八月中旬。
お盆休み真っ只中の第七学区、地下街に広がる大型ショッピングモール。
連日の災害級の猛暑を避けるように、涼しい冷房の効いた地下街は多くの学生や家族連れでごった返していた。
そんな賑わいの中、瀬川空はスーパーマーケットのロゴが入った大きなビニール袋を両手に提げ、歩幅を狭めてよろよろと歩いていた。
袋の中身は、特売日に合わせて棚の奥まで買い占めた『極甘マックスコーヒー』三ダース。その重量は半端ではなく、ビニール袋の持ち手が千切れそうになっている。
ポルターガイスト事件の裏側で、MARのパワードスーツ二十機を単身で相手にしたあの日から、空の脳神経は未だに悲鳴を上げ続けていた。能力の多重展開による過負荷を完全に癒やすためには、この砂糖の塊のような暴力的な糖分がどうしても必要だったのだ。
「あ、瀬川さんだ! おーい、瀬川さーん!」
不意に、人混みの向こうからよく通る明るい声が響いた。
振り返ると、夏らしい涼しげな私服姿の佐天涙子と初春飾利が、手を振りながら小走りで駆け寄ってくる。その後ろからは、呆れたような顔をした御坂美琴と白井黒子も連れ立って歩いてきた。
表の世界を生きる、いつもの賑やかな四人組だ。
「こんにちは、佐天さん、初春さん。それに御坂さんと白井さんも」
「奇遇ですね、瀬川さん。……って、なんですかその殺人的な量の缶コーヒーは。どこかの問屋の買い付けですか?」
美琴が、空の提げている重そうなビニール袋の中身を覗き込んで、容赦のないツッコミを入れる。
「夏休みの生命線だよ。これがないと干からびて死んじゃうからね」
空がいつものように苦笑して誤魔化すと、佐天がポンと手を叩いた。
「ちょうどよかった! 私たち、これからあっちのファミレスでケーキを食べて打ち上げする予定なんです。瀬川さんも一緒に行きましょうよ!」
「ケーキ? 打ち上げ?」
「ええ」と、美琴が少しだけ誇らしげに、そして照れくさそうに微笑んだ。
「ほら、夏休みに入ってから色々続いた事件が、ようやくひと段落ついたから。……瀬川さんにも、心配かけちゃったし」
美琴たちの背後には、誰の血も流れていない、平和で眩しい日常が広がっている。
空は小さく息を吐き、「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」と微笑み返した。
♢
数十分後。
冷房の効いたファミリーレストランのボックス席。
テーブルの上には、巨大なストロベリーパフェや、チョコレートケーキ、季節のフルーツタルトなどが所狭しと並べられていた。
「……ん〜っ! やっぱり疲れた時の甘いものは正義ですの!」
黒子がケーキを上品に、しかし幸せそうに頬張りながら目を細める。向かいの席では、初春と佐天が「ちょっとそれ一口ちょうだい!」「初春、あーんして!」とパフェを突き合いながら笑い声を上げている。
女子中学生たちの、年相応で無邪気な光景。
空は、ドリンクバーのグラスには目もくれず、自分の前に置かれた『極甘マックスコーヒー』のプルタブをパキッと開けた。
「ちょっと瀬川さん。お店に缶コーヒーの持ち込みはマナー違反ですのよ?」
黒子がジト目で睨んでくる。
「ちゃんとドリンクバーも単品で頼んでるから見逃して。……俺の疲労には、この致死量の甘さじゃないと効かないんだ」
言い訳をしながら黒い液体を喉に流し込む空の姿に、四人は呆れたように笑った。
(……平和だな)
空はコーヒーの甘さを噛み締めながら、その光景を静かに眺めていた。
「よかったね、御坂さん。無事に終わって」
空が、隣の席でショートケーキを食べている美琴に小さく声をかけると、彼女はストローでアイスティーの氷をカラカラとかき混ぜながら、柔らかく頷いた。
「ええ。……正直、テレスティーナの正体を知った時は、大人って生き物が心底信じられなくなりそうだった」
美琴の視線が、ふと真剣なものに変わる。
「優しそうな顔をして、裏ではあの子たちを実験動物にして使い潰そうとしていた。それが学園都市の大人たちの本当の姿なんじゃないかって。……でも」
美琴は顔を上げ、窓の外に広がる夏の街並みを見つめた。
「でも、木山先生みたいに、あの子たちを本気で助けようとした大人もいたから。自分のキャリアも人生も全部投げ打ってでも、子供たちのために戦った人がいたから」
美琴の横顔には、過酷な事件を乗り越えた確かな自信と、この街の未来を信じる純粋な光が宿っていた。
「私、この学園都市のこと、もう一度ちゃんと信じられる気がする」
第三位の
「私の力も……誰かを傷つけるためじゃなく、誰かを守るためにあるんだって。そう思えたから」
その真っ直ぐで、眩しすぎる言葉。
空の胸の奥――空洞化されたはずの器の底が、チクリと、焦げるように痛んだ。
(……あぁ、そうか)
美琴の言葉は、暗部の汚泥に浸かり切った空にとって、あまりにも綺麗すぎた。
だが、同時に。
裏でMARのパワードスーツ部隊を全滅させ、木原の底知れない悪意から彼女たちの背中を隔離し、血を流した甲斐は、確かにあったのだと実感できた。
この平和な笑顔と、彼女が信じる「光」を、決して淀ませないこと。
理不尽な絶望を彼女たちに届く前に食い止め、この馬鹿馬鹿しくて愛おしい日常を偽装し続けること。
それこそが、暗部の
「……そうだね」
空は、ゆっくりと頷いた。
他人の感情の
「御坂さんのその力は、きっと……これからも、誰かの希望になるよ」
「っ……もう、大袈裟なんだから、瀬川さんは!」
美琴が顔を真っ赤にして照れ隠しに笑い、佐天たちがそれをからかって囃し立てる。
ファミレスのボックス席は、再び賑やかな笑い声に包まれた。
だが、この時の空も、そして美琴自身も、まだ知る由もなかった。
『学園都市を信じられる』『自分の力は誰かを守るためにある』。
その真っ直ぐな希望が、わずか数日後――自分自身のDNAマップから作り出された二万人の
残酷な足音が、すぐそこまで迫っている。
それでも今はただ。瀬川空は、このひとときだけの極甘の祝杯の味を、深く、静かに噛み締めていた。
最初から読んでくださっている方なら気づいていらっしゃるかもしれませんが、自分は話の最後の締めが下手くそです。
しばらく似たような表現になります。