悪役令嬢に転生しましたが聖女がサイコパスすぎる件   作:聖女はサイコパスじゃなくっちゃ

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さらに聖女の攻撃が苛烈になります


第二話 聖女様は私の侍女を救う

悪役令嬢に転生したら、まず何をするべきか。

 

攻略対象に媚びる?

聖女と仲良くなる?

領地改革?

 

いいえ。

 

正解は、遺言書を書くことです。

 

「お嬢様、朝から何を書いていらっしゃるのですか?」

 

アンナが、私の肩越しに机をのぞき込もうとした。

 

私は慌てて紙を伏せる。

 

「何でもないわ」

 

「何でもない方は、ご自分の財産目録を作ったりしません」

 

「几帳面なのよ」

 

「昨日まで、机の引き出しの中で便箋と菓子の包み紙が一緒になっていましたが」

 

痛いところを突かれた。

私は咳払いをして、羽根ペンを置いた。

 

机の上には、万が一私が死んだ場合の財産分配について書かれた紙がある。

 

大部分は弟のレオンへ。

 

残りはアンナを含む使用人たちと、領地の学校建設費へ。

 

処刑された場合、罪人の財産は没収される可能性が高い。

 

だから遺言を書いたところで意味がないかもしれない。

 

それでも、何もしないよりはましだった。

 

リリアの病室を訪れてから、一週間が経った。

あれ以来、彼女とは会っていない。

学院の授業にも、まだ復帰していない。

 

当然だ。頭を打ち、腕まで折れている。

普通なら一か月は安静にする。

 

その間に、私はやるべきことを考えた。

 

第一。

 

リリアには近づかない。

 

第二。

 

二人きりにならない。

 

第三。

 

どれほど奇妙なことを言われても、反応しない。

 

第四。

 

証拠がないうちは、誰にも相談しない。

 

ここが大事だった。

聖女が少女を殺したかもしれない。

そんなことを口にすれば、疑われるのは私だ。

 

ゲームのヴィクトリアは、リリアへ強い敵意を向けていた。

周囲から見れば、私は将来の加害者候補。

 

一方のリリアは、少女を救おうとして大怪我を負った被害者。勝負にならない。

 

まずは証拠。

私が日本にいた頃ならそうする。

感情ではなく、事実を集める。

 

私は一人でうなずいた。

 

「よし」

 

「何がよろしいのですか?」

 

アンナが首を傾げる。

 

「今日から日記をつけることにしたの」

 

「まあ。素敵ですね」

 

日記というより、リリア観察記録だ。

 

日付と場所、会話の内容、同席者、発生した事件すべて残す。

 

いつか、誰かに信じてもらうために。

それまでは普通の悪役令嬢として――ではない。

普通の公爵令嬢として振る舞う。

 

まだ大丈夫、私は未来を知っている。

 

次に起こる事件も知っている。

 

ゲームの第二イベント、毒入り紅茶事件。

 

学院の交流会で、聖女リリアの紅茶から毒が見つかる。

給仕を担当したのは、私付きの侍女アンナ。

 

アンナは、ヴィクトリアの命令で毒を入れたと証言する。その結果、リリアへの嫌がらせが公になる。

 

エドガー殿下の好感度は下がり、騎士団長の息子カイルの正義感に火がつく。

 

宰相の養子セドリックは、ヴィクトリアの背後関係を調べ始める。

 

破滅ルートへ進む重要イベントだ。けれど、今回は避けられる。

 

アンナは毒を入れない。なぜなら、私が命じないから。

 

それでも念のため、茶葉も茶器も水も、すべて確認する。

給仕役も変更する。

可能なら交流会そのものを欠席する。

 

完璧!

 

前回は少し油断したのだ。

 

イベントを避ければ、それで終わりだと思っていた。

 

でも今回は違う。

リリアが何かを仕掛けると分かっている。

分かっている相手なら、対処できる。

 

私はそう信じた。

 

ーー信じるしかなかった。

 

 

「交流会を欠席したい?」

 

昼食の席で、エドガー殿下は不思議そうに眉を上げた。

 

「はい。少し体調が優れなくて」

 

「今、三皿目を食べているが」

 

見られていた。

私は手元の肉料理をそっと置く。

 

「食欲と体調は別問題です」

 

「そういうものか?」

 

「そういうものです」

 

エドガー殿下は納得していない様子だった。

 

交流会は、学院の上級貴族と新入生が親睦を深めるための行事だ。

皇子の婚約者である私は、事実上の主催者の一人、簡単には休めない。

 

「聖女も参加するらしい」

 

エドガー殿下が何気なく言った。

私の手が止まる。

 

「もう復帰なさるのですか」

 

「完全ではないがな。本人が強く望んだそうだ」

 

ーー強く望んだ。

嫌な言葉だった。

リリアなら、来るだろう。

私が避けようとしている場所へ。

 

「彼女はすごいな」

 

エドガー殿下は感心したように言った。

 

「自分も傷を負ったというのに、亡くなった少女の家族を気遣い、授業の遅れまで心配している。民の模範となる人物だ」

 

「そうですね」

 

声が少し硬くなった。

 

エドガー殿下は気づかなかった。

そのまま気づかなくていい。

彼にはまだ何も話せない。

証拠がない。

 

「君も彼女を見習うといい」

 

「どのあたりをでしょう」

 

「人に対する寛容さだ」

 

余計なお世話である。

ゲームのヴィクトリアなら、ここで顔を赤くして怒っただろう。

 

なぜ私が平民を見習わなければならないの、と。

私は怒らなかった。

 

代わりに笑った。

 

「善処します」

 

悪役令嬢、成長した!

自分で自分を褒めたい。

 

 

その日の午後。

私はアンナを呼び、交流会当日の動きを細かく確認した。

 

「紅茶の給仕はしなくていいわ」

 

「ですが、お嬢様付きの侍女として――」

 

「しなくていいの」

 

少し強い口調になった。

アンナが目を丸くする。

私は言い直した。

 

「あなたには別の仕事をお願いしたいの」

 

「何でしょうか」

 

「当日は、一日中私のそばにいて」

 

アンナは数秒黙った。

それから、照れたように笑った。

 

「お嬢様は、学院がお嫌いなのですね」

 

「どうしてそうなるの」

 

「心細いから、私にいてほしいのでしょう?」

 

違う。

あなたを守りたいのだ。

 

でも、そんなことを言えば不自然に思われる。

 

「そういうことにしておいて」

 

「かしこまりました」

 

アンナは嬉しそうだった。

胸が少し痛んだ。

 

彼女は何も知らない。

ゲームでは、私の命令で毒を入れたことになっている。

 

けれど、あれは本当にアンナがやったのだろうか。今のアンナを見ていると、信じられない。

 

素直で、少しおしゃべりで、甘い菓子が好きで、私が夜更かしをすると、母親のように怒る。

ゲームの中では、名前すらまともに表示されなかった侍女。

 

背景の一部、悪役令嬢の罪を証明するための道具。

 

けれど今は違う。

 

生きている。

 

ーー絶対に巻き込ませない!

 

私はそう決めた。

 

 

交流会当日。

私は朝から忙しかった。

 

まず、茶葉の確認。

 

ーー異常なし。

 

次に茶器。

 

ーーひびも、変色もない。

 

銀製の毒見用匙も用意した。

水は厨房のものを使わず、公爵家から持ち込んだ。

 

牛乳も砂糖も確認。

菓子にも異常なし。

料理長が少し泣きそうな顔をしていた。

 

「私どもが信用できませんか」

 

「そういうわけではないの」

 

「では、なぜ砂糖壺の底まで確認を」

 

理由は言えない。

 

「公爵家の習慣よ」

 

便利な言葉だった。

 

公爵家の習慣と言っておけばだいたい何でも押し通せる。

 

会場には長い卓が並べられ、花が飾られていた。新入生たちは緊張しながら席に着く。

 

エドガー殿下。

騎士科のカイル。

宰相の養子セドリック。

 

ゲームの攻略対象たちも揃っていた。

 

そして、リリア。

頭の包帯は外れている。

右腕はまだ吊っていた。

 

白い制服姿で現れると、会場から小さなどよめきが起きた。

 

皆が彼女を見ている。

 

リリアは一人ずつに笑顔を返した。

完璧だった。

ーー私の方を見るまでは。

 

一瞬だけ。

 

本当に一瞬だけ。

 

彼女の瞳に、病室で見た光が浮かんだ。

 

 

ーー見つけた。

 

 

そう言われた気がした。

 

私は視線を逸らした。

 

反応しない。

 

会場には大勢いる。

 

二人きりにはならない。

 

何も起こらない。

 

「ヴィクトリア様」

 

呼ばれた。

リリアが、私の前に立っていた。

 

「先日は、お見舞いに来てくださってありがとうございました」

 

周囲の視線が集まる。

私は笑顔を作った。

 

「ご回復されて何よりです」

 

「いただいたお花、とてもきれいでした」

 

「気に入っていただけて光栄です」

 

普通の会話だ、何も問題ない。

リリアは私の隣にいるアンナを見た。

 

「あなたが、ヴィクトリア様の侍女さんですね」

 

アンナが一礼する。

 

「アンナと申します」

 

「いつもヴィクトリア様を支えていらっしゃるのですね」

 

「もったいないお言葉です」

 

リリアは微笑んだ。

 

「お優しそうな方」

 

その言葉に、背中が冷えた。

ただ褒めただけ。

 

なのに、嫌な予感がした。

 

「アンナ」

 

私は彼女の腕をつかんだ。

 

「今日は私から離れないで」

 

「はい?」

 

「いいから」

 

アンナは戸惑いながらもうなずいた。

リリアはそんな私たちを見ていた。

 

ーー楽しそうに。

 

交流会が始まった。

紅茶が配られる。

私は自分の杯を銀匙で確認した。

 

異常なし。

 

リリアの杯も、給仕前に確認してある。

 

異常なし。

 

アンナはずっと私の隣にいる。

誰にも毒は入れられない。

 

大丈夫。

 

音楽が流れる。

 

会話が続く。

 

何も起きない。

 

私は少しずつ肩の力を抜いた。

本当に今回は防げたのかもしれない。

リリアが何かを仕掛けようとしても、準備が多すぎて諦めたのかもしれない。

 

そう思った瞬間。

 

隣で、陶器の割れる音がした。

 

ーーアンナが、床へ崩れ落ちた。

 

「アンナ?」

 

返事がない。

顔色が真っ青だった。

唇が震えている。

呼吸が浅い。

 

「アンナ!」

 

私は椅子から立ち上がり、彼女の身体を抱き起こした。

 

会場が騒然となる。

誰かが医師を呼び、誰かが毒だと叫ぶ。

私はアンナの手を握った。

 

冷たい。

なぜ。

 

紅茶は飲んでいない。

料理も、私と同じものしか口にしていない。

 

「どこで」

 

声が出ない。

 

「いつ、何を食べたの」

 

アンナは苦しそうに胸を押さえるが、答えられない。

そのとき、白い影が近づいた。

 

リリアだった。

 

「下がってください」

 

彼女は床へ膝をつき、アンナの身体へ手をかざすと淡い光が広がる。

アンナの震えが、少しだけ収まった。

 

周囲から安堵の声が上がる。

 

「毒です、それもかなり強いもの」

 

リリアは静かに言った。

 

「治せるの?」

 

私は尋ねた。

声が裏返った。

 

「治してください」

 

リリアはアンナを見つめたまま、答えなかった。

 

「お願い」

 

「簡単ではありません」

 

「あなたは聖女でしょう」

 

「万能ではありません」

 

その声は、周囲に聞こえる慈悲深いものだった。

 

けれど私には分かった。

彼女は落ち着いて、驚いていない。

まるで最初から、こうなると知っていたように。

 

「何が必要なの」

 

「毒が、もう身体の奥まで回っています」

 

リリアは説明した。

 

「私の力だけで消せば、アンナさんの生命力まで削ってしまいます。毒だけを外へ出すには、別の健康な生命力を分ける必要があります」

 

「私のを使って」

 

即答した。

 

「私から取って」

 

「できません」

 

「どうして!」

 

「ヴィクトリア様の生命力は強すぎます。今のアンナさんへ流せば、身体が耐えられない」

 

本当なのか分からない。

でもアンナの呼吸は、どんどん弱くなっている。

 

「では、誰なら」

 

リリアは顔を上げた。

その視線の先に、一人の少女がいた。

アンナによく似た、幼い少女。

 

十三歳のアンナの妹、ミア。

 

今日は姉の仕事を見学するため、学院を訪れていた。

 

「ミア?」

 

なぜここにいる。

いや、来ることは聞いていた。

 

アンナが楽しそうに話していた。

ーー妹が学院を見てみたいと言っている。

ーー休憩時間に案内してあげたい、と。

 

私は許可した。

そのことを知っていたのは、私とアンナ。

それから学院の管理者。

 

リリアはミアを見つめた。

 

「血縁者なら、最も安全です」

 

アンナの目が開いた。

 

「だめ……」

 

かすかな声だった。

 

「ミアは、だめです」

 

ミアが泣きながら駆け寄ってくる。

 

「お姉ちゃん!」

 

アンナの手を握る。

 

「聖女様、お姉ちゃんを助けてください」

 

「ミア」

 

「私のを使ってください」

 

「だめ!」

 

アンナが叫んだけれど、その声は弱い。

 

「あなたに何かあったら」

 

「死んじゃうよりいい!」

 

ミアは泣いていた。

 

「お姉ちゃんが死ぬ方が嫌!」

 

周囲の生徒たちも涙ぐんでいる。

 

姉を思う妹。

妹を守ろうとする姉。

そして、二人を救おうとする聖女。

 

美しい場面だった。

 

私以外にとっては。

 

「待って」

 

私はリリアの腕をつかんだ。

 

「ほかの方法を探して」

 

「時間がありません」

 

「なら私から取って。少しずつなら」

 

「危険です」

 

「構わない」

 

「私は構います」

 

リリアは私を見た。

公の場にふさわしい、悲しげな表情。

 

「あなたが亡くなれば、国が混乱します。公爵家と皇室の関係も崩れる。多くの方が苦しみます」

 

「そんなの」

 

「ミアさんから分けてもらう方が、犠牲は少ない」

 

ーー犠牲。

その言葉を、彼女は使った。

 

あまりにも自然に。

 

「どれくらい取るの」

 

私は尋ねた。

 

「少しです」

 

「少しって、どれくらい」

 

リリアは答えない。

 

代わりにミアが言った。

 

「お願いします」

 

私は少女を見る。

怖がって、手が震えている。

 

それでも姉を見つめている。

 

「私、丈夫ですから」

 

違う。

 

十三歳の子どもが、自分で決めていいことではない。

けれど、アンナは死にかけている。

時間がない。

判断しなければならない。

 

私が。

 

どうして私が。

 

「ヴィクトリア様」

 

リリアが静かに呼ぶ。

 

「決めてください」

 

私を見る目は聖女のものだったが、その奥にいる何かが笑っていた。

 

アンナを助けるか。

ミアを守るか。

私自身を危険にさらすか。

 

どれを選んでも、何かを失う。

 

「お願い……します」

 

ミアが言った。

 

「お姉ちゃんを、助けてください」

 

私は何も言えなかった。

その沈黙を、リリアは許可として扱った。

 

「分かりました」

 

光が広がる。

ミアの身体から、煙のような、息のような、白いものが抜けていく。

 

光はリリアの手を通り、アンナへ流れ込んだ。

 

ミアの顔色が失われる。

傾く体を私は慌てて抱き留めた。

 

軽かった。あまりにも軽い。

 

アンナの呼吸が戻る。

 

会場から歓声が上がった。

 

「助かった!」

 

「聖女様が救った!」

 

誰かが泣きながら拍手をした。

エドガー殿下がリリアの肩へ手を置く。

 

「よくやった」

 

リリアは疲れたように微笑んだ。

 

「私は、二人の願いを叶えただけです」

 

その瞳は二人ではなく、私の内側を見つめているようだった。

 

 

アンナは助かり、三日後には意識を取り戻した。

毒を盛った者は、見つからなかった。

どこから毒が入ったのかも分からない。

 

アンナは朝食を取ってから、私とずっと一緒にいた。

朝食は公爵家の屋敷で食べている。

 

料理人も使用人も、全員調べたが異常はなかった。

 

妹のミアは死ななかったが、以前のようには歩けなくなった。

生命力を失いすぎたらしい。

少し歩くだけで息を切らす。

季節の変わり目には、高熱を出す。

医師は、成長にも影響が出ると言った。

将来、子どもを持つことは難しいかもしれない。

 

それでも、周囲はよかったと言った。

二人とも生きている。姉妹の絆が奇跡を起こした。聖女様が救ってくださった。

 

そんな美談になった。

 

アンナは、妹を見るたびに泣いた。

ミアはそのたびに笑った。

 

「お姉ちゃんが生きているから、私は幸せだよ」

 

その言葉が、アンナをさらに苦しめた。

私は二人へ、十分な金と治療を約束した。

公爵家で一生面倒を見ると伝えた。

 

それで何が変わるのだろう。

ミアの身体は戻らない。

アンナの罪悪感も消えない。

 

私は自室へ戻り、日記を開いた。

 

交流会でアンナが毒により倒れる。

ミアの生命力を使用し、リリアが治療。

アンナ生き残ったがミアには後遺症が残る。

 

羽根ペンが止まった。

事故ではない、そう思った。しかし証拠はない。

 

けれど、偶然にしては出来すぎている。

ゲームでは、アンナがリリアへ毒を盛る。

今回は、アンナが毒を盛られた。

本来の加害者が被害者になった。

 

ーーそして私は、また選ばされた。

 

リリアはゲームのイベントを知っている。少なくとも、何かを知っている。

 

私は日記を閉じた。

そのとき、扉が叩かれた。

 

「ヴィクトリア様」

 

リリアの声が聞こえ息が止まる。

 

「お見舞いのお礼に参りました」

 

一人ではない。廊下に修道女の気配があるようだ。

 

私は恐る恐る扉を開けると、リリアは籠を持って立っていた

中にには果物と、小さな花束が入っているようだ。

 

「アンナさんへのお見舞いで」

 

「ありがとうございます」

 

「ミアさんにも、よく効く薬草を用意しました」

 

「…そうですか」

 

「喜んでいただけませんか?」

 

その言葉に、少しだけ彼女の本音が混じっているように感じた。私は彼女の隣の修道女へ視線を向けた。

 

「少し、リリア様とお話ししたいのですが」

 

自分で言ってから後悔した。

二人きりにならないと決めたばかりだった。

けれど、聞かなければならない。

 

修道女が部屋を離れ、扉が閉まる。

リリアは私の部屋を見回した。

 

本棚から机、窓、寝台。

まるで、私という人間を形作るものを、一つずつ確認するように。

 

「アンナへ毒を盛ったのは、あなた?」

 

私は単刀直入に尋ねた。

リリアは少し笑った。

 

「また、証拠のないことをおっしゃるのですね」

 

「否定して」

 

「私が否定すれば、信じますか?」

 

信じない。だから答えられなかった。

リリアは果物籠を机へ置いた。

 

「二人とも生きています」

 

「ミアは、前と同じ身体には戻れない」

 

「生きています」

 

「歩けなくなるかもしれない」

 

「それでも、生きています」

 

「あなたがそうしたの?」

 

リリアは私を見た。

病室で見た瞳。

 

穏やかで澄んでいて。

 

ーー私だけを見ている。

 

「ヴィクトリア様は、前回とても苦しそうでした」

 

「何の話」

 

「エミリアさんが亡くなったときです」

 

少女の名前を彼女は覚えていた。当然かもしれない。

葬儀にも出て、家族とも話している。

 

それでも、彼女の口から名前が出たことが恐ろしかった。

 

「ですから、今回は誰も死なないようにしました」

 

私は言葉を失った。

リリアは褒めてほしい子どものように微笑む。

 

「アンナさんは助かって、ミアさんも生きています。ヴィクトリア様も無事です」

 

「今回は、全員生きています」

 

ーーだから何だというの!

そう叫びたかった。けれど声が出ない。

 

「なのに」

 

リリアが一歩近づく。

 

「どうして前より苦しそうなのですか?」

 

私は一歩後ろへ下がった。

 

「あなたは、死が嫌なのではなかったのですか?」

 

「違う」

 

何が違うのか、自分でも分からない。

 

「こんなのは、助かったとは言わない」

 

「では、何と呼ぶのですか?」

 

「壊されたのよ」

 

リリアの瞳が輝いた。その言葉を待っていたように。

 

「そうなのですね」

 

彼女は小さくうなずく。

 

「死ななくても、人は壊れる」

 

ぞっとした。

今、彼女は学んだのだ。

それも、私の反応から。

 

「それを確かめるためにアンナとミアを使ったの?」

 

声が震える。

リリアは答えなかった。否定もしなかった。

 

ただ、私へ手を伸ばす。

私はそれを反射的に振り払った。

その手が、宙で止まる。

 

リリアは悲しそうな顔をした。

普通の人なら、拒絶されて傷ついたように見えるが、瞳は笑っている。

 

「あなたは優しいですね」

 

「近づかないで」

 

「死んだ方だけでなく、生き残った方の未来まで気にする」

 

「黙って」

 

「ミアさんがこれから何年苦しむのか」

 

「黙って!」

 

「アンナさんが妹を見るたび、何を思うのか」

 

私はリリアの頬を打った。

乾いた音がした。

自分でも驚いた。

 

リリアの顔が横を向く。

 

白い頬に赤い跡が残った。

 

まずい。

 

聖女を殴った。

 

誰かに見られたら。

 

謝らなければ。

 

そう思った。

けれど、リリアは怒らなかった。

ゆっくり顔を戻す、その瞳には今までで一番強い光があった。

 

喜び。

 

興奮。

 

ーーそして、ぞっとするほど深い“愛執“

 

「今のも」

 

リリアは赤くなった頬へ触れた。

 

「私のためですね」

 

「……違う」

 

「私に、もう誰も傷つけてほしくないから」

 

「違う!」

 

「では、どうしてそんな顔をしているのですか?」

 

リリアは一歩近づいた。

私は逃げられなかった。

 

「あなたは、ご自分が傷つくより」

 

彼女の声は、耳元で囁くほど小さくなった。

 

「大切な方が壊れる方が苦しいのですね」

 

私にとってアンナやミアが大切。

そうだ。

否定できない。

リリアは満足そうに目を細めた。

 

「覚えておきます」

 

その瞬間、扉の向こうから修道女の声がした。

 

「聖女様、お時間です」

 

リリアの顔が変わる。

瞳の奥のものが消え、慈悲深い少女へ戻る。

 

「はい。すぐに参ります」

 

扉を開ける前に、リリアは振り返った。

 

「アンナさんとミアさんのことは、ご安心ください」

 

「何を」

 

「私が責任を持って、ずっと見守ります」

 

脅しだった。

私にしか分からない。

私がどう動くかを見るための道具として、あの姉妹はまだ彼女の手の中にいる。

 

 

リリアが去ったあと、私はしばらく動けなかった。

机の上には、彼女が持ってきた花束がある。

 

エミリアが好きだった花、白いデイジー。

 

偶然ではない。

私は籠を床へ叩き落とした。

果物が少し砕け果汁が床に広がる

花びらが舞い散る。

薬草は束のまま床に投げ出された。

 

その音を聞きつけ、アンナが部屋へ入ってきた。

 

まだ顔色は悪い。

 

歩く足も少しふらついている。

 

「お嬢様?」

 

彼女は床を見て、すぐに片づけようとした。

 

「触らないで」

 

強い声が出た。

 

アンナが怯えたように止まる。

 

私は慌てて言い直す。

 

「ごめんなさい。あなたは休んでいて」

 

「ですが」

 

「お願い」

 

アンナは心配そうに私を見た。

 

「何かございましたか?」

 

言えるわけがない。

あなたが毒を盛られたのは、私のせいかもしれない。

妹の身体が壊れたのも。

リリアが、私の反応を見るために。

 

そんなことを。

 

「何もないわ」

 

私は笑ったが、上手く笑えたかは分からない。

 

「本当に、何もないの」

 

アンナは信じていない顔をしていた。

それでも追及せず、頭を下げた。

扉が閉まる。

 

私は日記を開く。

 

最後の行へ書き加えた。

 

ーーリリアは、人を殺したいわけではない。

 

ーー私を苦しめたい。

 

ーーその方法を、試している。

 

ーー次は、誰を使う。

 

そこまで書いて、手が止まった。

 

誰かではない、もう分かっている。

私が大切にしている人。

私が失いたくない人。

リリアは、それを探している。

 

そして私は今日、彼女へ教えてしまった。

 

アンナが大切だと。

ミアの将来を気にしていると。

殴るほど、彼女を止めたいと思っていると。

 

窓の外を見る。

学院の庭を、リリアが歩いていた。修道女に支えられながら、生徒たちへ笑顔を向けている。

 

皆が彼女を慕っている。彼女が通ると、空気まで明るくなる。

ふいにリリアが立ち止まった。

 

二階にいる私を見上げる。

 

ここまでは随分距離がある。表情など見えるはずがない。それでも、目が合ったと分かった。

 

リリアは自分の頬へ触れた。

私が打った場所。

 

ーーそして、うれしそうに笑った。

 

その夜から、私はアンナを自分の部屋の隣で眠らせるようにした。

 

一人にしないため。守るため。

けれど、寝台へ入って目を閉じると、別の考えが浮かんだ。

 

私のそばに置くことで、アンナが大切だと、さらに教えているのではないか。

遠ざけるべきなのか。

でも遠ざけた先で、何かあったら。

どちらが正しい?

 

ゲームには答えがない。

こんな展開は知らない。

私は未来を知っているはずだった。

だから生き残れると思っていた。

 

けれど、少しずつ分からなくなっている。

私がゲームを知っているように。

リリアは、私を知ろうとしている。

 

イベントを一つ起こすたび。

人の命を一つ使うたび。

私という人間の攻略情報を、集めている。

 

次に彼女が試すのは、何だろう。

 

死。

 

後遺症。

 

罪悪感。

 

それとも、私がまだ自分でも気づいていない何か。

 

 

その日は眠れないまま朝を迎えた。

隣の部屋から、アンナが起きる音が聞こえる。

 

今日も生きている。それだけで安心した。

同時に、その安心をリリアに知られたくないと思った。

 

ーーもう、遅いのに。

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