『2895.02.23
今日王都に向かう途中、小さな町の食堂で僕は初めて先生の治療を見た。
今まで魔法を狩りにしか使っていなかった僕にとって、
治癒のための魔法というのは別世界のモノのようだった。
感動と、これからこれを学べるという期待が抑えきれない。
仕事が終わった後、そのことを先生に伝えた。
人を救うための魔法はまるで奇跡のようだ、と伝えた。
でも先生は”ただの一技術だ”と僕に言う。
奇跡に見えるのは、知らないだけだと言われた。
”知っている状況で、知っている処置をするだけだ”それが治癒士の仕事だって。
これが、僕が初めて先生から教えてもらったことだった。 』
治癒士のフレディ 1話『助ける技術』
カラリカラリと、杖を這わせる音がする。混み合う雑踏の中、木の棒が石畳を擦る音は一つ抜けて良く響いた。
何度も布をつぎはぎしたボロボロのリュックに、何度も地を滑ってすっかり削れた靴。肩から下を覆う藍色のローブだけが唯一滑らかで鈍い光沢を放っていた。
男は、すぐ横にいた黒ローブに話しかける。
「まだ日が高い。昼飯と雑貨の買い足しだけして、次の町まで行けるな」
黒ローブの方は青ローブに比べると、頭1つとちょっとだけ身丈が低い。
良く震える声で、「ダメだよ、先生。今日はここまで」
「前の町を出る時、昼前には着くって言ってた。でももう夕方」
「それは……ほら、君と歩幅が違うから。君に合わせた」
黒ローブがずり落ちた肩ひもを掛け直す。
「そう、じゃあ途中で薬草採取をしたのは僕の夢だったってわけ」
「……すぐ終わった。誤差の範囲だ」
「そうだね。……一日のたった3分の1程度の誤差」
少年が肩を片っぽ上げて、下げる。
青ローブは茶色なくるくるの癖毛をポリポリと掻いた。それから進路を隠すように、少年の前で小さく腕を広げる。
「なァ……悪かったよ。質の良いブラックマリーが生えてたんだ。
将来性を考えれば、立派な治癒士の仕事の一環だ」
「…………。」
少年もしばし立ち止まる。……が、そよ風が一つ過ぎ去ると、男の脇を潜って再び歩き始めた。男は慌てて追いかける。
「とりあえず何か食べよう。話はそれからだ、な? ほらあそこの飯屋に入ろう」
少年が黙って爪先を向けた。
「そう、夕飯にしよう。看板に芋の絵がある店だ。
君、芋は好きだろ? 表に出す程だ、きっと美味い」
………………
「いらっしゃっっせーー!! 2名様でーッす!!」
石造りの通りに、豪快な声が響いた。
…………………………………………
……………………
「この芋のスープ2つに、パンを4つ。それから水と、この子にイチジクのジュースを」
「あと肉も」
「あとチャンキーボブのステーキ。……2枚」
店員が豪快な返事を残して去っていった。
騒がしい店だ。いかにも大衆食堂といった様子である。そこら中のテーブルで酔っ払い達が笑い合っている。
間もなく2杯の木製ジョッキが届いた。
「先生も肉を?」
「私は半分でいいさ。1枚ともう半分は君が食べると良い」
少年がジュースをぐいっとあおる。
「とにかく……」
男はちびちびと水を舐めた。
「とにかく、明日からはよく考えるよ。悪かった。
……ケルリニアス、言い訳じゃないが―――――」
「ケリー。弟子になるからにはケリーって呼んでくれるって。フレディ先生が言い出した」
少年は更に酸味を飲み干す。
「ああ、……そうだなケリー。私自身が言い始めたことだ。」
水をずずっと一口含む。
「ケリー、私はずっと一人旅だった。だから……勝手が分からないんだ。歩幅もそうだが……、
……ああ、ありがとう。肉はそっちに、うん。……どうも。
………それで、今までは道草をくっても何も言われなかった。」
「言う人がいないから」
「そう、その通り。だから明日からはもう少し考えて進むよ。
後で地図を買っておかなくちゃな。……一緒に見るか?」
ステーキを
「……明日には王都に着く?」
「いや、あと5つ程町を経由しなくちゃならない。天気によっても変わってくる」
ケリーがパンを半分に割って、スープにつけた。重くなった欠片をもぎゅりと口に押し込む。
フレディは半分になった肉を一口だけ頬張る。
「ずっと晴れだったら、後何日で着く?」
「そうだな……7…いや10日はかかるかもしれない。次の町は少し遠い」
頷いて、今度は千切らずパンにかぶりついた。「そっか、じゃあ――――」
「ああぁぁァあああッッッーーーーー……ッッ!!!」
尋常ではない叫び声に、あれほど言葉の飛び交っていた店内が静まり返る。
少しの間。
直後、店内に眩いばかりの青白い光が放たれた。
「あああああッ―ーッ!! ああッーーー!!」
なおも続く叫び声に、人々に段々と緊張が走る。
「なんだようるせえな」「誰か倒れてる!」「おいどうなってんだよ」「え、何?なんかヤバいんじゃね」「あああ、ああ!!しっかりしてカミラ!!」「ああ。ああ、大丈夫だ父さんがついてる」「おやっさん!早く協会呼んで!!」「なんだよ何が起こってんだよ」「ああ協会、協会ね」「魔力暴走?初めて見た…」「うぅー、どうなってんだありゃ」「ったく、酒の席を邪魔すんなよな」…………
悲喜こもごもに感情が行き交い、店中の人間が騒ぎの元に向かう。
そうしてできた野次馬の塊を、遥か後ろから掻き分けるように泳ぐ男がいた。
「失礼。通して、通して……。通してくれ!治癒士です!診せて下さい!」
蟻団子からポロリとこぼれたのは、他ならぬフレディだった。
耳の長い少女が、その両親と思しき男女に抱かれ、青白い閃光を放っている。顔は尋常ではない程真っ赤になり、胸の所をぐしゃぐしゃに掴んでいる。
「失礼、私は治癒士です。診せて頂けますか」
両親が涙で一杯の目でフレディを見る。
「あああ、……治癒士の方ですか!?どうかカミラを救ってやってください!!急に苦しみだしたと思ったら何だか変な光が!!」
「ええ、ええわかってます。どうか落ち着いて下さい。大丈夫ですから。
ケリー…、ケリー!! カバンを持ってきて!! 早く!!」
遅れて群れを抜けたケリーがあのボロボロのバッグを担いでくる。フレディはその中から、大人一人が寝転がれるくらいの大きさをした妙な柄の古びた毛布と、紫色の瓶を2本取り出した。
「お父さん、手伝って下さい。娘さんの下にこの毛布を敷きます。持ち上げて……そう…、良し。
ご主人!!店のご主人!! 床に少し
フレディはローブの内側から細長い杖を取り出し、その切っ先で床を指す。
するとまるで焼き印のように、焦げた線が床を削った。
「お父さん、お母さん。娘さん――カミラさんはエルフ族ですね? 純粋なエルフ族で間違いないですか?」
「あ、ああ。私も妻も純血のエルフだ」
「分かりました、ありがとうございます」
彼は毛布の四隅に当たる場所へ何やら描き込むと、苦しむ少女へ杖を向ける。
すると何かを念じるでもなく、少女を包んでいた光が、四隅の魔法陣へ少しずつ流れていく。
心なしか先ほどまで荒れ狂っていた光が、穏やかになった気もする。
少女の顔が段々と日常の色に戻っていった。
「よし、変な混ぜ物も感じない。純粋な魔力暴走だ」
フレディは一息つくと、瓶の中身を飲みながら両親へ、「安心してください」
「純粋な魔力暴走です、魔力が保有の限界を超えた時に起こる症状。とりあえずは大丈夫です」
彼は杖を持たない方の手で、少女の方を示す。
「抑制の魔法陣で暴走の具合を抑えて、過剰な魔力を発散の魔法陣で流してやります。
最低限の生命維持活動ができる程度の魔力量まで」
「そうすると、娘は……もう目を覚まさないのですか……?」
フレディが、父親を安心させるように微笑を浮かべる。
「もちろんそんなことにはなりません。今一時的に吸っているだけですから。
足りない分は、エリクサー由来の魔力を注ぎます」
それからフレディは少女の胸辺りに手をかざした。
彼から漏れ出る薄緑の光が、少女の青い光に混ざり合う。やがて彼の光は完全に少女の色に呑み込まれていった。「ところで、娘さんは魔法を使いますか」
両親が顔を見合わせる。
「え、ええ……。生活魔法程度ですが」
「そうですか。お子さんはどうやら魔力の感受性が高いようだ。
エルフは体外の魔力を使うのに長けていると聞いたことがあります。
彼女の場合、それが得意過ぎて、歳に見合った以上の魔力を溜めてしまう……」
「それは……人の多い所や、自然の多い所で生きられないということですか」
フレディは杖をローブの内側にしまいながら笑って、「いえいえ」
「そのうちに許容できる魔力量が追い付きます。
ただ2ヶ月程は積極的に魔法を使わせてあげてください。
あと食事にブラックマリーを混ぜて、海藻類を増やすといいです。
ブラックマリーは魔力の抑制によく効く成分を含んでいるし、海藻は吸収を助ける」
フレディがそこまで言うと、エルフの少女がうっすらと目を開けた。
「……おとうさん、おかあさん…?」
「あ、ああ…!! カルラ…、カルラ…!!
目を覚ましたのね! もうどうしたらいいのかと……!!」
「もう大丈夫だ! よかった…、本当によかった……!!」
少女はちらりとフレディへ目を流す。
「あなたは……」
「ああこの人は治癒士の――――……。」
「フレディと言います」
「フレディ先生だ!! この人が助けて下さったんだよ」
少女は何度かゆっくり瞬きをすると、「……ありがとう」と小さく呟いた。
「ええ、どういたしまして。君もよく頑張ったね。本当に良かった」
その言葉を皮切りに、店のどこかから小さな拍手の音が聞こえ、それは次第に全体へ広がった。
「いやあよかったよかった」「大したもんだねえ」「けッつまんねーの」「兄ちゃん若いのにやるじゃねえか!!」「あっという間だったな」「おやっさん!!酒だ酒!!みんなで飲まなくちゃな!」「大事にならなくてよかったよ」「あれが噂の治癒士ってやつか」…………
父親がフレディに、必死に頭を下げながら言った。
「先生! 本当にありがとうございました。その……何かお礼を……」
その時店の扉がバン!と開き、フレディと同じように藍のローブを来た人々が2,3人程入ってくる。店内が僅かにざわめいた。
「緊急要請により協会からやって参りました!! 魔力暴走の方はどちらに――――……」
「協会さん、悪いけどあの兄ちゃんが治しちまってよ」
「治した…? 治癒士が居合わせたのですか?」
「ああ、大した手際だったぜ!! ピシピシッて床に色々描いてよォ!」
「ほらあそこの人だ」
群衆の話を聞くと、人混みを掻き分け、協会の人間が真ん中へやってきた。
「失礼、治癒術協会の者ですが……治したというのは…?」
「おお、協会の方ですか。いえ、実はあちらの方が娘の治療にあたって下さって……。
フレディ先生というそうです。あの人も協会の…?」
ローブ達が顔を見合わせる。
それから、しゃがみこんだフレディの前へ来ると、「貴方が治療を?」
「ええ、フレディと申します。急を要するものでしたので、この場で――――」
「そうでしたか、ありがとうございます。……失礼ですが資格をお持ちに?」
フレディはケリーに言って、例の杖を取りに行かせる。一見ただの木を削った長い棒だが、よく見ると頭の所に小さな緑色の石が埋め込まれていた。
杖の先をぐいと向けると、協会の治癒士はぺこりと頭を下げる。
「失礼しました。……他支部の方でしょうか?」
「いえいえ。私は協会に所属していないので」
「個人の方でしたか。何であれありがとうございました。
……ああ! 店の床は協会が持ちますので。それではあとは私達が……」
「ありがとうございます。食事がまだですので、しばらく店に残ります。
毛布は後程返して頂ければ。」
「ええ勿論。事後処理だけですから、すぐ終わりますよ。
この用紙だけ記入をお願いしても?」
渡された紙とリュックを持ちフレディが立ち上がると、父親が話しかけてきた。
「待ってください先生、治療費の方は……」
「ああ、そうですね……。それではここのお支払いを預けてもよろしいですか」
「ええ、ええ! 勿論! そんなことで良いのですか?
……そうですか。それではせめて、いくらでも食べて行って下さい。
ご主人! 先生の勘定はここの席に!! …先生、本当にありがとうございました」
フレディがケリーを連れて、元の席へ戻る。
少し乾燥したパンを片手で掴み、大口で頬張る。咀嚼しながら、協会が渡した用紙に鉛筆を走らせた。
目を上げずにケリーへ、「何十枚書いたことか……」
「協会の施設がある所では、皆協会を呼ぶ。……当たり前だが。
協会側は緊急要請を受けたものの、何もしなかった――――
あるいはどの程度治療行為に加わったかを、主な治療者に証明してもらわなくちゃならない」
「……それはなんのため?」
「金さ。呼び出しに応じるだけでも人件費が発生する。
治療したら、当然。協会は税金で動いてるから、金の内訳はしっかりしないと」
フレディが書き終わると、ちょうど協会の治癒士が毛布を返しに来た。
二人は互いの品物を交換する。
治癒士が去ると、フレディはちらりとケリーを見て、笑う。「君もそのうち書くことになる」
それから彼はスープを一口飲み、「……ぬるい」
「頼み直す?」
「いや……だがせっかくだし、甘いものでも頼むか……。
ああ、すみません。これを一つと、チャンキーボブの燻製を」
店員が去ると、ケリーは冷めた目をフレディに向ける。「先生、明日起きれるの」
フレディは肩を片っぽ上げて、下げた。
……………
ジョッキと肉が届くと、煙たい匂いとぶどうの酸味がふわりと広がる。
フレディは燻製を奥歯で嚙み締め、持ち手に手を通す。
「大丈夫。ちょっと不思議な香りがする、ぶどうジュースってだけさ」
苦味と酸味と肉の旨味。それから少しのドラッグを、フレディは一息に呑み込んだ。
………………………
…………
フレディが不規則な足運びで歩く横を、ケリーは少し不機嫌そうに歩を進める。
街灯に負けないぐらい、通りに並んだ屋台の光が自身を主張していた。
月も眠気を感じる時間だが、陽気な奴らが麦の汁を片手に騒いでいる。
「宿屋はまだ?」
「あぁ! だが大抵、目的地よりも道程の方が楽しいィ!!
もっとも準備の時間が最も楽しいがね!! そうさ!」
「………。先生、今日の夜ご飯なんだったっけ」
指を鳴らしながら、靴で地面を何度も叩く。
「ブラックマリーを取った!! 野草は栄養より雰囲気を食べているゥ…!!」
腰を突き出し始めたところで、ケリーがようやくフレディを制した。
「……先生、今日初めて先生の仕事を見たよ。……すごかった」
「そう!! 俺は世界一の治癒士だから……すごいのは当然――――」
「同じ魔法なのに、なんだか不思議な感じ。人を落ち着かせる魔法なんて。
……僕の村じゃ動物を切ったり刺したりする魔法ばっかだった」
ケリーはフレディの脇腹に抱き着きながら、ふと夜空を見上げた。
「神様みたいだよ。……人を助けてる」
途端、フレディが暴走を止めて、淀んだ目でケリーを見下ろす。
「………違う。」
「何が?」
「治癒術が奇跡だって言ったことさ…。あれはぁ~……技術さァ。理解不能なものじゃない……。
奇跡は神にしか起こせねェー……けど、技術は再現可能だぁ~…。
だから、違うゥ……。誰にでもできる。」
フレディはそこまで言い、頭を獣のように左右に振る。少しばかり瞳の揺れが収まった。
「ふぅ~……。…何だっけか……。そうだ、技術……。
だから……そうだ、ケリー。初講義だ。
技術である限り、知らないことをどうにかはできない――――」
「知らないこと」
「そう。覚えておきなさい。
治癒士は学んだ症状を、学んだ方法で治す……そう言う仕事だ。
だから……分からないことは、分かる人に頼っていい…」
フレディが杖とケリーを頼りに、よろよろと歩き始める。
「治すのが仕事なのに?」
「分かる範囲で、ね。その人も分からない時は……更に新しい人を探すか、みんなで頑張る」
「わかった」
それからしばらく二人は、無言のまま石畳を蹴り続けた。
ようやく宿屋が視界の先に顔を出す。
入口に立ち、フレディが戸を押そうとすると、左下から声がかかった。
「ねえ先生……」
「…トイレか」
「……明日出発前に、ノートを買っていってもいい?」
「ああ…、これから沢山使う」
「……。一つは、日記のため。」
フレディは少しばかり目を丸くしたが、ふっと微かに口元を緩めた。
背中に置かれたケリーの手を優しく外し、杖にぐりりと体重をかける。
「それは……。いい考えだ」
ケリーの黒髪をわしゃわしゃと撫で、彼は宿屋の戸を開けた。