星辰の灯─Stellae Lucis─   作:村上 ゆう

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※二話同時投稿


第四話 寂しい、と、それだけ

 

 

 

座標データの送信が完了する。

 

同時に、無重力の空間の輪郭が、大きく歪み始めた。まるで、迫りくる終わりを予感するかのように。

 

しおりは、最後にもう一度だけ、目を閉じた。

 

(メイメイ。ヴィーカ。麗子先輩。バシル。……ありがとう)

 

そして、静かに、その瞬間を待った。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

第一艦隊、全艦、指定座標へ一斉掃射。

 

バシルの号令一下、駆逐巡航艦群の主砲が、生体艦の中枢部――しおりが今いるはずの場所のすぐ外側――に向けて、一糸乱れず火を噴いた。麗子から融通された試作の高周波振動弾頭が、虹色の外殻を貫き、内部で連続して炸裂する。

 

「命中確認! 生体艦、機能低下……いえ、崩壊が始まっています!」

 

オペレーターの叫びに、ブリッジの誰もが息を呑んだ。

 

「艦長のシャトルは」

 

バシルの声は、これまでの飄々とした調子を完全に失っていた。

 

「反応、微弱ながらあります……! 生きてます……!」

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

しおりの意識の中で、白く染まっていた視界が、崩れ落ちるように歪んでいく。

 

外宇宙生物の「意思」は、なおも彼女を捉えようと最後の力を振り絞っていた。だが、外側から叩き込まれた一斉掃射の衝撃が、その意思の輪郭そのものを、内側から食い破っていく。

 

(――終わる)

 

しおりにも、それだけは分かった。何が終わるのか、正確には言葉にできない。ただ、あれほど濃密に自分にまとわりついていた「引力」が、急速に薄れていくのが分かる。

 

無重力の空間が、砂の城が崩れるように崩壊していく。しおりの体は、なす術もなく、その崩壊の奔流に呑まれた。

 

(誰か……)

 

意識が、遠のいていく。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

「シャトル、緊急脱出モードで生体艦から離脱、確認!」

 

「軌道が安定しません……このままだと」

 

「回収班、急いで!」

 

ブリッジは、これまでにない緊迫感に包まれていた。バシルは、自ら操舵席に飛びつき、艦を最短距離まで接近させる。規定を無視した危険な機動だったが、今、それを咎める者は誰もいなかった。

 

「掴まえろ……!」

 

 

 

回収されたシャトルのハッチが開くと同時に、しおりの体が、辛うじて医療班の腕の中に崩れ落ちた。意識は、朦朧としながらも、まだ完全には途切れていない。

 

「艦長! 聞こえますか!」

 

医療班の呼びかけに、しおりは、ほんの僅かに瞼を動かした。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

生体艦は、内部からの衝撃波によって、その巨躯を大きく崩していた。虹色の膜が次々と裂け、内側から溢れ出す発光体が、暗い宙域を不気味に、しかしどこか美しく照らし出す。

 

「敵艦、機能停止を確認……! 完全に沈黙しました!」

 

歓声とも安堵ともつかない声が、あちこちから上がる。だがバシルは、艦長席の方を振り返るだけで、まだ喜びに浸る余裕はなかった。

 

「メイメイ隊、状況は」

 

『こちらメイメイ。本隊、脱出完了しています。今、先輩の艦に向けて――』

 

通信の向こうで、メイメイの声が一瞬詰まる。

 

『艦長、もう回収されたんですか!?』

 

「たった今。……急いで戻って。艦長が、あなたを待ってる」

 

メイメイは、それ以上の言葉を待たずに、シャトルを最大出力で飛ばした。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

旗艦のブリッジに、メイメイが駆け込んできたのは、それから僅か数分後のことだった。

 

医療班によって応急処置を受けていたしおりは、まだ意識が朦朧としていた。目の前がぼやけ、周囲の音が、まるで水の中にいるかのように遠く、歪んで聞こえる。ブリッジの照明は非常灯に切り替わり、あたり一面が朱色に染まっていた。

 

「先輩――!」

 

メイメイの声が、その朱色の中を突き抜けて届く。しおりが視線を向けると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたメイメイが、駆け寄ってくるのが見えた。

 

「もう、先輩――!」

 

そのまま、しおりはメイメイに抱きとめられる。意識が揺れる。ブリッジの朱色の光が、視界の中で滲むように歪んで見えた。目の前にいるはずのメイメイの顔すら、まともに焦点が合わない。

 

「……メイメイ、なんで、こんなに重いの……」

 

朦朧としながら、しおりはそれだけを口にした。

 

「冷却水と返り血でずぶ濡れなので、そりゃ重いですよ! もう……!」

 

メイメイは半泣きのまま、しおりを抱きしめる腕に、さらに力を込めた。その袖からは、確かに冷たい水と、鉄錆に似た匂いのする何かが滲んでいる。

 

しおりは、笑おうとした。だが、うまく表情が動かなかった。

 

 

 

遠くで、ヴィーカの声が聞こえる。

 

『しおりちゃん!』

 

通信越しなのか、あるいは既に艦内のどこかまで駆けつけているのか、しおりにはもう判別がつかなかった。続いて、麗子の声も届く。

 

『……よかった』

 

短く、それだけの、けれど万感の込められたため息だった。

 

 

 

しおりは、ぽつりと、誰にでもなく呟いた。

 

「……寂しい」

 

メイメイが、動きを止める。

 

「……え?」

 

「なんでもない。ただ……なんか、寂しかった。それだけ」

 

 

 

沈黙が落ちる。メイメイは、それ以上何も聞かなかった。ただ、もう一度、今度はもっと強く、しおりを抱きしめた。

 

壮大な歴史への不満でも、出生の秘密への恐怖でもない。しおりの口からこぼれたのは、ただそれだけの、あまりにも普通な、人間としての一言だった。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

戦場の後始末は、静けさとは無縁だった。

 

崩壊した生体艦の残骸が漂う宙域には、拿捕されていた連合各国の艦艇の残骸も無数に散らばっている。救助シャトルが、生存者を求めて幾度も往復した。

 

モナルキア分遣艦隊の生存者たちの中には、シュタイン提督の姿もあった。意識を取り戻した彼は、まず自艦の被害状況を確認し、それから、静かに、しかし確かな敬意を込めて呟いたという。

 

「……あの海軍航宙隊の艦長に、借りができたな」

 

その言葉は、後日、正式な感謝の意を示す通信として、アンティケーテ海軍航宙隊司令部に届けられることになる。モナルキア王国という大帝国が、他国の一艦長に対して個人名で謝意を表明するのは、極めて異例のことだった。

 

 

 

統合作戦本部でも、事後処理に追われる中、麗子はデュメリーと共に戦況報告書をまとめていた。

 

「これで、少なくとも数ヶ月は、対応の猶予ができたわね」

 

「大佐、モナルキアの代表から、非公式に接触がありました。今回の件、正式な謝意を示したいと」

 

「珍しいこと。……でも、油断はしないでね。あの国が態度を変えるのは、大抵、次の一手を考えている時だから」

 

麗子は、報告書に目を通しながら、そう釘を刺す。だがその表情には、僅かながら安堵の色が滲んでいた。

 

「土井の容態は」

 

「意識は戻っています。ただ……」

 

デュメリーが、言葉を濁した。

 

「ただ?」

 

「医療班からの報告では、脳波の一部に、これまでの記録にない異常な波形が観測されたと。……原因は、まだ不明のようです」

 

麗子は、僅かに目を細めた。それが何を意味するのか、彼女には、ある程度の見当がついていた。だが、今この場で、それを口にするつもりはなかった。

 

「……そう。詳しい報告書が上がってきたら、私にも回して。他の誰にも見せないで」

 

「分かりました」

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

戦果の報告は、統合作戦本部を通じて、瞬く間に加盟各国へと伝わっていった。反応は、国によって様々だった。

 

フェニキア商業連邦は、交易ルートの安全が確保されたことを歓迎する声明を出す一方で、水面下では「次はどの企業がアンティケーテ海軍航宙隊に恩を売れるか」という、生々しい算段が始まっていた。彼らにとって、戦功を挙げた指揮官との縁は、そのまま将来の商機に直結する。

 

コンスティテュート自治区からは、簡潔だが誠実な感謝の意が届いた。独立戦争の傷を知る者たちだからこそ、犠牲を最小限に食い止めた今回の対応の価値を、誰よりも実感として理解していた。

 

モナルキア王国の反応は、麗子が予想した通り、複雑なものだった。表向きは丁重な感謝状を送りながらも、内々では「他国――しかも旧敵国の――一艦長に借りを作った」という事実そのものへの苛立ちが渦巻いていた。それでも、シュタイン提督個人の強い意向により、正式な謝意の表明が覆されることはなかった。

 

「……人が一人、義理を通しただけで、国同士の関係が少し変わる。皮肉なものね」

 

麗子は、各国からの反応をまとめた報告書に目を通しながら、誰にともなく呟いた。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

エリオン海軍航宙隊司令部、医務室。

 

しおりは、簡易ベッドの上で、天井を見つめていた。頭痛はほとんど治まっていたが、まだ体の芯に、鈍い疲労感が残っている。

 

「土井中佐、気分は」

 

若い軍医が、端末片手に問診に来る。

 

「悪くありません。……何か、変わったところはありましたか」

 

「詳しい検査結果は、追って報告書にまとめますが……脳波の一部に、これまでの健康診断では見られなかったパターンが記録されています。ストレス性のものか、それとも今回の任務特有の何らかの影響か、現段階では断定できません」

 

「そうですか」

 

しおりは、それ以上、深く尋ねなかった。軍医も、それ以上は追及せず、淡々と診察を終える。

 

 

 

軍医が去ってから、しばらくして、医務室の扉が静かに開いた。

 

「起きてる?」

 

ヴィーカだった。階級章を外したままの、普段着に近い姿。両手に、何かの包みを抱えている。

 

「中将……いえ、こんな時間に、どうしたんですか」

 

「見舞いに来るのに、理由が要る?」

 

ヴィーカは、しおりの傍らの椅子に、静かに腰を下ろした。持ってきた包みを開けると、中から出てきたのは、エリオン特産の柑橘に似た果物だった。

 

「これ、士官学校の頃、好きだったでしょう」

 

「……覚えてたんですか」

 

「忘れるわけないでしょう」

 

ヴィーカは、いつものように笑っていた。だが、その声には、これまで聞いたことのない、微かな震えが混じっていた。

 

「あなたが、あの艦の中に消えていったって聞いた時、私……」

 

言葉が、そこで途切れる。しおりは、何と答えればいいのか分からず、ただ黙って、ヴィーカの横顔を見つめた。

 

「怖かったのよ。本当に」

 

「……すみません」

 

「謝らないで。あなたが謝ることじゃない。ただ――」

 

ヴィーカは、しおりの手を、そっと両手で包み込んだ。

 

「もう、あんな無茶、しないでとは言わない。あなたはきっと、また同じことをするでしょうから。だから、一つだけ、約束して」

 

「何ですか」

 

「帰ってくる時は、必ず、私のところに。誰よりも先に」

 

その声には、上司としての建前も、からかいの色も、何もなかった。ただ、一人の人間としての、飾らない願いだけがあった。

 

しおりは、しばらく沈黙した後、小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

一人になった医務室で、しおりは天井を見つめたまま、静かに息を吐いた。

 

(――全部、繋がってる。でも、まだ、分からない)

 

あの精神空間で感じた、答えの出ない予感が、まだ胸の奥に重く沈んでいる。それが何を意味するのか、今のしおりには、確かめる術がなかった。ただ、確かめることが、今の自分にとって本当に必要なことなのかどうかも、まだ分からずにいた。

 

(今は、それでいい。……今は)

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

数日後。

 

いつもの執務室に、いつもの面々が集まっていた。窓の外には、相変わらず赤銅色の空が広がっている。

 

「しおりちゃん、朗報よ」

 

ヴィーカが、書類を差し出しながら、にこにこと笑っている。階級章をきちんとつけた、いつもの中将の姿だった。だが、しおりを見つめる目には、この数日ですっかり隠しきれなくなった、深い安堵の色が滲んでいる。

 

「今回の戦功で、左遷取り消し。栄転が決定したわ」

 

「え……」

 

しおりは、思わず言葉を失った。

 

「先輩、また英雄ですよ」

 

メイメイが、にやにやしながら横から口を挟む。

 

「モナルキア王国からも、正式な感謝状が届いてます。あのプライドの高い大帝国が、ですよ。歴史的な出来事なんじゃないですか」

 

「大袈裟よ」

 

しおりは苦笑いを浮かべるが、内心では、複雑な感情が渦を巻いていた。

 

 

 

通信画面には、麗子の顔も映っている。

 

「全く、あなたは毎回こうなんだから……。少しは、後方支援の苦労も考えてほしいものね」

 

苦笑いを浮かべる麗子に、隣に控えるデュメリーが、小さく頷く。

 

「大久保大佐は、今回もかなり無理をされていましたよ」

 

「デュメリー、余計なこと言わないの」

 

麗子が、軽く睨むふりをすると、デュメリーは肩をすくめた。その掛け合いに、執務室に小さな笑いが起きる。

 

 

 

バシルも、穏やかな表情で頷いた。

 

「おめでとうございます、艦長」

 

「バシルも、無茶な機関操作、ありがとう」

 

「心外な。あれは計算のうちですよ」

 

いつかどこかで聞いたようなやり取りに、しおりは思わず笑ってしまう。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

しおりは、皆の顔を見回した。

 

ヴィーカの、少し過保護すぎる笑顔。メイメイの、いたずらっぽい表情。通信越しの麗子の、苦労人らしい苦笑い。バシルの、飄々とした佇まい。

 

三年前、大戦の英雄と呼ばれながら、政治の思惑で左遷という名の隠居生活に押し込まれた自分が、今、こうしてまた表舞台に引き戻されようとしている。

 

(また、あの喧騒の中に戻るのか)

 

かつては、それを重荷のように感じていた時期もあった。だが今は、不思議とそう思わなかった。

 

 

 

自分の出生に、まだ答えの出ない謎が横たわっていることは、変わらない。脳の奥の疼きも、あの奇妙な夢も、きっとこれからも、しおりを悩ませ続けるだろう。だが――

 

(それでも)

 

しおりは、静かに、しかし確かな気持ちで、そう思った。

 

「……やっぱり、私はただの普通な人間として、この騒がしい日常を必死に生きるしかないんだな」

 

その言葉は、誰かに向けたものというより、自分自身への確認のような呟きだった。

 

 

 

 

 

  ◇

 

 

 

 

 

そこへ、バシルが冷たい飲み物を差し出す。

 

「艦長、お疲れ様の一杯です」

 

「あ、ありがとう」

 

しおりは無意識に受け取り、深く考えることもなく、それを首筋に――

 

「つっめた――!!」

 

飛び上がるしおりに、メイメイが弾けるように笑い出す。

 

「先輩ァ!!」

 

「まあ、そんなしおりちゃんが好きよ」

 

ヴィーカが、くすくすと笑いながら言う。通信画面の向こうで、麗子も声を上げて笑っていた。デュメリーが、珍しく肩を震わせている。

 

 

 

笑い声が、執務室に満ちる。

 

朱色の空を背景に、いつもの騒がしい日常が、また始まろうとしていた。

 

 

 

けれど、しおり自身は、まだ知らない。

 

この繰り返しの歴史のどこかで、彼女が本当に向き合わなければならない問いが、まだ先に控えていることを。

 

星々がいかに遠く、歴史がいかに長くとも――ただ一つ、確かなことがある。人が、歩みを止めないかぎり、物語が終わることはない。たとえその先に待つものが、希望ではなく、また別の嵐だとしても。

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