃん」
牧場には、一羽も残っていなかった。
柵が壊れて逃げたのか。
それとも。
俺は、それ以上考えるのをやめた。
考えたところで、何も変わらない。
「…………」
水瀬さんが、ふらふらと家へ近づいていく。
扉を開ける。
中も酷い有様だった。
壁が壊れている。
家具が倒れている。
収納もいくつか破壊されていた。
そして。
「水回りが……」
台所から先が、ほとんど吹き飛んでいる。
二人で苦労して作ったばかりの水回り。
あれだけ頑張って完成させたのに。
見る影もない。
「……スイーパーか」
おそらく、そうだ。
この家から逃げるとき。
反対側にいたモンスターも俺たちを追いかけて。
この家が障害物として機能したために、攻撃対象を変更。
あいつがここで。
シュー。
そして。
ボカン。
その光景が、嫌でも頭に浮かんだ。
倉庫も確認する。
収納の中身が大量に失われていた。
破壊されたチェストから飛び出したアイテムは、時間が経てば消えてしまう。
せっかく集めた資材も。
食料も。
鉱石も。
今まで二人で積み上げてきたものが、半分近く失われていた。
再建には、相当な時間がかかるだろう。
「…………」
水瀬さんが、黙って立っている。
そして。
「悔しい」
ぽつりと呟いた。
「……うん」
「わたし、悔しいよ。コーイチ君」
声が震える。
「せっかく作ったのに」
「…………」
「二人で作ったお家なのに」
とうとう、涙がこぼれた。
「こんなの……嫌だよ……」
水瀬さんは顔を覆った。
「わたし、もっと大事にしたかった……」
俺は何も言えなかった。
言葉が出てこなかった。
でも。
泣いている水瀬さんを、そのままにしておくことはできなかった。
俺は一歩近づいた。
そして。
そっと彼女を抱きしめた。
「……っ」
水瀬さんの身体が小さく震える。
俺は何も考えず、その頭を撫でた。
「俺も悔しいよ」
それだけは、はっきり言えた。
「だから」
腕の中の水瀬さんに言う。
「もっと強くなるよ、莉央」
「…………」
水瀬さんが顔を上げる。
「俺の想定が甘かった」
ブラッディームーンのことは知っていた。
なのに。
避難することしか考えていなかった。
「もっと早く逃げるべきだった」
そして。
「逃げる場所も、ちゃんと作っておくべきだった」
拠点の近くに地下の避難施設を作っておけばよかった。
それだけじゃない。
家だって、もっと石材を使うべきだった。
モンスターに壊されにくい壁を作るべきだった。
家畜を守るための防壁も。
いざというときに逃げ込める場所も。
倉庫を地下に移すことも、やろうと思えばできたはずだ。
俺には、それを考えるだけの知識があった。
なのに。
俺はこの世界を、まだゲームとして見ていた。
「次は、絶対にこんなことにはさせない」
水瀬さんの頭を撫でる。
「もっと強くなる」
水瀬さんはしばらく黙っていた。
やがて。
「……うん」
小さく頷いた。
「わたしも頑張る」
「莉央……」
「だから、もっと教えて」
涙で濡れた顔を上げて、水瀬さんは俺を見る。
「アークラのこと。もっといっぱい教えて」
「……ああ」
俺も頷いた。
「一緒に強くなろう」
「うん」
「絶対に、生きて帰るんだ」
「……うん。わたしコーイチ君のことも、もっと知りたい」
「俺もだ。莉央のことをもっとちゃんと知っておくべきだった」
俺たちは壊れた家の前に立っていた。
昨日まで、そこには新しい家があった。
二人で作った。
二人で暮らした。
二人にとって、初めての「家」だった。
それは失われてしまった。
でも。
全部がなくなったわけじゃない。
俺たちは生きている。
そして。
隣には、莉央がいる。
「絶対に帰ろう」
「うん。絶対に」
それが。
俺たちが初めて、この世界と本気で向き合った日に交わした約束だった。