悪役令嬢に転生しましたが聖女がサイコパスすぎる件   作:聖女はサイコパスじゃなくっちゃ

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十年ぶりに初投稿です


第一話 悪役令嬢に転生したので、全力で破滅を回避します!

突然ですが、私は悪役令嬢です。

 

金髪縦ロールに、豪華なドレス

やたらと広い屋敷に、使用人は百人以上

お父様は国でも指折りの権力者で、お母様は社交界の女王。

そして婚約者は、見目麗しい第一皇子。

 

完璧ですね。

人生勝ち組です。

 

――将来、処刑されることを除けば。

 

「いやああああああ!」

 

私は鏡の前で絶叫した。

その拍子に、朝の支度をしていた侍女が飛び上がった。

 

「お、お嬢様!?」

 

「顔が!」

 

「お顔がどうかなさいましたか!?」

 

「顔がヴィクトリアなのよ!」

 

「はい。ヴィクトリアお嬢様でございます」

 

違う、そうではない。

 

鏡に映っているのは、蜂蜜色の髪を持つ美少女だった。

大きな青い瞳、白い肌、年齢は七歳くらい。

 

幼いながらも、将来は誰もが振り返る美女になると確信できる顔立ち。

 

けれど私には、その顔に見覚えがあった。

 

乙女ゲーム『聖なる乙女と銀の王冠』。

通称『聖銀』。

 

そのゲームに登場する悪役令嬢。

ヴィクトリア・アルヴェイン。

 

第一皇子エドガーの婚約者であり、主人公である聖女リリアを執拗に虐める女。

そして最終的には、華々しく破滅する。

 

私は鏡を両手でつかんだ。

 

「よりによってヴィクトリア!」

 

「お嬢様、鏡が壊れてしまいます!」

 

「壊れるのは私の人生よ!」

 

侍女は困惑していた、当然である。

 

七歳の令嬢が朝から突然、自分の顔を見て人生の終わりを叫んでいるのだ。

私だって逆の立場なら医者を呼ぶ。

 

けれど、私にはすべて分かっていた。

 

前世の私は森川奈緒。

二十六歳。日本で会社員をしていた。

 

印刷会社に勤め、毎日誤字脱字と戦い、上司の機嫌を読み、帰宅後は乙女ゲームに逃避する、ごく普通の社会人。

 

華やかさなど一つもない人生だった。

最後の記憶は、雨の日の横断歩道。

 

信号を無視した車。

悲鳴。

割れた傘。

それから先はない。

 

どうやら私は死んだらしい。そして転生した。

 

よりにもよって、何度も遊んだ乙女ゲームの悪役令嬢に。

 

「落ち着こう」

 

私は鏡の前で深呼吸した。

 

まだ七歳。

ゲームが始まるのは十五歳。

つまり八年もある。

 

八年。

十分すぎる。

 

未来を知っているし、イベントも知っている。

攻略対象の性格も、分岐条件も、ヴィクトリアが破滅する原因も全部知っている。

 

これはむしろ好条件なのでは?

 

「そうよ」

 

私は拳を握った。

 

悪役令嬢だからといって、必ず破滅するとは限らない。

 

聖女を虐めなければいいし、皇子に執着しなければいい。

使用人をいじめず、領民に優しくし、ついでに教養も身につける。

 

できれば婚約も解消する。

 

そして田舎に小さな屋敷をもらって、悠々自適に暮らす。

 

家庭菜園なんかもいい。

前世ではベランダすらなかった。

異世界スローライフ。

 

悪くない。

むしろ最高!

 

「よし!」

 

「何がでしょうか、お嬢様」

 

「私は今日から、立派な人間になります!」

 

侍女は何とも言えない顔をした。

 

「……昨日までのお嬢様も、立派でございました」

 

昨日までのヴィクトリアがどんな子だったのか、私は知らない。

ゲーム開始前の幼少期は、ほとんど描かれていなかった。

 

ただし将来的に、使用人へ熱い紅茶をかけるような女になることは知っているので油断はできない。

 

まずは身近なところから変えていこう。

 

「あなた、名前は?」

 

「アンナでございます」

 

「アンナね。いつもありがとう」

 

アンナは固まった。

 

しばらくして、恐る恐る私を見る。

 

「何か、お気に召さないことがございましたか?」

 

「ないけど」

 

「では、どうしてお礼を?」

 

なるほど、以前のヴィクトリアは礼も言わなかったらしい。

 

先は長そうだった。

 

 

それから私は、全力で破滅回避に取り組んだ。

まず、使用人に八つ当たりしない。

 

ーーこれは簡単。

 

料理が好みでなくても皿を投げない。

 

ーー簡単。

 

弟のレオンを虐めない。

 

ーーこれも超簡単!

 

というより、五歳の弟は普通にかわいかった。

 

「姉上!」

 

庭を走ってきて、そのまま抱きついてくる。

 

ゲームのヴィクトリアは、どうしてこの子を虐めたのだろうか、意味が分からない。

 

「今日は一緒にお茶を飲みませんか?」

 

「もちろん」

 

「本当ですか!」

 

レオンはぱっと顔を輝かせた。

 

かわいい。守りたい、この笑顔。

 

次に、領地経営の勉強。これも意外と面白かった。数字は嫌いではない。

 

前世では校正部門だったが、請求書や進行表を見ることも多かった。

 

税率、収穫量、人口。

最初は難しかったが、慣れると仕組みが見えてくる。

 

冬になると食料が足りない村がある。

橋が壊れて物流が滞っている地域がある。

薬草が採れるのに、売るための道が整備されていない土地がある。

 

ゲームでは、背景の一枚絵でしかなかった場所だったが、転生してこの世界で生きている今は、そこに人が住んでいる。

 

私が父へ提案すると、最初は驚かれた。それでも、試しに橋を一つ直してもらった。

 

翌年、その村の税収が増えた。

父は私を見る目を変えた。

 

「ヴィクトリア。お前は領地経営に興味があるのか」

 

「はい!」

 

本当は、処刑されたくないだけですとは言えない。

 

「将来、公爵家を支えたいと思っています!」

 

少しくらい格好をつけてもいいだろう。父は満足そうにうなずいた。

 

順調だった。

 

あまりにも順調で、私は時々、これは本当に乙女ゲームの世界なのだろうかと思った。

 

もしかすると、似た設定の別世界かもしれない。そうなら嬉しい。

 

聖女も断罪もない。

 

私は普通に公爵令嬢として生きられる。

 

そんな希望を持つこともあった。

 

けれど、十二歳の誕生日。私は第一皇子エドガーと正式に顔を合わせた。

 

金色の髪に青い瞳、端正な顔立ち。

ゲーム画面で何度も見た攻略対象が、目の前に立っている。

 

「君がヴィクトリアか」

 

「はい。殿下」

 

「思っていたより、おとなしいな」

 

その台詞までゲームと同じだった。

 

希望は消えた。ここは間違いなく『聖銀』の世界。

 

そして私は、エドガーの婚約者。

 

最悪の処刑ルートへ、一番近い位置にいる。

 

私はその日から、婚約解消を目指した。

 

 

父へ頼んだ。母にも頼んだ。

 

エドガー本人にも、それとなく伝えた。

 

結果は全滅。

 

「皇室との婚約を軽く考えるものではない」

 

父に一蹴された。

 

母には、恥ずかしがっているのだと思われた。

 

エドガーには笑われた。

 

「婚約者になったばかりで、もう私に飽きたのか?」

 

「そういうことではありません」

 

「ならば問題ない」

 

問題しかない。

 

けれど、エドガーはゲームで見たほど嫌な人ではなかった。むしろ、普通にいい人だった。

 

勉強熱心で責任感が強い。

少し格好つけ。

甘いものが好き。

剣術は苦手だが、人前では認めたがらない。

 

一緒に過ごすうち、彼が立ち絵ではなく、生身の人間なのだと思い知らされた。

 

それが少し怖かった。

私は彼の好きなものを知っている。

苦手なものも知っている。

 

どんな言葉をかければ好感度が上がるのかも知っている。

だから、意識して何もしなかった。

 

エドガーに好かれたいわけではない。

むしろ、好かれれば困る。

聖女が現れたとき、三角関係になる。

 

嫉妬する悪役令嬢、そして守られる聖女。

 

そこからの断罪イベントだけは避けなければならない。

 

 

そして八年が過ぎ、私は十五歳になった。

 

ゲーム開始の日。王立学院の入学式。

 

私は朝から胃が痛かった。

 

「お嬢様、お顔の色が優れません」

 

アンナが心配そうに言う。

 

「少し緊張しているだけよ」

 

嘘ではない、死ぬほど緊張していた。

今日、聖女リリアが学院へ来るのだ。

 

ゲームの主人公。平民出身ながら、稀有な治癒魔法を持つ少女。

 

純粋で、優しく、誰にでも分け隔てなく接する。

 

そして攻略対象全員から愛される。

私は彼女に会わないのが最善だった。

 

ゲームで最初の事件が起きるのは、入学式終了後。

本館東側の大階段。

 

ヴィクトリアは、階段を下るリリアを呼び止める。

 

平民のくせに皇子へ色目を使ったと罵る。

 

そして背中を押す。

 

リリアは落ちる。

 

偶然通りかかったエドガーが彼女を抱き留め、恋が始まる。

同時に、ヴィクトリアの破滅も始まる。

 

だから私は、東側へ行かなかった。

入学式が終わると、すぐ西棟の図書室へ向かった。

 

アンナも一緒だし司書もいる。

完璧なアリバイ。

 

「これでよし」

 

「何がでしょうか?」

 

「何でもないわ」

 

私は本を開いた。

読んでいるふりをしながら、時計を確認する。

 

十一時四十分。

 

ーーまだ早い。

 

十一時四十五分。

 

ーー大丈夫。

 

十一時五十分。

 

ーー何も起きない。

 

当然だ、私はここにいる。

リリアを押す人間がいないのだから、イベントは成立しない。

 

やった!

 

勝った!!

 

破滅回避成功!!!

 

少し気が早いかもしれない。

でも最初のイベントを避けられたのは大きい。

 

あとはリリアに関わらず、静かに学院生活を送ればいい。

卒業したら婚約を解消して、領地へ戻る。

 

温暖な南部がいい。

 

果樹園を作ろう。

 

ジャムも作りたい。

 

異世界でジャム事業。

 

案外、売れるかもしれない。

 

そんなことを考えていた。

 

十一時五十七分。

 

ーー遠くで、誰かが叫んだ。

 

最初は気にしなかった。

 

学院には大勢の生徒がいる。誰かが転んだのかもしれない。

 

だが、続いて何人もの足音が聞こえた。

廊下を走っているような音だ。

 

「何かあったのでしょうか」

 

アンナが扉を見る。

私は動けなかった。

 

嫌な予感がした。

あり得ない。

私はここにいる。

あのイベントは起こらない。

 

起こるはずがない。

 

「お嬢様?」

 

「行きましょう」

 

声が少し震えた。

 

廊下へ出ると、生徒たちは皆、東側へ向かっていた。

 

私も東側の大階段に向かって行くが私の足が重くなる。

 

近づくにつれ声が聞こえた。

 

ーー先生を呼べ!

ーー治癒術師を!

ーー動かすな!

 

ーー血が!

 

人だかりの隙間から、白い制服が見えた。

 

聖女リリア。

 

彼女は階段の下で倒れていた。

頭から血を流している。

右腕は、不自然な方向に曲がっていた。

 

その身体の上に、もう一人、少女が倒れている。小柄な下級生。

頭の下には、赤黒い血だまり。

治癒術の教師が少女の首筋へ手を当てる。

すぐに、目を伏せた。

 

ーー死んでいる。

 

私は息をするのを忘れた。

 

どうして。

ゲームでは誰も死なない。

リリアも大怪我をしない。

 

エドガーに抱き留められて、少し頬を赤らめるだけ。

 

なのに。

目撃者の話が飛び交っていた。階段の上から、下級生が落ちた。

真っすぐリリアへ向かって。

 

リリアは逃げなかった。

少女を受け止めようとして、二人で階段を転げ落ちた。だからリリアは重傷を負った。

 

少女は、すぐには死なずに済んだのかもしれない。

 

エドガーが駆けつけるとリリアを抱き起こす。

 

リリアの白い制服に、血が広がる。

しばらくして、リリアが薄く目を開けた。

 

痛みに顔を歪めながら、最初に尋ねた。

 

「女の子は……?」

 

誰も答えなかった。

リリアは周囲の顔を見て、理解したようだった。

 

目から涙がこぼれる。

 

「私が、もっとちゃんと受け止めていれば……」

 

かすれた声だった。

 

「助けられたかもしれないのに……」

 

「君のせいではない」

 

エドガーが言った。

周囲の生徒たちも続く。

 

ーーあなたは悪くない。

ーー助けようとした。

ーー勇敢だった。

 

誰もが、リリアを慰めた。

私は少し離れた場所から見ていたが、その涙は本物に見えた。

 

少女を救えなかったことを、本当に悲しんでいるように見えた。

 

私は自分を恥じた。一瞬でも、彼女が何かしたのではないかと思ったことを。

 

事故だ。

ゲームのイベントが少し変わっただけ。

私が避けたことで、別の誰かが巻き込まれた。

 

ただそれだけ。

 

そう思った。

 

思いたかった。

 

けれど、気になる言葉があった。

 

一人の生徒が言っていた。

 

ーーあの少女は、足を滑らせたのではない。

ーー誰かに背中を押されたように見えた、と。

 

その証言は、いつの間にか誰も口にしなくなった。

 

 

三日後。

私はリリアの見舞いへ行った。

本当は行きたくなかった。

 

けれど、公爵令嬢であり皇子の婚約者である私が、聖女を見舞わないのは不自然だ。

 

それに、確認したかった。

 

リリアは学院内の療養室にいた。

頭には包帯が巻かれ、右腕は固定されている。

顔色も悪い。

 

それでも私を見ると、優しく笑った。

 

「ヴィクトリア様」

 

ゲームで聞いたのと同じ声。

柔らかくて、控えめで、誰もが守りたくなるような声。

 

「お加減はいかがですか」

 

「ずいぶんよくなりました」

 

私は花束を渡した。

リリアは嬉しそうに受け取った。

 

亡くなった少女の葬儀費用を出したこと。

両親へ手紙を書いたこと。

怪我が治れば墓参りへ行きたいこと。

 

どれも立派で善良だった。

やはり考えすぎなのかもしれない。

私はリリアを恐れすぎている。

彼女がゲームの主人公で、自分が悪役令嬢だから。

 

しばらくすると、修道女が薬を取りに出て、侍女も湯を替えるため席を外すと、部屋に二人だけになる。

 

静かだった。

窓の外で鳥が鳴いていた。

リリアは先ほどまでと同じ、穏やかな笑顔で私を見ていた。

 

「来なかったのですね」

 

意味が分からなかった。

 

「え?」

 

「階段です」

 

喉が乾いた。

 

「何のお話でしょう」

 

「本当なら、あの場所にはヴィクトリア様がいたのでしょう?」

 

心臓が大きく跳ねたが、顔に出してはいけない、そう思った。

けれど、きっと遅かった。

 

「事故のとき、私は図書室にいました」

 

「知っています」

 

リリアはすぐに答えた。

 

「ですから、来なかったのですね」

 

ーー何を言っているの。

ーーどうして知っているの。

ーー誰に聞いたの。

 

頭の中で言葉が渦巻く。

 

「あなたは、何のお話をしているのですか」

 

「本当なら」

 

リリアはゆっくり言った。

 

「あなたが私を落とすはずだった」

 

息が止まった。

ゲームの筋書きだ。

 

知っている。

この子は知っている。

 

「誰から、そんな話を」

 

「誰からも」

 

リリアは微笑んだ。

 

「あなたの顔を見れば分かります」

 

私は立ち上がった、ここにいてはいけない。

 

「お疲れでしょうから、今日はこれで」

 

扉へ向かおうとしたが、その背中へリリアの声が届く。

 

「だから、代わりの方を使いました」

 

足が止まった、振り返りたくなかった。

 

それでも振り返った。

 

「代わり?」

 

「はい」

 

「何の代わりですか」

 

リリアは、子どものように首を傾けた。

 

「あなたの代わりです」

 

背中が冷たくなる。

 

「少女を押したの?」

 

答えはなかった。ただ、リリアは目を細めた。

嬉しそうに。

 

「どうして」

 

声が震えた。

 

「どうして、あの子を殺したの」

 

「私が殺したと決まったわけではありません」

 

穏やかな声。

 

「証拠もありません」

 

その通りだ、証拠はない、目撃者もいない。

それどころか、リリアは大怪我をしている。

 

少女を助けようとした聖女。

誰も彼女を疑わない。

 

「でも」

 

「ヴィクトリア様」

 

リリアが私の言葉を遮った。

 

「一人死んだだけで、そんな顔をするのですね」

 

その瞬間、彼女の瞳が変わった。

 

笑顔も声も同じだった。

けれど、目だけが違う。

 

憎しみでも怒りでもない。

 

ーー好奇心。

 

まるで珍しいものを見つけた子どものような。

 

ーーそれから、愛着。

 

私の恐怖を、自分だけのものにしたいとでもいうような。

 

「そんなに苦しいのですか」

 

リリアは尋ねた。

 

「知らない方が死ぬことが」

 

答えられなかった。

リリアは私の沈黙を見て、満足そうに息を吐く。

 

「よかった」

 

「何が」

 

「あなたのことを、一つ知れました」

 

廊下から足音が近づいてきた。修道女たちが戻ってくる。

リリアの瞳から、何かが消えた。

 

一瞬で、聖女の顔へ戻る。

 

「今日は来てくださって、ありがとうございました」

 

扉が開く。

リリアは、皆に聞こえる声で続けた。

 

「ヴィクトリア様は、とても優しい方なのですね。亡くなった少女のことを、心から悲しんでいらっしゃいました」

 

修道女が感心したように私を見る。

侍女も微笑む。

 

否定できなかった。

少女の死を悲しんでいる、それは事実だった。

 

だからこそ、逃げられなかった。

 

部屋を出る前に、私はもう一度リリアを見た。

彼女は微笑んでいた。

誰もが愛する聖女の微笑み。

 

けれど私は知ってしまった。

 

その奥に、何かがいる。

 

人が一人死んだことよりも。

その死を見た私が、どんな顔をするのかに興味を持つ何か。

 

後から聞いた亡くなった少女の名前は、エミリア・ロウ。

 

十二歳。

 

地方男爵家の三女。

 

好きな花は白いデイジー。

 

将来は教師になりたかったという。

 

 

数日後。

私は彼女の葬儀に参列した。

 

棺の前で、母親が泣いていた。

 

リリアは折れた腕を吊ったまま、その手を握っていた。

 

母親は何度も頭を下げる。

 

ーー娘を助けようとしてくださって、ありがとうございました。

ーーあなたまで亡くならなくて、本当によかった。

 

リリアは涙を流した。

 

「救えなくて、申し訳ありません」

 

その涙は、本物に見えた。

本当に悲しんでいるように見えた。

 

私は参列者の後ろから、その姿を見つめていた。

 

ふと、リリアが顔を上げる。

 

大勢の中から、真っすぐ私を見つけ、そして、ほんの少し笑った。

 

誰にも分からない程度に。

 

私にだけ分かるように。

 

そのとき、私はようやく理解した。

 

リリアは少女の死を悲しんでいる。

 

遺族の苦しみにも同情している。

 

それでも

ーー人を殺せる。

 

彼女の中では、悲しむことと殺すことが矛盾しない。

そして、誰を犠牲にするかを決める基準は、善悪ではない。

 

私がどんな顔をするのか、ただ、それだけ。

 

私は悪役令嬢に転生した。

未来を知っている。

破滅を避ける方法も知っている。

だから、何とかなると思っていた。

 

聖女へ近づかなければいい。

事件を避ければいい。

ゲームと違う行動を取れば、生き残れる。

 

そう思っていた。

 

けれど、もし、聖女の方から私を見つけに来るのなら。

 

もし、私が避けた物語の穴を、別の誰かの命で埋めるのなら。

 

私はいったい、どうすればいいのだろう。

 

 

葬儀の帰り道。

馬車の窓へ映る自分の顔は、悪役令嬢には見えなかった。

 

ただ怯えているだけの、十五歳の少女だった。

そして、その顔を見たいと願っている人間がいる。

 

聖女リリア。

 

ゲームの主人公。

 

誰からも愛される少女。

 

私の前でだけ、怪物になる女。

 

きっと彼女は、もう次の方法を考えている。

私のことを、もっと知るために。

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