エリオン。その空は、いつ見ても赤銅色に灼けている。
軍属とその家族だけで数十万人が暮らすこの星は、大気中の粒子が太陽光を濾すせいで、昼でも夕暮れのような色をしている。海軍航宙隊司令部の廊下からその空を見上げるたび、土井しおり中佐は、自分がここに出向という名の「左遷」されているという事実を、否応なく思い出させられるのだった。
「先輩、なんで私まで呼ばれてるんですかね」
廊下を歩きながら、後輩の孫美羽蘭――メイメイが、こそこそと耳打ちしてくる。
「私に聞かないで。突然『二人で来い』なんて呼ぶから、私だって困ってるのよ」
「ヴィーカ中将がまた先輩に『個人的なお話』とかいうやつじゃないですか」
やや楽しそうに言うメイメイの脇腹を、しおりは軽く肘で小突いた。
「だからって、私の後輩を巻き込まないで」
第1艦隊司令官、蓮・ヴィクトーリヤ=ヤコヴェンコ中将。通称ヴィーカ。
かつて物量と財力にものを言わせてこの国に宣戦布告してきた大帝国、モナルキア王国との大戦で、防衛側の主力として戦い抜いた歴戦の将である。今はしおりの直属の上司だ。三十八歳、未亡人。夫は、独立戦争のさなかにあった衛星国コンスティテュート自治区で民間人保護にあたっていた最中、友軍の誤射によって行方不明となった――事実上、命を落としている。それでも彼女は、部下たちの前ではいつも穏やかに笑っている人だった。
ただし、しおりに対してだけは、その笑い方が少しばかり違う。
執務室の扉をノックすると、返事も待たずに開いた。
「あら、待たせてごめんなさい。どうぞ、座って」
階級章を外し、シャツ一枚の軽装になったヴィーカが、飲み物を二つ手に、しおりのすぐ隣に腰を下ろしてくる。
「は、はい……あの、中将、執務中では」
「たまには息抜きも必要でしょう。それにね」
ヴィーカは笑みを深くして、しおりの方へとさらに距離を詰めた。
「しおりちゃんに、昔のお話を聞いてみたくて」
「……先輩、中将に食べられそうですよ」
にやにやしながら距離を目測するメイメイに、しおりは小声で「黙って」と返す。顔は、少し赤い。
――こういうことは、昔からよくあった。
士官学校時代からそうだ。教官も、同期も、後輩も、性別を問わず、なぜかしおりの周りには人が吸い寄せられるように集まってくる。本人はそれを自覚しつつも、どうにも扱いかねている。魔性の女、とメイメイにはよくからかわれる。しおり自身は、そんな大層なものだとは思っていない。ただ――時々、自分でも説明のつかない引力のようなものを感じることがあるのは、事実だった。
「士官学校時代の『海賊捕縛事件』のこと、詳しく聞かせてくれる? 記録には載っていない部分が気になって」
ヴィーカにそう請われ、しおりは少し戸惑いながらも、記憶をたどり始めた。
あれは士官学校の訓練航行中のことだった。内惑星航路を進む護衛の薄い訓練艦隊が、突如として海賊船団の奇襲を受けた。当時まだ大尉になったばかりの大久保麗子が、後方の補給艦から「使えるものは全部出す」と啖呵を切って物資を融通し、機関士見習いだったバシルは、規定を無視して出力リミッターを外し、艦を限界まで加速させた。
「先輩、あなたがそう言う時は、大体ロクなことにならないのよ知ってる?」
回想の中のしおりが、隣で操舵桿を握るバシルに軽口を叩く。
「心外な」
バシルは、目だけは笑いながら、涼しい顔でそう返した。
指揮系統が混乱する中、しおりは自分でも驚くほど冷静に、艦隊の各個撃破を指示していった。海賊船の動きが、まるで手に取るように読めたのだ。まだ少尉になったばかりの自分に、なぜそんなことができたのか――当時のしおりは、それを単なる幸運だと思っていた。
戦闘は、艦隊側の完全勝利で終わった。海賊船団は壊滅し、多数の捕虜を得た。士官学校始まって以来の大戦果として、しおりの名前は一躍知れ渡ることになる。
「――というのが、あの時の顛末です。麗子先輩の補給と、バシルの無茶な機関操作がなかったら、絶対に勝てませんでした」
しおりが話を締めくくると、ヴィーカは穏やかに微笑んだまま、しかしどこか遠い目をして頷いた。
「そう……。あなたは、本当にすごいのね」
「い、いえ、私はただ、皆に助けられていただけで」
「謙遜しない。あなたの指揮能力は、本物よ」
そう言うヴィーカの声に、しおりはほんの一瞬、奇妙な陰りを感じた気がした。だが、それが何なのか確かめる前に、ヴィーカはいつもの笑顔に戻ってしまう。
メイメイは興味津々といった顔で聞き入っていたが、ふと思い出したように口を挟んだ。
「そういえば先輩、あの海賊、妙に統率が取れてたって噂、聞いたことあります。まるで誘導されてたみたいに、しおり先輩たちの艦隊にだけ、まっすぐ突っ込んできたとか」
「気のせいでしょう。海賊なんて、大体どこも似たようなものよ」
しおりは笑って流したが、内心では――その指摘に、小さな棘が刺さったような感覚があった。
正直に言えば、しおりには、誰にも話していないことがある。
夢だ。
士官学校時代からずっと、月に何度か見る夢。真っ暗な、光も重力も境界もない場所。その奥に、何か「ねじれた闇」のようなものが渦巻いていて、それがこちらを見ている――いや、呼んでいる。目が覚めると、決まって脳の奥、ちょうど後頭部の裏側あたりが、鈍く疼いている。
医務官には相談したことがある。ストレス性のものだろう、と言われて終わった。しおり自身も、そういうものだと納得しようとしてきた。かつての大戦果も、今の指揮能力の高さも、全部自分の実力だ――そう思うことにしてきた。
けれど、あの海賊船団が、まるで引き寄せられるように自分たちの艦隊にだけ向かってきたという話を、今こうしてメイメイの口から聞かされると、心のどこかで、ずっと押し殺していた違和感が、また小さく頭をもたげる。
(……いつからだろう。あの夢の中の「ねじれた闇」が、こんなにもはっきり形を持って浮かぶようになったのは)
しおりは、湯気の立つカップに視線を落としながら、誰にも聞こえないように、そっと息を吐いた。
「しおりちゃん? どうかした?」
ヴィーカが、顔を覗き込んでくる。距離が近い。いつもなら少し身を引くところだが、今日はなぜか、その体温が妙に心地よく感じられて、しおりは動けなかった。
「……いえ、何でもありません。昔のことを思い出したら、少し懐かしくなっただけです」
「そう。……あなたがここに来てくれて、私、本当に嬉しいのよ」
ヴィーカの声には、上司としての労いだけではない、もっと個人的な響きが混じっていた。メイメイが「ほらほら始まった」とでも言いたげに、わざとらしく視線を天井へ逃がしている。
窓の外では、相変わらず赤銅色の空が、司令部の建物をやわらかく染めていた。訓練を終えた白兵部隊の掛け声が、遠く廊下の向こうから響いてくる。バシルが整備中の機関の低い唸りが、床を通して微かに伝わってくる。何もかもが、いつも通りだった。
大戦の英雄と呼ばれながら、この国の正規軍である宇宙軍からは「政治的に危険な人間だ」と見なされて追われ、二線級と見下されがちなこの左遷先――海軍航宙隊に流れ着いてから、もう何年になるだろう。悔しさがなかったと言えば嘘になる。けれど今、軽口を叩き合えるメイメイがいて、過保護すぎる上司のヴィーカがいて、機関を任せられるバシルがいる。それだけで十分だと、しおりは思っていた。
(――このまま、何も起こらなければいいのに)
そんな場違いな願いが、ふと胸をよぎる。理由はうまく言葉にできない。ただ、脳の奥のあの疼きが、いつもより少しだけ強い気がした。まるで、何かが近づいてくる前触れのように。
「ねえ、しおりちゃん。今度、非番の日にでも――」
ヴィーカが何か言いかけた、その時だった。
しおりは、まだそれが何を意味するのか知らない。
けれど、静かな執務室の空気の底で、遠く、何かが軋むような、いやな予感だけが、確かにあった。
短め