悪役令嬢に転生しましたが聖女がサイコパスすぎる件   作:聖女はサイコパスじゃなくっちゃ

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第三話 あなたは、起こるはずだった物語を知っている

未来を知っている。

 

 

その言葉だけを聞けば、ずいぶん便利な能力に思える。

宝くじの番号が分かったり、値上がりする株が分かれば大金持ちになれる。

事故が起きる場所がわかれば避けられるし、止めることだってできるかもしれない。

試験問題だって、事前に答えを覚えておけば満点だ。

 

前世の私が未来予知を手に入れたなら、もう少しまともな使い方をしただろう。

 

会社を辞め、駅前の宝くじ売り場へ行き、10億円を当て、小さな家を買う。

ついでに犬も飼う。

母には、仕事を辞めても困らないくらいのお金を渡す。

そういう、ささやか(?)で現実的な幸福に使ったはずだ。

 

残念ながら、今の私が知っている未来は、乙女ゲームのイベントだけだった。

しかも攻略対象との甘い恋愛イベントではない。

悪役令嬢が誰を虐め、どこで失敗し、いつ破滅へ近づくか。

要するに、自分が死ぬまでの予定表である。

 

役に立つような立たないような。

少なくとも、これまでは役に立たなかった。

 

階段の事件を避けたら、代わりに一人死んだ。

毒入り紅茶を防いだら、アンナが毒を盛られ、妹のミアが一生残る後遺症を負った。

 

私が知識を使うたび、リリアはゲームとは違う方法で同じ場所へたどり着く。

それも、元のゲームよりひどい形で。

だったら、もうゲーム知識なんて使わなければいい。

 

そう考えた。

 

考えただけで、実行はしなかった。

だって死にたくない。人間、そう簡単に達観できるものではない。

 

怖いものは怖い。

使えるものがあるなら使いたい。

 

失敗したからといって、次も失敗するとは限らない。

二度あることは三度あるともいうけれど、三度目の正直という言葉もある。

 

どちらを信じるかは自由だ。

私は、三度目の正直を選んだ。

 

 

「というわけで、学院祭を中止させたいの!」

 

朝食の席でそう言うと、エドガー殿下はパンを喉に詰まらせた。

 

「急に何を言い出す」

 

「危険です!」

 

「何が」

 

「学院祭が!」

 

「なぜだ」

 

答えに詰まった。

理由は言えない。

 

十日後、学院祭の最中に魔物が侵入するからです。

ゲームのイベントなので。

 

そんな説明をしたところで、信じてもらえるわけがない。

それどころか、頭がおかしくなったと思われる。

 

最近の私は、聖女を警戒して交流会を欠席しようとしたり、茶器を一つずつ調べたり、侍女を常にそばへ置いたりしている。

 

十分、様子がおかしい。

 

ここで未来予知まで言い出したら、医務室ではなく神殿へ連れていかれるかもしれない。

 

悪霊に取り憑かれた令嬢。そんな新しい破滅ルートが完成する。

 

「最近、周辺で魔物の目撃情報が増えています」

 

私はそれらしい理由を作った。

 

「学院には貴族の子女が大勢集まります。警備を強化すべきです」

 

「目撃情報?」

 

「はい」

 

「どこで?」

 

「その……森の方です」

 

「学院の周辺に森はいくつあると思っている」

 

「たくさんですね」

 

「具体的な報告は?」

 

「これから出ます」

 

エドガー殿下が、気の毒なものを見る目をした。

 

違う。

私は正常だ。

少なくとも、今のところは。

 

学院祭で起きる魔物事件。

 

ゲームでは、王都の商人が見世物として運び込んだ幼い魔獣が檻を破る。

 

成長前とはいえ、鋭い牙と爪を持つ危険な魔物。

 

会場は混乱する。

 

リリアは逃げ遅れた子どもを庇い、追い詰められる。

 

そこへ騎士団長の息子、カイルが現れる。

 

魔物を倒し、リリアを救う。

 

攻略対象との重要な出会いだ。

 

怪我人は出る。

 

けれど死者はいない。

 

ゲームでは。

 

今の世界で同じ保証はない。

 

リリアが何をするか分からない以上、イベントそのものを潰すしかない。

 

「殿下」

 

私は姿勢を正した。

 

「少なくとも、学院へ入る荷物をすべて調べてください」

 

「随分と具体的だな」

 

「念には念を入れて」

 

「君は何を知っている?」

 

一瞬、言葉に詰まった。

エドガー殿下は冗談ではなく、真剣な顔をしていた。

 

「階段の事故以来、君はおかしい」

 

「前からおかしかったような言い方ですね」

 

「前から少し変わっていた」

 

失礼な。

否定できないけれど。

 

「交流会の前も、毒が入ることを知っていたかのように振る舞っていた」

 

「結果的に、毒は防げませんでした」

 

「だからこそ気になる」

 

エドガー殿下は声を落とした。

 

「君は何かを恐れている」

 

私は黙った。

彼はゲームの攻略対象だ。

けれど今は、私の幼い頃からの知人であり、婚約者だ。

相談すれば力になってくれるかもしれない。

そう思う自分がいる。

 

同時に、ゲームの知識が警告する。

エドガーは正義感が強い。

そして心優しき聖女を深く信頼している。

証拠もなくリリアを疑えば、むしろ私が敵視されるだろう。

 

リリアは少女を救おうとして負傷した。

アンナとミアを救った。

 

誰が見ても善人だ。

私が知っているのは、二人きりのときに聞いた言葉だけ。

 

録音機もなければ、監視カメラもない。

スマートフォンがあれば、何度そう思っただろう。

便利な魔法がある世界なのに、必要な文明だけが足りない。

 

「少し、心配性になっただけです」

 

私は笑った。

 

「先日のことがありましたから」

 

エドガー殿下は納得していないようだった。

 

それでも、それ以上は尋ねなかった。

 

「分かった。荷物の検査は強化しよう」

 

「本当ですか?」

 

「ただし、学院祭は中止しない」

 

十分だった。

 

商人の荷物を調べれば、魔獣は見つかる。

 

イベントは起きない。

 

今度こそ。

 

 

当日までの十日間、私は忙しかった。

学院へ出入りする商人の名簿を確認し、荷物の内容を確認。怪しい業者を調査。

魔獣を運ぶ商人の名前も、店の場所も知っている。

 

ゲームでは背景説明に一度出てきただけの情報だったが、何周も遊んだ私の記憶には残っていた。

 

商人の名はバルド。表向きは珍しい動物を扱う見世物商だが、裏では違法な魔獣の売買を行っている。

 

私は父の名を使い、学院祭の五日前にバルドを拘束させた。

倉庫からは、檻に入れられた幼い魔獣が見つかった。

衛兵からその報告を受けた瞬間、私は思わず立ち上がった。

 

「やった!」

 

アンナが驚いて、お茶をこぼしかけた。

 

「お嬢様?」

 

「何でもないわ」

 

やった!

 

本当にやった!

 

事件を未然に防いだ!

 

人は死なない、誰も傷つかない。

ゲーム知識が初めて役に立った。

私はその日、久しぶりに食事をおいしいと感じた。

 

アンナも元気になってきている。

毒の後遺症はまだあるものの、日常生活には戻れた。

 

ミアは領地の屋敷で療養している。

長距離を歩くことはできなくなったが、最近は屋敷のメイドに刺繍を習い始めたらしい。

送られてきた手紙には、姉を恨んでいないと書かれていた。

むしろ、自分の命を使えたことを誇りに思っている、と。

 

私はその一文を読むたび、胸が痛んだ。

 

十三歳の子どもが書く言葉ではない。

誰かがそう思わせたのか。

それとも本当に本人の気持ちなのか、分からない。

それでも、生きている。

 

今度の事件では、誰も犠牲にしない。

少しずつ変えていけばいい。

私はまだ戦える。

 

学院祭前夜。

 

久しぶりに、よく眠れた。

 

 

夢の中で私は日本へ戻っていた。

 

母とスーパーへ行き、特売の卵を買った。

 

特別なことは何も起きなかった。

 

目を覚ましたとき、少し泣いていた。

 

 

学院祭当日は、晴天だった。

校門には色とりどりの旗が飾られ、広場には屋台が並ぶ。

 

焼き菓子。

肉の串焼き。

花飾り。

魔術科の生徒による光の演出。

騎士科の模擬試合。

 

前世の文化祭より、ずっと豪華だ。普通なら楽しめただろう。

私も最初の一時間ほどは楽しんでいた。

 

「お嬢様、こちらの菓子がおいしいですよ」

 

アンナが小さな焼き菓子を差し出す。

 

「朝から何個目?」

 

「四個目です」

 

「食べすぎじゃない?」

 

「療養中に痩せましたので」

 

それを言われると止めにくい。アンナは以前より細くなった。

顔色も完全には戻っていない、それでも生きているだけでよかった。

 

 

同時に、それで済ませていいのかと思う。

人間は欲深い。

死ななければいいと思っていたのに、生き残れば元の身体に戻ってほしいと願う。

 

笑ってほしい。

 

幸せになってほしい。

 

リリアは、そういう願いまで利用する。

 

私は周囲を見回した。

リリアは少し離れた場所で、子どもたちに囲まれていた。学院祭は近隣の住民にも開放されている。

リリアは子どもたちへ花飾りを作っていた。

白い指が器用に花を編んでいくと、子どもたちは歓声を上げる。

リリアも笑っている。

その光景だけを見れば、本当に聖女だった。

 

私が見ていることに気づいたのか、彼女が顔を上げた。

 

視線が合う、私は逸らさなかった。

反応を見せてはいけない。

 

リリアは軽く首を傾け、いつもの笑顔を向けた。

それだけだった。

 

何も起きない。

バルドは拘束されているし、魔獣も王都の外へ移送済み。檻を破るものはない。

 

ゲームのイベント発生時刻である正午を過ぎた。

 

ーー何もない。

 

午後一時。

 

ーー何もない。

 

私はようやく息を吐いた。

 

「少し座りましょう」

 

アンナと共に中庭のベンチへ向かう、その途中だった。

 

地面が揺れた、小さな振動。

続いて、獣の咆哮。

 

広場の笑い声が止まった。

 

私は振り返った。

正門とは反対側。学院の裏庭から、巨大な影が飛び出してきた。

 

ーー魔獣。

 

けれど、ゲームの魔獣ではない。

幼い狼型ではなかった。

 

大人の馬よりも大きな、黒い熊のような魔獣。

肩から湾曲した角が生え、口元には黄色い牙が並んでいる。

 

見たことがない。少なくともゲームには登場しなかった。

 

「逃げろ!」

 

誰かが叫ぶと、人々が一斉に走り出す。

屋台が倒れ、食器が割れる。

泣き叫ぶ子ども。

 

私はアンナの手をつかんだ。

 

「校舎へ!」

 

魔獣が地面を蹴った。

騎士科の生徒たちが剣を抜く。

まだ学生だ、本物の魔獣との戦闘経験などほとんどない。

 

騎士団長の息子、カイルが前へ出た。

ゲームどおり。

 

違う。ゲームでは、もっと小さな魔獣だった。

彼一人で倒せる相手だった。

今の魔獣は違う。

 

「下がって!」

 

私の声は届かなかった。

魔獣の爪が振るわれる。カイルは剣で受けたが、身体ごと吹き飛ばされた。

 

壁へ叩きつけられる。

悲鳴が上がった。

 

私はリリアを探した。子どもたちと一緒にいたはず。

広場の中央。

 

いた。

 

リリアは逃げていない。

泣いている子どもたちを背後へ庇い、魔獣を見つめている。

 

ゲームと同じ構図。けれど何かがおかしい。

ゲームでは子どもは五人いたはずだ。リリアの後ろにいるのは四人。

 

もう一人。

 

小さな男の子が、倒れた屋台の陰にいた。足を挟まれ動けない。魔獣とリリアの間。

 

私は走り出した。

 

「お嬢様!」

 

アンナの声が遠ざかる。

 

なぜ私が、怖い、行きたくない。

でも、このままだとあの子は死ぬ。

 

リリアは気づいている、彼女の位置からなら見える。

なのに動かない。私を見ている。

 

魔獣ではなく。

 

子どもでもなく。

 

走ってくる私を。

 

試されている。

分かっていても、止まれなかった。

 

男の子のもとへ駆け寄り、屋台を持ち上げようとする。

重い、びくともしない。

 

「大丈夫!」

 

何が大丈夫なのか分からない。子どもは泣いている。

 

「すぐ助けるから!」

 

魔獣の咆哮が近づく。誰かが戦っている。

剣戟の音。

悲鳴。

私は屋台の板へ手をかけた。

 

そのとき、一人の騎士が駆け寄ってきた。

学院の警備を担当していた名前も知らない、若い騎士。

 

「お嬢様、下がってください!」

 

二人で屋台を持ち上げるとなんとか、子どもの足が抜けた。私はその身体を抱き上げる。

 

「走って!」

 

子どもを安全な方へ押し出した。

次の瞬間、騎士が私を突き飛ばした。

 

地面へ倒れる。

 

背後で、鈍い音がした。

 

振り返ると魔獣の角が、騎士の腹を貫いていた。

 

時間が止まったように見えた。

 

騎士は口から血を流しながら、それでも剣を握っていた。

 

魔獣へ刃を突き立てる。

 

浅い。

 

魔獣が頭を振る。

 

騎士の身体が宙を舞い、石床へ落ちた。

 

動かなかった。

 

「いや……」

 

震えて声が出た。

 

誰かが魔術を放ち炎が魔獣の顔を覆うと魔獣が暴れる。

 

カイルが立ち上がり、再び斬りかかる。

 

その後のことは、よく覚えていない。

 

 

気がついた時にが私は石床に座り込んだまま動けなくなっていた。

 

手に血が付いている。

 

私を守って流れた騎士の血。

温かかった。少しずつ冷たくなっていくのを感じる。

 

だんだんと思い出していく

増援の騎士が到着し、魔獣は討伐された。

負傷者が運ばれた。

助けた男の子は、母親に抱き締められて泣いていた。

 

生きている。

 

騎士は死んだ。

 

私を庇って。

 

名前も知らない人だった。

 

「ヴィクトリア様」

 

リリアの声がし、顔を上げる。

彼女は無傷だった。

後ろにいた子どもたちも、誰も怪我をしていない。

リリアは私の前へしゃがんだ。

 

周囲には人がいる。

 

エドガー殿下も。

カイルも。

教師たちも。

 

彼女の顔は、悲しみに満ちた聖女のものだった。

 

「お怪我はありませんか?」

 

私はリリアを見た。

 

「知っていたの」

 

小さな声が漏れた。

 

「何をですか?」

 

「この子が、ここにいることを」

 

リリアは困ったように眉を下げた。

 

「混乱していらっしゃるのですね」

 

エドガー殿下が私の肩へ手を置く。

 

「ヴィクトリア。医務室へ行こう」

 

違う、私は混乱していない。

 

リリアは見ていたはずだ、

私が走り出すのを。

子どもを助けようとするのを。

ーー騎士が死ぬのを。

 

すべて。

 

「あなたが」

 

言いかけた。

リリアの瞳が、ほんの一瞬だけ変わった。

 

ーー無意味ですよ?

 

そう言われた気がした。

ここで何を言っても、誰も信じない。

私は口を閉じた。

 

 

死んだ騎士の名は、トーマス・ベルンだった。

二十三歳、騎士団へ入って三年目。

来月、故郷の婚約者と結婚する予定だったそうだ

 

助けた少年は、菓子職人の息子。

七歳。

名前はルイ。

 

事件の翌日、ルイの両親が私のもとを訪れ、何度も頭を下げた。

息子の命を救ってくださり、ありがとうございました。

 

私は何も答えられなかった。

救ったのは私ではない、トーマスだ。

私は子どもを抱いただけ。彼が私を庇ったから、私は生きている。

 

トーマスの遺族も学院へ来た。

母親と、婚約者。

二人は私を責めなかった。それがつらかった。

 

母親は言った。

 

「息子は騎士として、公爵令嬢様お守りした。立派に役目を果たしました」

 

婚約者は泣きながら、彼が誰かを守って死んだことを誇りに思う、と言った。

 

私は謝った。何度も。けれど、何を謝っているのか分からなかった。

 

私があの場所へ行かなければ、彼は死ななかったのかもしれない。

 

でも私が行かなければ、子どもが死んでいた。

魔獣が現れなければ。

リリアが子どもを放置しなければ。

 

そもそも、誰が魔獣を放ったのか。

 

調査では、学院裏の排水路から侵入した可能性が高いとされた。王都近郊に生息しない種類。

誰かが運び込んだのだろうが、搬入経路は不明。

犯人も見つからない。

 

分かっている。

 

リリアだ。

 

証拠はないがそれでも分かる。

 

 

事件から三日後。

私はリリアを図書室へ呼び出した。本当は二人きりになりたくなかった。けれど、今度は逃げなかった。

 

窓の開いた閲覧室。司書は隣室にいる。何かあれば声を上げられる。

 

リリアは約束の時間ぴったりに現れた。

 

「お呼びですか?」

 

「魔獣を放ったのは、あなたね」

 

挨拶もせずに尋ねた。

 

リリアは驚かなかった。

 

「どうして、そう思うのですか?」

 

「あなたは、あの子が取り残されていると知っていた」

 

「私も子どもたちを守っていました」

 

「一人だけ残した」

 

「混乱していて気づかなかったのかもしれません」

 

「あなたが気づかないわけがない」

 

リリアは笑った。

 

「ずいぶん私を高く評価してくださるのですね」

 

「何が目的なの」

 

「何のお話でしょう?」

 

「私を苦しめたいなら、直接やればいい」

 

声が震えた。

 

「関係のない人を使わないで」

 

リリアは静かに私を見つめた。

 

「トーマスさんのことを、随分気にしていらっしゃるのですね」

 

名前を知っている。当然か、事件の犠牲者だ。それでも、その言い方が嫌だった。

 

「人が死んだのよ、あなたが殺した…!」

 

「証拠はありません」

 

また同じ言葉。私は唇を噛んだ。

 

リリアは私の前まで歩いてくる。

 

「でも、今回は少し違いました」

 

「…何が」

 

「あなたは、あの男の子が危険だと分かる前から走り出していた」

 

息が止まった。

 

「何を言っているの」

 

「皆が魔獣を見ていたとき、あなただけが屋台の方を見ていました」

 

「子どもの声が聞こえたから」

 

「聞こえる距離ではありませんでした」

 

リリアは淡々と言った。

 

「それに、魔獣が来ることも知っていましたね」

 

心臓が跳ねる、なぜ、彼女は知っている?

 

「知らない」

 

「荷物の検査を強化させました」

 

「安全のためよ」

 

「見世物商のバルドを、事件が起きる前に拘束させました」

 

背中が冷たくなった。

 

「どうして、彼が魔獣を運び込むと知っていたのですか?」

 

調べたのだ、私の行動を。リリアはどこから情報を得たのか。

公爵家の命令。衛兵の記録。エドガー殿下との会話。

 

全部知っている?

 

「…偶然よ」

 

「偶然」

 

リリアは楽しそうに繰り返した。

 

「あなたは、まだ起きていない事件の犯人を知っていた」

 

「調査した結果です」

 

「では、なぜ別の魔獣が現れると予測できなかったのでしょう?」

 

答えられない。

 

リリアが一歩近づく。

 

「あなたが知っているのは、未来ではないんでしょう?」 

 

声は柔らかい。

 

秘密を分け合う友人のように。

 

「未来そのものを見ているなら、昨日の魔獣も知っていたはずです」

 

「違う」

 

「あなたが知っていたのは、起こるはずだった出来事」

 

「違う」

 

「登場するはずだった魔獣」

 

「黙って」

 

「救われるはずだった、私」

 

「黙って!」

 

声が図書室へ響いた。

 

隣室で何かが動く気配がした。私は口元を押さえる。

リリアは少しも驚いていない。むしろ瞳を輝かせていた。

 

「やはり」

 

彼女が囁く。

 

「あなたは、この世界で起きるはずだった物語を知っている」

 

私は何も言わなかった。

 

言えば、終わる。

 

何が終わるのか分からない。

 

でも、認めてはいけない。

 

リリアは私の手を見た。

 

震えている。

 

隠そうとしたが遅かった。

 

「未来を知っているのに、すべては知らない」

 

「……」

 

「出来事は知っている。でも、それが変わった後のことは分からない」

 

「……」

 

「だから、あなたは怖がる」

 

リリアの声に、わずかな熱が混じる。

彼女の瞳が潤んでいる。恋をしている少女のようだった。

 

「とても不思議です」

 

私は後ろへ下がった。

背中が本棚へ当たる。

 

「近づかないで」

 

「もっと知りたい」

 

「嫌」

 

「あなたが何を知っているのか」

 

リリアの指が、私の袖口へ触れた。

強くつかむわけではない。逃げようと思えば逃げられる。

それでも、身体が動かない。

 

「どこで知ったのでしょうか?」

 

「離して」

 

「なぜ、私が落ちるはずだったと知っていたのでしょうか?」

 

「離して!」

 

私は手を振り払った。

リリアは素直に下がった。その顔には、悲しみも怒りもない。ただ、満たされない好奇心がある。

 

「トーマスさんが亡くなったとき」

 

彼女は言った。

 

「あなたは、ご自分の死より苦しそうでした」

 

「その話をしないで」

 

「でも、男の子が助かったことには安心していた」

 

「やめて」

 

「誰かが死んでも、別の誰かが助かれば、あなたは完全には壊れない」

 

「やめて!」

 

リリアは口を閉じた。しばらく、私を見つめる。やがて小さく微笑んだ。

 

「では次は」

 

何気ない声だった。

 

「助かる方がいなければ、どうなるのでしょう」

 

背筋が凍る。

 

「何をするつもり」

 

リリアは答えなかった。

 

閲覧室の扉が開く。司書が心配そうに顔を出した。

 

「何かございましたか?」

 

リリアはすぐに聖女の顔へ戻った。

 

「申し訳ありません。ヴィクトリア様が、亡くなった騎士様のことでご自分を責めていらして」

 

「違う」

 

反射的に言った。けれど司書は、私を憐れむように見た。

 

「お嬢様。あれはあなた様の責任ではありません」

 

リリアが私の肩へ手を置く。

 

「私も、そう申し上げていたところです」

 

優しい手。周囲から見れば、私を慰めている。

振り払えば、また私が異常に見える。

私は、動けなかった。

 

「大丈夫です」

 

リリアは言った。

 

私にではなく、司書へ向けて。

 

「私がそばにいますから」

 

 

その夜、私は日記を燃やそうとした。

 

リリアについて記録した帳面。

 

事件の日付。

 

発言。

 

疑い。

 

すべて。

 

彼女に見つかれば、私が何を恐れ、何を考えているのか知られる。

 

けれど、火をつける直前で手が止まった。

 

消せば証拠がなくなるし、残せば情報を与える。どちらが正しいのか分からない。

 

私は日記を床板の下へ隠した。隠し場所を変えるべきかもしれない。そもそも、屋敷の中に安全な場所などあるのか。

 

アンナにも言えない。

エドガー殿下にも。

父にも。

相談した相手が次の犠牲になるかもしれない。

 

リリアは、私が大切に思う人間を探している。

そのために事件を起こし、私の反応を観察する。

 

私は知識を使って人を救おうとした。

でも、その行動自体が彼女へ情報を与えた。

 

バルドを捕らえたことで、私は本来の襲うはずだった魔獣を知っていたと教えた。

子どもを助けたことで、見知らぬ人間でも見捨てられないと教えた。

 

騎士の死を悔やんだことで、他人が私のために死ぬことを恐れていると教えた。

何をしても、私のことを知られていく。

 

何もしなくても、誰かが死ぬ。

どうすればいい。

答えはない。

 

ゲームなら、攻略本を開けばよかった。

分岐条件を調べる。

選択肢を選び直す。

失敗したら、直前のセーブデータからやり直す。

 

けれど、この世界にセーブはない。

トーマスは戻らない。エミリアも。ミアの身体も元には戻らない。

 

私の選択は、すべて残る。そしてリリアだけが、それを楽しんでいる。

 

私は眠れずに窓辺へ立った。庭は暗く、人影はない。それでも、どこかから見られている気がした。

 

馬鹿げている。リリアは学院の寮にいる。ここは公爵家の屋敷。警備も厳重だ。

 

見られているはずがない。そう思い、カーテンを閉めようとした。

庭の木の下に、白いものが見えた。

それは人のようであった

白い服に長い髪。

 

ーーリリア。

 

そんなはずはないと私は目を凝らした。風が枝を揺らす。

 

白いものは消えた。

 

風に揺れる草だったのかもしれない。疲れている。私はカーテンを閉めた。

 

寝台へ戻る。枕元には、アンナが用意した水差しがある。

 

その横に、一輪の花が置かれていた。

 

ーー白いデイジー。

 

私は固まった。アンナが置いたのかもしれない。屋敷の庭にも咲いている。

 

珍しい花ではない。

 

エミリアが好きだったというだけ。偶然、そう思った。

 

花の下に、小さな紙があった。

 

開く。

 

短い文章。

 

美しい筆跡。

 

 

 

『今日は、未来と違いましたね』

 

 

 

手から紙が落ちた。

扉には鍵をかけていた。窓も閉まっていた。

使用人が出入りした気配はない。

 

いつ置かれたのか、誰が持ち込んだのか、分からない。

 

けれど、誰が書いたのかは分かる。

 

私は花をゴミ箱へ投げ込んだ。紙も蝋燭の火で燃やした。

炎が文字を飲み込む。それでも、言葉は消えなかった。

 

ーー今日は、未来と違いましたね。

 

リリアは知っている。私が未来と比較していることを。まだ、すべてではない。

この世界がゲームだとは気づいていない。私が別の世界から来たことも。

 

そう思いたい。けれど、彼女は近づいている。

私がゲームを攻略しているつもりでいた。

 

違った。

攻略されているのは、私の方だ。

 

リリアはイベントを起こすたびに、私の選択肢を調べている。

 

何を守るのか。何を恐れるのか。どこまでなら耐えられるのか。

そして、どの選択肢を与えれば、私が一番苦しむのか。

 

彼女はもう、次の問題を作っている。私には答えが分からない。ただ一つ分かるのは。 

 

次に間違えたときも、失われるのは点数じゃない。

 

ーーきっと、誰かの命だ。

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