転生上がりのストリートチルドレンが官吏登用試験を受けてみた結果 作:コロトック
「セ、セナ、仕事です!」
「はい」
「……」
勢いよく名前を呼んだわりに、その先が続かない。フィリア様は両手を胸の前でぎゅっと握りしめたまま、視線をあちこちに彷徨わせている。
「仕事、というと?」
「そ、それは、その……とても、大事な、仕事、です」
「はあ」
「執務室の、雰囲気作り、というか……気分転換も、大事、というか……」
言葉を継ぎ足すたびに、内容がどんどん抽象的になっていく。仕事という単語の意味が、俺の知る定義から少しずつ遠ざかっていくのが分かった。
「殿下、それ、本当に仕事ですか」
「し、仕事、です! ……たぶん」
最後の「たぶん」が、全てを物語っていた。
仕事という名目にすがってでも、こちらを部屋に呼びたかったらしい。理由を問い詰めるのも野暮な気がして、俺は黙って立ち上がった。
◇
結局、連れて行かれた先は、執務室の隣にある小部屋だった。窓際に置かれた画材一式と、真っ白な紙が数枚。仕事の道具にしては、随分と趣味の匂いが強い。
「ここ、初めて入りましたけど、こんな部屋あったんですね」
「わ、私の、私室、というか……たまに、こもって、絵を、描いてる、部屋、です」
どうりで見覚えがないわけだ。執務室からは一歩も出ないと思っていた王女様にも、こういう隠れ家めいた場所があったらしい。
壁際の棚には、描きかけの絵がいくつも立てかけられている。花、動物、それから遠くの街並みらしきもの。どれも丁寧に描かれていて、趣味の域を超えているように見えた。
「これは?」
「そ、その……絵を、描く、練習を……手伝って、ほしくて……」
「それが仕事なんですか」
「し、仕事、です!」
語気を強めて言い切るフィリア様に、これ以上突っ込むのも野暮な気がして、俺は素直に椅子に座った。
「何を描けばいいんですか」
「なんでも、いいです……ただ、一緒に、描いてほしいだけ、なので」
仕事という建前は、どうやら「一緒にいてほしい」を言い換えただけの言葉だったらしい。分かりやすいと言えば分かりやすいが、もう少しストレートに誘ってくれてもいいのにと思う。
「誰かをここに呼んだの、初めてですか」
「は、はい……その、勇気、要りました……」
「勇気って、部屋に呼ぶだけで?」
「わ、私にとっては、大事件、なんです……」
大げさに聞こえるが、フィリア様のこれまでの様子を思い返せば、あながち誇張でもないのだろう。誰かを頼ることさえ、この人には一大決心が必要らしい。
◇
言われた通り、適当に紙とペンを手に取る。前世の記憶を頼りに、なんとなく形になりそうなものを描いてみた。
「これは……猫、ですか?」
「犬です」
「そう、ですか……」
「もう一回描くので、よく見ておいてください」
二度目に描いた犬も、結局猫にしか見えないと言われた。三度目でようやく「犬……かもしれない」という、微妙な評価を勝ち取ることができた。
微妙な表情で見つめられて、少し傷ついた。絵心という才能は、前世からこちらに引き継いでいたらしい。
対して、フィリア様の手元は迷いなく進んでいく。数分もしないうちに、紙の上には見事な小鳥の絵が浮かび上がった。
「殿下、本当に上手いですね」
「そ、そんな……昔から、これだけは、得意で……唯一、褒められた、特技、だった、ので」
唯一という言葉に、少しだけ引っかかった。褒められることが、他にはほとんどなかったという意味にも聞こえる。
「他にも得意なこと、たくさんありますよ。最近は決裁も早くなりましたし」
「そ、それは、セナが、教えてくれた、から……」
「教えたのはきっかけだけです。実際にやってるのは殿下ですし」
フィリア様は少し驚いたように顔を上げ、それから照れくさそうにペン先を紙に戻した。頬が、心なしか赤くなっている。
「セナは、その、頼られるの、嫌じゃ、ないんですか」
「殿下に頼られるくらい、なんてことないですよ。スラムじゃもっと理不尽な頼まれ事もありましたし」
「り、理不尽な頼まれ事、って……」
「知らない方が幸せなことも世の中にはあります」
これ以上詳しく話す気はなかった。フィリア様の想像力を、無駄に刺激する必要もない。
◇
しばらく無言で絵を描き続けていると、フィリア様がぽつりと呟いた。
「セナの絵、下手、だけど……嫌いじゃ、ないです」
「フォローになってないですよ、それ」
「フォロー、じゃなくて……その、下手なりに、一生懸命、描いてる感じが……見てて、楽しい、です」
率直な感想に、こっちが照れる番になった。
「殿下にそう言われると、悪い気はしないですね」
「わ、私も、です……」
窓から差し込む午後の光の中、しばらく二人分のペンの音だけが部屋に響いていた。書類の山も、王城の陰謀も、この時間だけは少し遠くにあるように感じられた。
棚に立てかけられた絵の中に、何かチラッと人の顔のようなものが見えた。何かのモデルさんだろうか。この世界にモデルという職業があるのかは知らないが。