興味なければ読み飛ばしてもいいですが、読んでいただけたらよりとあるっぽくなる気がしてます。
学園都市の最深部。物理的な出入り口や窓が一切存在しない『窓のない部屋』。
生命維持装置へ接続され、培養液に満たされた巨大な試験管の中で逆さに浮遊する人間――学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーは、虚空に展開された無数のホログラムウィンドウを無感情な目で見つめていた。
ウィンドウの一つに映し出されているのは、一人の少年のパーソナルデータ。
『瀬川空』。通常プロセスである研究機関の推薦を無視し、統括理事会の特例――いや、アレイスターただ一人の判断によって「
『……生来の素養は、良くて
無機質な声だけが、液体を震わせて空間へ響く。
学園都市が積み重ねてきた能力開発理論において、全ての生徒の運命はこの素養格付によってあらかじめ決定されている。どれほどの努力を積もうと、その上限の壁を覆すことは原理的に不可能だ。
だが、瀬川空という個体は、その絶対の法則を完全に逸脱した。
原因は明白である。彼の担当研究員であった木原虚の、常軌を逸した精神破壊実験。
愛着を持った対象を目の前で喪失させ、希望が絶望へ反転する極限のストレスを、人格形成直後の幼児へ与え続けた結果。
少年は自己保存機構として心を閉ざすことも、狂うこともなく、「自己そのものを消す」という解法を選んだ。幼い防衛本能から自らの人格へ刃を向け、感情を捨て、『
能力とは、本来『自分だけの現実』を世界へ押し付ける力である。
しかし、その現実が完全な空洞であるがゆえに、他者の現実すら入り込める余白が生まれた。ありとあらゆる他者の能力や物理法則を自らの演算領域へ写し取り、同時展開する『
別ウィンドウには、その狂気の実験を主導した木原虚の直近の動向が示されていた。
木原虚は、自分が『素養格付の絶対性を覆し、自ら器を空にした最高傑作を創り出した』と狂信し、歓喜に震えている。
その傲慢さは肥大化の一途を辿り、学園都市上層部や統括理事会に対しても、以前に増して強気で不遜な態度をとるようになっていた。
木原一族の探求心は学園都市の発展に不可欠だが、彼らの予測不能な狂気は、時としてアレイスターが描く精緻な『プラン』のノイズとなる。虚の思い上がりは、まさにそのノイズの火種になりつつあった。
さらに、アレイスターの視線は別の記録映像へと移る。
第7学区の上条当麻の学生寮前で観測された、未知の理不尽――魔術の痕跡。
アレイスターは、上条の持つ『異能を打ち消す右手』を魔術師とぶつけるために盤上に上げ、意図的に魔術師の侵入を黙認していた。
だが、瀬川空はアレイスターの想定を超え、神の領域の魔術『
『……興味深い』
アレイスターは静かに呟いた。
能力者でありながら外部の魔術を再現し、その理論そのものを写し取るという現象。
本来、科学サイドに属する超能力者が魔術の法則に触れれば、肉体は激しい拒絶反応を起こし、全身の毛細血管が破裂して自壊する。
しかし、瀬川空はバックグラウンドで『肉体再生』と『痛覚遮断』の能力を強制起動させることで、細胞が崩壊する端から無理やり繋ぎ止め、自壊を押し潰しながら魔術の術理を自らの演算領域に組み込んでいた。
それは、寿命を前借りして肉体を繋ぎ止める、狂気的な自傷行為によってのみ成立する荒業だ。
『木原虚の暴走の兆候。そして、魔術という不純物を受け入れるイレギュラーなレベル5。……放置すれば、私のメインプランに深刻な「乱れ」を生じさせる要因になり得る』
液体の中で、アレイスターはわずかに目を細めた。
プランの乱れは、即座に修正しなければならない。
そのための最も効率的な方策。それは、バグを削除するのではなく、バグを『システムの一部』として組み込むことだ。
上条当麻という特異点が表舞台で『幻想殺し』を振るう、メインプラン。
ならば、瀬川空にはその舞台の裏側を担わせる。
暗部、あるいは掃除屋として、学園都市に生じた不都合を消し去り、矛盾を修正し、痕跡すら残さない”エラーチェッカー”の役割。
アレイスターの冷徹な計算が、一つの結論を導き出す。
瀬川空という少年は、恩人からもらった名前を捨てられず、自らの空っぽな自我を埋めるために、この街の「ありふれた日常」を自分の中へ詰め込んで守ることに強く執着している。
上条当麻や彼を取り巻くバカバカしくも平和な日常。偽物でもいいから、誰かが笑っていられる環境を守ろうとする悲壮な決意。
『……好都合だ。
彼が『日常』を守るために、自身の肉体を血みどろに削りながら対魔術戦力として成長し、暗部の不穏分子――いずれ暴走するであろう木原虚も含めたノイズを処理していくことは、アレイスターにとって新たな『プランB』の確立を意味していた。
『躍らせてやろう。君が愛する、あの馬鹿馬鹿しくも平和な日常を守るために。……その命の最後の一滴が尽きるまで』
窓のない部屋に、感情の一切存在しない、機械的で超越的な宣告が溶けていく。
かくして、瀬川空の知らぬところで。
彼の命を懸けた献身と悲壮な覚悟すらも、この街の支配者の巨大な掌の上で回る、精巧な歯車の一つとして完璧に組み込まれたのであった。