翌日の昼下がり。
夏休み前の休日ということもあり、セブンスミストは多くの買い物客で賑わっていた。
どこを見ても、ごくありふれた休日の風景が広がっている。
そんな人混みの中を、二人の男子高校生が並んで歩いていた。
「……で。」
上条当麻が不満そうな声を漏らす。
「何で野郎二人でセブンスミストなんだよ。」
その視線の先では、瀬川空がいつものようにニコニコ笑っている。
「いや、たまには買い物でもしようかなって。」
「お前、私服なんて全部マネキン買いじゃねぇか。」
「そうだった。」
「納得するな。」
空は肩をすくめる。
「じゃあ上条の買い物に付き合う。」
「俺も特に買う物ねぇよ!」
「じゃあ暇つぶし。」
「理由が雑すぎる!」
上条は深いため息をついた。
「お前なぁ……。」
「上条は理由がないと俺と遊んでくれないのか?」
少しだけ寂しそうな顔を作る。
「……。」
「……。」
「やめろ。」
「うん。」
「気色悪ぃ。」
「ひどい。」
そんな他愛ないやり取りを交わしながら歩く二人。
しかし空の意識は、まったく別の場所へ向いていた。
(そろそろだ。)
昨夜集めた暗部の情報。
介旅初矢の行動予測。
爆破地点。
逃走経路。
それらを何度も頭の中で組み直した結果、この時間、この場所へ現れる可能性が最も高いという結論に至っていた。
そして。
空にはもう一つ、確信に近いものがあった。
上条当麻の右手。
この三か月、ほぼ毎日のように一緒に過ごす中で、何度も見てきた。
能力者同士の喧嘩。
偶然巻き込まれた事件。
不可解な現象。
そのたびに上条の右手は、まるで世界の理そのものを否定するように異能を打ち消してきた。
(あの右手なら、もし想定外が起きても、きっと何とかしてくれる。)
空は心の中で小さく呟く。
自分一人でも事件は処理できる。
だが、それでは駄目なのだ。
表の事件は、表の人間が解決する。
それが、この街を守るためのルールだった。
「……ん。」
視界の端に見慣れた制服が映る。
常盤台の夏服。
御坂美琴。
そして初春飾利と佐天涙子。
四人が談笑しながら店内へ入っていく。
(予定通り。)
空は安堵する。
役者は揃った。
あとは舞台を回すだけ。
「上条。」
「ん?」
「悪い。」
腹を押さえて苦笑する。
「急に腹が痛くなった。」
「は?」
「ちょっとトイレ。」
「こんな時にかよ。」
「すぐ戻る。」
「ったく……。」
上条が呆れたように頭を掻く。
空は軽く手を振り、その場を離れた。
数歩進んだところで。
「あ、アンタ!」
美琴の声が聞こえる。
「何でこんな所にいるのよ!」
「げっ!」
上条の情けない声が返ってきた。
「ビリビリじゃねぇか!」
「その呼び方やめなさい!」
「こんな所で電撃撃つなよ!」
聞き慣れた言い合いが始まる。
空は振り返らない。
口元だけが少し緩んだ。
(合流したか。ここからは主人公たちの出番だ。)
そのまま人混みを抜け、誰にも気付かれないよう建物の外へ出る。
目的地は一つ。
介旅初矢の逃走経路だった。
♢
数十分後。
セブンスミスト周辺は騒然としていた。
警備員が現場を封鎖し、風紀委員が周囲を誘導している。
事件は終わった。
介旅初矢は拘束され、連行されていく。
空は少し離れた路地裏から、その様子を静かに見つめていた。
「……無事に終わったか。」
そう呟いた、その瞬間。
視界の端で銀色の何かが陽光を反射した。
「!」
アルミ製のフォーク。
介旅が無差別に放った爆発媒体の一つ。
美琴や黒子との戦闘で弾き飛ばされ、そのまま道路へ飛び出していた。
誰も気付いていない。
しかし、あれにはまだ能力が残っている。
あのまま車でも接触すれば。
あるいは歩行者が拾えば。
爆発は起きる。
「間に合え……!」
空の瞳から光が消える。
『エミュレート――
演算開始。
フォークがいきなり中を舞い、路地裏に飛んでいく。
人気のない路地へ引き寄せられたそれを、空は急ピッチで昨晩文字通り死にかけながらした作業で解除しようとする。
直後。
ズキン――。
頭蓋の奥が弾ける。
「ぐっ……!」
視界が真っ赤に染まる。
鼻から流れた血が口元まで伝い、喉へ鉄の味が広がった。
脳内で毛細血管が切れたのだと、嫌でも分かる。
それでも能力は解除しない。
完全にエネルギーを相殺し終えるまで。
数秒。
永遠にも思える時間が過ぎる。
やがてフォークは、ただのアルミ製品へ戻った。
「……終わり。」
空は壁へ寄りかかる。
荒い息を整えながら遠くを見る。
そこには。
「よかった……。」
胸を撫で下ろす初春。
安心したように笑う佐天。
少し照れ臭そうな黒子。
そして、どこか誇らしげな美琴。
誰も泣いていない。
誰も死んでいない。
爆発も起きなかった。
(……上条も期待通り動いてくれた。)
自分が守りたかったもの。
普通の少女たちが、普通に笑っていられる日常。
その光景が、確かにそこにあった。
(俺の舞台設定は。)
血で濡れたハンカチを握り締める。
(完璧だった。)
小さく笑う。
誰にも見られない場所で。
誰にも感謝されないまま。
掃除屋は静かにその場を去っていった。
♢
その夜。
誰もいない廃研究所。
広すぎる食堂には、冷蔵庫の低い駆動音だけが響いていた。
コンビニで買った弁当を電子レンジへ入れる。
チン、という電子音。
それだけが、この家で聞こえる唯一の生活音だった。
温まった弁当を机へ置き、極甘の缶コーヒーを一本開ける。
「……いただきます。」
静かな声が部屋へ溶ける。
返事はない。
今日、自分は街を守った。
友人たちの笑顔を守った。
それなのに、この部屋へ帰ってきても「おかえり」と迎えてくれる人はいない。
拍手もなければ、労いの言葉もない。
それでいい。
最初から、そのためにやっているのだから。
空は黙々と箸を進める。
甘い缶コーヒーで流し込みながら、一人きりの夕食を終えていく。
空っぽの器は、どれだけ食べても満たされない。
それでも。
今日も誰かの日常は守れた。
その事実だけを胸に抱きながら、瀬川空は静かな夜を一人で過ごしていくのだった。