夕方。
地下街の大型ショッピングモールを出ると、学園都市の空はすでに燃えるような茜色に染まっていた。
ビルの合間に沈みゆく太陽が、学生たちの影を長くアスファルトに落としている。
「じゃあね、瀬川さん! 新学期にまた学校でね!」
「ごきげんよう、瀬川さん。缶コーヒーの飲み過ぎにはくれぐれもご注意くださいませ」
「またねー!」
「さようならー!」
駅へ向かう改札の前で、御坂美琴、白井黒子、佐天涙子、初春飾利の四人が、無邪気に手を振って別れを告げていく。
空は小さく手を振り返し、彼女たちの背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
網膜には、事件を乗り越え、この街を信じると決めた美琴の眩しい笑顔がまだ焼き付いている。
(希望、か)
空は、手の中に残っていた空の極甘コーヒーのアルミ缶を、近くのゴミ箱に放り投げた。
カラコンッ、と乾いた音が響く。ふうっと長く息を吐き出すと、肺の中に溜まっていた微かな熱まで逃げていくような気がした。
美琴は、自分が信じた正義の先で、暗部の毒牙から子供たちを救い出した。
彼女のその真っ直ぐな信念と結果は、どうしようもなく美しい。
だが。空の生きる、光の当たらない「裏側」の現実は、そんな綺麗な言葉や一時の勝利だけで回るほど、甘くはなかった。
『ヴヴッ、ヴヴッ』
ズボンのポケットの中で、暗部専用の漆黒の携帯端末が、嫌なリズムで短く振動した。
アレイスター=クロウリーからの、新たな任務データの受信を知らせる合図。
空は周囲に人気がないことを確認し、大通りから外れた、光の届かない薄暗い路地裏の影へと身を潜めた。
周囲の雑踏の音が遠のき、生温かい風だけが通り抜ける。
ロックを解除し、暗号化された画面を開く。
『――計画名:
『――特記事項:
『――差し当たって、
画面に表示されたのは、無機質で冷酷な実験データの羅列。
そして、その報告書の最後に添付されていた、一枚の画像データ。
「…………っ」
それを開いた瞬間、空の心臓が不自然に跳ねた。
足元のコンクリートから、急速に体温が奪われていくような、ひどい悪寒が全身を駆け巡る。
画像に写っていたのは、凄惨な血溜まり。
そしてその中央に転がっている、つい先程まで隣でパフェを食べて笑っていた少女――御坂美琴と全く同じ顔をした、一人の少女の死体だった。
瞳孔が開き、虚ろな目をしたその少女は、美琴と同じ茶色の髪に、どこかの学校の制服を着ていた。しかし、その身体は暴力的な力によって無惨に破壊され、ただの肉塊へと成り果てていた。
数千、数万という単位で作られ、ただ第一位の経験値として殺されるためだけに消費されていく、単価十八万円の作られた命。
それが、美琴のDNAから生み出された『妹』たち。
(……御坂さんは、これを知らない)
空は、血の気の引いた顔で、震える手で端末を握りしめた。
彼女がこの街の光を信じ、自分の力を誇りに思った、そのすぐ裏側で。
彼女自身の細胞から作られた命が、使い捨ての実験動物として、毎晩のようにどこかの路地裏や施設で惨殺され続けているのだ。
もし、この事実を彼女が知ってしまえば。
今日見たあの眩しい笑顔は、自分の力が引き金になってしまったという絶望と、果てしない自責の念で、完全に崩壊してしまうだろう。
「……趣味が悪いな、アレイスター。やっぱりお前も、木原と同類だ」
空は端末の画面を消し、夕闇に完全に沈みゆく学園都市のビル群を見上げた。
かつて、燃え盛る養護施設の中で、大人たちの都合でモルモットとして使い捨てられた「置き去り」の自分。
炎の中で叫び、手を伸ばし、それでも誰も助けに来なかった、あの夜の底なしの絶望。
今、同じように、誰にも届かない悲鳴を上げながら殺されていく少女たちがいる。
誰も助けに行かないのなら。誰も彼女たちを「人間」として扱わないのなら。
(見過ごせるわけが、ないだろ)
空っぽの器のはずの空の胸に、冷たく、そして静かで絶対的な怒りが満ちていく。
それは、彼自身が失った「人間らしさ」の残滓のようでもあった。
例え、それが統括理事会の命令に背くことになろうと。
例え、第一位という、この街で最強の理不尽な化け物を相手に、血みどろの殺し合いをすることになろうと。
美琴の笑顔を裏切り、彼女と同じ顔をした、同じように命ある少女たちを見殺しにすることだけは、絶対にできない。
空は、ゆっくりと顔を上げた。
美琴たちに向けていた「人の良い高校生」の仮面は完全に剥がれ落ち、そこには一切の感情を排した、冷酷な『掃除屋』の貌だけが残されていた。
だが、その瞳の奥には、彼がこれまで一度も抱いたことのない、熱く鋭い決意の炎が灯っている。
迫り来る、運命の日。
学園都市の最も深い闇を巡る、瀬川空と『家族』となる少女たちの凄惨な戦いが。そして、最強の化け物との絶望的な死闘が、今まさに幕を開けようとしていた。