転生上がりのストリートチルドレンが官吏登用試験を受けてみた結果   作:コロトック

8 / 14
第8話 メッ、です

 

 ここ数日、すごくいい気分だった。

 

 そして、最近気づいたことがある。あいつがいない間、書類の処理速度が体感で二倍近くになることを。無駄な口出しがないというのは、これほど効率が上がるものかと、静かに感動すらしていた。

 

 あのバカがいた頃は、余計な口ばかり出していた。指示は的外れで、口出しだけは一人前。存在自体がノイズだったと言っていい。

 

 だが、平穏はそんなに長く続かないらしい。

 

 

 フィリア様と仲良く話していた時だった。

 

 「殿下、この決裁書、印はもう押していただいて大丈夫です」

 

 「は、はい」

 

 最近は、印を押すまでの時間も随分短くなった。震える手も、以前ほどではない。小さな進歩の積み重ねが、少しずつ形になっている。

 

 ふと、書類の隅にちらりと書かれた金額の桁を見て、貴族ってすげーと思っていた時だった。

 

 執務室の扉が、久しぶりに勢いよく開いた。

 

 いうまでもなく、あのバカの登場である。貴族を尊敬し始めていた俺を現実に戻してくれた。

 

「やあやあ、殿下。ご無沙汰していて申し訳ない」

 

 悪びれもせず登場したグレアムに、フィリア様の肩がびくりと跳ねる。俺は書類から顔を上げ、あえてにこやかに応じた。

 

 しかし違和感がある。

 

 (あのバカの借金、そんじょそこらの額じゃなかったはず)

 

 カジノの用心棒兼、道具として体で払わされていたとはいえ、あの規模の借金が、そう簡単に片付くとは思えない。妙な胸騒ぎがした。

 

 (こいつ、親に助けてもらったな)

 

 地盤がしっかりある人間は、こういう時に強い。自業自得で作った借金でも、親を使って帳消しにできてしまうらしい。うらやましいとまでは言わないが、多少は複雑な気持ちになる。

 

 スラム育ちの俺には、後ろ盾なんてものは存在しない。あるのは自分の腕と、ハトを筆頭とした顔なじみたちの信用くらいのものだ。それでも十分だと思っていたが、こういう時にふと、世の中の理不尽さを実感してしまう。

 

 ◇

 

 久しぶりに見る顔は、以前よりも心なしかやつれていた。それでも煌びやかに見せてくるのはなんでだろう。なんかすごい腹が立つ。

 

 「…秘書様は今までどこにいらしたのでしょうか?」

 

 「そ、それはもちろん、視察にだな」

 

 「なるほど、それは仕事熱心ですね」

 

 「そうか、わかってくれるか」

 

 得意げに頷くグレアムを見ながら、俺はゆっくりと言葉を続けた。

 

 「ええ。私なんて、先日もカジノで大負けしましてねえ。やっぱりスラム出身の者が調子に乗ってはいけませんな。秘書様の熱心な仕事ぶりは、見習う必要がありそうです」

 

 場が一瞬、静まり返った。

 

 グレアムの笑顔が、目に見えて固まっていく。頬に一筋、冷や汗が伝った。

 

 「な、なんの話かな。僕は視察の話をしているんだが」

 

 「そうでしたね。失礼しました。平民ゆえの愚かな話として聞き流してください」

 

 声だけは丁寧に、目だけは全く笑っていない自覚はある。慇懃無礼《いんぎんぶれい》というやつを、生まれて初めて実践してみた。

 

 あくまで平然と流す。事実だけを淡々と並べれば、それで十分だ。

 

 フィリア様も、口元を必死に押さえながら視線を逸らしている。何かを堪えているのは明らかだった。

 

 「では、僕はまだ用事があるので、これで」

 

 早口でそう告げると、グレアムは来た時以上の速さで部屋を後にした。逃げ足だけは一流だった。

 

 

 あのバカが逃げるように出て行った後、フィリア様が大きく深呼吸をして、こんなことを言ってきた。

 

 「セ、セナ」

 

 「はい」

 

 「カジノ、なんて……メッ、です!」

 

 人差し指を立てて、精一杯の勢いで叱ってくる。声は震えているし、指も若干おぼつかない。それでも、本人なりに全力で叱ってくれているのは伝わってきた。

 

 「……」

 

 なんだこの可愛い生き物は。

 

 おっと、不敬だった。

 

 「あ、あの、セナ?」

 

 「すみません、ちゃんと聞いてます。以後、気をつけます。あと行ってないです」

 

 「は、はい……ならいい、です」

 

 満足げに頷くフィリア様を見て、俺はしみじみと思った。

 

 「殿下、今の顔、もう一度見せてもらってもいいですか」

 

 「え……な、なんで、ですか」

 

 「いえ、貴重なので、記憶に焼き付けておこうかと」

 

 「か、からかわないで、くださいっ!」

 

 真っ赤になって両手で顔を隠すフィリア様を見て、俺はようやく素直に笑った。

 

 

 書類仕事の合間、頭の隅ではまだあの借金のことが引っかかっていた。侯爵家の後ろ盾があれば、多少の失態は簡単に揉み消せるらしい。

 

 リーシャなら何か知っているかもしれない。そう思いつつも、あえて聞きには行かなかった。

 

 あいつはいつも、こちらが本気で聞くまでは何も明かさない。中途半端に探りを入れたところで、はぐらかされて終わるのが目に見えている。

 

 今はまだ、そのタイミングじゃない気がした。

 

 窓の外を見ると、いつの間にか夕暮れが差し込んでいた。今日一日、まともに働いたのはグレアムを除いて全員だったと思うと、少しだけ滑稽な気分になる。

 

 それでも、フィリア様のあの叱り方を思い出すと、悪くない一日だったとも思えた。




カクヨムにも投稿始めました。

よかったらお願いします↓
https://kakuyomu.jp/works/2912051605016927783
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。