同時期。八月二十一日の深夜。
学園都市の第23学区、とある研究施設の一室。
冷房の効きすぎた無機質な暗い部屋の中で、御坂美琴はパソコンのモニターを血走った目で見つめていた。
カタ、カタカタ、ッターン!
キーボードを叩く美琴の指先は、小刻みに震えている。
画面に次々と表示されるのは、最高レベルのセキュリティで厳重に秘匿されていた、学園都市の最も深い闇のデータ群。
幼い頃、筋ジストロフィーの治療薬の研究という名目で無邪気に提供してしまった、自分自身のDNAマップ。それが軍事用のクローン製造に利用され、あろうことか第1位の殺戮実験に供されているという、おぞましい真実。
『――計画名:
『――
「……っ、ふざけ、ないでよ……!」
喉の奥から、血を吐くような嗚咽が漏れた。
単価十八万円。ボタン一つで製造され、ただ第1位の経験値として惨殺されるためだけに、薬物で強制成長させられた二万人の自分。
画面には、ひしゃげ、千切れ、血の海に沈んだ『自分と同じ顔をした少女たち』の凄惨な実験映像や死体の画像が、無機質なデータとして延々と並べられている。
(私のせいだ。私が、あんな簡単にDNAなんて渡したから……っ!)
激しい自責の念と嘔吐感が美琴を襲う。
彼女は震える手でマウスを握り、実験を統括する関連施設のリストや、事後処理の報告書を次々と引きずり出していった。一つでも多くの情報を得て、この狂った実験を止める手がかりを見つけるために。
「……何よ、これ」
不意に。
ある報告書の末尾に記載されていた短い一文に、美琴の指がピタリと止まった。
『――第9982次実験における都市インフラ損壊の修復、及び現場の隠蔽清掃処理を完了。遺体は回収済み』
『――担当:瀬川空』
「…………え?」
心臓が、ドクン、と不自然に大きく跳ねた。
美琴は息を詰め、画面に表示されたその『名前』を、穴が開くほど見つめた。
見間違いではないか。同姓同名の別人ではないか。
だが、添えられていたIDデータと顔写真は、間違いなく美琴のよく知る人物のものだった。
「嘘……でしょ……? 瀬川、さん……?」
カチカチと歯の根が合わなくなる。
全身の血液が急速に冷え、指先から温度が奪われていくのがわかった。
いつも、上条や青髪ピアスたちと一緒に馬鹿騒ぎをして、柔らかな苦笑いを浮かべていたあの人が。
つい数日前、夏休みの賑わうファミレスで、極甘の缶コーヒーを飲みながら、優しい瞳でこう言ってくれたあの人が。
『御坂さんのその力は、きっと……これからも、誰かの希望になるよ』
(あんなこと、言っておきながら……っ!)
あの時、あの言葉を口にした彼は。
自分が学園都市を信じると笑っていた時、彼は。
毎晩のように、自分の顔をしたクローンたちが第一位に惨殺され、その血肉が路地裏に撒き散らされていることを、知っていたというのか。
それどころか、あのおぞましい殺戮現場の『後片付け』を担い、血の海を隠蔽し、自分の妹たちをゴミのように処理していた、暗部の人間だというのか。
「あ、ああぁっ……!」
頭がおかしくなりそうだった。
彼が自分に向けていたあの優しい笑顔は、一体何だったのか。
裏で自分の妹たちの死体を片付けながら、表では教師のふりをして、どんな顔をして自分とケーキを食べていたのか。
もしかして、今までの付き合いですら、彼にとっては統括理事会からの何らかの『任務』に過ぎなかったのではないか。
大人が、信じられない。
テレスティーナの時に抱いた不信感など比ではない、底なしの絶望と裏切りが、美琴の心をズタズタに引き裂いていく。
誰も、頼れない。誰も、信じられない。
この狂った街では、あの優しかった教師ですら、殺戮の共犯者なのだ。
混乱と絶望が黒い渦となって美琴の理性を蝕む中。
画面に、さらに最悪の通知が表示された。
美琴が最後に縋り付いた、たった一つの希望。
学園都市の全ての演算を司るスーパーコンピュータにして、この計画の根本である『二万回の実験でレベル6に至る』という予測を弾き出した超高精度演算機器。
それに再計算を行わせ、計画の矛盾を突きつけることができれば、実験は凍結されるはずだった。
だが、ハッキングの末に美琴が辿り着いたアクセスログには、無情なエラーメッセージが点滅していた。
『――対象の演算中枢「
「……あ……」
パキリ、と。
美琴の中で、何かが完全に折れる音がした。
頼るべき大人は、殺戮の共犯者だった。
誰も、いない。
もう、誰も助けてはくれない。
「私が……私が、やるしかないじゃない……っ」
虚ろな瞳から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
自分が蒔いた種だ。自分が引き起こした絶望だ。
ならば、自分の命を懸けて、学園都市中にある関連施設を一つ残らず物理的に破壊し尽くすしかない。例えそれで、自分が力尽きて死ぬことになろうとも。
「待ってて。……絶対に、終わらせてあげるから」
美琴はパソコンの電源を強制的に落とすと、フラフラとした足取りで立ち上がった。
かつて誰もが憧れた、誇り高く眩しい『常盤台の超電磁砲』の姿はそこにはない。
あるのはただ、たった一人で世界全ての闇を背負い込み、死に場所を求めて彷徨う、傷だらけの少女の残骸だった。