転生上がりのストリートチルドレンが官吏登用試験を受けてみた結果 作:コロトック
当たり前の話だが、俺は寮生活である。フィリア様からは「隣の部屋でもすぐ準備しますよ?」と言われたこともあるが、流石にやめておいた。
絶対悪目立ちする。それに寮といってもスラムに慣れている身としては、なかなか快適である。しかし…
「この部屋は狭い」「魔法訓練をさせろ」「ここの食事はまずいえ」
貴族の生まれのやつの中にはがこんなふうに文句を言っていることもある。だが、そんなことはただの贅沢である。スラムに放り込んでやろうか。
◇
朝、寮の食堂で顔を合わせるなり、同期のトマスが訳知り顔でこちらに近づいてきた。こいつは貴族だが、物分かりのいい貴族である。
「なあ、セナ。お前も大変だな」
「なにがだ?」
「いや、あの王女様のお世話だよ。仕事もダメ、縁談もうまくいかない、なんの才能もなく誰も助けようとしないって、もっぱらの噂だぜ?」
朝から随分と踏み込んだ話をしてくる奴だ。スプーンを口に運ぶ手を止めず、俺は淡々と返した。
「……なるほど」
「いや、なるほどじゃなくてな、もしきつかったら俺の部署に来てもいいぜ、計算得意なんだろう?」
「ああ、だが、遠慮するよ」
「なんでだよ」
「平民がたくさんの貴族様と一緒に仕事なんてできるわけないからな。まあ、お前は例外だが」
「相変わらず口の減らねえ奴だな」
トマスは苦笑いしながらパンを頬張った。悪気があって言っているわけではないのは分かっている。むしろ心配してくれているのだろう。だからこそ、真正面から否定する気にもなれなかった。
「まあ、お前が平気そうならいいけどよ。あの王女様、実際どんな感じなんだ?」
「どんな感じ、とは」
「噂通り、何もできない感じなのか?」
「さあ、どうだろうな」
適当にはぐらかす。本当のことを話したところで、こいつが素直に信じるとも思えなかった。噂というのは、本人の実物を見るより先に広まってしまうものらしい。
「はぐらかすなよ、気になるだろ」
「気になるなら、直接会いに来ればいいだろ」
「王女様に直接会うなんて、恐れ多くてできるかよ」
言うことは言うくせに、いざとなると腰が引ける。周りの人間の大半は、こんな調子でフィリア様の実像を知らないまま、噂だけを鵜呑みにしているんだろう。
「まあ、いつか気が向いたら顔出せよ。案外、拍子抜けするかもしれないぞ」
「拍子抜けって、どういう意味だよ」
「言葉通りの意味だ。それ以上は自分の目で確かめろ」
思わせぶりに言っておく。真実を教えたところで、どうせすぐには信じないだろう。それなら、いっそ興味だけ残しておく方がまだ建設的だ。
◇
歩きながら少し考えていた。噂について。
噂の出どころは、大方察しがついた。前任の秘書、あるいはその周辺の誰かが、都合の悪い事実を隠すために、フィリア様の側に非があるかのような話を流したのだろう。
仕事をしていなかったのはあちら側なのに、いつの間にか話がすり替わっている。いるよなあ、そういうやつ。
『仕事ができなかったのは俺のせいじゃない。環境が悪いんだ』
『上司が俺をうまく使ってくれない』
こんなことを前世で何回も聞いたことがある。
赤ちゃんかな? 自分をまだ子供だとでも思っているのだろうか。他責する前に自分のことを振り返れ、と思う。環境は大事だから全否定はしないけど。
もしかしたら、三代続けて秘書補佐が定着しなかった理由も、案外このあたりに転がっている気がする。誰も彼もが、実物を見る前から先入観だけで判断していたのだとしたら、ずいぶんと理不尽な話だ。
そんなとき、ふと思った。
……もしかして、歴史が0点でも俺がこの配属になった理由、これじゃね?、と。多分、そうだろうなあ。それにしても…
「才能がないって、誰目線で言ってんだかな」
思わず独り言が漏れた。絵は誰よりも丁寧だし、決裁だって最近は驚くほど早くなった。ただ、それを誰も見に来ないから、外には伝わらないだけの話だ。
「縁談がうまくいかない、か」
これに関しては事情を知らないので、何とも言えない。ただ、あの臆病な性格を考えれば、当人の意思とは無関係に、勝手に「うまくいかない」と噂されているだけの可能性が高い気がした。
そもそも、まともに話したこともない相手を、勝手に「才能がない」だの「うまくいかない」だのと決めつける方がどうかしている。噂というのは、真実よりも面白おかしい方が広まりやすいものだと、聞いたことがあった。
噂なんてものは、当人が黙って結果で示すしかない。俺は、そのために働かせていただこう。
◇
「……そんなことがあったんですよ」
今日の朝のことをフィリア様に話した。もちろん、訳のわからない噂のことは話していない。トマスとのやり取りのうち、当たり障りのない部分だけを面白おかしく伝える。
「へ、へえ……仲、いいんですね、お二人」
「まあ、腐れ縁というやつです」
「腐れ縁……」
その響きが気に入ったのか、フィリア様は小さく繰り返している。単語一つでこんなに楽しそうな顔ができるのかと、少し驚くくらいだった。
「私にも、その、腐れ縁、みたいな人、いたら……よかったの、かな……」
ぽつりと零れた一言に、こっちが返す言葉に詰まった。友人と呼べる相手が、これまでこの人には一人もいなかったのかもしれない。
「殿下は、城内の連中と話したりしないんですか」
「わ、私、王城の外に、というか、この部屋、以外に、あまり、出たことが……その、貴族の方々、とは、あまり」
「じゃあ、平民の噂話とか、聞いたことないですか」
我ながら少し意地の悪い質問だと思ったが、聞かずにはいられなかった。フィリア様は首を傾げて、それから困ったように微笑んだ。
「な、なんとなく、想像はつきます。私のこと、あまり、良く言われて、ないんだろうな、って……」
思っていたより核心を突かれて、俺のほうが言葉に詰まった。
「それでも、平気なんですか」
「へ、平気じゃ、ない、です……その、悲しい、です……でも、実際、その通り、だと、思う、部分も、あるので」
「思わなくていいですよ、そんなこと」
「え……」
悪意のある噂を、当人がそのまま受け入れてしまっている。この状況こそが、一番問題なんじゃないかと思えてきた。
「殿下の絵、誰よりも丁寧です。決裁だって、この一月でかなり早くなりました。才能がないなんて言ってる奴らは、殿下のことを何も見てないだけです」
早口で言い切ってから、少し言い過ぎたかと我に返る。フィリア様は目を丸くして、しばらくこちらを見つめていた。
「セ、セナは、本当に、変わった、人ですね」
「よく言われます」
「その、褒めて、ます」
「……」
照れくささを誤魔化すように、俺は視線を書類の山に戻した。フィリア様も慌てて手元のペンを取り、それきり二人とも黙って作業に戻った。
沈黙が続く執務室で、ペンの音だけが妙に大きく響いていた気がする。悪い気はしなかった。
◇
その日の夕方、書類を整理していると、フィリア様が思い出したように口を開いた。
「あの、セナ」
「はい」
「今度、その、寮の、皆さんに、私からも……何か、お礼を、したいん、ですけど」
「お礼、ですか」
「その、セナが、いつも、良くしてもらってる、みたいなので……私からも、少しでも」
悪い噂を流されている当人が、それを流した側の同僚たちにまで気を回そうとしている。人が良すぎるにも程がある。
「殿下がそこまで気を遣う必要はないと思いますよ」
「で、でも……セナの、お友達、ですし」
その一言に、こっちが何も言えなくなった。噂も、陰口も知っているはずなのに、それでも誰かを悪く言おうとしない。この人の芯の強さは、案外あの臆病な外見からは想像もつかないところにあるのかもしれない。
「分かりました。じゃあ、今度、菓子でも差し入れましょう。殿下からのお裾分けってことにしておけば、角も立たないでしょうし」
「は、はい……ありがとう、ございます」
「こちらこそ」
嬉しそうに頷くフィリア様を見ながら、俺はふと、あの根も葉もない噂を流したやつらに、一言くらい文句を言ってやりたい気分になった。
もっとも、今のところ犯人らしき人物の顔も名前も分からない。心当たりがあるとすれば、あの逃げ足だけは一流な秘書くらいのものだ。
しかし、仮にそいつを捕まえても噂は消えない。行動で直していくしかないのだ。
更新遅れました。すいません