転生上がりのストリートチルドレンが官吏登用試験を受けてみた結果 作:コロトック
午後の書類仕事が一段落した頃、フィリア様が珍しくこちらから話しかけてきた。
「あ、あの……」
「はい」
「……ご飯は、食べてますか?」
唐突な質問に一瞬戸惑ったが、素直に答える。
「はい、寮でたくさん食べれてます。余ったらもらえるので、それをスラムの仲間たちにもあげたりしてます。あ、これは内緒で」
「そ、それは……いいことです。あと、よかった、です」
安心したように微笑むフィリア様。だが、その後もソワソワと落ち着かない様子が続いている。挙動不審なのはいつものことだが、今日はいつもと種類が違う気がした。
「あの、なにかありました?」
「い、いえ……」
目が泳いでいる。何かを言いたくて言えない、という顔だ。フィリア様と過ごした数日で、この表情のパターンだけは見分けがつくようになっていた。
「ゆ、勇気を、出すとき……」
「頑張る、私……」
小声でぶつぶつと自分に言い聞かせている。何を言っているのかは聞き取れないが、ただならぬ決意の気配だけは伝わってきた。傍から見ていて、こちらまで緊張してくる。
「あ、あの!」
◇
気づいたら、食事のテーブルを挟んで俺はフィリア様と対面していた。展開が早すぎて途中の記憶がやや曖昧だが、断る間もなく連れてこられたのは間違いない。
だが、困った。俺はそこまで腹が減っていない。
「フィリア様?」
「あ、あの、その……せっかく、なので、その……一緒に、食べようか、と……」
テーブルの上には、王城の料理人が用意したらしい料理が並んでいる。スラム暮らしでは一生お目にかかれないような品数だ。焼き加減の整った肉料理、彩り豊かな野菜、見たことのない形のパン。皿の並び方まで丁寧で、誰かが真剣に準備した気配が伝わってくる。
「これ、全部フィリア様が?」
「は、はい……その、いつもお仕事、頑張ってくれてる、ので……お礼、というか……」
「殿下自らですか。侍女に頼んだのかと」
「じ、自分で、決めたかった、ので……メニューも、その、悩んで……」
悩んだ末にこの品数と豪華さになったらしい。一体どれだけの時間を悩んだのか、少し気になるところではあった。
礼を言われるようなことをした覚えはあまりないが、断る理由もない。
「ありがとうございます。いただきます」
「は、はい……どうぞ……」
と言ったきり、フィリア様は何も食べずにこちらをじっと見ている。
「フィリア様も食べないんですか」
「あ……そ、そうでした……」
慌ててフォークを手に取るものの、緊張のせいか料理には手をつけず、皿の上で何度も同じ場所を突いている。会話らしい会話は特になかった。それでも、時折こちらを見ては小さく口元を緩めるフィリア様は、明らかに嬉しそうだった。
◇
しばらくの沈黙のあと、フィリア様がぽつりと切り出した。
「その……セナさんが、来てくれて、から……その、毎日、少しずつ、楽しく、なってきた、気が、します」
「そうですか」
「は、はい……前は、その、朝、起きるのが……ちょっと、苦手、だった、んですけど……最近は、その、そんなことも、なくて……」
ぽつぽつと零れる言葉には、これまでの彼女の日々の重さがにじんでいる。誰にも期待されず、誰にも守られず、それでも毎日机に向かっていたであろう時間を思うと、少しだけ胸の奥が重くなった。
「殿下がそう言ってくれると、こっちも来た甲斐があります」
「そ、そんな……セナさんの、方が、大変、だと、思います……スラムから、いきなり、王城、なんて……」
「まあ、慣れですよ、慣れ」
「な、慣れるものなんですか、あんな、環境……」
「意外と人間、なんでも慣れますよ。屋根の下で寝られるだけで、俺にとっては十分な進歩です」
「そう、なん、ですね……その、大変な思い、たくさん、されて……きたん、ですね」
しみじみと呟くフィリア様の目が、少しだけ潤んでいる気がした。同情されるほどの話でもないのだが、この人はどうやら人の苦労を自分のことのように受け止めてしまう性分らしい。
「そんな深刻な顔しないでください。今はこうして飯にありつけてるので、俺としては十分満足です」
「あ……そう、ですよね……えっと、その、お口に、合いますか」
「めちゃくちゃ美味いです。こんな料理食べたことないので」
「よ、よかった、です……」
少しだけ表情が緩んだフィリア様を見て、こっちも安心する。深刻な話に持っていくより、今はこれくらいの軽さでちょうどいい。
適当に流したつもりだったが、フィリア様は真剣な顔でこちらを見つめてきた。
「セナさんは、すごい、です。私、その、こんな風に……自分から、誰かを、誘ったの……初めて、でした」
告白めいた響きに、こっちが変な緊張を覚える番になった。
「それは光栄です」
「あ……えっと……変な意味じゃ、なくて……その、ただ……」
「分かってますよ」
分かっているのかどうかは正直怪しかったが、これ以上フィリア様を慌てさせるのも忍びなく、あえてそう答えておいた。
言葉を選びかねているフィリア様を見ていると、この人は本当に不器用な人なんだと改めて思う。誰かに何かを伝えるという、ただそれだけのことに、これほど心を砕く人を前世でも今世でも見たことがなかった。
◇
食事が終わる頃、フィリア様は改まった様子でもう一度口を開いた。
「あの、セナさん」
「はい」
背筋を伸ばし、両手を膝の上できゅっと握りしめている。今日一番の緊張が伝わってくる姿勢だった。
「今度、その、グレアム殿のこと……ちゃんと、お話し、しても、いいですか」
「もちろんです」
「今日、じゃ、なくて……その、もう少しだけ、心の準備が、必要、なので……次、必ず……」
「待ちます。急がなくていいですよ」
「はい……ありがとう、ございます」
小さくお辞儀をするフィリア様の顔には、これまでにない安堵と、それでも消えない緊張が同居していた。話すと決めたことと、実際に話すことの間には、まだ大きな隔たりがあるのだろう。
結局、その日は「言えない事情」の中身までは聞けなかった。それでも、話す意志を見せてくれただけで十分な前進だ。
テーブルの上の料理は、半分ほど残っていた。緊張で味を覚えていないだろうことは、フィリア様の顔を見ればすぐに分かった。
部屋を出る間際、フィリア様が小さく手を振ってきた。
「ま、また、明日……」
「はい、また明日」
たったそれだけのやり取りなのに、フィリア様の頬は誇らしげに緩んでいた。今日、一体どれだけの勇気を振り絞ったのか、こちらには到底測りかねる。ただ、明日からの彼女が、今日より少しだけ前を向いて仕事に取り組んでくれるなら、それで十分だった。
廊下を歩きながら、ふと今日一日を振り返る。結局、腹はそこまで満たされなかったが、悪くない食事だったと思う。
部屋の隅で、フィリア様が誰かに宛てて書いていたらしい紙切れが目に入った。誰に対してだろうか。
「まあ、あの人も王族だもんなあ」
王族はいろいろな相手に手紙を出す相手がいて大変なものらしい。
あとがき
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