同級生の女の子にマ⚪︎クラを教えるだけの簡単なお仕事です。   作:漂流者

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第六話『なに、ゆうべはおたのしみでしたね? それどころじゃなかったよ……』

 

 

 

 家ができた。

 

 アースクラフトで家を作った。

 

 ゲームなら、ただの過程だ。

 

 木材を集めて、壁を作って、屋根を載せる。

 

 街作りをするなら、その第一歩。

 

 それだけのことだ。

 

 ……そのはずだった。

 

「ふふーん♪」

 

 鼻歌が聞こえてくる。

 

 振り返ると、水瀬さんが家具の埃を払っていた。

 

 完成から数日が経った俺たちのログハウス。

 

 その中を、彼女は楽しそうに掃除している。

 

 窓を拭いて、床を掃いて、洗濯物を干して。

 

 さっきまで畑にいたと思ったら、今度は台所に立って昼食の準備をしている。

 

 ずいぶんと忙しそうなのに、水瀬さんは楽しそうだった。

 

「コーイチ君」

 

「ん?」

 

 こちらを振り返った水瀬さんと目が合う。

 

 すると、ぱっと笑顔になった。

 

「えへへ」

 

 ……なんだろう。

 

 その笑顔を見ると、こっちまで嬉しくなってしまう。

 

 まるでゴールデン・レトリバーだ。

 

 誰にでも愛想を振り撒き、嬉しいことがあると全身で喜びを表現する。

 

 それが水瀬莉央という女の子だった。

 

 うん、ちょっと普通じゃない。

 

 普通の中学生なら、異性というものをもう少し警戒する。

 

 男子は男子同士でつるむ。

 

 女子だって男子とは必要最低限しか話さない。

 

 もちろん例外はあるだろうけど、それが普通だと思う。

 

 だからこそ、誰からも好かれて、男子にも女子にも分け隔てなく優しく、先生からも頼りにされている水瀬さんは、やっぱり少し異質なのだ。

 

 俺だって、水瀬さんのことが嫌いなわけじゃない。

 

 むしろ逆だ。

 

 一緒にいると、いつの間にかこっちまで笑っている。

 

 それが照れくさくて。

 

 妙に困る。

 

 だって、水瀬さんは女の子なのだ。

 

 俺たちはゲームから脱出するためにここにいる。

 

 それなのに、こんなふうに毎日一緒に暮らしていたら。

 

 家を作って。

 

 一緒にご飯を食べて。

 

 一緒の家で眠って。

 

 畑を耕して。

 

 牧場の世話をして。

 

 そんなことを繰り返していたら。

 

 ……帰ったあと、どうなる?

 

 もし俺が変なことをしたと思われたら。

 

 もし水瀬さんが誰かに話したら。

 

 たぶん、悪気なんてない。

 

 水瀬さんはそういう子だ。

 

 きっと「アークラの中でコーイチ君と一緒に暮らしてたんだよ」なんて、いつもの笑顔で話す。

 

 そうしたら、どうなる?

 

 クラス中に広まる。

 

 男子にも女子にも。

 

 そして俺は、二度と教室でまともに水瀬さんの顔を見られなくなる。

 

 だから。

 

 だから、俺は一線を越えてはいけない。

 

 そう思っていた。

 

「コーイチ君、お昼できたよー」

 

「ああ、ありがとう」

 

 テーブルに料理が並べられる。

 

 冷麦。

 

 おにぎり。

 

 そして唐揚げ。

 

 ……俺の好きなものばかりだ。

 

「いただきます」

 

「いただきまーす」

 

 向かい合って昼食を食べる。

 

 それだけなら、何も問題はない。

 

 問題なのは。

 

「うふふ」

 

 水瀬さんが、やたら嬉しそうなことだった。

 

「……何?」

 

「ううん」

 

 水瀬さんは箸を置いて、にこにこしながら俺を見る。

 

「わたしたち、新婚さんみたいだね」

 

「ぶっ……!」

 

 危うく冷麦を吹き出すところだった。

 

「な、何を言ってるんだよ!」

 

「だって、お家もできたし」

 

 水瀬さんは指を折りながら数えていく。

 

「一緒にご飯食べて、一緒に生活して、家事も一緒にやってるでしょ?」

 

「それは……」

 

「だから、新婚さんみたい」

 

 悪びれた様子は、まったくない。

 

 ただ、本当に嬉しそうに笑っている。

 

 ……この子は。

 

 本当に分かっているのだろうか。

 

 家族でもない男女が、同じ屋根の下で寝食を共にしていることの意味を。

 

 俺たちはまだ中学生だ。

 

 ましてや、俺たちは現実の家ではなく、ゲームの世界に閉じ込められているだけだ。

 

 帰れば全部終わる。

 

 元の生活に戻る。

 

 それなのに。

 

 ここで過ごしている時間だけは、まるで本当の生活みたいになっていく。

 

 水瀬さんは、それを危ないことだと思っていないのだろうか。

 

 それとも。

 

 ただの無邪気な優しさなのだろうか。

 

 一人っ子の俺には、判断がつかない。

 

 少なくとも、悪気がないことだけは分かる。

 

 ……だからこそ、余計に辛い。

 

 俺は水瀬さんと、もっと仲良くなりたい。

 

 できることなら、この気持ちをそのまま伝えてしまいたい。

 

 好きだ、と。

 

 そう言ってしまえば、きっと楽になる。

 

 でも。

 

 もし告白して。

 

 もし水瀬さんが受け入れてくれて。

 

 そして帰還したあと。

 

「コーイチ君から告白されたんだよ」

 

 なんて、何の悪気もなく誰かに話したら。

 

 ……終わる。

 

 そんなことになったら、翌日には学校中に知れ渡っている。

 

 気のいいクラスの男子も、さすがに許してはくれないだろう。

 

 だから俺は。

 

 アークラの作業に逃げるしかなかった。

 

 アークラの建築には、果てがない。

 

 家が完成したら、それで終わりではない。

 

 風情のあるログハウスができたのだから、周囲を森で囲みたくなる。

 

 森ができたら、花畑も欲しくなる。

 

 花畑ができたら、散歩道が欲しくなる。

 

 炭焼き小屋も作ろう。

 

 薪割り場があってもいい。

 

 畑だって、今の規模では物足りない。

 

 牧場ももっと広くしたい。

 

 倉庫も増築したい。

 

 そのうち、この辺り一帯を自分たちの村にしてしまってもいい。

 

 そうやって。

 

 作業に没頭していれば。

 

 余計なことを考えなくて済む。

 

 ……そう思っていた。

 

「コーイチ君」

 

「ん?」

 

 振り返る。

 

 そこには水瀬さんがいた。

 

 笑っている。

 

 ただ、それだけだった。

 

 なのに。

 

 胸が苦しくなる。

 

 どれだけ作業に逃げても。

 

 どれだけ忙しくしても。

 

 俺と一緒にいる水瀬さんの笑顔が、全部を台無しにしてしまう。

 

 ……いや。

 

 違う。

 

 台無しにしているんじゃない。

 

 俺が、もう誤魔化せなくなっているだけだ。

 

 やっぱり俺は、水瀬さんのことが好きだ。

 

 どうしようもなく。

 

 そう思う。

 

 だったら。

 

 もう、観念するしかないんじゃないか。

 

 帰還したあとのことなんて、今は分からない。

 

 笑われるかもしれない。

 

 気まずくなるかもしれない。

 

 それでも。

 

 今ここで何も言わなかったら、きっと後悔する。

 

 ダメ元でいい。

 

 今夜、告白してみよう。

 

 もし受け入れてもらえたら──。

 

 その先のことを考えようとした、そのときだった。

 

 ふと、空を見上げた。

 

 太陽が沈みかけている。

 

 夕焼けに染まった空の向こう。

 

 反対側には、もう月が浮かんでいた。

 

 ……月?

 

 まだ夜には早いはずなのに。

 

 俺は何気なく、その月を見つめた。

 

 夕日の光を反射しているのだろうか。

 

 妙に赤い。

 

 いや。

 

 違う。

 

 赤いなんてものじゃない。

 

 月そのものが、血を吸ったような真紅に染まっている。

 

「…………」

 

 嫌な予感がした。

 

 記憶の奥から、アークラの攻略情報が蘇ってくる。

 

 この現象は、まず間違いなく──。

 

「……ブラッディームーンだ」

 

 自分で口にした言葉に。

 

 全身が冷えた。

 

「まずい」

 

 そう呟いた瞬間、頭の中で警報が鳴り響いた。

 

 アースクラフトには、一定の確率で特殊な夜が発生する。

 

 その名もブラッディームーン。

 

 発生確率は1024分の1だったか。

 

 数字だけ見れば、滅多に起こらない珍しいイベントだ。

 

 アークラをやり込んでいた俺だって、実際に遭遇した経験はない。

 

 だから普通なら。

 

 滅多に遭遇できないレアイベントに、俺は歓喜していたことだろう。

 

 けれど。

 

 俺は知っている。

 

 ブラッディームーンが、何を意味するのかを。

 

「水瀬さん!」

 

「えっ?」

 

「今すぐ避難するぞ!」

 

 俺は立ち上がった。

 

「え、でも……」

 

「時間がない!」

 

 有無を言わせず、家の中へ駆け込む。

 

 ブラッディームーンが出現した夜は、普通の夜とは違う。

 

 まず、モンスターの出現条件が大きく変化する。

 

 普段なら暗くならないと現れない連中が、周囲の明るさを無視して湧き始める。

 

 しかも、それだけじゃない。

 

 モンスターの仕様も激変する。

 

 普段なら無視する動物やオブジェクトまで見境なく攻撃してくる。

 

 家畜も。

 

 建物も。

 

 何もかもが攻撃対象になる。

 

 だが、救いもある。

 

 地下はブラッディームーンの影響を受けない。

 

 だから制圧済みのダンジョンに逃げ込めば──。

 

「水瀬さん、地下に逃げるぞ。すぐにいつもの渓谷に……」

 

「待って」

 

 水瀬さんが俺の腕を掴んだ。

 

「わたしたちのお家はどうなるの?」

 

「……」

 

「アヒルちゃんたちも放っておけないよ」

 

 その言葉に、俺は何も言えなくなった。

 

 もちろん、分かっている。

 

 俺だってこの家を放り出したくなんかない。

 

 昨日完成したばかりの家だ。

 

 二人で作った。

 

 畑も。

 

 牧場も。

 

 水回りだって、ようやく完成したばかりなのだ。

 

 でも。

 

「大丈夫だ」

 

 俺は自分に言い聞かせるように答えた。

 

「俺たちが離れれば、ここでの処理は止まる。だから、モンスターが新しく湧くことはない」

 

「じゃあ……」

 

「一度離れて、安全な場所まで逃げる。それが一番いい」

 

 ここから地下を掘り進めてやり過ごす方法もある。

 

 でも、それは駄目だ。

 

 拠点の近くで地下に潜れば、俺たちを攻撃できないモンスターが別の標的を探す。

 

 家畜や建物だ。

 

 だから、ここから離れる。

 

 それが正解だった。

 

「……分かった」

 

 水瀬さんが頷く。

 

「でも、アヒルちゃんたちが心配」

 

「分かってる」

 

 俺はチェストを開いた。

 

 そして、奥から大切に保管していた装備を取り出す。

 

「これを着て」

 

「え?」

 

「ミスリルの防具。一式」

 

「コーイチ君は?」

 

「俺は予備の鉄装備がある」

 

 俺は自分の装備を取り出して身につける。

 

 正直、心細い。

 

 ミスリル防具は、俺たちがこれまで手に入れた中でも最高クラスの装備だ。

 

 それを水瀬さんに渡す。

 

 つまり、俺自身は一段下の装備で戦うということになる。

 

 でも、迷っている暇はなかった。

 

「行くぞ」

 

「うん!」

 

 扉を開ける。

 

 その瞬間だった。

 

「…………」

 

 俺は言葉を失った。

 

 赤い月に照らされた拠点。

 

 その周囲には。

 

 いる。

 

 いる。

 

 いる。

 

 ゾンビ。

 

 クモ。

 

 スケルトン。

 

 ざっと見渡しただけでも二十体以上。

 

 すでに柵の一部が破壊されていた。

 

 その向こうでは、家畜が逃げ惑っている。

 

「……ああっ」

 

 水瀬さんが悲鳴を漏らした。

 

「大丈夫だ!」

 

 俺は剣を抜く。

 

 幸い、スイーパーの姿はない。

 

 それなら、まだなんとかなる。

 

「俺たちを見つけた!」

 

 何体かのゾンビがこちらを向いた。

 

 その瞬間。

 

 まるで示し合わせたように、一斉に駆け出してくる。

 

「突っ切るぞ!」

 

 俺は剣を振った。

 

 範囲攻撃がゾンビをまとめて吹き飛ばす。

 

「こいつらを引き連れて、いつものダンジョンまで走る!」

 

「うん!」

 

 俺たちは走り出した。

 

 背後から大量の足音が追いかけてくる。

 

 ゾンビ。

 

 クモ。

 

 スケルトン。

 

 矢が飛んできた。

 

「危ない!」

 

 水瀬さんの腕を引く。

 

 矢がすぐ横を通り抜けて、地面に突き刺さった。

 

「走れ!」

 

「分かってる!」

 

 普段なら、夜道を歩いてもここまで怖くはない。

 

 モンスターが出ても、一体ずつ処理すればいい。

 

 逃げることだってできる。

 

 でも今日は違う。

 

 赤い月の下では、逃げても逃げても追ってくる。

 

 しかも。

 

「うわっ!」

 

 目の前にクモが飛び込んできた。

 

 俺は剣を横薙ぎに振る。

 

 なんとか倒した。

 

「コーイチ君!」

 

「平気!」

 

 その直後、頭上から矢が降ってきた。

 

 俺は身をひねってかわす。

 

「木の上でも湧くのかよ!?」

 

「こっち!」

 

 水瀬さんが叫ぶ。

 

 俺たちは森の中へ飛び込んだ。

 

 しかし。

 

「……っ!」

 

 木々の隙間から、何かがこちらを見ている。

 

 黒い。

 

 背が高い。

 

 異様に細長い身体。

 

 そして。

 

古代人(エルダーマン)だ!」

 

 俺は叫んだ。

 

「目を合わせるな! 絶対に見るな!」

 

「う、うん!」

 

 古代人。

 

 流石にこいつはノンアクティブか。

 

 ならば無視するのが一番だ。

 

 俺は視線を逸らしたまま走る。

 

 水瀬さんの手を握る。

 

 走る。

 

 ただ走る。

 

 そのはずだった。

 

「――っ!」

 

 背後から、風を切るような音がした。

 

 次の瞬間。

 

 地面が抉れた。

 

「なっ……!」

 

 古代人がワープしてきた。

 

 目を合わせたつもりはない。

 

 それでも、敵と認識されたらしい。

 

 黒い影が視界の端から消える。

 

 そして。

 

 別の方向から現れる。

 

「くそっ!」

 

 俺は剣を振った。

 

 空振り。

 

 消える。

 

 また現れる。

 

 ゾンビの群れ。

 

 スケルトンの矢。

 

 クモの爪。

 

 その間を縫うように古代人が襲いかかってくる。

 

 最悪だ。

 

 乱戦の中でこいつを相手にするのは、あまりにも分が悪い。

 

「コーイチ君!」

 

「走れ! 止まるな!」

 

 そう叫んだ直後だった。

 

 古代人が俺の目の前に現れた。

 

「──!」

 

 避けられない。

 

 そう思った。

 

 だが。

 

 矢が飛んできた。

 

 古代人の頭部を正確に貫く。

 

 その身体が、横倒しになった。

 

「…………え?」

 

 俺は呆然と立ち尽くした。

 

 振り返る。

 

 弓を構えている水瀬さんがいた。

 

「大丈夫!?」

 

「……助かった」

 

 自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。

 

 水瀬さんは弓を下ろす。

 

 その顔には、さっきまでの怯えがほとんど残っていなかった。

 

「コーイチ君、走れる?」

 

「あ、ああ」

 

「じゃあ急いで逃げよう」

 

 そう言って。

 

 今度は水瀬さんが俺の手を握った。

 

「急いで!」

 

 引っ張られる。

 

「お、おい!」

 

「早く!」

 

 俺は走った。

 

 水瀬さんも走っている。

 

 ミスリルの防具に身を包み、飛んでくる矢にも怯まず、モンスターの群れを突っ切っていく。

 

 スケルトンの矢が肩に当たった。

 

 それでも止まらない。

 

「水瀬さん!」

 

「平気!」

 

 また矢が飛ぶ。

 

 また走る。

 

「やらせないよ!」

 

 こちらに追いついたクモが射抜かれる。

 

 その奥からゾンビが追ってくる。

 

 ちょっとしたホラーだ。

 

 それでも水瀬さんは、俺の手を離さなかった。

 

 ……すごい。

 

 いつの間に。

 

 こんなに強くなったんだ。

 

 胸の奥が、熱くなる。

 

 怖い。

 

 今でも怖い。

 

 でも。

 

 隣を走る水瀬さんを見ていると、不思議と足は止まらなかった。

 

「見えた!」

 

 森の向こうに、いつもの渓谷が見えた。

 

「もう少し!」

 

「うん!」

 

 俺たちは最後の力を振り絞って走った。

 

 天然のウォータースライダーに身を投じて、ずぶ濡れになりながら這い上がる。

 

 良かった。

 

 やはりダンジョン内の湧き潰しは無効化されていない。

 

 これでモンスターが追跡を諦めてくれたら一息つける。

 

 そんな見立てはやはり半分は外れた。

 

 振り返れば崖上から次々とモンスターが落下してくる。

 

 かなりの数が落下ダメージで消滅したものの、水辺に落ちたほうは健在だ。

 

 その数は目算で50を超える……。

 

「莉央、もっと奥に行くぞ。ブロックで道を狭めて、少しずつ倒していくんだ」

 

「──うん!」

 

 俺たちはそのまま奥へ逃げ込んだ。

 

 そして。

 

 ようやく安全と思える場所に逃げ込み、入り口をブロックで封鎖した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 喉が焼けるように痛い。

 

 息が苦しい。

 

 体力も、HPも、すっかり削られている。

 

 自然回復でHPが戻ってきても、今度は空腹が襲ってくる。

 

 俺は壁にもたれかかった。

 

「……生きてる」

 

「うん」

 

 水瀬さんも息を切らしながら頷いた。

 

「コーイチ君」

 

「ん?」

 

「はい」

 

 差し出されたのは、水筒だった。

 

 続いて、おにぎりも渡される。

 

「飲んで。食べて」

 

「ありがとう」

 

「辛いと思うけど、もう少し頑張ろう」

 

 水瀬さんは足跡のバリケードの奥を見つめる。

 

 そこからは、モンスターの足音が聞こえていた。

 

「わたしたちを追いかけてきたモンスターを全部倒さないと、お家に帰れないんだよね」

 

「……ああ」

 

「なら全部、倒さないと」

 

 俺はおにぎりを握りしめた。

 

 水瀬さんは強くなった。

 

 確実に強くなった。

 

 でも。

 

 まだ足りない。

 

 今夜を生き延びるには。

 

 この世界から生きて帰るには。

 

 俺たちは、もっと強くならなければならない。

 

 俺たちを追いかけてきたモンスターをすべて倒し、赤い月が沈むのを待って拠点に戻る。

 

 文字にするとひどく簡単だが、実際にこれをやるとなると体力と気力の勝負になる。

 

 だから、俺は──。

 

「莉央」

 

「コーイチ君?」

 

「生きて帰るぞ」

 

「……うん!」

 

 俺たちの、長い夜が始まった。

 

 

 

 

 

 どれくらい戦ったのか。

 

 もう分からない。

 

 ただ、長かった。

 

 ひたすら長かった。

 

 モンスターを倒して。

 

 捌ききれず奥へ逃げて。

 

 また追いついたモンスターを倒して。

 

 傷ついて。

 

 回復して。

 

 腹が減って。

 

 それでも戦った。

 

 何度、もう駄目だと思ったか分からない。

 

 何度、次の一撃で死ぬと思ったか分からない。

 

 それでも。

 

 俺たちは生きていた。

 

「…………」

 

 ようやく殺到するモンスターが打ち止めとなり。

 

 確認のため、ダンジョンの入り口に戻ると、崖上から淡い光が差し込んでいた。

 

「……朝だ」

 

 どうやら、夜が明けたらしい。

 

 俺はしばらく、その光をぼんやり眺めていた。

 

「……終わったの?」

 

 隣で、水瀬さんが呟いた。

 

「ああ」

 

 俺は壁に背を預けたまま答える。

 

「終わったよ、莉央」

 

「…………」

 

 水瀬さんが、ゆっくりとこちらを見る。

 

 何か言いたそうな顔をしていた。

 

 でも、結局何も言わなかった。

 

 俺も、何も言わなかった。

 

 今は、それどころではない。

 

 俺たちは酷い姿だった。

 

 ミスリルの防具は傷だらけ。

 

 俺の鉄装備も、あちこちが壊れている。

 

 服だってボロボロだ。

 

 正直、自分たちがどうやって生き延びたのかさえ、よく覚えていない。

 

 それでも。

 

 生きている。

 

 それだけで十分だった。

 

「……帰ろう」

 

 水瀬さんが立ち上がった。

 

「うん」

 

 俺も立ち上がる。

 

 重たい身体を引きずるようにして、俺たちはダンジョンを出た。

 

 朝の光が眩しかった。

 

 昨日までなら、気持ちのいい朝だと思っただろう。

 

 でも。

 

 帰り道を歩くにつれて、俺の胸には嫌な予感が膨らんでいった。

 

 やがて。

 

 見えてきた。

 

「…………」

 

 俺は立ち止まった。

 

 水瀬さんも、足を止める。

 

 俺たちの家がある。

 

 ……あるには、ある。

 

 でも。

 

「わたしたちの……お家が……」

 

 水瀬さんの声が震えた。

 

 家の壁はところどころ壊れていた。

 

 柵も滅茶苦茶になっている。

 

 畑は踏み荒らされ、作物が無残に散らばっていた。

 

 そして。

 

「……アヒルちゃん」

 

 牧場には、一羽も残っていなかった。

 

 柵が壊れて逃げたのか。

 

 それとも。

 

 俺は、それ以上考えるのをやめた。

 

 考えたところで、何も変わらない。

 

「…………」

 

 水瀬さんが、ふらふらと家へ近づいていく。

 

 扉を開ける。

 

 中も酷い有様だった。

 

 壁が壊れている。

 

 家具が倒れている。

 

 収納もいくつか破壊されていた。

 

 そして。

 

「水回りが……」

 

 台所から先が、ほとんど吹き飛んでいる。

 

 二人で苦労して作ったばかりの水回り。

 

 あれだけ頑張って完成させたのに。

 

 見る影もない。

 

「……スイーパーか」

 

 おそらく、そうだ。

 

 この家から逃げるとき。

 

 反対側にいたモンスターも俺たちを追いかけて。

 

 この家が障害物として機能したために、攻撃対象を変更。

 

 あいつがここで。

 

 シュー。

 

 そして。

 

 ボカン。

 

 その光景が、嫌でも頭に浮かんだ。

 

 倉庫も確認する。

 

 収納の中身が大量に失われていた。

 

 破壊されたチェストから飛び出したアイテムは、時間が経てば消えてしまう。

 

 せっかく集めた資材も。

 

 食料も。

 

 鉱石も。

 

 今まで二人で積み上げてきたものが、半分近く失われていた。

 

 再建には、相当な時間がかかるだろう。

 

「…………」

 

 水瀬さんが、黙って立っている。

 

 そして。

 

「悔しい」

 

 ぽつりと呟いた。

 

「……うん」

 

「わたし、悔しいよ。コーイチ君」

 

 声が震える。

 

「せっかく作ったのに」

 

「…………」

 

「二人で作ったお家なのに」

 

 とうとう、涙がこぼれた。

 

「こんなの……嫌だよ……」

 

 水瀬さんは顔を覆った。

 

「わたし、もっと大事にしたかった……」

 

 俺は何も言えなかった。

 

 言葉が出てこなかった。

 

 でも。

 

 泣いている水瀬さんを、そのままにしておくことはできなかった。

 

 俺は一歩近づいた。

 

 そして。

 

 そっと彼女を抱きしめた。

 

「……っ」

 

 水瀬さんの身体が小さく震える。

 

 俺は何も考えず、その頭を撫でた。

 

「俺も悔しいよ」

 

 それだけは、はっきり言えた。

 

「だから」

 

 腕の中の水瀬さんに言う。

 

「もっと強くなるよ、莉央」

 

「…………」

 

 水瀬さんが顔を上げる。

 

「俺の想定が甘かった」

 

 ブラッディームーンのことは知っていた。

 

 なのに。

 

 避難することしか考えていなかった。

 

「もっと早く逃げるべきだった」

 

 そして。

 

「逃げる場所も、ちゃんと作っておくべきだった」

 

 拠点の近くに地下の避難施設を作っておけばよかった。

 

 それだけじゃない。

 

 家だって、もっと石材を使うべきだった。

 

 モンスターに壊されにくい壁を作るべきだった。

 

 家畜を守るための防壁も。

 

 いざというときに逃げ込める場所も。

 

 倉庫を地下に移すことも、やろうと思えばできたはずだ。

 

 俺には、それを考えるだけの知識があった。

 

 なのに。

 

 俺はこの世界を、まだゲームとして見ていた。

 

「次は、絶対にこんなことにはさせない」

 

 水瀬さんの頭を撫でる。

 

「もっと強くなる」

 

 水瀬さんはしばらく黙っていた。

 

 やがて。

 

「……うん」

 

 小さく頷いた。

 

「わたしも頑張る」

 

「莉央……」

 

「だから、もっと教えて」

 

 涙で濡れた顔を上げて、水瀬さんは俺を見る。

 

「アークラのこと。もっといっぱい教えて」

 

「……ああ」

 

 俺も頷いた。

 

「一緒に強くなろう」

 

「うん」

 

「絶対に、生きて帰るんだ」

 

「……うん。わたしコーイチ君のことも、もっと知りたい」

 

「俺もだ。莉央のことをもっとちゃんと知っておくべきだった」

 

 俺たちは壊れた家の前に立っていた。

 

 昨日まで、そこには新しい家があった。

 

 二人で作った。

 

 二人で暮らした。

 

 二人にとって、初めての「家」だった。

 

 それは失われてしまった。

 

 でも。

 

 全部がなくなったわけじゃない。

 

 俺たちは生きている。

 

 そして。

 

 隣には、莉央がいる。

 

「絶対に帰ろう」

 

「うん。絶対に」

 

 それが。

 

 俺たちが初めて、この世界と本気で向き合った日に交わした約束だった。

 

 

 

 

 

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