第十七学区、原子力関連施設跡地。
美琴と木山春生の激突は、ついに決着を迎えようとしていた。
暴走する車両を止め、能力を尽くして木山を追い詰めた美琴は、荒く肩で息をしながら倒れ伏した研究者を見下ろす。
「……もう終わりよ」
その言葉が、戦いの幕引きを告げるはずだった。
だが、次の瞬間。
木山春生の頭部付近から、どろりと赤黒い粘液が溢れ出す。
それは肉でも機械でもない。
無数の神経が絡み合ったような、不気味な胎児めいた塊。
やがてそれは空気を震わせるような産声を上げながら、急速に膨張していった。
「ウァァァァァァァァァッ!!」
地面が揺れる。
周囲のAIM拡散力場が渦を巻き、一帯の空気そのものが軋む。
「な……何よ、あれ……!」
満身創痍の美琴が息を呑む。
暗部のデータベースでしか存在を確認されていなかった異常現象。
一万人の能力者の無意識が一つに束ねられ、人格を持たぬまま暴走した巨大生命体。
『AIMバースト』。
その誕生だった。
♢
同じ頃。
施設跡地から数百メートル離れた鉄塔の上。
風に制服を揺らしながら、瀬川空は静かにその光景を見下ろしていた。
「……やっぱり出たか」
その声に感情はない。
瞳から光が消え、世界が演算式へと置き換わっていく。
美琴なら木山を止められる。
そこまでは予測通りだった。
だが、一万人もの脳波を無理やり接続したネットワークが崩壊すれば、情報の行き場を失ったAIM拡散力場は一つの生命体として収束する可能性がある。
空はその最悪の仮説を、数時間前には導き出していた。
「だから来たんだ」
彼の役目は、美琴の代わりに敵を倒すことではない。
彼女が戦いに集中できる環境を整えること。
それだけだった。
♢
AIMバーストが咆哮する。
衝撃波とともに、巨大なコンクリート片が周囲へ降り注いだ。
施設の外では、避難の遅れた作業員や、応援に駆けつけていた警備員たちが逃げ惑っている。
「危ねぇ!」
数トンはある瓦礫が一般道へ向かって落下する。
空はポケットからビー玉を三つ取り出した。
「――エミュレート」
演算開始。
『念動力』
『空力使い』
『肉体再生』
三つの能力を同時展開。
ビー玉を指先で弾く。
一直線に飛んだビー玉は空中で透明な力場を形成し、落下する瓦礫を受け止める。
しかし、その質量はあまりにも重い。
「ッ……!」
脳の奥で嫌な音がした。
血管が一本、内側から裂ける。
鼻先から温かい血が滴り落ちた。
それでも止めない。
空力使いの風圧を重ね、巨大な瓦礫をゆっくりと人気のない空き地へ押し流す。
轟音。
地面が揺れ、土煙が舞う。
人的被害は、ゼロ。
「……一つ」
小さく呟く。
まだ終わらない。
♢
AIMバーストは次々と周囲の建造物を破壊し始めた。
鉄骨が折れ、電柱が倒れ、コンクリート片が雨のように降り注ぐ。
「やりたい放題だな」
空は懐からさらにビー玉を取り出す。
一つには『摩擦ゼロ』。
一つには『運動エネルギー』。
もう一つには『空間移動』。
三方向へ撃ち出されたビー玉は、それぞれ別々の演算を行いながら飛翔し、落下する鉄骨を弾き飛ばし、飛散する破片を別方向へ逸らし、避難経路を塞ぐ障害物だけを正確に吹き飛ばしていく。
同時並列演算。
常人なら一つ扱うだけでも脳が焼き切れる能力を、空は三つ、四つと重ね続ける。
その代償は確実に積み重なっていた。
「ぐっ……!」
視界が揺れる。
耳鳴り。
鼻血。
口の中に鉄臭い血の味が広がる。
限界が近い。
「まだ……四つ目は使うな」
空は自分に言い聞かせる。
四種類以上の高度な能力を同時維持すれば、脳出血は一気に致命傷へ変わる。
肉体再生で傷は塞げても、脳への負荷までは消えない。
「ここで倒れるわけには……いかない」
極甘の缶コーヒーを一本取り出し、一気に飲み干す。
大量の糖分が脳へ流れ込む感覚。
ほんの数分だけ、演算能力を無理やり維持する。
それでも、頭痛は消えなかった。
♢
遠くでは、美琴が再び立ち上がっていた。
電撃が夜空を裂き、AIMバーストへ向かって放たれる。
「御坂さん」
空はその姿を静かに見つめる。
「そっちは任せた」
主人公が立つ舞台に、自分は必要ない。
彼女は彼女の物語を戦えばいい。
自分は、その舞台袖で照明が落ちないよう支え続けるだけだ。
だから。
「俺は、俺の仕事をする」
誰にも聞こえない声でそう呟き、空は再びビー玉を指先で弾いた。
夜空を横切る小さな硝子玉は、英雄の戦いの裏側で、今日もまた誰にも知られることなく、一つの命を救っていた。